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  作者: 真好


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2.心配







「暶君、こんな時間に何で散歩してたの?」

 夜空の下、二人並んで歩きながら、整理カナがふいに尋ねてきた。

 彼女の声は軽やかで、好奇心に満ちている。

「今日、たまたま住んでた家を出たんだ。人間の言葉を借りれば、家出ってやつかな。いや、独立って言ったほうがしっくりくるか」

「え、なんで?」

 カナの青い瞳がまた輝き出した。俺は肩をすくめて、淡々と答える。

「特に理由はないよ。なんとなく、今日がそのタイミングかなって思っただけ」

 カナは、まるで未知の生き物でも観察するような、不思議な目つきで俺を見る。

「両親にはなんて言ったの?」

「俺には両親がいないんだ」

「え、そうなの? じゃあ、まだ売られてないってこと? どこ出身? 研究所? 工場?」

「いや、売られたよ、たぶん。記憶がないだけ」

 俺は特に深い意味もなく、両手を見つめながら続ける。手のひらを軽く開いたり閉じたりして、言葉を探すように。

「人間って、脳が不安定だから。記憶力がイマイチなんだ」

「いいじゃん!」 カナの目がまた青空の如く。「めっちゃロマンチック」

「ロマンチック? どこがだよ」

 苦笑いしながら聞き返すと、カナは身を乗り出すようにして、生き生きと答えた。

「だって、メモリが勝手に更新されるってことでしょ?リフレッシュされるわけでしょ?素敵滅法」

「いやいや」 苦笑いが止まらないまま突っ込む。「それ、君がポジティブすぎるだけ」

「だってさ、ロマンチックとポジティブって、恋人同士みたいなもんだから」

 カナが弾むように笑う。

 俺は言葉に詰まり、返す言葉を見つけられなかった。いや、ここはあえて何も言わないほうが、ロマンチックってやつかもしれないな。苦笑いをそっと普通の笑みに変えてみると、不思議と気分がポジティブになった。

「それで?」 カナの質問が続く。「家ってどこだったの?」

「俺、一人暮らしだったんだ。普通の邸宅って感じ」

「邸宅?」 カナの目が丸くなる。「一人で?」

「うん。自分でもよくわかんないんだ。なんでこんな広い家に一人で住んでたのか、記憶がないから」

「どんな家だったの?」

「うーん、なんて言うか……」

 俺は記憶の断片をたどり、頭の中でイメージを組み立てながら、言葉を紡いだ。

「最初に思い浮かぶのは、1階の和風のスペースだな。庭に苔むした石灯籠があって、縁側から見える池には錦鯉が泳いでる。夜になると、障子の向こうで竹の葉が風に揺れて、静かな音を立てるんだ。落ち着いてて、どこか懐かしい感じ」

「へえ」

「次は2階の、ちょっと西洋風の雰囲気。高い天井にシャンデリアが吊るされて、窓には重厚なカーテンがかかってる。暖炉の火がパチパチ鳴って、壁には古い肖像画が並んでるような、クラシックで豪華なスペースだったりして」

「いいね」

「3階まであるけど、そこはサイバーパンクっぽいイメージかな。ネオンの光がガラス張りの壁に反射して、部屋の中央にはホログラムのディスプレイが浮かんでいた。そこでよくゲームして遊んだもんだ。外には無数のドローンが広い室内を飛び交って、いろいろ家事をサポートしてくれたりしていたな」

「じゃあ、暶君が家を出た後、あの家はどうなるの?」

 カナの質問に、私は少し考えてみた。でも、答えらしい答えは浮かばなかった。

「分からないな。不動産とか、そういう情報はまるで知らないんだ。家賃を払ってたわけでもないし、そもそもあそこが本当に私の家だったのかも怪しいくらいだよ」

 カナはくすっと笑って、楽しそうな目で私を見た。

「なにそれ。じゃあ、荷物とかはどうするの?」

「いや、実は何も持ってきてないんだ。特に必要なものとか、愛着があるものなんて一つもなかったし。もともと物自体が少なかったからね」

「へえ、ミニマリストじゃん」

「まあ、そんな感じかな」

 そんなやりとりを交わした後、ふたたび言葉が途切れ、静かな散歩が続いた。

 夜空を舞う星々が、だんだんと淡い紫の光を帯び始めていた。まるで宇宙がゆっくりと色を変えるような、壮大で静かな美しさが広がっていて、思わず見とれてしまう。

「カナは?」私がふと尋ねた。「カナには両親いるんだよね?」

「うん、いるよ」

「じゃあ、そろそろ家に帰ったほうがいいんじゃない? こんな遅くまで出歩いてたら、親が心配するでしょ」

「うーん、そうかもしれないけど……」カナは少し考えるように首をかしげた。「でもさ、人間に会ったって言ったら、きっと分かってくれると思うんだよね」

「じゃあ、せめて遅くなるって連絡くらい入れとけば?」

「うーん、それはどうかな」カナの表情が曇り、ちょっと困ったような笑みを浮かべた。「人間に会ったって言っても、たぶん信じてもらえないよ。嘘ついてるって思われたらまずいし。最悪、廃棄されちゃうかもしれないし」

