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ⅩⅥー1 淡い夢

■宴会のトラネコ

――「サクラカン」はどこだ?


 シュウがつけた赤丸にはいくつかのコウエンもあったし、小さなガッコーもあった。やたらと大きなガッコーもあった。けれど、シュウの話では、「サクラカン」は、ひとが住んでいる場所のようだ。あの薄紅色のはなびらを咲かせる木がサクラのはず。とすれば、サクラがある場所で、ひとが住んでいるところ。たしか、サクラはハルにしか咲かない。少なくとも、「サクラカン」は、木などなく、見上げるほど高い大きなタテモノでも、たくさんの人が集まれそうもない小さくオンボロな二階建てのタテモノでも、やたらと人が出入りしている賑やかで夜も明るいタテモノでもなかろう。やっぱり、あの怖いタテモノしか考えられない。


 リョウがそう言うと、ネズミたちは真っ青になってブルブル震え、断固として行くのを拒否した。

仕方ない。

――一人で行くよ。

 そう宣言すると、虎フンドシが慌てだした。リョウに何かあれば、自分たちの存在も消える。虎フンドシは腹をくくった。ネコに食われるか、リョウとともに消えるか、どっちにしても未来は暗い。暗いなら、せめて、逃げられる可能性があるほうを選ぼう。あの黒ネコに会わないですむ方法を探そう。


 トラネコ・リョウは虎フンドシのネズミを背に乗せて、まっしぐらにあの怖いタテモノに向かった。

 きれいな満月が出始めたばかり。タテモノに近づくと、なにやらニワが騒がしい。何人もの人がいる。テーブルの上からおいしそうな臭いが漂う。

――やった! お目当ての風子がいた。うれしくて駆け寄ろうとすると、隣の少年が振り向いた。シュウだ。うわっ! シュウに見つかるとまずい。


 トラネコ・リョウは木陰に身を隠した。目の前では、シュウが楽しそうに風子としゃべっている。

(うわん。……ボクもあそこに行きたいよう……)

 肩を落としているリョウの前に、突然、黒い影がかぶさった。首根っこをつかまれ、持ち上げられる。そこに美少女がいた。少女の左手にはネズミが尻尾をつかまれ、足をジタバタしている。

「おい、風子。ネコがいるぞ」


 風子が駆けてきた。

「あれええ? お城のトラネコくんとネズミくん!」

 風子はアイリからネコとネズミを奪い取って、大事そうに腕に抱えた。リョウはホッとした。あのアイリは乱暴すぎる!

 風子はみんながいるところにネコとネズミを連れていった。そしてソファの上に置いた。

 ゾロゾロ。まわりにみんなが集まってくる。リョウネコと虎フンドシネズミは縮こまった。あの黒ネコよりも怖い。ただ、風子がそばにいるのだ。ヘンなことはされるまい。


「お城のトラネコって、ひょっとして、〈園〉で助けてくれたっていうネコのこと?」とリトが尋ねた。

「うん。そうだよ! この子が入り口を教えてくれたんだよ!」

 風子はやわらかい手でリョウの背を撫でた。リョウはうっとりとなった。気持ちいい。

「じゃあ、こいつらは、あの古城からここまで来たっていうのか?」とリトが首をひねった。

「うん。……そうなるね」

「そんなバカな。直線距離でも三百キロはあるぞ。おい、シュウ。こいつらを城で見かけたことはあるか?」とリトが聞くと、シュウが首を横に振って答えた。

「ううん、ないよ。でも、城や森にはいろいろな動物がいるから、このネコとネズミが城や森にいなかったとまでは言えない」


 みんなの視線の中央でリョウネコとネズミが固まっている。キキとモモが登場した。キキはソファに飛び乗ってリョウネコを舐め、モモは下でシッポを振った。挨拶の合図だ。それを見て、風子が言った。

「ほら、キキもモモもこの子たちを知ってるって言ってるよ」

「古城と舎村はしょっちゅう車が行き来しています。その荷台に忍び込んだ可能性はあります」とキュロスが言った。

 風子はうれしそうにトラネコ・リョウを抱き上げた。

「久しぶりだね。元気だった?」

 風子の膝の上でリョウネコは「ふにゃあ」(うん)と甘えた声をだした。


 シュウはトラネコに風子をとられてはならじと風子のそばににじり寄った。風子はそれをシュウもトラネコが好きだと勘違いしたらしい。「はい」と、風子はトラネコをシュウに渡した。風子の手前、いらないとも言えず、シュウはきれいな指でおそるおそるトラネコの背を撫でた。

