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ⅩⅦー3 〈弦月〉

■リトの異能

 夜、小屋を訪れたカイにばあちゃんが言った。

「すまんの。〈銀麗月〉を呼び立てるなど失礼の極みなんじゃが」

 カイは秀麗な顔にやわらかな笑みを浮かべて老女に挨拶した。

「どうぞ、お気になさらずに。わたしこそ、九狐族宗主にきちんとご挨拶もできておりませんでした。こちらこそ失礼をお許しください」


 ばあちゃんは思わずカイに見惚れた。容姿が並外れて美しいだけでなく、物腰はやわらかく、すべてに品があり、深い教養を感じさせる。

「ええんじゃ。今日は、リトの祖母として、あんたさんに頼みたいことがあって、お呼び立てした次第じゃ。まあ、お座りなされ」

 サキが茶を持ってきた。三人はちゃぶ台を囲んで座った。茶飲み話のようだが、内容は恐ろしく深刻だった。


「〈銀麗月〉には最上級の敬語をつかわにゃならんが、もう長く知った仲じゃ。まだるっこい敬語は使わんぞ。ええかの?」

「もちろんです」


「あんたも気づいとるだろうが、リトには特殊な力がある」

「はい」

「どうやら、図書館でのできごとをきっかけに、リトの異能が目覚めたようでの」

「目覚めたとは……やはり、リトの異能は封印されていたのですね?」

「そうじゃ。幼い頃に無意識に自分で封印したようでの。聞きたくないことまで聞こえるのが辛かったんじゃろう。自分の力がわからないまま、あの子は自分を「九狐の落ちこぼれ」と思うて育ってきた。その分、九孤忍術を極めようと本人なりに努力してきた。もともと身体能力が優れた子じゃ。暗闇でも目が見えるし、遠くのものもよく見える。耳もよく聞こえる。あんたもあの子との意思疎通に不便を感じたことはあるまい」

「はい。思念交換を始める前から、リトはわたしのくちびるの動きを読んでいました」

 ばあちゃんは頷いた。

「読唇術――九孤忍術の一つじゃ。リトは走るのも速いし、木登りも得意。気配を消すのも巧みじゃし、軽功も相当のものじゃ」

「はい。カムイの件で、早くからわたしもそのことは知っておりました」

 ばあちゃんはカカカと笑った。

「そうじゃったの。あんたが〈銀麗月〉じゃとわしが気づいたのもカムイじゃ。三足烏を従者にしたのは初代〈銀麗月〉のみ。あんたは初代にも匹敵する。じゃからこそ、あんたに頼みがある」


 ばあちゃんが突然、真顔になった。

「リトの命をわしらと一緒に守ってくれんか」

 カイが驚いた。

「リトの命? ……守るとは、いったいどういうことなのでしょうか?」

 ばあちゃんは話をはじめた。


「〈弦月〉のことは知っておろうの?」

「はい。〈銀麗月〉になったときに、老師さまから教わりました。初代〈銀麗月〉が封じ込んだ強大な異能者集団ですね?」

 〈弦月〉の話は、宗主レベルしか知らない禁忌(タブー)だ。

「ならば、その時に聞いたであろう。〈弦月〉は完全に滅んだわけではない。世界各地に離散して、血筋が残されておる。ほとんどはもはや異能を持たんが、ごくまれに先祖返りのような異能者が現れることがあるとな」

 カイの秀麗な顔が青ざめた。

「……まさか?」

「そうじゃ。リトはその一人と思われる」

 カイは絶句した。

――リトが〈弦月〉? 


