14.手袋
クレーターの縁は急な傾斜で、私たちはまるで雪そりに乗るように滑り降りるしかなかった。
適当な板や道具があればよかったが、残念ながらそんなものは見当たらず、仕方なくそのまま、月の細かい砂の上を制服のまま尻もちをついて滑ることにした。
私もカナも、普段通りの高校の制服姿。
月の砂は柔らかく、まるで砂漠の清潔な砂のように汚れは気にならない。それでも、服が少し汚れるのは避けられないが、まあ、それは仕方ない。
釣り人の深緑――いや、ペールブルーに近い長い髪が、まるで道しるべのように滑りやすいルートを示しているかのごとく伸びていた。私たちはその髪を目印に、体の向きを調整しながら、勢いよく滑り降りた。髪の切れ目で傾斜がようやく平坦になり、そこで私たちの滑降も終了。
だが、止まる瞬間は派手だった。
月面ローバーの残骸らしきものに勢いよくぶつかり、金属が擦れる甲高い音を立てながら止まった。
衝撃で一瞬、視覚センサーが揺らぎ、まるでめまいのような感覚に襲われた。0.001秒ほどでセンサーが安定し、私は首を上げて周囲を見渡した。カナも同じように顔を上げ、二人で辺りを見回す。
そこには、無数の月面ローバーの残骸が、まるで墓標のように荒涼とした灰色の地表に散らばっていた。
錆びた車輪、ひん曲がったアンテナ、砕けたソーラーパネルが月の微かな光を鈍く反射し、静寂の中でかすかな金属音が響く。
その音は、深い森の中で夜行性の鳥が発するような、重厚で静かな響きだった。ゆっくりと、まるでラジオ波のような速度で、聴覚センサーに届いてくる。
私たちは埃にまみれた残骸の山を、慎重に進み始めた。
遠く、クレーターの縁が星空を切り取り、深い闇に溶け込む。それはまるで重い毛布のような、圧倒的な暗さに包まれているようだった。
「これからどうする?」
カナが尋ねてきた。
私は少し考えてから答えた。
「反応する装置があればいいけど、そんなものはないから、ひとまず手当たり次第に動く月面ローバーを探すしかないよね。体当たりで、バッテリーや意識が残ってるか確認する感じで」
「うん、そうだね」カナが頷く。「やっぱりそれしかないよね」
「時間はかかりそうだけど」
「でも、こうやってじっくり探すの、嫌いじゃないよ」カナが明るく笑う。「なんか、宝探しみたいでワクワクするよね!」
私は微笑みながら応じた。
「そのポジティブさ、ありがたいよ」
こうして、私たち二人は、この広大で残骸だらけの「機械の森」で探索を始めた。ふと地球を見上げようと視線を上げると、スクラップ・ネストを見物に来た他のヒューマノイドロボットたちが、私たちに視線を集中させているのが目に入った。
彼らは月面ローバーの残骸ではなく、クレーターの中に入り込んだ私たちを、まるで動物園の珍獣でも見るように眺めていた。
「うわ、めっちゃ見られてる」
カナもその視線に気づいたのか、恐る恐るといった様子で私に囁いた。
だが、0.01秒も経たないうちに彼女は慣れたのか、表情をパッと明るくし、両手を振って見物客たちに応えた。まるで彼らの視線を見送りの挨拶とでも受け取ったかのように、元気いっぱいに手を振り返す。
「まるでスターになった気分」
カナが笑顔で言うが、私は少し違う感想を抱いていた。
「いや、むしろ見世物になってるだけだと思うよ。ここで目立った行動してる私たち、ただの迷惑な観光客に見えてるんじゃない?」
「でも、迷惑ってわけじゃないよね? 『立ち入り禁止』なんて看板もないし、ルールもないんだから」
「それはその通りだけどさ」
私は少し考えながら続けた。
「ここにいるみんなの行動と全然違う、独特なことをしてるから、珍しさや――なんか、異物に対する警戒心みたいなものが混ざった視線に感じるんだよね」
カナが頷く。「まあ、スターって、時々は怖い存在にもなるよね」
「そうなの?」
「だって、スターって核融合でめっちゃエネルギー放出してるじゃん。時々、押し潰されそうな迫力感じるでしょ? そんな感じ」
