閑話V「絶対安静の中でー2ー」
ケイが去ってから、ジェイはベッドに背を預け、ゆっくりと息を吐いた。
膝の上に残る温もりに、ほんの少しだけ眠気が差す。
その静けさを破るように、扉がやさしくノックされた。
「……失礼します」
ジェイが目を向けると、桃色の髪の少女──アイがいた。
両手で小さな紙袋を抱え、どこか緊張したような面持ちで立っている。
「アイ。来てくれたんだな」
声をかけると、アイはふっと表情を緩めて笑った。
「うん……ジェイが目を覚ましたって聞いて、ちょっとだけでも顔を見たくて」
「ありがとう。嬉しいよ」
「元気そうで、よかった」
アイはベッド脇の椅子に腰掛け、紙袋を差し出した。まだ少し硬さが残るその動きに、緊張がにじんでいる。
「これ……ゼリーとクッキー。私の手作りだから、ちゃんと食べてよね」
少しツンとした口調に、ジェイは思わず苦笑しながら袋を受け取る。
中を覗くと、可愛らしいラッピングのされたお菓子が入っていた。
「手作りか……すげぇな。ありがとう、アイ」
「気持ち込めて作ったんだからね!」
「……ちゃんと伝わってるよ」
ジェイはクッキーを一枚取り出し、そっと口に運ぶ。
優しい甘さが舌の上に広がり、心の力がふっと抜けた。
「うまい。ほんとに、うまいよ。ありがとう、アイ」
その言葉に、アイの頬がふわっと赤く染まる。
「……当たり前でしょ。私が心込めて作ったんだもん」
少し照れたように笑いながら、アイはジェイの顔をじっと見つめる。
まだその表情には疲れの影が残る。でも、以前よりは少しだけ穏やかに見えた。
「……本当に、無事でよかった。ジェイが帰ってこなかったらって……すごく、怖かったんだよ。ヴィーが一人で出ていったとき、私……なにもできなくて」
声が、ほんの少し震える。
「でも……戻ってきてくれた。ちゃんと、生きて帰ってきてくれた。本当に……よかった」
ジェイはその言葉に、しばらく何も返さなかった。
ただ目を閉じ、アイの声を静かに、心の奥に染み込ませるように聞いていた。
「なあ、アイ」
「……なに?」
「俺は、お前が“なにもできなかった”なんて、思ってない。
俺はさ……何度も、お前から“生きる理由”をもらってきたんだ」
アイの瞳が揺れる。
「俺は、あの研究所が壊れて、逃げて……お前たちを逃がしたあと、死ぬつもりだった。
でも、それを止めてくれたのは、まだ幼いお前だった。お前がさ、俺の手を握ったんだよ。小さな手で、強く。
……そのとき思ったんだ。“まだ死ねない”って、“消えちゃいけない”って。
今は、こうして生きててよかったって、心から思ってる。……ありがとう、アイ」
アイの小さな手が、そっとジェイの布団の端を握る。
彼女は、泣きそうな笑顔のまま、小さく何度も頷いた。
「……ジェイ。私、もっと強くなる。今度は、ヴィーと一緒に助けに行けるように」
「……はは、期待してるよ。ゆっくりでいい。アイのペースでな」
二人は、そのまま他愛もない話を交わした。
最近ケイが拾ってきた謎の虫のこと。
キューが誰にも内緒で新しい技を練習していること。
そんな話をしながら、静かに、穏やかに時間が流れていった。
やがてアイが部屋を出るとき、扉の前でふと立ち止まり、もう一度振り返る。
「……ジェイ。本当に、帰ってきてくれてよかった。ありがとう」
その声はもう、震えていなかった。
まっすぐで、しっかりとした、優しい声だった。




