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ⅩⅨー1 密偵

■シャンラ密偵〈風〉

 シャンラ女王サユミの密偵〈風〉は、カトマール中央駅に降り立ち、目を閉じた。

 〈気〉は、アカデメイアの近くでいまも感じられる。だが、すでにおぼろだ。時間がたっているせいだろう。これでは、場所や個人の特定はできない。ひとまず、目立たない安宿に居を定め、学生としてアカデメイアに出入りすることにしよう。


 〈風〉は、空き室のあるアパートに向かった。白い大きなイヌが出迎えた。〈風〉は動物が好きだ。動物はウソをつかない。自分を利用することもない。頭をなでていると、中年女性が現れた。


「あら、まあ。あなたがクレアさん?」

「はい」

「わたしはマリ、こっちはガンちゃん。どうぞ、三階の部屋よ」と言って、部屋を案内した。リトが出て以来、空き室になっていた部屋だ。


 クレアは、シャンラ王国から留学してきた大学院生だという。いたって平凡な容貌の真面目そうな学生だった。荷物もほとんどないようだ。不審な点はない。何より、ガンちゃんをかわいがってくれそうだ。マリは安堵した。

 

 マリが去ったのを確認してから、〈風〉=クレアは地図を広げた。いくつもの書き込みとあちこちに引かれた線――クレアが調査した場所、踏破した道だ。蓬莱群島の全域に及ぶ。

 十年ほど前、サユミがアカデメイアに留学していた四年間、当時十代前半のクレアもサユミに随行した。そのとき、アカデメイアを含む蓬莱本島のみならず、二百余りある群島をほぼすべてめぐった。姿を変えて、天月にも舎村にも入り込んだ。

 当時、天月では十歳のカイが老師とともに旅に出るところだった。舎村では双子の男児がいずれも先が短いと嘆かれていた。アカデメイアで圧倒的な存在感で周囲を圧倒していたレオンが早期卒業でラウ財団に迎え入れられた。街にはレオの〈五月の歌〉がそこかしこに流れていたが、櫻館にはだれも近寄れなかった。その頃、アカデメイアには〈気〉はほとんど感じられず、〈気〉は天月と舎村に集中していた。


 どうしても行けない島がいくつかあった。舎村長エファが直接管理する研究施設が置かれた島だった。

 もともと舎村全体がきわめて閉鎖的・排他的だ。管理の厳しさは驚くことではないが、それらの島の管理は徹底していた。


 一つは、舎村の重症患者センターが置かれている島。患者は舎村関係者のみ。医師も看護師も研究者もすべて舎村関係者に限られる。

 重症患者を保護するために来島チェックも厳しい。患者の家族以外は原則として入島できない。面会は事前申し込み制をとり、指紋認証もあって、感染症の有無などが検査された。入院者が不明であるため、家族に扮することもできず、まして医療従事者に変装することもできなかった。密かに島に忍び込もうとしたが、強烈な結界が張られており、結界に跳ね飛ばされた。不法侵入者の捜索は厳しく、命からがら戻ってきた。

 いくら重症患者を守るためとはいえ、ここまで厳重にする理由は何だ? 後で調べると、数年前に大事故にあった舎村長の一人娘が植物状態で看護されているらしい。最高レベルの医師・看護師に加えて、舎村が誇る医学研究者も配置されているとのことであった。

 もう一つは、先端技術を開発している島。複数あるらしいが、場所の特定すらできなかった。舎村のセキュリティ管理は徹底している。


■凛子

 異能の〈気〉を感じ取る力に気づいたのはいつだろう……?

 〈気〉の中には、邪気もあれば、聖気もある。〈風〉はそれを匂いで感じ、色で見ることができる。幼い頃は、邪気の匂いに耐えられず、しばしば吐いた。聖気は清涼でわずかに甘い香りを含み、心地よい。


 〈風〉は孤児だった。母は娼婦。父はゆきずりの客だとか。母が生きていたときには、母が懸命に守ってくれた。母は五歳の頃に突然いなくなった。棄てられたのかもしれない。だが、〈風〉は母を信じた。

 貧しい娼婦の小汚い幼い娘を気にかける者などいない。食べるために必死になった。住む家もない。貧しい幼子は、ルナ遺跡であることが判明する前の遺跡跡で寝泊まりする浮浪児の一人となった。


 発掘にやってきた若い女性が幼子にしょっちゅう食べ物をくれた。でも、もらったものはことごとく年上の者に奪われた。それに気づいた女性は、幼子をそばに呼び、こっそりとその姿を隠しながら、食べ物を与えるようになった。幼子は、彼女からいろいろなことを教えてもらった。

 やがてノラネコを拾うように、彼女は幼子を自分の宿舎に置くようになった。幼子はクレアという名を与えられ、懸命に彼女に仕えた。工夫して手伝いをすれば、彼女はとても喜んで、褒めてくれた。