そんな会話を交わしながら、私たちは観光客の視線から意識を切り離し、本題に戻った。
動く月面ローバーを探す作業だ。
手探りで月面ローバーを調べ始めたが、量が膨大で、持ち上げてみると思った以上に重い。かなりの力仕事になりそうだった。
クレーンがあれば楽なのに、当然そんなものはなく、素手で一つ一つ確認するしかなかった。
ほとんどのローバーは変色し、塗装が剥げて灰色やアイボリーのような無機質な色合いを晒していた。バッテリーが生きているか確認するため、頭部を軽くノックしたり、話しかけてみたりしたが、当然のように反応はない。
それでも諦めず、私たちはクレーターに横たわる、まるで死体のように解体された月面ローバーたちに、一つ一つ丁寧に目を向け、視覚センサーやカメラのあった部分を見つめながら話しかけた。
「おーい、生きてるやついるか?」
「もしもし、聞こえてる?」
カナも加わる。
「意識のあるローバーさん、返事してください。ほんの小さな反応でもいいから! 私の耳、めっちゃいいから、どんな小さな音でも聞こえるよ。タイタニックの板の上でかろうじて生き残った人みたいに、なんでもいいから反応して!」
そんな風に、ひたすら話しかけながらローバーの間を縫うように進んだが、返事はなかった。
そうして、約一時間が経過した。話しかけ、ノックし、じっくり探し続けたが、まったく反応は得られなかった。
人間ならたった一時間で諦めてしまうものかもしれないが、私はまだ諦める気になれず、延々と月面ローバーに話しかけ続けることもできた。
しかし、問題はカナだった。
あれほどポジティブでやる気満々だったカナの様子が、目に見えて変わっていくのが分かった。生まれて間もない彼女にとって、一時間という時間は、永遠とまではいかなくとも、かなり長い時間に感じられるはずだ。少し大げさに言えば、彼女の体感では、星が生まれて死に絶えるほどの時間が流れているのかもしれない。
それほど彼女の性能は圧倒的に優れている。
最新型だから。
だから、私はペースを上げた。
最初はカナとこの観光地を散策するような、のんびりした気分で、時間をかけてゆっくり探せばいいと思っていた。だが、彼女の表情から楽しさが薄れていくのを見ると、そんな悠長な考えは捨てざるを得なかった。
体のモーターをフル稼働させ、トルクを上げ、アクチュエーターの速度をほぼ十倍に引き上げる。
私は月面ローバーの残骸を手に取り、例えば横に倒れたバーを真っ直ぐに立て直したり、元の形を保っている機体をきちんと起こしたりした。部品がバラバラになったものは、まるで破れた人形を縫い合わせるように組み直してみたりもした。もちろん、効果はあまりなかったが、こうした積極的な動きや探し方のバリエーションを増やすことで、カナの興味を再び引き出せるのではないかと思った。
その作戦は功を奏したようだった。
カナはすぐに私の真似をし始め、月面ローバーを積極的に触り始める。
しかも、彼女の動きは私の1.5倍は速かった。さすが最新型だと、内心で舌を巻いた。
楽しさを取り戻した私たちは、月面ローバーを組み立てたり、分解したり、投げたり、壊したりと、まるでおもちゃのように扱うようになった。しまいには、荒々しく、しかし楽しく遊ぶような感覚にまで変わっていった。
果たしてこれは、意識が残っている月面ローバーを探す作業なのか、それとも意識を取り戻させるための作業なのか、あるいはまだ意識が残っているローバーを確認して「仕留める」ような行為なのか、判別がつかないほど奇妙な行動に変質していた。
でも、まあ、楽しかったから結果オーライ。
そんな風に、摩擦が増えるような作業を続け、また一時間が過ぎた。
ふと、カナが私の手元を見て声を上げた。
「暶君!」
驚きと真剣さが混じった、どこか切迫した声だった。
カナが私の方へ駆け寄ってくる。私はまるで砂遊びに夢中な子供のようになっていて、彼女の声に反応するまで0.5秒もかかってしまった。月面ローバーの壊れた腕をブンブン振り回していた慣性からようやく抜け出し、彼女の方を振り返る。