 〈弦月〉はその異能の強大さゆえに、「ひと」としての属性を失いやすい。

 その結果、ある者は意図せずに人間界の秩序を乱し、また、ある者は人間界の頂点に立とうとした。これを危惧した初代〈銀麗月〉が〈弦月〉の力を封じたと伝わる。


 ばあちゃんは、表情を翳らせながら続けた。

「リトは〈弦月〉のことは何も知らん。自分が異能者だとは夢にも思っておるまい。封印が解けたことにすらまだ気づいておらんようじゃ。このまえ、あんたと対戦したときもリトは自分の力がわかっておらなんだ。キュロスが止めておらねば、そして、あんたが〈気〉を送り続けておらねば、リトの心臓は破裂しておっただろう」

「……それもお気づきだったのですね。あのとき、リトはわたしの動きを先読みしていました。そして、わたしが送った〈気〉をいったん吸い込み、ふたたびそれをわたしに戻してきたのです。対戦のほとんどは〈気〉の応酬でした」

「そうじゃったのか。そのあともあんたがリトを世話してくれたときいておる。礼を言うぞ」

「いえ、わたしが浅はかだったのです。あの図書館事件以来、リトの力が何なのか気になり、思わず対戦を願ってしまいました」

「むしろよかったのじゃ。それによって、わしらもリトの変化に気づくことができた。今なら、リトが破滅に向かわぬよう、手立てを講じることができるでの」


 カイは、真剣な表情でばあちゃんを見つめた。

「わたしは何をすべきですか? リトの命を守るためなら、わたしはなんでもいたします」

 ばあちゃんがカカカと声を挙げた。

 だが、目は笑っていない。

「それを聞いて安心したぞ。あんたに頼みたいのは二つじゃ。一つは、初代〈銀麗月〉と〈弦月〉の関係を調べてほしい。初代〈銀麗月〉はたしかに〈弦月〉を集団としてはつぶしたが、〈弦月〉の離散を阻みはしなかった。〈弦月〉が個人として生き延び、その命脈を保つ道を閉ざさなかったのじゃ。なぜそうしたのか、理由があるはず。それを知りたい。もう一つは、リトの異能をコントロールしてほしい。わしらもリトのためにできるかぎりのことはするが、おそらく、リトの異能はわしら九狐族の手に余るじゃろう。〈銀麗月〉のあんたの助けがいる」

「わかりました」とカイがしっかり頷くのを見ながら、ばあちゃんはふっと肩を落とした。

「すまんの。わしはリトがかわいい。孫可愛さであんたに無理を頼んでおるのは承知じゃ」

 だが、すぐにリトを見据えてこう告げた。

「じゃが、おそらく、これはリト一人の問題にはとどまるまい。〈弦月〉の力が闇に落ちぬよう、初代〈銀麗月〉があんたに託した課題とも言えるように思うんじゃがの」


 カイは頷いて応じた。

「わたしもそのように思います。ですが、そのように大きな問題を抜きにしても、わたしはリトを守りたいのです」

 そして、こう付け加えた。

「リトはわたしの初めての、そしてただ一人の……」

 一瞬カイは言葉を探したようであったが、「友……なのです」とうつむき加減につぶやいた。


■時を止める力

 リトのこと以外にも、もう一つ重要な問題があると、ばあちゃんは言った。

 〈閉ざされた園〉からの脱出に関することだ。

「あのとき、ルルつまりオロは、時間を止めたと思われる。神殿への出入りのときじゃ」

「じゃ、オロも〈弦月〉ってこと?」とサキが尋ねた。

 ばあちゃんは首を振りながら答えた。

「違うな。〈弦月〉は時空を歪めるが、時間を止めることはできん」


「天月に伝わる神話では、「時を止める力」は、青龍族に特有の異能とされます」とカイが言うと、ばあちゃんも「そうじゃ」と応じた。カイがやや首をかしげながら言った。

「しかし、そうだとすれば、大きな疑問があります」

「なに?」とサキが尋ねた。

「青龍族は〈水の一族〉――〈水の一族〉にはもう一つ、ミグル族がいます。二つの部族は〈水の神〉の恩寵を争い、ミグル族が勝利して水神殿を祀る権利を得て、敗れた青龍族は海の底に沈んだと伝わります。その意味で、青龍族とミグル族は宿敵の関係にあるのです」


