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第三話「ゼロの職場見学ツアー」

 ──朝はいつだって、勝手に始まる。


「よっし、ハク!今日は働く人たちを見学しに行こう!」


 部屋の扉が派手に開いたかと思えば、白と銀のコントラストがまぶしい男──ヴィーが、ハクの前に現れた。ベッドの端に座っていた彼女は、反応ひとつ見せずに瞬きを一度だけした。


「えっ、なにその無視。ねえ、聞いてる?今日は”社会科見学”ってやつ。楽しいぞぉ?見て、学んで、将来に生かす!ゼロの教育方針ってことで!」


 勝手に話が進んでいるが、止める者はいない。というか、止められる者がいない。


「はい、じゃ行くよー。歩かないなら抱っこするよー?」


 そう言いながら、ヴィーはまるで猫が獲物をくわえるように、ハクの体を軽々と持ち上げる。


 抵抗はない。というより、拒絶する理由も、受け入れる理由も、ハクの中にはまだ存在していない。


 廊下に出た瞬間、空気が少しだけ変わる。ヴィーが連れていくのはどんな場所なのか。それを知っているのは、彼だけだ。


「まずはー……そうだな、アイドル部門から行ってみよう!今日もリハしてるよ、多分!」


 リズムに乗るように軽やかに進む足取り。ハクはその背中に揺られながら、薄く目を細めた。


 ──騒がしい。

 ──けれど、嫌いじゃないかもしれない。


 そんなことを考えた、気がした。


 地下から階段を上がり、薄暗い廊下を抜けると、急に空気が変わった。音楽と照明、鏡張りの壁、そして華やかな衣装。まるで別世界に来たかのような、ゼロの“アイドル部門”。


「ほら、着いたよ。ウチの看板娘たち、練習中〜」


 鏡の前には三人の少女たち。眩しいライトに照らされ、揃ったステップを踏むその姿には、可愛さだけでなく、研ぎ澄まされた強さと覚悟が宿っていた。


「中央がアイ。末っ子だけど根性と愛嬌のかたまりでさ、みんなのアイドルってわけ。右がユー。天使の顔した悪魔ってやつ。で、左がクールビューティのキュー。俺の大切なねーちゃん」