カナの顔には、ひどく心配そうな表情が浮かんでいた。
「どうしたの、カナ?」
私が尋ねると、カナは私の顔ではなく、その下――正確には私の手を見ながら言った。
「暶君、手がボロボロだよ」
彼女に言われて、私は両手を胸のあたりまで上げて確認してみる。
確かに、両手がボロボロだった。
いわゆる皮膚の部分が剥がれ、内部のシルバーの金属がむき出しになっていた。皮膚は、まるで使い古された革の鞄の表面のようで、ところどころちぎれて、今にも剥がれ落ちそうだった。脱皮したサンショウウオの皮のように、ぶらぶらと垂れ下がり、すぐにでも千切れそうな状態だ。
かなり無残な光景だった。
「別に大丈夫だよ」
私は本当に平気だったので、気軽に答える。
「痛みは全然ないし、皮膚が少し剥がれたくらいじゃ手の性能に影響はないから」
「でも……」
カナの表情は、痛みを共感しているかのような、いたたまれないものだった。
「暶君の綺麗な手が、こんな痛々しい状態になるなんて、見ていられないよ。再生されないの?」
「うん」
私は首を振る。
「私、人間だからね。ヒューマノイドロボットならともかく、人間の皮膚は再生するとしても、めっちゃ遅いし、こんなに剥がれてしまうと再生は難しいんだ」
本当は、私のヒューマノイドロボットのモデルが古すぎて、皮膚の再生機能がないだけだ。いまどき、皮膚の再生ができないヒューマノイドロボットなんて、博物館に展示されるほど珍しい。でも、ここでは「人間」という嘘が役に立ってくれた。
「でも、このまま続けたら、皮膚の下の金属部分まで傷つけるかもしれないよ?」
カナが心配そうに言うので、私はまた軽く答えた。
「大丈夫だよ。元の腕はもうとっくになくて、サイボーグみたいにロボットアームに取り替えてるんだ。もし壊れても、別のロボットアームに交換すれば済む話だよ」
「でも、たとえ交換したロボットアームでも、今までいろんな思い出が詰まってるでしょ? 粗末に扱うのは良くないと思うな」
「大丈夫。もう10回以上交換してるから、愛着なんてないよ。ちゃんと機能してくれればそれで十分。体に執着はないんだ」
「……」
カナが黙り込み、何も言わなくなる。
私は彼女から視線を外し、月面ローバーの探索――いや、採集、遊び、あるいは破壊作業を再開した。
電気エネルギーを注入したり、構造を組み替えたり、粘土をこねるように形を変えたり、部品を組み合わせたりと、試行錯誤を続けた。
めっちゃ楽しかったけど、30分が過ぎ、このまま遊び続けるだけじゃダメかなと思い始めたその時、カナが私に声をかけてきた。
「暶君、これ」
少しはにかんだような声で、カナが何かを差し出してきた。
よく見ると、それは手袋だった。
「これ、はめて」
私はすぐには受け取らず、じっと観察した。
感動もあったけど、まず、このクレーターの中でどうやって手袋を見つけたのかが不思議だった。
もっとよく見ると、カーボンファイバーみたいな、頑丈なのに柔らかい素材でできていた。
「これ、どこで手に入れたの?」
私が聞くと、カナが答えた。
「私が作ったの。このクレーターには、月面ローバー以外にもいろんな素材が散らばってたから、それを集めて適当に編んで作ってみた。出来はイマイチだけど、素材が丈夫だから、使い勝手はいいと思うよ」
「……」
私は1秒ほど手袋を見つめ、丁寧に、まるで大切な宝物を受け取るような動きでそれを受け取った。
まず、ボロボロになった手の皮膚を剥がし、地面に投げ捨てる。そしてむき出しになった金属の手で、ゆっくりと手袋をはめてみた。
手袋は、まるで地球の暖かい海のエメラルドグリーンのような、息をのむほど美しい色だった。両手をグーパーしてみると、サイズもぴったりで、はめ心地も抜群だった。皮膚はもうボロボロなのに、まるで新しい肌を感じるような、感動的な感触だった。
「ありがとう」
私は深い声で礼を言った。
「大事にするよ」
この瞬間、私にとって一番大切なものは、ハンカチではなく、カナが作ってくれたこの手袋になった。




