16.真空深海の蜘蛛
「……逃げろ」
その途切れがちな声とともに、私たちがようやく見つけた、かろうじてバッテリーを残していた月面ローバーはその機能を停止し、微かに光っていた緑色の表示灯が永遠に消えた。
同時に、周囲は再び漆黒の闇に飲み込まれた。
だがその瞬間、どこからかけたたましい音が響いた。
まるで巨大な遮断機が一気に切り替わるような、あるいは重い鉄の扉が力強く閉まるような、衝撃的な金属音だった。
そして、眩い光が一斉に周囲を照らし出した。
慌てて辺りを見回すと、まるで球場に設置された強力なスポットライトのような照明が四方八方にそびえ立っていた。太い鉄の柱に支えられた無数のヘッドライトが、蛍光灯のような無機質だが暴力的な明るさで、ついさっきまで視界を奪っていた漆黒の闇を一瞬で打ち砕いた。
その光は、まるで身体の内側まで透かしてしまうのではないかと思うほど強烈だった。
ふと視線を上げると、空中には無数の色とりどりの物体が浮かんでいた。
まるでこの世のすべての可視光線の色を集めたかのような、鮮やかな綿あめのようなものが、真空の深海を漂う雲のように浮遊している。
よく見ると、それらは単なる装飾ではなく、意識を保った月面ローバーがその中に閉じ込められているのが分かった。綿あめの中心には、まるでリンゴのへたのように太い銀色の糸が貫き、まるで新品の鉄心のような強靭さでそれらを吊り上げていた。
下を見れば、戦国時代の戦場を思わせる荒々しい光景が広がっていた。
無数の月面ローバーの残骸が、墓標や敗軍の武器のように散乱し、荒涼とした灰色の荒野を形成している。その無残な風景の上に、遊園地のような華やかな綿あめが愛らしく浮かぶ姿は、ひどく不釣り合いで、この真空の不可解さを一層際立たせ、CPUに新たな混乱を植え付けるのに十分だった。
その時、綿あめのような雲が、まるでモーセの海が割れるように両側にゆっくりと動き始めた。
開かれた空間の中心から、巨大な入道雲のような物体が徐々に近づいてくる。その存在感は、まるでロケットの打ち上げ時に噴き出す蒸気のように、周囲に圧倒的な力を放ちながら迫ってきた。
その雲は繭のように中央が割れ始め、表面が白い卵のように固まり、徐々にひび割れていく。そして、その殻が剥がれるように開くと、中から異様な姿が現れた。
それは、常識を超えた巨大な蜘蛛だった。
サイズはヒューマノイドロボット500体分にも匹敵するだろう。黒く細長い金属の脚が数十本、まるでピアノの鍵盤を優雅に弾くピアニストの指先のように滑らかに動くが、その動きはどこか不協和音を奏でるような、吐き気を催すほどの不気味さがあった。
蜘蛛の中心、つまり本体には、古めかしい宇宙服を着た人型の何かが鎮座していた。
まるで巨大なロボットを操縦するコックピットにいるかのように、しかしどこか避暑地の億万長者がタバコをくゆらせながらくつろぐような、異様にリラックスした姿勢で座っていた。その頭部は、バイクのヘルメットのような真っ黒なガラスで覆われ、内部は見えない。
だが、その視線は確実に私とカナを見下ろしていた。
すると、まるで球場のスピーカーから響くような、力強く澄んだサラウンド音が真空の空間に響き渡った。
「――きっと、美味」
その声は、古い機械の音声入力のような、落ち着いた男性の事務的な口調だったが、どこか清々しいほどに冷たく、死んだ月面ローバーたちと私たちを深い戦慄に陥れた。
バックエンドでは、別の声が聞こえた気がした。まるで気象キャスターが淡々と天気を告げるように、
「ずっと、曇り」
と囁くような響きだった。