 都築(つづき)凛子(りんこ)だった。

 幸せだった。贅沢などできなかったが、人間らしい生活ができた。


 あるとき、美しい少女が凛子を訪ねてきた。彼女から立ち上る聖気にクレアは圧倒された。サユミだった。

 ヨミ族の高貴な少女サユミは身分を隠して、密かにルナ遺跡を訪ねてきた。ヨミ族では、ルナ研究は禁じられている。サユミはあえて禁忌を犯したのである。

 凛子は、高貴なサユミにも、貧しい幼子クレアにも、接する態度を変えなかった。クレアにはそれがうれしく、サユミにはそれが新鮮だった。サユミは熱心に凛子から学ぼうとした。クレアはそれを補助した。

 そんなとき、クレアは、サユミの乳母からある密命を受けた。〈気〉を読み取る力を買われたらしい。それを果たせば、凛子にも恩返しができる。クレアは必死で密命を果たそうと努力した。密偵としての訓練が始まった。クレアは、クレアとしての人生を棄てた。サユミのための〈風〉となったのである。


 十八歳になったサユミは、アカデメイア大学に進学した。クレアもついていき、アカデメイア中等部に入った。しかし、四年後、凛子が行方不明になった。クレアは必死で凛子を探した。けれども見つからなかった。クレアは十五歳になっていた。

 長じるにしたがい、サユミの聖気は損なわれつつある。特に王位についてから、それが著しい。聖気の損傷は、天寿の損傷でもある。だが、〈風〉にそれを言う資格はない。


■アカデメイアのクレア

 蓬莱群島にはたびたび来ているが、アカデメイアで学ぶのは十年ぶりだ。

 カトマール国費留学生を中心とする国際的サークル「ルナ研究会」に誘われた。ルナ大祭典に学生企画のパネル展示を出すという。サユミに相談したところ、ルナ大祭典まではクレアとして参加し続けるようにと指示された。その方が、ラウやレオンに近づきやすいはず。


 クレアとしての生活は楽しい。とうに捨てたはずの感情が蘇る。だが、これも長くは続かない。ルナ大祭典までの一年足らず――せめてその間だけでもクレアらしく過ごしたい。二度と得られない時間だろうから。二羽のウサギの柔らかい毛を無心に撫でながら、クレアは忘れたはずの幸福感を味わっていた。


 もう一つの目的があった。都築凛子の消息を知ることだ。凛子の娘の風子が〈蓮華〉で学び、櫻館で過ごしていることはすでに把握していた。だが、彼女は記憶を失っているという。ゆえに風子からはほとんど情報が得られまい。そもそも風子はたとえ記憶があったとしても、母凛子のことをほとんど覚えているまい。凛子の失踪は十年前――ほとんど会わなかった母の記憶が五歳の子に残っているはずはなかろう。


――凛子の失踪にはルナ神殿遺跡の秘密が関わっているはず。

 クレアはそう考えていた。このルナ大祭典を機に糸口が見つかるかもしれない。ラウ財団が何かを把握した場合には、レオンを通じて、凛子の情報は真っ先に風子に届くはずだ。

 たとえ風子が動けなくても、自分なら自在に動くことができる。


■看護師モトキ

 シュウは、岬の上病院に月一回の定期検診に出向いた。いつものように、看護師モトキが世話をしてくれた。

 主治医の恭介が驚きながら言った。

「シュウくん。体調が良くなっているようだね。どの数値もとても順調だ」

「ホントですか?」

 シュウはこぼれるような笑みを見せた。モトキは、この美少年を見るのが大好きだ。とくにこうして笑うと、まるで天使のようだ。キュロスがうれしそうにシュウを見た。


 恭介が去ったあとも、モトキは特別室でシュウの検査をしたり、世話をしたりする。シュウは単なる患者ではない。高額な治療費と検査費と寄付金を付けて預けられた最上級のセレブ患者だ。院長は大喜びでこのセレブ少年を受け入れた。シュウの祖母が望む通り、恭介を主治医にし、シュウの来院日には特別室で特別待遇を約束した。

 主治医たる恭介の意向が尊重され、恭介がもっとも信頼する看護師モトキがシュウに張り付けられた。コミュ力が高いためセレブ患者にうまく接することができるからだけではない。有能であるがゆえに仕事をしょい込んでしまうモトキに、しばしの休息を与える意味もあった。ともかく、シュウに付けられた寄付金のおかげで、病院は念願の高価な検査機器をいくつも買うことができた。シュウ優先とはいえ、シュウがいないときには、すべての患者に使われてフル稼働している。


 特別室に設置されたテレビでは、モトキの大好きな女性キャスターが司会を務める報道番組が始まった。検査が続いたので、しばし休憩中のシュウも画面に見入った。ふだんシュウはほとんどテレビを見ない。その番組のことも、女性キャスターのこともモトキを通して初めて知った。

