閑話V「絶対安静の中でー7ー」
日が落ち、部屋の明かりがほのかに灯る頃。控えめなノックのあと、病室の扉がゆっくりと開いた。
「……お邪魔します」
入ってきたのは、黒いフードを目深に被った少年、クロ。
そのすぐ後ろには、白い髪の子ども、ハクが、そっとクロの服の裾をつまんで立っていた。
ジェイは視線を向け、彼らを見つめる。苦笑すら浮かべず、ただ目元をわずかに緩めた。
「クロ、ハク……来てくれたのか」
「……うん」
クロは目を逸らしながらも、ベッドの近くへとゆっくり歩み寄る。
その足取りには、どこか罪悪感のような重さがあった。ハクはぴたりと寄り添うようにその後ろをついていく。まだその表情には、明確な感情が浮かんでいない。
「……ジェイさん、その……ごめんなさい」
クロがぽつりと漏らした言葉。視線はまだジェイの顔をきちんと見られず、下を向いたまま。
「俺、何にもできなくて……何も守れなかった。ずっと訓練してきたのに……結局、ジェイさんを助けに行けなかった。全部、人任せで……っ」
声が震える。強く握りしめた拳は、指先が白くなるほどだった。
ジェイはその姿を黙って見つめていた。慰めも否定もしない。ただ、そこにある痛みを受け止めるように。
「お前は、今もずっと戦ってる。俺にとっては、それだけで十分だよ。……嬉しい」
「でも……」
「人を助けるってのは、いつも間に合うとは限らない。……大事なのは、そこで止まらないことだ」
クロの瞳が、ジェイをまっすぐに見た。
その眼差しには、悔しさでも後悔でもなく、ただひとつの問いが宿っていた──「それでもいいのか」と。
ジェイは、ゆっくりと笑みを浮かべて頷く。
「その痛みがあるからこそ、お前は誰かを守れる。俺は、そう信じてる」
沈黙が落ちる。
その静けさを、そっと割るように、小さな手が前へと伸びた。
ハクだった。クロの服の裾を掴んだまま一歩前へ出て、ベッドの端を指先でちょんと触れる。そこに座っていいかと、無言で問いかけるように。
ジェイの口元に、自然と笑みがこぼれた。
「ああ、座っていいぞ」
ジェイの言葉に、ハクはそっと腰を掛ける。
その様子にクロも少しだけ躊躇したあと、隣に腰を下ろした。
ハクはじっと、ジェイの手の甲を見つめていた。包帯が巻かれた指先、痣の残る腕。
何も言わず、ただその傷を見つめる。
言葉はなかったけれど、ハクの想いは確かにそこにあった。ジェイには、それがわかる気がした。
「見た目より痛くないよ。大丈夫」
その言葉に、ハクの瞳がわずかに見開かれる。
──なんでわかったの?と、問いかけるような目。
「家族の言いたいことくらい、言葉がなくても伝わるさ」
「…………かぞく」
ぽつり、とハクが呟いた。まるで、生まれて初めてその響きを味わうように。
ジェイは何も言わず、ただ静かに微笑んだ。
「ハクね、喋るのは相変わらずほとんどないけど……最近は、誰の指示でもなく、自分から動くことが増えてるんです。すげー頑張ってんですよ」
「そうか……子どもってのは、あっという間に成長するんだなぁ」
ジェイはふたりの頭を同時にそっと撫でる。
「……ジェイさん、その言い方、ちょっとジジくさいです」
照れ隠しのように視線を逸らして言うクロに、ジェイは「なにをー」と笑いながら、クロの頭をくしゃくしゃにかき回した。
「……ほんとに、生きててよかった」
クロがぽつりと呟いた。
「俺、まだ……ジェイさんと話したいこと、学びたいこと、たくさんあるから」
「……ああ。俺も、話したいこと、教えたいこと、いっぱいあるよ」
「……だから、死なないでくださいね」
「……わかってる」
しばらくの沈黙のあと、クロは立ち上がり「また来ます」とだけ言い残して、ハクの手を引きながら病室を後にした。
ジェイは、ゆっくりとその背中を見送り、小さく息を吐いた。
「……お前ら、やっぱり優しいな」
その声には、深く滲んだ安堵の色が宿っていた。