 動物にさわるのは初めてだった。毛並みがフワフワして、なんだか気持ちいい。リョウネコはシュウを見上げた。シュウは仲間たちと一緒ですごく楽しそうだ。シュウの膝の上も悪くない。


 今夜は中秋の名月――彪吾の提案で、みんなでお月見をしていたのだ。リクも来ていた。ネズミはさっそくリクのそばに行った。リクはネズミを抱き上げ、自分の膝に乗せた。虎フンドシがうれしそうに「チュウ」と鳴いた。

 みんなのんびりと雲のない暗い空に燦然と輝く月を見上げている。一人、カイだけは、注意深くトラネコを見つめていた。


 突然、大声がした。

「うわああ、あたらしいネコさんだあ!」

 小さな子が走り寄ってきた。腕に白いものを抱えている。その子はその白いものをリョウネコの鼻先に突き出した。

「ほら、ミミだよ!」

 あのときの白い子ネコだった。かわいい!

 でも。……ということはあの怖い黒ネコもここにいるのか? 見回してみたが、いない。リョウネコはシュウの膝から降りて、キキに近寄った。キキに聞けばわかる。


(ねえ、ここは「サクラカン」なの?)

(そうじゃ。よく見つけたの)

(うん。もっと前に一度来たんだけど、そのとき、黒いネコに追いかけられたんだ。とても怖くて逃げ帰ったんだけど、そのネコはいないの?)

(いや、いるぞ。ほれ、向こうを見てみ)

 キキが顔を向けたほうを見ると、暗闇で金色の二つの目が光っていた。

(ひえええええ)リョウが怯えた。


(大丈夫じゃ。わしからクロに言うとくでの。これからおまえたちを追い回わさんように)

(うん。ありがとう)

(で、なんで、ここに来た?)

(みんなに会いたくて。……部屋にいてもつまんないんだもん)

(そうか。ならば、時々ここにくればええ)

(でも、この前は入れなかったよ)

(一声鳴きな。わしがなんとかしてやるでの)

(ホント?)

(城の庭で風子たちに会ったことはまだ思いだせんか?)

(うん。一生懸命思い出そうとしたんだけど、ダメだったよ。そんなに大事なことなの?)

(まあの。思い出したら、わしに知らせるんじゃぞ)

(うん。わかった!)


 夜も更け、みんな部屋に戻り始めた。シュウとキュロスは今夜ここに泊まるらしい。チャンスだ。シュウの部屋の「ジショ」が見られる!

 リョウネコはネズミを乗せて、一目散に家に戻った。

 シュウの部屋のツクエの上の大きな本を開き、リョウはネコの手で次々と頁を繰っていった。全部見終わったころ、ネズミたちがリョウに言った。

(もう帰らないとヤバイよ)

 白い部屋に戻り、リョウはベッドに入った。小鬼たちも絵の中に戻る。そして、夜が明けた。


■リトの酔い

 カイは、風子が古城で会ったというトラネコをじっと観察していた。トラネコもネズミも風子やリクになついているようだ。モモやキキとも仲良しらしい。特に、トラネコはキキとはずいぶん親しいようだ。

 トラネコからもネズミからもいっさい異能は感じられない。トラネコの額に指を当ててみたが、ネコとして森を走っている光景しか読み取れなかった。やはり、思い過ごしか? あのトラネコは〈森の王〉ではないのか?


――カイがじっとシュウを見ている。

 リトの胸がザワザワした。ミオ姉のWEB漫画では、弟キャラ(カイ)が下級生の美少年天才王子キャラ(シュウ)を気にし始める段階に入っている。リアルでもそうなのか?

