Ⅱー4 エピローグ――タン国傭兵キュロス
■森で出会った大男
ボクの名はシュウ。ボクには双子の兄さんがいる。
ボクにとって、兄さんの次に大切な人間がキュロスだ。キュロスはボクの監護者であり、相談役であり、護衛でもある。
ボクがキュロスに初めて会ったのは、五歳の夏だった。いつものように、別邸の古城におばあさまとともに滞在するために、舎村から出かけた。
もうすぐ古城のある舎村古領に入るというとき、何かのきっかけでボクは森にさまよい出たらしい。護衛たちが夜を徹して探したが、ボクは見つからず、世話係のイミルさんは真っ青になった。その夜は突然の嵐になり、おばあさまですら、寝ずにボクを案じたという。
翌朝、雨に濡れた木々の中、雫をたっぷり含んだ草を踏みしめながら、城に向けて歩いてくる大男がいた。その大男は、肩に子どもを乗せていた。それがボクだった。
大男は、森の中でウサギの子どもたちをじっと見ていたボクに気づいて声をかけたという。でも、ボクが逃げてしまった。
突然の雷雨の中、大男はボクを見つけようと森中を駆け回ってくれた。しばらくして、木の下で転んで膝をすりむき、大声で泣いているボクを大男が抱き上げてくれた。
彼は、近くの洞窟にボクを連れて行き、火を起こし、自分のマントの中にボクを入れ、震えるボクを抱きかかえてくれた。温かかった。誰かに抱きしめられた記憶などなかったから。ボクはうとうとしたらしい。
明け方、霧の向こうに遠く古城の尖塔が見えた。ボクはそれを指さし、あそこに行きたいと大男に伝えた。大男は頷き、ボクを担いで歩き始めた。肩に乗せてもらうなんてはじめてだった。ボクはうれしくておおはしゃぎしていた。
大男は、道すがら、木の実を採ってボクにくれた。男が割ってくれたその実には、小さな黒い種がぎっしりとつまっていたが、種の周りのやわらかいところはほんのり甘く、かわいた喉を潤してくれた。ムベという果実で、村人はよく食べるという。
城門につくと、大勢の者が大男に敵意を向けた。中央に執事のクメが立っていた。クメが大声で威嚇する。
「おまえは何者だ? 若君に何をした?」
ボクはあわてた。大男は、ボクを地面に下ろした。クメの指示で、何人もの男たちが大男を取り囲み、縛り上げた。大男はいっさい抵抗しなかった。イミルさんがボクに駆け寄り、やぶれたズボンを見た。
「まあ、坊ちゃま。おけがをなさって……」と言って、大男を睨んだ。
「ちがうよ! あのひとは、ボクを助けてくれたんだ!」
ボクは必死になって大男をかばった。だが、クメは聞いてくれない。イミルさんも男には背を向けたままだ。ボクはおばあさまのところに連れていかれ、大男はどこか別の場所に連れて行かれた。きっと、いつかうわさに聞いた恐ろしいところに違いない。
おばあさまの姿を見るや、ボクは駆け寄って訴えた。
「あのひとを助けて!」
おばあさまは冷ややかなまなざしのままだ。クメがボクをおばあさまから引き離した。そしてこう言った。
「若君。まずは国主さまにお詫びを申し上げなさいませ」
ボクはグスグスと涙を拭いて、おばあさまの足元にひれ伏した。
「おばあさま。ヒクッ、ごめんなさい。ヒクッ、ご心配をおかけしました」
「立つがよい」
おばあさまの命令に顔を上げた。おばあさまのきれいなお顔が、すこし曇っていた。
「昨夜はどうしていたのか?」
「あのひとに助けてもらって、洞窟で一晩過ごしました」
「そうか」
「お願いです! おばあさま、あのひとをいじめないで!」
クメが言った。
「若君。いじめるなどととんでもございませんよ。少し事情を聞いているだけです。さあ、若君。イミルさんが食事の用意を調えています。わたしと一緒にまいりましょう」
ボクはクメに引きずられながら、何度もおばあさまを振り返った。
■タン国傭兵
シュウから引き離した後、大男から聞き取りをしながら、クメは驚いた。
大男はキュロスと名乗った。もとはシャンラ王国王太子の親衛隊に属したが、王太子が若くして亡くなり、その後、親衛隊を辞して、あちこちの国をめぐり、警備員などをしながら暮らしをたてていたという。その日はたまたま親族の葬儀のため、祖国に戻った帰途だったとか。
彼の祖国の名を聞いて、クメはまた驚いた。山岳地帯の小国タン国。傭兵で有名な国だ。
生業が乏しいため、男たちは傭兵として多くの国に抱えられており、特にシャンラ王国との縁が深い。その中でも王太子親衛隊の隊士に選ばれるには、相当の武力と知性がなければならず、人柄についても王家や仲間の信頼が必要だ。ひとたび親衛隊士に選ばれた以上、仕える主人が亡くなっても別の組織に配属され、出世は思うままのはず。
なのに、なぜだ? なぜこの男は栄達を自ら棄てたのか?
キュロスが言っていることはすべて裏がとれた。しかも、単なる隊士どころではなかった。彼は隊長であり、亡きロアン王太子の信任が最も篤く、最も忠実な部下だったという。いまもシャンラ王家に仕える隊士たちの間で、キュロスは伝説のように語り継がれる英雄だった。おまけに、タン国女王の直系子孫だというではないか。つまり、身元に怪しい点はまったくない。
それならば、なぜキュロスはなかば放浪のような生活に身を投じたのだろう?
キュロスはこれについては、固く口を閉ざした。主君の命令に従ったまでとしか言わない。ただ、シャンラ国王太子が亡くなってすでに十年。主命を果たす見込みはあるのかと聞くと、キュロスはこれにも口を閉ざした。
ここまでを国主エファに報告すると、エファは思案顔になった。
「ふうむ、前シャンラ王太子の親衛隊長とはな。……シュウはこれまでだれにも心を許したことがない。それがあの者については必死でわたしに命乞いをする。よほど気に入ったようだな」
「はい」
しばらく考えた後、エファはこう命じた。
「その者をシュウの世話役兼護衛にしよう。シュウの護衛として世界をめぐることになる。前主人の遺命を果たすことがシュウの危険に関わらない限り、それも認めると告げよ」
「かしこまりました」
翌朝、目覚めると、あの大男がボクの横でやさしそうにボクを見守っていた。ボクは大喜びで彼に抱きついた。
その日から、キュロスはいつもボクの傍にいる。どんなときもボクを守ってくれる。
ボクの頭には原因不明の腫瘍がある。その治療のために世界をめぐる旅にもキュロスはいつも付き添い、ボクの体調にあわせて手料理を準備してくれる。温かく、とてもおいしい。
ボクにとってキュロスはかけがえのないひと。今度の事故でも、身を呈してボクを守ってくれた。キュロスのいない人生など考えられない。




