ⅩⅦー6 エピローグ――新しい住人
■タヌキとクマ
リクと恭介、そして虚空が連れ立って櫻館を訪れた。リクを守るためには、ばあちゃんとカイがいるこの櫻館に滞在するのが良さそうだと判断したからだ。
風子もシュウもキュロスも彪吾も、アイリとオロまでが歓喜してこれを出迎えた。ばあちゃんの言ったとおりだった。
サキが見るに、美形揃いの櫻館の中で、三人はかなり異質だった。
リクはいつも通り無表情だし、恭介は無精髭をはやして、髪はもじゃもじゃ、躯体も大きいのでクマみたいだ。逆に、虚空は、背が低く、小太りで、髪の毛も薄いが、愛嬌たっぷりのタヌキみたいだった。
タヌキとクマ。――虚空と恭介が叔父と甥などとはとうてい信じられないほどの落差だ。だが、森に住んでいるという点では同じかも……。
だがまもなく、サキは認識を改めた。リクは風子といるとハッとするほど美しく見えることがあり、恭介は世界的な脳外科医らしく、非常に繊細な指先と頭脳を備えているようだ。
最大のギャップは虚空だった。
虚空は、人なつっこい笑顔で、櫻館の問題児どもだけでなく、裏口小屋のノラネコたちを瞬く間に手懐けてしまった。彼ならば、世界のどこを放浪しても、やっていけるに違いない。おまけに、リトによれば、虚空は民俗学者としても世界的に有名で、いくつかの専門書を書いているとか。何年かに一度、アカデメイアで集中講義をするそうだが、そのときには教室に学生が溢れるらしい。医師免許も持っていて、アイリ拉致事件のときに意識不明のアイリを救ったのは虚空だったという。見かけに惑わされてはいけない。
美形男女に慣れてしまったサキは、自分のルッキズムをつくづく反省した。
新しい住人を迎えて、櫻館での作業にはさらに拍車がかかった。
風子やアイリ、リクとのやりとりに時間を取られるようになったオロは、いちいち細かいことでカイに嫉妬するヒマがなくなった。相変わらず、カイを敵視する態度は変わらないが、オロ自身が忙しくなって、それどころではなくなったのである。リトもまた、カイとゆっくりラブを味わうゆとりなどなくなった。
櫻館は、これまでにないほど賑やかになり、活気に溢れていた。
子どもたちの学校への往復は、キュロスが担当した。もちろん、モモもキキも一緒だ。ランチも積んでいる。オロはリトの自転車に乗せてもらいたいので、キュロスの車に乗ることを拒否していたが、中古のオンボロ自転車がとうとう壊れてしまった。リトもキュロスの車に乗せてもらうことになった。そうなると、オロも一緒に乗りたいが、「オロ」は〈蓮華〉の生徒ではない。オロは一大決心をした。
ある日の朝、カムイとシュウがビックリ仰天して、口を開けた。
「ルル……いや、オロ? ……でも、ルルだ」と、カムイがショックで蒼白になった。
「キミ、ルルだったんだね」と、シュウは何やらうれしそうだ。
ルルが好きなのはリトのはず。ということは、風子をめぐる強力なライバルが減ったことを意味する。
「オロくんがルルさんだったんですね……」と、キュロスは納得顔で頷いている。
だが、仰天しているのは、カムイとシュウとキュロスだけだった。
「やあ、オロくん。かわいいね」と、彪吾がオロを褒める。
「二重生活の苦労が多少とも減ってよかったですね」と、レオンが受け止める。
「みんな、学校ではルルって呼ぶんだぞ」と、リトが女子衆とシュウに釘を刺した。
――みんな、先刻承知だったのか? 風子もアイリも平然としている。
カムイはカイのそばに寄って、コソッとたずねた。
「カイさまもご存知だったんですかい?」
カイは、(うむ)と頷いた。カムイはガックリ……。三足烏の権威失墜だ。もちろん、だれもカムイに権威があるなんて思っていないけれど。
それぞれが自分の仕事に向かい、オロはルルの姿で、目をキラキラさせながら、リトを見上げている。
それを見て、カムイはムカッとした。
(なんで、リトだ? よし、とことん邪魔してやるぞ)
だが、憧れのルルが毎日見られるんだ。これはありがたい。ルルはホントにかわいい。中身が悪ガキのオロでも、このさい目をつぶろう。
ルル、かわいいい~。
■少しずつの変化
サキは相変わらず、オンボロ車で通勤していた。子どもたちの誰もサキの車に乗りたいとは言わない。弟のリトでさえも。
いつしか、そのオンボロ車に恭介が同乗するようになった。以前の住まいは、岬の上病院に近い古ぼけたアパートだったが、櫻館からだと病院まで自転車でも三十分はかかる。リトの自転車と変わらないほどオンボロのママチャリを必死で漕いで坂道を上がる恭介を見かねて、サキが申し出たのだ。サキは、恭介を岬の上病院まで送り届けてから、〈蓮華〉に向かうようになった。
だが、帰りまでは面倒見きれない。子どもたちを櫻館に送り届けた後、キュロスはいそいそと恭介を迎えに行った。キュロスはシュウの主治医である恭介を尊敬している。遠慮する恭介をキュロスのほうから押しかけ気味に迎えに行っているようだ。
二人はほぼ同年配。どうやらウマが合うらしく、食事のあともよく二人で談笑している。
十五歳が五人、二十歳が二人、アラサーが四人、四十歳代が三人、五十歳代が二人、六十歳代が一人、七十歳代が一人、見た目十五歳の四百歳が一人――櫻館に集う人々のなんという世代間バランスの良さ。
おまけに、女性七人、男性十人、ノンバイナリー(性別不定)一人――ジェンダーバランスもそこそこだ。総勢十八名。