「ちょっと待て。マロさんやスラはミグル族だ。親子が宿敵ってことか?」と、サキが眉をしかめた。

 オロ一家は非常に仲睦まじい。マロもスラもオロを心から大切にしている。

 カイは、静かに頷いた。

「詳しい事情はわかりませんが、青龍族のオロくんを守るために、マロさんとスラさんは一族を捨てたのかもしれません。あのお二人はそれぞれ音律と武芸に秀でており、しかも並みのレベルではありません。お二人はミグル族でも相当の地位にあったのではないでしょうか」


 ばあちゃんが思案気に眉をひそめた。

「ふうむ。オロは、あの二人にとって地位や一族を捨ててまでも守りたい子だったということじゃな。ならば、二人ともオロの異能をすでに知っておろう。オロには、異能を使うことを固く禁じておるはずじゃ。オロの異能がバレると、オロの命はないだろうからの。わしらもこのことは秘密にせにゃならんじゃろう。じゃが、〈水の一族〉のことはもう少し調べねばならん。〈弦月〉の異能と共鳴したり、逆に、反発することがありうるでの」


「リトとオロの異能が共鳴したらどうなるわけ?」とサキが首をひねった。

 カイが言った。

「ルナ神話の一つに、時を止める異能者と時を歪める異能者が出会って、どちらが優れているかを競い合った物語があります」

「どうなった?」とサキが尋ねた。

 答えるカイの表情は暗い。

「世界は時間の秩序を失ってさまざまな時空が入り乱れたあげく、大きな暗黒の穴が生まれました。二人の異能者を含むすべての生き物がそこに吸い込まれ、世界は破滅したのです」


 サキが大きく眉をひそめた。

「ゾッとする話だな。……まるでブラックホールのようだ。なら、リトとオロの関係には注意しないといけないってことだな」

 うーんと唸ったあと、サキがポロッとつぶやくように言った。

「ヤバいな。オロはリトが好きで、リトを追い回しているしなあ。リトの害になることはしないだろうが、なんせオロはルルだ。何をするか予測がつかん……」

 敏感にカイが反応した。

「オロくんがリトを……?」

 ばあちゃんが、なぜかぼそっと言った。

「まあ、リトにその気はないようじゃがの。あいつは初恋一筋じゃ」

 カイは一瞬ピクリとした。

 だが、自らの反応を隠すように、こう続けた。


■雨を呼ぶ力

「舎村古城での〈園〉事件のとき、じつは奇妙なことがあったのです」

「奇妙なこと?」

「雨です」

「雨? そういえば、あの日は大雨に見舞われたが、儀式は中断されなかったと聞いたのう」

「その雨は、おそらく、アオミ医師の娘であるリクさんが引き起こしたものではないかと……」

「なんと? 雨を呼んだというのか?」

「その可能性があると思います」

 うーむ。……ばあちゃんが黙り込んだ。

 そして、絞り出すような声で言った。


「雨を呼ぶ――つまり、天候の操作は香華族の力じゃぞ。香華族は〈月の一族〉。カトマールの皇族貴族に多い一族と聞くが、クーデターで殲滅(せんめつ)されたはず……。リクにその力があるとすれば、リクの母親は香華族の生き残りというわけか?」

「そこまではわかりません。宗主は、リクさんについてなにかご存知ではないですか?」

「いや、知らんのう。虚空(こくう)とは遠縁とはいえ、最近はほとんど接しておらんかったでの。碧海恭介(あおみきょうすけ)のこともその娘のことも、このアカデメイアに来てはじめて知ったんじゃ。リクの母親は、リクが一歳の時に亡くなったらしい。一人で子育てはたいへんじゃろうと、虚空が恭介のところに手助けに行ったとか。そのあとはずっと三人で暮らしておっての。十年ほど前に岬の上病院の医師が足りんと聞いた虚空が、恭介親子を連れてこっちにやってきたんじゃ。リクはあの通りかなり変わっておる。田舎の学校生活にはなじめんと虚空は考えたらしい。〈蓮華〉ならよかろうと思ったようじゃ」


――リクが〈月の一族〉……? 

