第二話「白と黒が出会った日」
朝の光が、やけに重くて、だるさだけが体に残っている。
地下訓練場の壁にもたれながら、クロは無言で靴紐を締めていた。
かかとがすり減っていることに気づく。でも、新しい靴をねだる気にはなれない。ゼロには優しい奴もいるが、だからといって甘えたいわけじゃない。
扉が開く音。誰の足音か、もう聞き分けられるようになってしまった。
「おはよ、クロ~! 今日も朝から真面目だねぇ」
声の主はヴィー。猫みたいな目をした男だ。浮かれた声で入ってくるくせに、その瞳はいつも冷めている。
その後ろにいた“白い塊”に、クロは一瞬、目を奪われた。
──白い髪。白い肌。白い服。
色がなさすぎて、逆に見えすぎた。
「新入りだよ。名前はハク。白いからハク。俺がつけた」
ヴィーが子供を拾ってくるのは初めてではない。けれど、今回はどこか違った。
その少女──ハクは、虚ろな目で部屋の中を見回していた。驚きも、怯えも、何もない。
何も感じていない目。まるで……死んでるみたいだった。
クロの胸の奥が、ちり、と痛んだ。なぜかはわからない。わかりたくもなかった。
「これがクロ。ハク、挨拶して」
ヴィーが笑いながら促す。だが少女は一言も発さず、ただクロを見つめた。
その瞬間、クロの背筋に冷たいものが走った。
気のせいかと思った。でも、違った。
あれは、見ていた。何も言わず、何も求めず、それでいて、確かに「見ていた」。
「……なんだよ」
思わず吐き捨てる。
するとハクは、ふっと視線を逸らした。何の感情もなく。それが、なおさら腹が立った。
ヴィーが肩をすくめて笑う。
「ねぇ、仲良くしてよ。ジェイが言ってたんだよ。“責任感ってのは、誰かを守ってるうちに育つもんだ”ってさ」
ジェイの名前に、クロは少しだけ反応した。あの優しすぎる男は、自分にもそう言ったことがある。
でも。でも、こんな空っぽの子供を守ることで、何かが変わるなんて思えなかった。
クロは思い出す。自分が拾われた日のこと。
鎖を引きずり、血にまみれていたあの夜。ジェイさんが手を伸ばしたとき、自分は咄嗟に殴りかかっていた。助けられるなんて思わなかった。信じられるわけがなかった。
クロの視線が、ハクの横顔を射抜いた。その瞳は、何も映していなかった。光も、闇も、誰の存在すらも。
「……なんでさ。お前は、そんな顔して生きていられるんだよ」
自分は血だらけで歯を折られた状態で助けられたのに、あいつは綺麗なまま。
誰からも愛されるような顔をしている。なのに、あいつは……何も感じていない。
じわじわと黒く濁った感情が心を染めていく。
そんなクロの感情なんてヴィーは気付く訳もなく、ハクを抱えまるで新しい玩具を自慢する子供のように通りかかったアイに見せに行く。
残されたクロは遠ざかっていくその背中をただ見ていた。遠くからアイの優しい声がする。
なんで、どうして、俺は、俺は……なんで、あいつは……
「嫌いだ」
クロは呟いた。届かなくてもいい。ただそう言わずにはいられなかった。
クロは心地よい風が吹く中、ただハクが去った方を見ていた。