 その日の特集は、この前の選挙で躍進した新共和党と天志教団の関係についての独自取材であった。天志教団と聞いて、シュウが反応した。ルナ遺跡に関して、何度か耳にしたことがある。


「ねえ、モトキさんはカトマール出身なんでしょ? 天志教団のこと、何か知ってる?」

「何かって?」

「たとえば、ルナ神話とか、ルナ神殿とかとの関係。このまえ学校のサークル活動でね、シャンラのルナ遺跡を見に行ったんだ。そこでちょっと耳にしたから」

「わたしが知っている範囲でいいですか?」と聞くと、シュウはコクンと頷いた。そのあまりの愛らしさに、モトキの胸がはずんだ。


「天志教団のルーツはルナ教なんですが、何度か改革をしてましてね。急速に拡大したのは、五十年ほど前かららしいです。今の教祖になってからですよ」

「教祖?」

「〈教団復興の祖〉と呼ばれる人物ですよ。極貧の生まれで、育てることができないからって親に殺されかけたらしいんですけど、自分で息を吹き返してね。親が怖がって、そのまま墓地に捨てたんだそうです。その子を天志教団のあるひとが救って育てたんですって」

「生き返ったってこと? 何か特別な力の持ち主なの?」

「そうらしいですね。自分だけじゃなく、動物を生き返らせたり、人を蘇らせたりできるって。空中を飛ぶこともできるんだって噂ですね。そんな奇蹟を起こせるってんで、信者が増えたらしくって」

「奇蹟……?」とシュウは小首をかしげた。これもまたかわいらしい。


「教祖は、天志教団で教育を受けて、すごく厳しい修行もして、ものすごい勢いで出世したそうです。彼は、自分で膨大な教義をまとめて、そのテキストが大評判をとりましてね。その内容をわかりやすく説教する彼に心酔する人が続出したそうです。特に、人間の弱さをそのまま認めて、弱くてもいいんだって教えて、ひとりで耐えられなくなったら神さまに頼れって。神さまは弱い者の味方だ。けっして見捨てないからって安心させるんです」

「なんだか、とってもまともなこと言ってるように聞こえるけど……」と、シュウが不思議そうに、眼をしばたたかせた。長いまつげが震えるようなこの表情も麗しい。

「そうなんです。内容はまともなんです。救われる人も多いんです。おまけに、若いときの教祖は、美男子で姿も声も良く、後光が射しているようだって崇められていましたよ。今はだれにも姿を見せないそうですが、かえって神秘性が増して、神がかり的になったみたいですね」


 テレビ画面が切り替わった。モトキはテレビを消した。シュウがさらに尋ねる。

「天志教団って、どんな組織なの?」

「本山は、カトマール西部の地方町にあります。ものすごく立派な教会でね。古くからあった教会を買い取って改修したんだとか。教祖はそこにいるらしいんですが、姿を現すことはないようです。地方教会は、大教会、中教会、小教会に分かれていて、小教会が一番身近な教会ですね。小教会では、牧師が説教したり、慈善活動をしたりします。信徒はそれにボランティアで協力するんです。ですから、地域でもけっこう感謝されることがあって、信者が増えるようですね」

「そんな教団が、どうしてカルト宗教って言われるの?」

「いくつか理由があるんですが、なによりも、教祖を神格化して、個人崇拝することですね。教祖が絶対支配者になっています。ほかにも、信徒を日常的に洗脳しますし、教義はとても排他的です。信徒の自由な入退会も事実上制限されていますしね。怖いのは、政治権力とつながってるってことでしょうね」


「どうしてそんなに強い影響力を持ったの?」

「信者の寄付を元手に企業を買収して、そこに有能な信者を幹部として送り込むんです。その企業では信者やその家族が優先的に雇用されるので、信者が増えます。経済活動は宗教的な性格を隠して行われるので、なかなか気づきません。気づいたときにはがんじがらめになって、切り離すのが難しくなるんです。教団を守り、終末に備えるためという理由で、軍事産業にも進出しています。各国の政府にも信者を送り込むのに熱心だそうです。新共和党の政治家の何人かはおそらく信者でしょう。信者でなくても、教団から多額の献金を受けているので、教団の政治的代弁者になっているようです」

「ふうん。なんか怖いね」

「そうです。アカデメイアのような大学の学生もターゲットにされていて、勉強会だとか、ボランティア活動とかを口実に、信者を獲得する工作が行われているという話も聞いたことがあります。犯罪スレスレのことをしたりするようですが、犯罪そのものは教団が厳しく禁じているので、警察も手出しがむずかしいみたいですね」


 モトキはため息をついた。モトキは、天志教団と親の束縛から逃れてこのアカデメイアにやってきた、いわゆる「宗教二世」だ。 何も持たない自分にできることは限られている。だが、こうして天志教団の脅威について語ることはできる。

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