 サキは言葉を失った。ファン・マイの推測は当たっていたようだ。


「リクさんは異能の力を封じられているのかもしれません。宗主からごらんになって、虚空医師は異能を封じる力をお持ちでしょうか?」

「虚空のう……」

 ばあちゃんはしばらく考えを巡らせていたが、こう答えた。

「持っている可能性はあるの。虚空の家系は九狐の傍系の傍系じゃから、虚空自身に異能はない。じゃが、虚空は若い時から異能や伝承に強い興味をもっておっての。わしのところにもいろいろ聞きにきたし、異能や伝承を求めて世界中をめぐったとも聞いておる。そのときに異能を封じる技を身に着けたとしても不思議ではない」


 たまらず、サキが口をはさんだ。

「わからんな。リクは異能を封じられているんだろ? なのに、どうして雨を呼べるんだ?」

「わたしは風子さんがカギではないかと思っています」

 カイの言葉に、サキはさらにわからないという顔をした。

「風子? あの子には何の異能もない。なんでアカデメイアに来たのかもわからんような平凡な子だぞ」

 カイは頷きながら、こう言った。

「そうですね。けれども、オロくん、アイリさん、リクさん、そしてシュウくんなど、およそ他人とはほとんど折り合えないような子たちが、風子さんのそばでは「普通の子ども」になるのです。風子さんには、異能者を引き寄せるなにかの力があって、異能者が苦も無く異能を発揮できる媒介のような役目を果たしているのではないでしょうか。このため、リクさんは異能を封じられていても、風子さんがそばにいれば異能を発揮できるのかもしれません」


「〈異能の媒介者〉か……」

 ばあちゃんが(うな)った。

「何かご存知ですか?」と、カイがばあちゃんを見た。

「九孤にそのような伝承が一つある」

 ばあちゃんは遠い目をした。

「……じつは、風子はわしの友人の孫での」

 カイもサキも目を見開いた。


 遠い目のまま、ばあちゃんが続ける。

「風子の家は都築家(つづきけ)というてな。九狐族に匹敵するほど古い家柄じゃ。じゃが、九狐とはちごうて、異能者の家系ではない。むしろ、異能を調べ、異能を統制する学者の家系じゃった。九狐族が朝廷から「()蜘蛛(ちぐも)」と呼ばれて追討されたように、都築家ももとは朝廷に仕えたが、やがて朝廷から疎んじられるようになり、田舎の山奥に引きこもったんじゃ。風子の曾祖母はたいした人物で、村人から慕われておった。じゃが、風子が五歳のときに亡くなっての。ちょうどリトが父親と聞き取り調査にいったときじゃ。その後の風子の消息はわしも知らんかった。こっちに来て、リトから聞いてはじめて知ったんじゃ」

 ばあちゃんは、カイとサキに向き直った。

「風子の母親がルナ石板の発見者である都築凛子(つづきりんこ)であることは、知っとるじゃろう? 凛子は遺跡調査の先で、行方不明になってしもうた。凛子の母は塔子(とうこ)という。それがわしの女学校時代の後輩じゃった。じゃが、塔子も凛子を産んでしばらくして行方知れずになっての。……わしも懸命にさがしたが、ようとして塔子の行方はわからんかった。塔子には絵を描く非凡な才能があってな。本当は画家になりたかったようじゃが、一人娘の塔子は、父親によってむりやり家のために婿養子をとらされた。娘の乳離れを待っての覚悟の家出だったのかもしれん。まもなく塔子の父親も死に、塔子の母親、つまり風子の曾祖母が都築家を取り仕切るようになった」

 ばあちゃんの顔が(かげ)った。失った友を思い出したのだろう。


「風子はこのこと知ってる?」

 サキが聞いたが、ばあちゃんは首を横に振った。

「いや、知らんだろう。あの子が聞けばわしも答えるが、いまはあえて教えることもあるまい。楽しそうに過ごしておるからの。いつか必要になったときに知ればええことじゃ」

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