 ヴィーがハクの耳元で囁くように説明する。けれどハクはただ、鏡の中の彼女たちを見ていた。華やかで、強くて、でもどこか遠い光。


「見てるだけじゃダメだぞ、ハク。あの子たち、ちゃんと戦ってるんだから」


 ヴィーがふと真顔になった。


「アイドルってのは、ただ笑って踊ってるんじゃない。ゼロの顔。だから“守る”必要がある」


 ヴィーはスタジオに入るとハクを置いて練習中にもかかわらずキューへと抱きつく。


「キュー!今日は社会科見学で来たの!今日もキューがキラキラ輝いてていっちばんきれい!」


 アイもユーも慣れ故か、驚く素振りも見せない。むしろヴィーに放置されたハクへと近付き優しく接する。


 ヴィーは散々キューに甘え満足したのかハクの元に戻ってきては抱き上げる。


「よーし、次行こー!」


 文句を言うアイの言葉は聞こえないフリをして軽く手を振ってスタジオを後にすると、今度はガラス張りの明るいオフィスへと出た。



「ここが表向きの顔、“ゼロ・カンパニー”。一応ちゃんと経済活動もしてるんだよ?」


 スーツ姿の社員たちが忙しなく行き交う中、一際目を引く男がいた。切れ長の目に端正な顔立ち。スマートに電話をこなしながら、部下に指示を出す様子はまさにカリスマ。


「……あれがエル。ゼロの経営部門のトップであり、表の世界を取り仕切る社長。裏社会に向いてない子たちの雇用先を確保したり、ビジネス交渉したり、まあ要するに天才」


 エルはちらりとこちらを見て、口元だけで笑った。ハクを見て何かを察したようだったが、それ以上は何も言わず、また仕事に戻っていった。


「……さて。次は、こっち」


 ヴィーはエントランスから裏手へ抜ける扉を開けた。次に現れたのは、古びた門と静かな庭。そこには、子どもたちの笑い声が響いていた。



「ここが“サンクチュアリ”──ゼロが保護した子供たちの居場所さ」


 広い庭では、小さな子どもたちがボールを蹴ったり、紙芝居を囲んだりして遊んでいた。その中心には、優しく見守る大人の姿。


「世の中ってさ、運の悪い子どもにはとことん冷たい。ここにいるのは、そんな子たち。……でも、もう大丈夫。だって、ここは“ゼロ”の縄張りだからね」


 ハクは子どもたちを見つめた。自分にはない、無邪気な笑顔と、生きる力がそこにはあった。けれど、どこか、自分とは遠い場所に感じた。


「まあ君は運悪い子かもね。俺に保護されたんだから」


 悪びれることなくヴィーは言う。楽しそうに遊ぶ子供たちを細めた目で見つめる。まるで何かを思い出しているかのように。しかし次の瞬間にはまたいつもの笑顔に戻っていた。


 孤児院から出たヴィーは地下に続く、重たい鉄扉の元へ向かう。


「さて、次はゼロの“裏”の顔。というかこっちが本職。心臓が弱い子にはお勧めできませんコーナー!」


 重く沈む階段を降りた先。鉄と薬品の匂い。誰かのうめき声。


「ようこそ、取調室……という名の拷問部屋へ」


 部屋の中心に立っていたのは、小さな少女──いや、少女の形をした“何か”だった。


「……やっほ、ハク。今日のお客さんは見学?」


 無邪気な声で笑うのは、ユー。天使の仮面の裏に、冷たい炎を灯した処刑人。そして、その隣には、双子のもう一人。


「入れ替わってもわからないでしょ? でも今日は私、エイの番」


 血に濡れた手袋を外しながら、楽しげに微笑むその顔は、まるでおままごとの後みたいに無邪気だった。


「ここではね、嘘をつく人が多いの。でも、すぐにバレるんだよ。わたしたち、ちゃんと“聞く”から」

「ハクちゃんも何か話したいことあったら私たちがちゃんと聞いてあげるからね」


 ヴィーがそっとハクを後ろに庇うように立った。


 「怖い?でも、これも現実。ゼロが背負う“闇”の一部。あと俺が拾って育ててる子虐めないでくれる?」


 ハクは目を逸らさなかった。ただ、黙って見ていた。血も、悲鳴も、少女の笑顔も──そのすべてを。


 ヴィーはそれでも表情ひとつ変わらないハクへため息をこぼす。


 どうすればハクに色が着くだろうか。ヴィーの考えはすぐに終わる。考えても無駄なことは考えない主義だから。


 またヴィーはハクを抱えて地下通路を歩く。そこを抜けた先、薄暗い廃ビルのような空間に、空気の揺らぎが走った。


 先ほどまでの見学とは打って変わって、空気が殺気を含み始める。


「……なんか、いるねぇ」


 ヴィーが気まぐれに鼻を鳴らし、ふっと笑った。


 数秒後、鉄扉を蹴り破って数人の男たちがなだれ込んできた。服装からして、最近縄張りを広げようとしている新興組織の者だろう。何も知らずに“ゼロ”の聖域に足を踏み入れたのか、あるいは──それともわざとなのか。


「困ったなぁ。せっかくのお散歩中なのに」


 ヴィーは言葉とは裏腹に楽しげに笑いながら、鞭をゆっくりと手に巻きつけていく。ハクは彼の後ろに立ちすくんだまま、一言も発さず様子を見ていた。


「そこの女の子、預けてもらおうか。売ればいい値が──」


 その男の言葉が終わる前に、ヴィーの鞭が風を裂いた。


 「──うるさいなぁ。お喋りは、嫌いなんだよね」


 刃を仕込んだ鞭が男の頬を裂き、皮膚と肉と血を巻き上げる。叫ぶ間もなく、男は膝をついた。


「あっは……!あれ?今のちょっと浅かった?」


 ヴィーは鞭を軽く回しながら、猫のようにゆらゆらと歩く。銀色の髪が揺れ、光の加減で赤く濡れた刃がちらつく。


 次の一閃。喉元を裂かれた男が血潮を吹き出しながら崩れ落ちた。


「うーん、がっかり。もっと悲鳴とか、目を見開くとか……そういうの、見せてよ」


 その声は、笑っていた。けれど目だけは、冷えていた。どこにも慈悲がない。気分次第で敵に地獄を見せる──それがヴィーだった。


 逃げようとした男の背後に瞬間移動でもしたように現れ、鞭で膝を砕き、倒れたところにゆっくりと刃の付いた鞭を巻きつける。


「ほら、ね。動かないと、もっと痛いことになるよ?ねぇ、どうする?」


 男が叫ぶ声が響く。その横で、ハクは一言も発さず、ただその場に立っていた。


 ──無表情で。


 誰が死んでも、痛んでも、心を揺らすことなく。ハクの目は、その地獄のような光景をただ、じっと、まっすぐに見ていた。けれどその瞳には僅かに、理解しようとする色が灯っていた。


 数分後、地面には血だまりと、動かぬ死体が残っていた。ヴィーは肩をすくめ、鞭をくるくると巻き取る。


「やっぱ、つまんないや。もっと歯応えあるやつ出して欲しいな、ほんと」


 そう言って振り返ったヴィーは、ハクの顔を一瞥し、「あは、引いてないんだ。君、いい目してるね」と愉快そうに笑った。


 その笑顔に、殺気も狂気もまるで残っていなかった。


 そしてまた、いつもの軽い調子に戻ったヴィーは、鞭についた血を払いながら言った。


「あ、でもさっきの男ハクを高く売れるって……何か知ってるようなことを言ってたねぇ…………うん、一人でも生かしておくべきだったかなぁ。でも気分じゃないし仕方ない、うん、そうに違いない」


 ふと、ヴィーの楽しそうな表情が固まり宙を見る。


「さて……社会科見学最後のツアーに行こうか?ゼロの中で、いちばん強くて、いちばん壊れやすい場所の見学に」


 ヴィーは多く語らずにハクを抱えて楽しそうに夜の闇へ消えていった。

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