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ⅩⅧー5 エピローグ――カトマール国費留学生 

■衝撃の資料

 アカデメイア大学キャンパスの片隅にある古い建物の一室で数人の学生が唸っていた。

 ルナ大祭典に向けた学生企画「国家と学術」の準備を兼ねた集まりだ。

 学生たちの表情は一様に暗い。三十年前のカトマール内戦で犠牲になったカトマール帝国大学の研究者とその業績をリストアップした資料が手元にある。


「まさか、こんなに多くの人が処刑されていたなんて……」

「うん。それも、業績がすごいよね。世界的学者が何人もいる……」

「カトマール軍事政権は、大学をつぶして、これらの学者を失って、どれだけ国益を損なったか、わかっていなかったのかな?」

「裁判は形式的だね。まるで、ナチスの民族裁判所みたいだ。政府に逆らう政治犯だけを裁く一審かぎりの特別裁判所だ。ほとんどが即日処刑だし……」

「ボクたちのような学生もいるね」

「いったいどんな根拠で、誰が裁いたの?」

「法律はあったみたいだ。非常事態で出された特別法だ。政府立法だね。議会が停止されていたから……」

「裁判官は軍事政権に忠誠を誓った者が選ばれているね。比較的若い世代が多い。若者向けのポーズを取っていたのはこんなところでも現れてたのか」

「彼らはどうなったの?」

「現政権で裁判にかけられて、有罪になったよ。でも、まもなく恩赦された。十年前に、新政権は何もかも一から出発しようとしたけれど、人材がいない。裁判官も足りなくなって、恩赦されたらしい」

「政府の職員も、大学関係者も?」

「そうだよ。新しい政府の方針を尊重するという誓いを立てる必要があったみたいだけどね」

「そんな誓いなんかいつでも破れるじゃない」

「そうだよね。ひょっとしたら、現政権の中にも反政府勢力がいるかもしれない」

「ライア大臣が注意しろって言ったのは、そういう意味だったのね」

「ねえ、ディーン。キミはどう思う? さっきから黙りこくってるけど」


 部屋の隅に座っていた青年に皆が目を向けた。彼がゆっくりと顔を上げた。長いまつげに前髪がはらりとかかっている。

「あ……ああ。そうですね。ルナ大祭典は、ルナ文化にルーツをもつ複数の国の絆を強める文化事業ですが、強い政治性も持つんじゃないでしょうか?」

「どんな?」

「シャンラではヨミ神官団の勢力を抑える目的。舎村ではウルはルナに直接つながるとして舎村長の力を誇示する目的。カトマールでは反政府勢力を抑える目的。アカデメイアはラウ伯爵の発言権をより強める目的。天月は……そうですね。天月宗主の独裁を進めるきっかけ?」

 一同があっけにとられた。このルナ大祭典にそんな深い意味があるなど想像もしたことがなかった。


 リーダーのビンビンが眉根を寄せながら鋭く言った。

「じゃあ、わたしたちは利用されてるってこと?」

「そうとも言えませんよ。どの国でも、ルナ研究は長い間抑圧されてきました。大祭典は、それをまとめあげて、学術を進める強力なきっかけになります。ボクたちにはその役割が期待されています。ルナ大祭典は各国の国家的文化事業ですから政治性を持ちますが、われわれの活動は政治とは直接的な関係はないでしょう」

 一番年下のディーンは、先輩たちに敬意を表するようにていねいな物言いだ。ビンビンの隣に座っていた青年ダーハが顎に手を当てながらつぶやくように言った。

「そうなのか……」


「だから、歴史的事実を客観的に明らかにして、ボクたちなりの解釈を加えればいいと思います。政治的思惑は気にしなくていいし、むしろ通説や各国政府の意向に逆らってもいいはずです。シャオ・レン副大統領もラウ伯爵もそれを望んでいると思います」

「どうして?」

「学問は国の奴隷になっちゃいけないってことです。それを世界に対して、若い世代が示せって言っているんじゃないでしょうか? ボクはそう思ってきたのですが、この前の会談でそう確信しましたた」

「ふうん」

「ラウ伯爵は目先の利益だけでは動きません。その長い展望を示しているのは、筆頭秘書のレオンです。シャオ・レン副大統領もラウ伯爵も、親友だったシャンラの亡きロアン王太子の文化国家構想を実現するというのが悲願のはずです。いままで影にいた副大統領アユ夫人がようやく表に出てきました。彼女はかつての抵抗軍の実質的リーダーで、けっして非道や裏切りを認めない非凡な人物だと聞きます。アユ夫人ならば、われわれ学生を守りぬいてくれるはずです。そして、副大統領も伯爵もアユ夫人の意思を尊重するでしょう」


 ディーンとダーハのやりとりにビンビンが割って入った。

「じゃ、われわれのパネルの名宛人はアユ夫人ってこと?」

「いいえ、アユ夫人を通じたカトマールの国民すべてであり、全世界の人びとです。ルナ大祭典にはそれだけの宣伝効果があります。だれもが大枚をはたいてでも参加したくてうずうずしている催しですよ。その催しにわれわれ学生を多額の資金援助までして参加させようとするのは、お金に換えられない価値をわれわれに期待しているからではないでしょうか?」


