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ⅩⅨー3 〈朔月〉 

■古都ラクル

 カトマール東部の古都ラクル。

 ルキアに遷都する以前にカトマール帝国の都があった町だ。古い名残の堅固な市壁と堀で守られた都市。市内は、整然としているが、静かで活気は乏しい。

 カトマール内戦の折、この古都はほとんど戦災にあわなかった。皇帝家や高位貴族を顧客とする奢侈品を商う町衆は、国際色が強く、独立の気風をもつ大商人が多い。カトマール皇帝家が贅沢を抑制するようになってからは皇帝家との取引が減り、内戦時にも皇帝家にあえて味方しようとはしなかった。だが、新政府軍の入城も断固として拒否した。町を守る城壁は堅固で、新政府軍はこの町に手間をかけるゆとりがなかった。結果的に町は守られ、古い街並みを残すことになった。


 軍事政権時代に町は発展した。首都ルキアが壊滅的打撃を受けたために経済復興が遅れた分を、ラクルが肩代わりする構造が生まれたからだ。だがこの古い街並みに高層ビルを建てるわけにはいかない。町衆は、古い町を伝統文化として残しつつも、近くにビジネスのための新しい町をつくった。端正な高層ビルが建ち並び、道は広く、十分な緑地も確保された都市だ。民主化以降は、国際的商業の拠点となり、ますます発展して、オフィス街には人通りが絶えない。

 町衆は新しい町の郊外に広大な邸宅を所有している。しかし、古都ラクルの町衆であることの証として、ラクルに居館を持つことは富と権威の象徴だ。日常的な住まいとしないからこそかえって、古くからの町衆は贅を凝らして館を飾り立て、見栄を張り合っている。管理のための経費を分担し、瀟洒な街灯が並び立つ石畳にさえ、高価な石が使われている。むろん塵一つ落ちていない。

 その古い町ラクルの中央部に石畳の円形広場と町衆が誇る市参事会員会堂がある。町の自治行政・独立した司法の中心をなしてきた。いま、司法権と立法権は国に委ねられているが、自治行政権は確保している。


 優雅な姿の中年女性が、会堂の隣を抜け、その少し奥にある建物の門をくぐった。門衛が敬礼をして、女性を迎えた。

 彼女は、美麗な館の中に入り、正面の階段を上がった。だれも彼女を阻む者はいない。やがて、三階の立派な扉の前に立った。中から声がして、重い扉がギイイとかしんだ音を立てながら開かれた。女性は一礼をして、スッと中に入った。その背で扉が閉じられた。

 正面には、豪華な装束に身を包んだ美しい女性が立っていた。

「本日はよいお日より。お招きいただきありがとう存じます」

「じつによい朝ですね。遠路はるばるよく参られました」

 ふたりはしばし互いの顔を見た。ホストの女性が手をかざすと、奥の部屋への扉が音もなく開いた。二人はスッとその向こうに消えた。


■〈朔月〉

 訪問者の女性は恭しく膝をついた。

 主人の女性が威厳をもって訪問者を立たせた。


「〈朔月〉よ。報告は定期的に受けてきたが、会うのは久しぶりだな」

「はい。カトマール政権が交替したとき以来でございますれば、十年ぶりだと存じます。御前さまにはお変わりなく、お喜びいたします」


 主人は、町衆筆頭の名門一族リン家の当主に妻として迎えられた。リン家最後の当主となった夫が亡くなり、莫大な遺産を相続した彼女は、遺産の多くを投資に回し、町にも多大な寄付をして、一人暮らしを続けている。寄付はするが、町衆の自治行政にいっさい口は出さず、ほとんど表に出ることがない。町衆の間では、リン夫人と呼ばれる。本名も素性も不明だが、町衆にとっては邪魔にならないため、だれも彼女に注意を払わない。夫人もまたそれを望んだ。


 〈朔月〉が仕えるのは、表向きリン夫人と名乗る()(づき)御前(ごぜん)だ。御前は、年を重ねているはずだが、いまなお初めて会った時のように若く美しい。

 四十年ほど前、十五歳だった〈朔月〉は、息絶え絶えのところを御前に拾われた。それ以来、主人に忠誠を誓って尽くしてきた。御前は、〈天明会〉の幹部の一人。だが、〈朔月〉が姿を知るのは、直属の彼女だけ。天明会の最高指導者も他の指導者もまったく見たこともなければ、話したこともない。


「そなたも息災でなにより。して、結局、〈蓮華〉図書館のことは分からずじまいか?」

「はい。あの「開かずの階段」を何度訪れても、同じでございました。先の月蝕は、皆既月蝕と天王星蝕が重なった五百年ぶりの非常に稀な月蝕とのことで期待しており、こちらも周到に準備を進めておったのですが、例の教員が何かを気づいたようです。図書館の周囲に張り巡らせた呪符はすべて破壊されました」