 カイが見ていたのはシュウではなく、その膝の上にいるトラネコだったのだが、リトには区別がつかない。リトはグラスに残っていた酒をグッと飲み干した。リトは酒に弱い。ふだんは飲まないのに、なぜか飲んでしまった。


 なんだかフラフラする。気が大きくなったようだ。サキがリトを支えた。

「ごめーん、サキ姉。ごめんねえ」

「飲めないのに、飲むんじゃないよ。みっともないだろ!」

「うん! これから飲まない! ヒクッ」

 コイツをどうする。すでにほとんど部屋に戻ったのか、風子とアイリがモモと残っているだけだ。ひとがいなくなって広くなった芝生の上でモモがボールを追いかけて遊んでいる。まさか、この子たちにリトを任せるわけにはいかない。

 しかたない。リトの部屋は三階。エレベーターまで引きずっていって、放っておくか。今の季節なら風邪をひくこともなかろう。それにしても、コイツはいつのまにこんなにでかくなったんだ? 十年前はホントにかわいかったのに……。


 ズルズルとリトをひきずりながら、エレベーターのそばまで行き、ボタンを押した。エレベーターが静かに降りてくる。ドアが開いた。カイの秀麗な顔があった。

「リトが酔ったのですか?」

 アイリ特製の音声発生装置のおかげで、カイは普通にしゃべっているように見える。

「そうみたいだな。コイツ、飲めないくせに飲んで、コップ一杯で酔っちまったようだ」


 リトが赤い顔で申し訳なさそうにサキにつぶやいた。

「そうなの。……ごめんなちゃい……」

 カイがじっとリトを見た。

「あーれー。カイじゃないか。カイク~ン!」とリトはカイにしなだれかかった。カイがリトを受け止める。

「わたしが部屋まで運んでおきます」

「そ? 助かった。コイツ、重いから、気をつけて。じゃ。頼むね」

「はい」

 リトはカイの肩に頭をもたげて、へらりと笑っている。

「じゃあね~。ねえちゃん。おやちゅみ」

 エレベーターのドアが閉まった。サキは呆れた。

(なにが「おやちゅみ」だ。アイツ、明日になったら、カイに顔向けできないぞ)


 最近、カイとリトはよく手をあわせている。だが、カイがリトの肩を抱き、リトに腰を抱かれるのははじめてだった。リトの身体は引き締まっていて、やや火照っている。

 リトの部屋の前で、カイは迷うことなくドアを開け、二人一緒に部屋に入った。ソファにリトを座らせると、リトはうれしそうにカイを手招きした。

「ねええ、カイク~ン。ここにすわってえ。ヒクッ。一緒に飲もうよう」

 カイは、リトに水を飲ませた。リトは、コップを持つカイの手を両手でバシッと挟み、また、にへら~と笑った。

「カイクンのきれ~な手だあ! わああ、指がこんなに細いぞ。きれ~だなあああ」と、リトは「きれい」を連発している。

 カイは何も言わず、リトの好きなようにさせた。


「あんときとおんなじだあ。とってもきれいな手~」

「あのときとは?」と、カイが尋ねた。

「十年前だよ~。雲龍の山で、ふたりで手をとって走っただろ?」

「雲龍?」

「そ~だよおお。雲龍。オレたち、そこではじめて出会ったんだ」

「……」

「でも、キミは覚えてないモンなあ。ヒクッ。オレだけだ。十年間、一度も忘れたことなんてなかったのにさあ。キミはぜんぜ~ん覚えてない。ヒクッ」

「すまない」

「いいんだよ~。オレのことなんて覚えてなくてあたりまえだあ~。オレなんて九孤の落ちこぼれ。キミは天月のエリートだもんね。差が大きすぎて、オレは自分が情けない。……ヒクッ。情けないよう……」

 そう言いながら、リトはぽろりと涙を流し、やがて寝息を立て始めた。


 カイは、リトをソファに横たえ、ベッドから毛布を取り出して、リトにかぶせた。電気を消して去ろうとすると、リトがつぶやいた。

「行かないで……」

 リトを見ると、眠っている。近づくと、無意識にカイの手を探して握った。リトの目から、一筋の涙が落ちた。辛い夢でも見ているのか……。

 カイは動かなかった。リトの寝顔を見ながら、動けなくなった。

 あのとき、図書館でリトの記憶が飛び込んできたとき、手をつないで走っていたのは、リトと自分だったのか? ……だが、思い出せない。


 改めてリトの部屋を見ると、満月の光のなかで、段ボールの箱が山積みになっている。下に置いていたマイの資料のうち、いくつかをここに持ち込んで読んでいるようだ。最近、リトはルナ神話に由来する時空物語をいろいろと教えてくれる。マイの研究資料から得た知識だと言っていたが、彼はこうして一生懸命調べてくれていたのか。

