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閑話V「絶対安静の中でー3ー」

 アイが去ったあと、部屋にはまた静けさが戻っていた。


 窓の外を雲がゆっくりと流れ、昼下がりの柔らかな陽光がカーテン越しに差し込んでいる。ジェイはその光に包まれながら、どこか遠い記憶をたどるようにぼんやりと目を細めていた。


 コンコン、とノックが二度。ジェイが返事をするより先に、扉が静かに開かれる。


「……入る」


 低く、少しこもった声。


 ドアの隙間から現れたのは、鋭い視線と、青白い肌のような透明感のある横顔。


「キュー……来てくれたのか」


 ジェイが柔らかく笑いかけると、キューはわずかに眉をひそめながらも、無言で部屋に入ってきた。


 彼女は言葉を選ぶのが苦手だった。特に感情が絡む場面では、思考の速さに言葉が追いつかない。

 キューは部屋の中央で足を止め、黙ってジェイを見つめる。伝えたい想いはあるのに、それをどう言葉にすればいいのか分からないようだった。


「……無事でよかった」

「ああ。心配かけたな」


 その一言で、またキューは黙り込む。


「まあ、とりあえず座れよ。立ったままじゃ落ち着かないだろ」


 ジェイがそう促すと、キューはほんの少し視線を逸らし、それから静かに椅子に腰を下ろした。


 沈黙が流れる。でも、それは居心地の悪いものではない。キューのそばにいると、言葉の必要性が薄れていくような気がする。彼女の感情は、表情や仕草に込められているからだ。


 ──だからこそ、ぽつりと漏れた言葉は重かった。


「……ごめん」

「ん?」

「……あの時、私……動けなかった。ヴィーが、行くって。私も行きたかった。行こうとした。でも……足が動かなかった」


 キューは指先を強く握りしめ、俯いた。いつも冷静で感情を見せない彼女が、今は苦しげに声を震わせていた。


「……私、弱かった。悔しかった」


 絞り出すようなその声に、ジェイは少し体を起こし、そっと手を伸ばしてキューの頭を撫でた。


「キューは、弱くなんかないよ。自分の弱さをちゃんと見てるやつは、ほんとは強いんだ。……だから、泣かないで?」


 その手の温もりに、キューは肩を震わせた。拒絶はしない。ただ驚いたように目を見開いて、ジェイを見つめた。


「……なんで……そんなふうに……私、泣いてなんか……」

「キュー、お前がどんな気持ちでここに来たか、分かってるつもりだよ。ちゃんと、届いてる」


 ジェイの微笑みに、キューはまたうつむく。

 涙はこぼれなかった。けれど、噛みしめていた唇が少しだけ緩み、彼女はほんのわずかに頷いた。


「……もっと強くなる。次は……一緒に、行く」

「ああ。心強いな」


 キューは、ふいに懐から小さな瓶を取り出した。手のひらにすっぽり収まる、手作りらしい軟膏。


「これ……傷に効くやつ。試作。でも……効く、と思う。多分」


「ありがとな。……“多分”がちょっと怖いけど」


 ジェイの冗談に、キューはほんの一瞬だけ口元を緩めた。


 それから、ゆっくりと椅子を立ち、扉の方へ歩き出す。ドアの前でふと立ち止まり、振り返らずに小さな声で言った。


「……帰ってきてくれて、ありがとう」


 不器用なキューが、全力で伝えたかったまっすぐな気持ち。


 ジェイはベッドにもたれながら、その言葉を静かに心に刻んでいた。

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