「その者には異能はないと聞いていたが?」

 御前の問いに、〈朔月〉は低い声で答えた。

「さようです。異能はありません。しかし、異能に気づく特殊な力があるようです。あるとき、わたしの異能も気づかれたのかもしれません」


「〈朔月〉は、〈闇の中の闇〉――すべてを闇に隠す者――男にも女にもなれば、声音も年格好も思うがままだ。その〈朔月〉の異能に気づくなど普通はできまいが、違うか?」

「はい、その通りです。ですが、ファン・マイは、異能が発揮されたときに残るごくわずかな〈気〉を淡い光として感じるようです。わたしにも異能を見る力がございますが、彼女のように何の異能も持たぬ者がまさか異能を察知するとは、予想外でございました。わたしの落ち度です」

 〈朔月〉は、少し声を震わせた。


 御前は厳粛に問いを続けた。

「ファン・マイに何も言わせることはできなかったのだな?」

「申し訳ございません。史上稀な月蝕の機会を使い、いただいた秘薬を用いて、彼女自身に図書館の「開かずの階段」を調べさせようとしたのですが、突然の雷雨で図書館が停電となり、そのすきに彼女は図書館を出てどこかに行ってしまいました。結局、事故をおこし、飲酒運転として処理されました」

「どこに行こうとしたか分かるか?」

「確認できませんでした。一つ可能性があるのは、小さなウル遺跡がある小さな無人島です。そこの見晴らしは素晴らしく、月蝕の効果を見定めるには絶好の場所と言えるでしょう」

「ほう……ウル遺跡の島か?」

「わたしも何度か赴き、くまなく島を見てまいりました。けれども、眺望の良さを除けば、何の変哲もない島でした。人はほとんどやって来ませんし、小さな石棺以外には何もない島です」


「さようか。もう一人の教員のほうはどうだ?」

「雲龍九孤族の直系の者ですね?」

「そうだ」

「モエギ・サキは、ファン・マイと親しく、いろいろと調べていたようです。彼女と共に誰が動いているかを知るために、図書館のカギにあえて指紋を残しました。ヒューガ・ユウという警部が指紋鑑定に動いたようです。おそらく、弁当を配布した折に、教員の指紋を集めたのでしょう。かなり稚拙な方法でしたので、そこでもフェイクの指紋を残しました。ラウ財団でも筆頭秘書レオンがわたしの部下の動きを察しはじめましたので、姿を消す潮時だと判断したからです」

「いつもながら周到だな。去る以上は、相手にエサを与えて相手の全容をできるだけ知ろうとしたのだな。そして、わざと後を追わせたわけか?」

「はい。追って来たのは、橋の下に住む浮浪者集団の一員で、元警官です」

「浮浪者集団だと? いささか解せぬな」

「その元警官は、ファン・マイに好意を持っていたようです。さすが元警官です。われわれをあそこまで追跡できたのは彼がはじめてです」

「ほう……」


「彼を置き去りにして、だれが助けに来るか、様子を探りました。この作戦は上首尾でした。モエギ・サキが追ってくるのは想定内でしたが、思いもよらぬ人物がともにやってきたからです。天月修士です」

「天月修士?」

「さようです。この春からアカデメイア博物館に研究員として来ている者です。が、天月に送り込んでいる密偵からの情報と突き合せますと、〈銀麗月〉だと思われます」

「なんと! 〈銀麗月〉だと? ファン・マイ事件に〈銀麗月〉までが関心を寄せているというのか? それとも〈蓮華〉の秘密に気づいたのか?」

「〈銀麗月〉の目的はよくわかりませんが、〈蓮華〉にはほとんど関心をもっていないようです。彼が〈蓮華〉に来たことはございません。ただ、モエギ・サキの弟と親しいようですので、何か協力しているのだろうと思われます」

「ふうむ……。〈銀麗月〉が個人的興味で動くことなどほとんどないはずだが、その弟とやらには何か特別な力があるのか?」

「いえ、その者には異能が感じられません。雲龍九孤族の異能は女性の方に強く現れます。その者に異能がなくても不思議ではありません」


「なるほど。では、モエギ・サキの方はどうだ?」

「彼女の異能には、かなりムラがあります。異能が十分に鍛錬されていないのでしょう。本人の性格もいたって単純ですので、行動を読みやすい人物です。およそ参謀タイプではありません」