 ふたたびリトを見ると、苦しそうな顔をしていた。そっと頬をなでてやると、安心したように口元にかすかな笑みを浮かべる。穏やかな寝息を聞いているうちに、カイもまた眠りの世界に引き込まれた。


■朝の光

 リトの顔に朝の光が落ちた。

 ハッと目覚めると自室のソファの上だった。誰がかけてくれたのか、毛布が掛けられている。リトは記憶を辿った。うっすらと覚えているのは、サキ姉の声と、そして、カイの姿。まさか……。


 リトはあわてて階下に降りた。まだ誰も起きてきていない。リトは小屋に向けて走った。サキ姉が朝の鍛錬をしていた。

「サキ姉……」

「なんだ? 早いな。二日酔いじゃないのか?」

「いや、それは大丈夫。……ねえ、オレ、昨日、どうしてた?」

「何が?」

「……よく覚えてないんだけど、起きたら部屋にいた」

「そりゃ、そーだろ。カイがおまえを部屋に連れて行ったんだから」

 リトが固まった。

「え? カイが……?」

「おう。おまえは酔っ払って、カイにしなだれかかってたぞ」

 リトが真っ青になった。

「うそお!?」

「ウソなもんか。カイに聞いてみろ」

「まさか。……オレ、そんなことしたの?」


 リトがかわいそうなほど(しお)れている。ホントにコイツはわかりやすい。

「ま、これから気をつけるんだな。酔っ払いはみっともない」

 リトは完全に打ちのめされていた。よろめいて、そのまま地べたに座り込んでしまった。

「おい、鍛錬の邪魔だろうが。さっさと戻れ」

「……戻れないよ。恥ずかしくて、カイに会わせる顔がない。……どうしよう」

「それなら、勝手にしろ。わたしは知らんぞ。朝飯なぞ、用意はせんからな」


 返事をしないまま、リトは膝をかかえてうずくまってしまった。コイツは子どもの時から、ショックをうけるとこんなふうに身体を丸める。そんなにショックだったのか。イジメ甲斐があるというものだ。だが、ちょっと可哀想だ。やっぱり弟はかわいい。

「カイが自分からおまえを部屋に連れて行くと言ったんだよ」

「え?」

「だから、そんなにいじけなくてもいいぞ。ま、迷惑かけてゴメンくらいは言っとけ」

 リトの顔が明るくなった。

「うん!」


――カイが、カイが、自分でオレを運ぶと言ってくれただなんて! 

 なんとなく、カイの身体に触れた記憶が残っている。思い出しながら、リトは赤くなった。耳元でカイの声を聞き、コップを出してくれたカイの手を握った気もする。……そこまで思い出して、また、リトは真っ青になった。うわ、オレ、なんてことしたんだろう。あと、なにかヘンなことはしなかったろうか? 必死で思い出すと、なにやら、くちびるに触れた感触もある。でも、あれはきっと夢だったろう。あの白い花の下の光景を見て以来、何度も夢に見ている幻想だ。

 サキ姉は、赤くなったり、青くなったりするリトの尻を蹴り上げた。

「ほれ、さっさと戻らんと、朝飯がなくなるぞ。ツネさんに迷惑かけるだろうが」

 

 櫻館のダイニングに戻ると、みんなすでに食事を終えていた。リトはカイと顔を合わさないように隅っこに座った。カムイが声をかけた。

「おう、リト。おめえが食事に遅れるなんてめずらしいじゃねえか。二日酔いかい?」

「う……」

「昨日、ずいぶん酔っ払ってたぞい」

「ごめん。……みんなに迷惑かけちゃった」

 最後のオレンジジュースを飲んでいた風子が助け船を出してくれた。

「ううん。リトは一人で酔っ払ってただけだから、だれの迷惑にもなってないよ」

「そうなの?」

 リトはホッとした。

「でも、カイはたいへんだったぞ。リトを部屋まで担ぎ上げてたもんな」とアイリが横やりを入れた。リトは真っ青になって、カイを見た。

「ゴ……ゴメン……」とリトがうろたえていると、「いや、かまわない。容易(たやす)いことだ」と、カイは表情を変えずに答えた。

「キュロスさんからの伝言だ。今日の鍛錬は九時からとのことだ」


 カイは普段とまったく変わらない。リトはカイの後ろ姿を見ながら、ホッとしていた。でも、ちょっと寂しい。やっぱり、オレばっかり過剰反応している。

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