「確かに、それはまずいな。嘘はダメだからね」

「うん。だから、この場合は何も言わないのが一番だと思うんだ」

「それもそうだな。じゃあ、これ以上心配させないためにも、そろそろ帰ったほうがいいよ」

「……なんで?」

 カナの声が、ほんの少し低くなった。見ると、彼女の表情もどこか曇っている。

「なんでそんなに私を帰らせようとするの? 私が嫌い?」

「嫌いじゃないよ」私は即座に答えた。「ただ、君の親が心配してるだろうからさ」

「そんなの気にしなくていいよ。だいたい、子供って親に心配かけるもんでしょ?」

「でも、わざと心配させるのはちょっと違うんじゃないかな」

「暶君さ」

 カナが突然、足を止めた。私もつられて立ち止まる。

 彼女は真剣な目で私を見据え、言葉を続けた。

「私がうざいって思ってるなら、はっきり言ってほしい。ヒューマノイドロボットだから、人間の命令には絶対従うよ」

「違うって」私は即答した。「嫌いじゃないよ。君がそばにいてもいなくても、どっちでもいいってだけ」

 正直にそう言うと、カナの顔に半分傷ついたような、半分ホッとしたような複雑な表情が浮かんだ。

「じゃあ、もっと暶君のそばにいてもいい? 親のことは本当に気にしなくていいから」

「……分かった」

 結局、私は小さく頷くしかなかった。

「でも、やっぱり君の親に心配をかけるのは嫌なんだ」私は言った。「とりあえず、カナの家に行ってみないか?」

「え、うちに?」

 カナの声に驚きが弾けた。

「うちに来て、どうするつもり?」

 彼女の口調には、わずかな抵抗感が混じっているように感じられた。

「君が直接言うとまずいって言うなら、私が話すよ。『私は人間で、カナと一緒にいたい』って。それなら問題ないだろ?」

「それ、逆に親がもっと心配するかもしれないよ」

「え、なんで?」今度は私が戸惑う番だった。「私、そんなにヤバい奴に見える?」

「そういうんじゃなくて」カナは慌てて両手を振って否定した。「ただ、私、男の子を家に連れてったことなんて一度もないから……。親、びっくりすると思うんだよね」

「なるほどな」私は小さく頷いた。「でも、何も説明しないよりはマシだと思うんだ。どうかな、カナの家に案内してくれる? ご両親、今家にいるの?」

「うん、いるよ。たぶん低速充電中だと思うけど……」

 カナは少しおずおずと、探るような口調で答えた。

「でもさ、暶君。結局、親に『自分は人間だ』って言うつもりでしょ? でも、うちの親、信じるかなぁ。あの二人、モデルが結構古いから頭固いんだよね」

「大丈夫。考えがあるから」

「どんな考え?」

 私は答えなかった。

 実はその「考え」ってやつは、たいしたものじゃなかった。とりあえず人間だと名乗ってみて、もし信じてもらえなかったら――まあ、十中八九信じてもらえないだろうけど――その場からさっさと逃げ出すつもりだった。カナは家に残して。

 要するに、ただカナを家まで送り届けるってだけのことになる。

「大丈夫だよ」

 私は彼女の目をまっすぐ見つめた。

「なんとかなる。信じて」

 またしても、私は彼女に嘘をつく。

 そして、カナは小さく、縦に首を振って応える。

「うん、わかった。信じるよ」

 その声は、まるで重力を忘れた鈴が夜空を漂うように、儚くも透き通って私の耳に響いた。

 胸の奥で何かがざわついた。

 気持ちが悪い――いや、悪いだけじゃない。そこには、訳のわからない快感のようなものも混じっていた。

 この感覚の正体はなんだ?

 嘘をついたことへの罪悪感か?

 それとも、カナの盲目的な信頼が引き起こす何かか?

 でもどちらでもないようで、その正体をどうしてもつかめることが出来なかった。

「じゃ、案内するよ。ついてきて」

 カナが軽やかに言うと、さっさと歩き始めた。私はその後ろを追うように歩き出す。

 なぜか並んで歩く気にはなれず、自然と彼女の後ろにつく形になった。だが、カナはすぐにそれに気づいたのか、ひょいと私の横に並んでくる。結局、肩を並べて歩くことになった。

 とはいえ、私としてはあくまで「ついていく」立場でいたかった。彼女より前に出るわけにはいかない気がして、微妙に――おそらく3センチほど――カナが前に出る形で歩みを進めた。

 二人の足音が、月の地面を静かに響かせる。

 柔らかく細かい灰色の砂が広がる、広大な砂浜のような感触。

 まだ舗装されていないこの一帯は、昔ながらの月の砂がむき出しのまま残っている。私は昔から、こんな場所を散策するのが好きだった。

 5分ほど、リチウムの話題で他愛もない話をしながら歩いていると、やがて鉄とアルミニウムでできた背の低い半透明な銀色の森が現れた。カナの家はこの洗練された森の奥にあるらしい。

「君は森の奥に住んでるんだね」

 と私が言うと、カナが軽快に答える。

「うん、親の趣味なの。森の奥って、なんか落ち着くんだってさ。おかげで登校が大変なんだから困っちゃう」

「どうして?」

「この森の中じゃ、車を飛ばすのが制限されてるみたいで。歩いて登校しなきゃいけないの」

「なんでそんな制限が?」

「危ないから、じゃない? 木々にぶつかったりしたら危ないからかな」

「ふうん。まあ、でも歩けば運動になるし、いいんじゃない?」

「それはそうなんだけど」カナが苦笑いする。「やっぱり面倒くさい方が勝っちゃうかな」

「わかる」

 私たちは短く笑い合い、森の中へと進んでいった。






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