「ますますわからんな。さしたる異能もない平凡な者とともに、〈銀麗月〉が動いているというのか?」

「わたしもそれが不思議です。しかも、〈銀麗月〉は、目下、ラウ財団の筆頭秘書レオンとともに九鬼彪吾の私邸櫻館に逗留しております。櫻館には、雲龍九孤族関係者も〈蓮華〉の生徒たちもいるようです。ルナ大祭典の準備という名目です」

「櫻館に……?」と、御前は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに表情を戻した。


「もう一つ、奇妙なこともあります。元警官たちが使っていた車はかなりの高級車で、車の持ち主はアカデメイアのある弁護士でした。アカデメイアの不動産女王ク・ヘジンの孫です。彼は、〈蓮華〉の卒業生なのですが、無能弁護士として有名な人物です。なぜ、彼が関わっているのかは、まったく謎です。あの者の行動は予測不能ですので」

「不動産女王とその孫か……。それにしても、よくわからぬことばかりだ。ただ、〈銀麗月〉であれば、うかつに近づくと、われわれの情報が読み取られる。やっかいだな」

「はい。〈銀麗月〉は、天月カラスも従えております。おそらくは三足カラス。うかうかすると、ミイラ取りがミイラになりかねません。密偵を置いて見張らせておりますが、〈銀麗月〉の行動はまったく読めないようです。彼の視界に入ると即座にキャッチされ、すぐに結界が張られてしまうとのこと。不用意に結界に触れると、残った思念を読み取られます。非常に危険です。これゆえ、櫻館の内情はまったく不明です」


「しかたあるまい。天月とわが天明会は、古来、深い因縁がある。天明会かもしれぬと察知したとたん、〈銀麗月〉が本気を出すだろう……。〈銀麗月〉が何を探り、何を守ろうとしているのかを知りたいのはやまやまだが、ひとたび〈銀麗月〉の保護下に置かれた者は、選りすぐりの天月密偵によって守られるはず。われらには、ほとんど手出しができなくなる。何か手立てはあるか?」

「なかなか難しいと存じます。ただ、新しく〈蓮華〉に入ってきた三人の生徒たちは、いずれも無邪気で無防備です。穴があるとすれば、そこかもしれません」

「以前に報告してきた三人の編入生のことか?」

「さようです。日本の都築(つづき)家の少女はいたって平凡ですが、寮のルームメイトは例の天才科学者アイリ。ルナ・ミュージカルの主役に抜擢された少女は傍若無人。ほかに、正体不明の大金持ちの御曹司が編入してきました」


「……都築家の娘か……」

「何か気になることでも?」

「いや、遠い昔に都築家と関わりがあった者を知っているものでな。それよりも、御曹司とはいったい何者だ?」

「どんなに調べてもわかりませんでした。護衛付きで学校に通わせています。身のこなしから察するに、あの護衛はおそらくタン国傭兵でしょう」

「まさか! タン国傭兵を個人の護衛に雇うなど、王族でなければ無理だぞ」

「はい。そう思いましたので、ミン国、シャンラ王国を調べてみましたが、該当者はいませんでした。ウル舎村の若君という可能性もありますが、ウル舎村は代々の家臣である身内しか城内に入れませんので、まったく状況がわかりません。ただ、ウル舎村の若君が落ちこぼれ校の〈蓮華〉に来るなど、およそありえないと思います」

「それはそうだな」

「子どもたちに異能の気は感じられないのですが、異能がないのか、異能が封印されているのか、今の時点では判別できません。ともかく、都築風子(つづきふうこ)以外は、明らかに天才児です。〈蓮華〉の教師の手には負えないでしょう。モエギ・サキも、三人に振り回されております。予測不可能な子どもたちの行動から、何か手がかりが得られるかもしれません。これゆえ、〈蓮華〉には新しい密偵を手配してきました。なにかあれば連絡が入るでしょう」


「うむ。で、そなたはこれからどうする?」

「姿を変えて、もう一度蓬莱群島を調べたいと思います。〈蓮華〉をこのままにしておけませんし、二十年前に天月に蒔いた種もようやく芽吹き始めたようです。それも見届ける必要がございます」

「よかろう。こたびも弟子を伴うか?」

「いいえ。彼女にはカトマールにて別のミッションを命じました。目下、ルナ大神殿の公開に向けて準備が進んでいます。ルナ大神殿に関して詳細を調べさせるつもりです」

「うむ、それは必要だな。そなたは三十年前のカトマール内戦時に大いに貢献した。これまで〈蓮華〉教頭に身をやつしながらアカデメイアで得たそなたの情報は、アカデメイアとラウ財団にわが勢力を送り込むのに役立った。これからも期待しておるぞ」

「はっ」

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