表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/34

閑話IV「灯」

 また夢を見た。

 あの日の夢。


 狭くて寒い、実験室。不気味な静けさと、機械の音。──そして、Sの笑顔。


 「大丈夫。怖くないよ」


 あの人はそう言って、自分の手を握ってくれた。

 自分の方が震えていたのに、Sは笑っていた。


 泣きそうな顔で、必死に笑っていた。

 自分を安心させるために。


 ──でも、本当は、怖かっただろ。


 引きずられるようにして、Sは連れていかれた。


 止められなかった。叫べなかった。動けなかった。ただ、目を見ていた。Sが振り返って、笑って──扉が閉じた。


 どんなに手を伸ばしても、もう届かない。

 どんなに悔やんでも、もう助けられない。


 夢の終わり、聞こえた気がした。


「……ジェイ」


 誰かが、優しく名前を呼んだ。

 懐かしい、けれど──どこかあたたかくて、柔らかい声。


 


 まぶたが、重たく震える。光が差していた。白くて、静かな天井──ここは、現実だ。


 かすかに体が痛い。けれど、確かに生きていた。


 視線を横に向けると、そこにヴィーがいた。椅子の背にもたれて、静かに眠っている。長い銀の髪が、少し乱れていた。目の下には疲れが滲んでいるのに、眠る顔はどこか安心しているようだった。


 小さな呼吸。小さなぬくもり──呼んだのは、お前だったのか。あの暗い夢の中に差し込んできた、あたたかな灯。


 もう少しだけ、眠ってもいいかもしれない。

 今度は、ひとりじゃないから。


 天井の白は夜明けに溶け始めていて、部屋の空気が少しだけ暖かくなっていた。


 隣に座っていたヴィーが、小さく息をつくように体を動かす。眠っていたはずの彼が、静かに目を開けた。


「……おはよう、ジェイ」


 その声に、思わず微笑んでしまいそうになる。まるで、何もなかったかのような、日常の音。


「……寝てろ。起きるなよ」


 掠れた声が喉を震わせた。

 自分の声が、ずいぶん遠くに感じる。


「んー……起きてるよ。もう」


 ヴィーは小さく伸びをしながら、ジェイの隣に顔を寄せた。銀の髪がさらりと頬に触れる。


「大丈夫?痛む?」

「……痛い。でも、生きてる」


 そう言うと、ヴィーは安心したように目を細めた。


「……よかった」


 その一言が、胸に沁みた。いつかの夢で、何度も繰り返し願った言葉だった。




 少しの沈黙。

 けれど、それは苦ではなかった。


「……Sの夢を見たんだ」


 ジェイが静かに呟くと、ヴィーは驚かなかった。

 ただ、すぐに表情をやわらげて──そっと、問いかけた。


「悲しかった?」

「悲しかった。……でも、少しだけ、救われた気がした」


 あの夢の終わりに聞こえた声。目覚めの瞬間に感じた、あたたかさ。


「お前が……呼んでくれたんだろ」

「うん。何回も呼んだよ。戻ってこいって、ずっと」


 ヴィーは笑った。

 いつもの、からかうような笑いじゃない。子どもがようやく泣き止んだ時みたいな、静かで、心からの笑顔。


「ちゃんと聞こえてたみたいで、よかった」


 ジェイは、ふっと息を漏らす。涙ではなかった。けれど、なにかが解けていく音がした。


「ありがとな、ヴィー」

「ううん。……俺、ジェイに助けてもらってばっかりだから。たまには返さないとさ」


 ヴィーの手がそっと、ジェイの手の上に重なる。その指先はいつも通りあたたかくて、ふざけたことも言わないまま、静かにそこにあった。


「俺、ちゃんと生きてる?」

「……うん。生きてる。俺の隣で、ちゃんと生きてる」


 答えは確かで、やさしかった。

 ジェイはもう一度だけ、目を閉じる。

 眠るためではない。

 このぬくもりを確かめるために。


 


 ――長い夜が、明けようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