人数が増えた分、ツネさんの負担が増える。キュロスと虚空がツネさんを手伝った。キュロスも相当器用だが、虚空の万能ぶりには脱帽だ。
なのに、どうして虚空の病院に閑古鳥が鳴いているのか、サキはマリおばさんに訊いてみた。マリおばさんは、カラカラと笑って、こう教えてくれた。
「簡単よう。虚空センセイはね、しょっちゅう休業するの。前触れもなくフラリとどこかに出かけるのよ。虚空センセイを当てにしてたら、かわいいペットの身がもたないもの。そりゃ、だれも行かないでしょう」
いったいどうやって生活しているのか? 人ごとながら気になった。
マリおばさんがニヤリと笑った。
「うふふ。「游空人」って知ってる?」
「もちろん。有名なベストセラー作家じゃん」
「それが虚空センセイなのよ」
「うそおっ!」
サキは、目をまん丸にした。
そう言えば、「レオと游空人――奇蹟のコラボ」とかなんとか、マスコミが騒いでたな……。
「だから、印税で生活できちゃうわけ。作品数が少ないから、あんまり贅沢はできないみたいだけどね。獣医の仕事ってのは、虚空センセイにとっては趣味みたいなもんなのよ。だから診る相手を選ぶの」
「へえええ」
「医者と獣医を兼ねてるのはね、この二つの免許や知識があると、どこに行っても重宝がられるかららしいわ。虚空センセイの家は代々医者でね。センセイも医者になったんだけど、「国境なき医師団」で世界のあちこちに行っているうちに、いろいろな部族の民話や神話を集めるようになったんだって。そのうち、人間だけじゃなくて動物を診る必要もあるって気づいて獣医学を学び直したんだとか」
サキは驚いてしまって、開いた口がふさがらない。
マリが続けた。
「その頃、本を書いたのよ。比較民俗学っていうのだったっけ? ついでに「游空人」というペンネームで小説まで書いちゃってさ。それがベストセラーになって、いっぱい賞も取っちゃってね。それでセンセイの本業がわかんなくなったんだけど、本業は人間相手の内科医なのよ。いまも世界中のあちこちの村で頼りにされて、しょっちゅうお呼びがかかるみたいでね、留守が多くなるわけ」
サキからまた「ひええええ」と妙な声が漏れた。そんな大物がすぐそばにいたなんて……。しかし、どうやっても、あの初老の男はタヌキにしか見えない。マリが付け加えた。
「リクちゃんも虚空センセイと一緒にあちこちを旅してるって聞いたわ」
「ホント? 知らなかった……」
「そうでしょ? リクちゃんは自分のことを何も言わない子だからねえ。学校ではきっとあまり目立たないだろうけど、あの子は結構サバイバル系なのよ。絶対、文句を言ったり、弱音を吐いたりしないはずよ」
その通りだった。リクは文句を言ったことなどない。かなりハードな仕事でもいつも淡々とこなしている。人間関係も勉強も同じだ。自分から関わろうとはしないが、関わってきた者をけっして拒みはしない。学校以外で特に勉強することはないらしく、自分で何かに関心を持つこともない。
だが、リクも風子が来てからは少しずつ変わっている。ルルとシュウの数学競争をそばで見ているし、風子とシュウの古代文字学習も風子がリクを引っ張り込むので風子の隣で聴いている。
リクは自分から知ろうとはしないが、そばで語られていることはすぐに覚えて理解するらしい。あるとき、風子がそれに気づいて、リクを絶賛していた。だが、リクはそれにもほとんど無反応だった。リクにとっては、すべてのできごとが風のように通り過ぎてゆくようだ。
かねてから気になっていたリクが櫻館にやってきて、レオンは少し緊張した。改めて観察していると、リクは積極的ではないが、見た目ほど無気力でもなさそうだ。
風子があれこれとリクを構っており、リクはそれを嫌がってはいない。ほとんどしゃべらないので、レオンは直接リクの声を聞いたことはない。リクと話したこともない。ひっそりと影のようなリクは、風子のそばにいるときだけ輝くようだ。
だが、レオンにとってもっと衝撃的だったのは、ある事実に気づいたことだった。
集まってきた面々を見て、レオンは悟った。アイリ拉致事件は、リトと風子が虚空と九孤族宗主の協力を得て仕組んだことだったようだ。
だが、いまさらラウ伯爵にこれを告げても意味はない。何より、レオンにとって櫻館の面々はすでに「仲間」だった。むしろ、この強力な布陣でルナ神話の本質を明らかにしたほうがラウのためになる。それはまた、彪吾と自分にとっての「見えない敵」に対する防御壁にもなろう。
空き家になった寮からひっそりと引っ越した者たちが他にもいた。ガガとロロだ。
二匹のネズミは、〈蓮華〉から帰るサキの車にこっそりと忍び込んだ。キュロスの車は高級すぎて忍び込みにくかったが、サキの車はオンボロであちこちに隙間があったし、大雑把な性格のサキは車を点検などしなかったからである。
そして、ネズミたちは高級な櫻館ではなく、これまたオンボロの小屋に住み着いた。ばあちゃんはすぐに気づいたが、二匹のネズミを追い出しはしなかった。
ガガは、弟子のロロにこう命じた。
「ええか? あの風子をしっかり見張るんじゃぞ」
「なんでですかあ? あんな平凡な子なのに?」
「いや、あの子はとてつもない力を持っておるかもしれん。どうやら、あの子を助けたのは〈森の王〉のようじゃ。〈森の王〉がまたあの子に近づいてくるかもしれんでの。覚醒前の〈森の王〉はきわめて不安定じゃ。下手すると、こちらの世界で消滅しかねん。そうならんよう手立てを講じねばならん」