第2話:ゴミの山と黒い哲学者の奇妙な共同戦線
クロと名乗る漆黒の塊が俺の部屋に現れてから、数日が経った。
正確には、それが夢じゃないと認めてから、だ。
朝に出勤し、夜に帰宅し、そして玄関では必ずオーロが迷子になる。そんなルーティンに、大きな変化はない。だが一つだけ、心の平穏だけはクロによって毎日きっちり掻き乱されるようになった。
「ウィーン、ウィーン……」
低く切なげな駆動音が、今や部屋のBGMになっている。振り向けば案の定、玄関の靴置き場。脱ぎ散らかしたスニーカーとサンダルの間に、我が家の未来的同居人――ロボット掃除機オーロが突っ込み、身動きが取れなくなっていた。
高性能AIを積んでいるはずなのに、毎日同じ場所で迷子。まるで人生の道に迷ったサラリーマン……いや、俺そのものだ。
「おい、人間。またそいつが迷子になっているぞ」
背後から響く低い声。振り返らずとも分かる。クロだ。
子猫ほどの大きさの漆黒の塊。不定形で、埃が寄り集まったような姿。歪んだ“口のようなもの”を持ち、畳の上を滑るように移動する。その存在は不気味だが、もう妙に慣れてきた。うるさいが、いないと寂しい同居人。……たぶん無害。たぶん、が重要だ。
「見て分かってる。……お前、またそいつの上に乗る気だろ」
俺の言葉にクロは沈黙。だがそのままオーロの真上に浮かび、軽やかに飛び乗った。まるで玉座に座る王のように。
「踏むなって言っただろ」
「踏んでない。持ち上げてやっただけだ」
俺は靴の隙間からオーロを引き抜く。ウィーンと空しく駆動していた音が止み、クロを乗せたまま静かになった。
「助けるのはいいが、この惨状は何だ」
クロが部屋を見渡す。雑誌の山、飲みかけの缶、干しっぱなしの洗濯物。そして隅では観葉植物が埃をかぶり、今にも咳き込みそうだ。
「放っとけ。お前には関係ない」
「関係ある。私はここに居るんだからな」
これもいつものやり取り。俺とクロの“朝の定型句”だ。
「お前がこの調子だと、私の生活にも影響が出る。もう少しマシにしろ」
「何の権利があって言ってんだよ。埃の塊のくせに」
声は冷静を装ったが、心臓は落ち着かない。クロの言葉は図星ばかりで、苛立ちを誘う。
「助言しているだけだ。お前はこのまま埃に埋もれて、誰にも気づかれずに消えるぞ」
鋭い言葉が、俺の心に突き刺さる。反論できないから余計に腹が立つ。
「……っ」
「まあいい。とりあえず、そのオーロを充電台に戻せ。私の特等席だ」
渋々オーロを充電台に置くと、クロは当然のように居座った。
「しかし人間、この数日で私の体がやけに大きくなっている。……掃除していないな?」
「してないけど。お前が喜ぶだろ」
「喜んでなどいない。私は旅人だ。身軽でいたい。このままでは土塊の巨人になってしまう」
「埃が巨人に進化って、スケールでかすぎ」
「皮肉を言っている場合か。今すぐ掃除しろ」
「なんで俺がお前のために掃除しなきゃなんねえんだよ」
「私のためではない。お前の健康のためだ。そして、お前のような人間が埃に埋もれて消えるのは、見ていて面白くない」
平坦な声なのに、どこか心配めいた響きがある。ツンデレめ。
「……分かったよ。だからその上で偉そうに腕を組むのはやめろ。お前、腕もないだろ」
俺は雑誌の山を持ち上げる。下から出てきたスナック菓子の空き袋に顔をしかめ、ゴミ袋に放り込む。
「汚いな。お前、本当に社会人か?」
舌打ちしながら、ゴミをまとめる。社会人だよ、一応な。
「よし、その勢いでそこも片付けろ。そして窓を開けろ。春の夜風は優しい」
「埃が舞うだろ。観葉植物が咳き込む」
「その植物、とっくに枯れているように見えるが」
視線をやると、葉は茶色く縮れ、土はカピカピ。……沈黙じゃなくて死んでたのか。自分と重なりすぎて笑えない。
「……まだ生きてる」
苦しい言い訳。クロは何も言わず、小さく揺れた。その揺れが笑いにも呆れにも見える。
「それにしても物が多すぎる。必要ないものまでため込んでいる」
「お前には関係ない!」
思わず声を荒げる。だがクロの“視線”は心の奥底まで透かしているようだ。未熟さも孤独も、不安も。
「次はその漫画の山だ。必要か?」
「いる! 俺の聖書だ!」
「聖書がゴミの山に埋もれているとは、敬虔な信者だな」
「うるさい!」
俺はゴミ袋を片手に右往左往。クロはオーロの上から観察している。いや、俺の全てを見透かしているように。
「人間、ついでに人間関係も整理したらどうだ。会社でも最低限しか関わっていないだろう」
手が止まる。図星だ。俺は感情や弱さを隠すために、毒舌やユーモアで誤魔化している。それも、クロには通じない。
「お前には関係ない」
「ある。お前が社会から隔絶されているのを見ると、私の旅に支障が出る」
それは皮肉か、本気の心配か。判別できない。
「それにしても、お前の生活リズムは何だ。昼夜逆転、食事はカップ麺。そんな生活で倒れるぞ」
「倒れない。カップ麺は俺のソウルフードだ」
「ソウルフードで体を作っているつもりか? いや、むしろその体にも埃が積もっていくな。私のように」
カップ麺に湯を注ぐ手が止まる。俺も埃でできてるってか? 失礼な。
「そろそろゴミ収集車の時間が終わるぞ」
クロの声に押され、俺はゴミ袋をつかみ、玄関へ向かう。ドアを開けると夜風が頬を撫でた。
――誰にも気づかれずに消えるぞ。
耳に残る言葉を振り払いながら、ゴミを捨て、空を見上げる。
「……変われるのか、俺」
小さく呟き、部屋に戻る。クロはオーロの上から降り、隅に佇んでいた。
「戻ったか。早かったな。ちゃんと捨てたか?」
「当たり前だ。俺は社会人だからな」
缶ビールを開け、炭酸で胸のざわつきを落ち着ける。
「ふん。その調子で頑張れ。私はここで、お前の埃を観察している」
挑発とも宣言ともつかぬ声。
こうして俺とクロの奇妙で騒がしい同居生活は、さらに深く続いていく。
この漫才のような日々の中で、俺の心も少しずつ変わっていくのだろうか。
今はまだ、想像もつかない。
今週も水曜日に公開できましたので、毎週水曜日を目指して更新がんばりますね!?




