第六話「空白の夜」
「……ジェイが、戻らない」
朝、そんな報せがゼロの中を駆け巡った。
ジェイが向かった敵のアジトは壊滅。敵対組織の構成員は、全滅。
けれど──ジェイの姿だけが、どこにもなかった。
生存の可能性も、死亡の証拠も見つからないまま、時間だけが過ぎていく。
ただ、屋上の片隅に、ジェイが大切にしていた花への水やり道具だけが、静かに置かれていた。
「……お前ら、今すぐジェイを探しに行くぞ。場所は三箇所、目星はついてる。猶予はない。三手に分かれて動く」
会議室に緊張が走る。エフの声は低く、だが明確だった。そこにいた誰もが、その表情を引き締める。
「三手になんて分かれる必要ないよ」
張り詰めた空気を割るように、軽い口調が響いた。ヴィーだった。
「……根拠は?」
「俺の勘」
「間違ってる可能性は?」
「ないよ」
「……本当だな?」
エフとヴィーの視線が交差する。言葉以上の何かが、互いにぶつかっているようだった。エフの顔には焦燥、ヴィーには余裕と不敵な笑み。
「知ってるでしょ?俺、家族のことに関しては嘘つかない。隠し事はするけどさ」
ヴィーはにやりと笑いながら、部屋を見渡す。
「俺とハクで行くから」
空気が凍った。
沈黙。誰もが言葉を失う。
「ば、バカ言うな! そんなの危険すぎるだろ!」
「じゃあさ、ジェイがいない今、俺より強い奴、いる?」
言葉に詰まる。反論できる者はいなかった。
「決まり、だね。大丈夫、ちゃんとジェイを助けて戻るから。俺、強いし」
「……条件がある。どこへ行くのか、きちんと教えてから行け。そして──三時間。三時間経ったら、俺たちも動く。それは譲らない」
エフの声は揺るがなかった。
「……えぇ?」
「ジェイだけじゃない。ヴィー、お前のことも心配してるんだよ」
エフの真っ直ぐな言葉に、ヴィーは少しだけ視線を逸らした。照れくさそうに。
「……ちゃんと帰ってこいよ。一緒に」
その言葉に、ヴィーは満面の笑みを浮かべて頷く。
「もちろん。安心して待ってな」
そして、ひらりと身を翻して、
「あ、キューちゃん。俺、頑張ってくるから、め〜っちゃ応援して?」
突然の振りに驚いたキューが、それでも微笑んで近づく。
「あぁ。もちろん。応援してるよ、頑張ってね」
そっとヴィーの額にキスを落とす。ヴィーは満足そうに笑い、片手でハクを抱き上げると、鼻歌交じりに部屋を出ていった。
「……ま、待て!ヴィー!場所、聞いてないぞ!」
我に返ったエフが追いかけるが、廊下にはもう、ヴィーの姿はなかった。
「……くそ。信じてるからな、ヴィー……」
ゼロのビルの出入口。ヴィーの前にひとりの影が立ちはだかる。
「ヴィーさん!お願いします、俺も連れて行ってください!」
それはクロだった。
「やっぱりいると思ったよ。でも、連れて行くつもりはないよー?」
軽い調子のヴィーに、クロは叫ぶ。
「……なんで、ですか?なぜ、その女は良くて、俺は駄目なんですか!」
ヴィーは何も言わずに見つめるだけ。表情は変わらず、ただ静かに。
ハクの視線がクロからヴィーへと移る。その瞳に表情はなかったが、問いかけるような空気をヴィーは感じた。
「なんで、って?」
ヴィーの言葉は軽い。でも、その奥には確かな温度があった。
クロは、しばらく言葉を失い、やがて息を吸い込む。
「……俺は、ジェイさんに助けられてから、ずっと頑張ってきました。あの人の力になりたくて……。俺はその女より強いって自信もある。俺だって、ジェイさんを助けたい!」
沈黙。
ヴィーも、ハクも、何も言わない。ただ、その想いを受け取るように黙っていた。
「……なんだ、クロ。ちゃんと自分の気持ち、言葉にできるじゃん」
「……え?」
思わぬ言葉に、クロは目を見開く。
「まあ、もともとハクを連れて行くつもりはなかったし」
ぱち、とハクが瞬きをする。わずかに、驚きがその瞳に宿った。
「え、いや……じゃあなんでハクを?」
「クロの本音を聞くため。あと、二人で仲良くなってくれたらいいなって」
ヴィーは微笑みながら、ハクをクロに差し出す。
「ほら、手を出して。俺が手を離したら、ハクは落ちるよ?」
わざと意地悪そうに言いながら。クロは慌ててハクを受け取った。
「あ、あの……!」
ヴィーの背に声をかける。
「俺は……」
「ハクの面倒、頼んだよ。これから行くのは、君たちが見るには早すぎる地獄だから」
軽く手を振って、ヴィーの姿はすっと消えた。
残されたクロは、呆然とその場に立ち尽くし、腕の中のハクへ視線を落とす。
変わらぬその表情に、クロは言いようのない重みを感じていた。