■ルナ研究会

 やがて、カトマール国費留学生を核とするルナ大祭典学生企画は、何人かのメンバーを追加した。

 一人はシャンラからの大学院留学生クレア。天月からは大祭典担当幹部の推薦で若い天月士がやってきた。天月文化資料館で最も将来を嘱望されている館員ジュンギだ。十八歳のジュンギはこれを機にアカデメイア大学への留学も決まって大喜びしている。ウル舎村からも二十歳代前半のアカデメイア留学生ツナが選ばれた。

 そして、ディーンはリトを引っ張ってきた。歴史学専攻でルナなどの古代学に強い留学生という触れ込みだった。ディーンに誘われたとき、カイとの作業に支障が出ることを怖れたリトは断ろうとしたが、その気持ちを見越してか、ディーンはこう言ったのだ。

「無理しない範囲での参加でいいよ。ルナ大祭典に協力する各国の幹部から推薦された若手留学生が集まる。この人脈は、キミの研究にもいつか役に立つんじゃないかな」

 サキ姉に相談すると、「参加しろ!」とほとんど命令のように告げられた。

「おまえの役に立つだけじゃない。われわれの取り組みにも有益な情報があるはずだ」


 準備会は、「ルナ研究会」と名乗ることにした。

 一種の学内サークルの扱いではあったが、扱う資料と予算が桁違いに多い。学園本部が後援しているため、本部棟別館の一室が活動拠点としてあてがわれた。キャンパスの奥まった場所にあって、すぐ後ろは深い森。普段はほとんど使われない小さな旧館で、相当古い。だが、他にはほとんど人影もなく、メンバーは自由に議論と活動ができた。

 ただ、能天気なリトですら心配するほど、メンバーは、年齢も性格も異質な者同士だった。〈蓮華〉の子どもたちもみんな相当にヘンだが、年齢とヘンだという点では共通していた。しかし、このルナ研究会の面々は、各国から選ばれているだけあってみんな非常にまともで優秀なのに、バラバラすぎる。


 カトマール国費留学生からは、ディーンを入れて四人の参加だ。

 リーダーの法学部四年の女子学生ビンビンは、シビアな現実主義者で、論客だ。さすがだった。この異質集団をそれなりにまとめあげている。(ナミ姉みたい……)とリトはビビった。

 医学生ヨハンは、昆虫オタクで、人間には興味がないという。そもそも医者ではなく、昆虫学者になりたかったとか。いまは「青い蝶」に夢中になっている。コミュ力はほぼゼロ(でも、アイリより、ヨハンの方がはるかにましだ)――アイリとオロで鍛えられているリトには、ヨハンなどかわいいもんだ。

 宇宙工学院生ダーハは、ロマンチストで夢想癖があるようだ。いつかSF小説を書くために宇宙工学を学んでいるとか。ダーハとビンビンはしょっちゅう言い争いをしているが、あれは仲良しの裏返しかも……。


 新参の三人も相当にクセが強い。天月士ジュンギは賢いが、世間知らずで向こう意気だけは強い。天月の典型的優等生と言える。舎村のツナはウル貴族の家系に属するらしく、誇り高く、慎重な性分だ。シャンラのクレアは孤独感満載で暗く、近寄りがたい。

――こりゃ、やっかいかも……。

 発言ではマウントを取り合っているし、妙にライバル意識むき出しだ。やることなすこと少しズレているリトだけが浮いていた。


 そんな中で、ディーンはいつも静かだった。古参メンバーはもちろん、新参メンバーですら、ディーンには一目置いた。会議では隅っこに座り、めったに発言しないが、彼がひとたび意見を言うと、みんなを覆っていた霧が晴れるように展望が生まれてくる。そして、ディーンは、自分の能力を誇示することもなければ、すぐれた弁舌に頼ろうともしない。

 何度かこんなことが続いて、天月士ジュンギがディーンに憧れの目を向けるようになった。ジュンギは、ディーンは天月が誇る天月修士――きっとカイのことだ――みたいだとか言って、ディーンを賛美し始めた。勝手にディーンの追っかけをしている。

(カイに気づいたらカイを追っかけまわすだろうな。ジュンギからカイを隠さなくちゃ)とリトは決意した。


 いつの間にか、二羽のウサギが別館に出入りするようになり、研究会メンバーのペット同然になった。ここでもディーンが意外性を発揮した。彼はこまごまとウサギの世話を焼き始めたのである。ディーンは、クロウサギをリン、シロウサギをレイと名付けた。ウサギたちは、学生たちにたいそうかわいがられた。

 やがてディーンはこの旧館で寝泊まりするようになった。宿泊機能も兼ねている建物であったとは言え、設備は古すぎて、ディーン以外は旧館に寝泊まりしたいとは言わなかった。寮はホテル並みの個室だし、格段に設備がいい。しかし、貧困に慣れているディーンは、設備の旧さなどまったく気にしなかった。彼は二羽のウサギと気楽に過ごすほうを選んだのである。


 一人暮らしのクレアが研究会の部屋にやってくることは稀だった。来た時も、ほとんど人間とは話さず、黙々とウサギの相手をした。誰もが彼女を変わり者だと思ったが、シャンラのルナ遺跡の件については、クレアの右に出る者はいない。なにしろ、クレアはルナ遺跡のすぐそばで育ったのだから。二十年前の発掘のとき、幼いながらいつも現場を見に行っていたという。


 リトは、以前に博物館で見たクレアの瞳が気になっていた。一瞬、赤く光った……ような気がする。

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