閑話Ⅲ「沈黙の選択」
ポツン、ポツン──。
遠くで、水の滴る音がする。
目を開けようとしても、視界は暗闇。目隠しをされているらしい。腕は背後に縛られ、身体もどこかに拘束されているようだ。
頭が痛む。……何があった?
ああ、そうだ。銃を構えた先に、男の子がいて──。そこから先は曖昧。おそらく、撃てずに、そのまま……。
「……ジェイさん、お目覚めですか?」
低く、冷えた声が響いた。聞き覚えのない声だ。
ゼロは敵が多い。この声も、そのうちのひとつか。
「誰だ」
「手荒な真似をして申し訳ありません。ただ……ワタクシ、貴方様とお話がしたかったのですよ」
誘拐しておいて会話を望む? ふざけてる。……だが、選択肢などあるはずもない。
「……気に入って頂けましたかな? ワタクシが愛情込めて育てた“玩具”を。子供、という形が特に効くと思っておりまして。まさか貴方様のような方が、撃てずに固まってしまうとは……嬉しい誤算でした」
淡々と、冷たく笑う声。あの少年のことを、玩具と、そう呼んだのか。
「……目的はなんだ」
「ですから、お話を──」
「無駄話のために誘拐したとでも?」
「…………失礼。では本題に入りましょう」
唐突に、目隠しが外される。薄暗い部屋の中。目の前にいるのは、ふざけた仮面を被った男だった。
「初めまして。ワタクシは──そうですね、“ピエロ”とでも呼んでください」
「で、そのピエロさんが何の用だ」
「“白い娘”……ああ、ハク、でしたかな?彼女を、こちらに引き渡していただきたいのです」
「……ハクを?なぜ」
「それは、教えられません」
ハクは外に出る機会も少なく、常にヴィーが守っていた。名を知っているとなれば、これは──
「……内通者がいるな」
「さぁ、なんのことでしょう?」
「ハクのことは……渡さない。譲らない。絶対に、だ」
「ふふ。焦らずとも構いませんよ。ご自由にお考えください。……ああ、そうだ。お仲間に助けに来てもらっても構いません。場所、教えましょうか?」
携帯が差し出される。それは、俺のもの。
──罠だ。
ゼロの連中なら、ここを制圧するくらい造作もないはず。にもかかわらず、わざわざ“電話していい”とは。……おかしい。
「ちなみに、ここを守っているのは──まだ年端もいかない、幼い少年少女たちです」
ピエロの声が、ぐっと耳元に寄る。
「……貴方様は撃てなかった。さて、お仲間たちはどうでしょう?命を懸けて貴方を助けに来るでしょう。だがその手で、子供を、幾人殺せば貴方様は救われるのでしょうか」
言葉が、出ない。
……家族に、そんな重荷を背負わせられない。
ヴィーにも、エフにも、アイにも、クロにも。誰にも……ハクにも。
俺は──ここで終わるべきなんだ。
「……覚悟が決まったようで、嬉しいですよ。言葉はいりません。沈黙こそが、何より雄弁ですから」
ピエロは立ち上がる。
目の前が、また暗くなる。目隠しを戻されたのだ。
その直前、微かに見えたのは、暗がりに差し込んだ一筋の光だった。
……ああ、そうか。
これが、“夜明け前”というやつか。
たとえ俺の朝が来なくても──みんなの空は、きっと青くあるように。
沈黙のまま、俺は静かに目を閉じた。