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ⅩⅤー2 とんでも姉ちゃんズ 

■「とんでも(ねえ)ちゃんズ」揃い踏み――リト日記(8)

 いつものように、櫻館の一室で文書を調べていると、カムイが血相を変えて飛び込んできた。

「お……おい。すごい美人が来とるぞ」


 ロビーでは、パシッとパンツスーツを着こなした女性が櫻館自慢の庭を眺めていた。

――まさか……⁉

 

 女性が振り返った。

「あら、リト。いたのね」

 やっぱり。……長姉のナミだ。ナミ姉は、優雅に微笑んだ。

 何も知らずに、サキ姉も出てきた。

「サキもいたの?」

 サキ姉がめずらしく硬直している。カイが現れ、オロが顔を出し、彪吾とレオンが庭の散歩から戻ってきた。


 居並ぶ者を均等に見渡しながら、櫻館の主人彪吾に対して、ナミは礼儀作法の見本のようなお辞儀をした。

「はじめまして、(あかね)七海(なみ)と申します。先だっては祖母をお助けいただき、まことにありがとうございました。そのうえ、妹や弟までお世話になってまことに申し訳ございません」

 ナミの声はやや低めで穏やかだ。表情にはいつもわずかに笑みをたたえており、姿勢は凛としてぶれない。薄化粧は彼女の生来の美貌を引き立てる。品の良い上質の生地で仕立てた濃いグレーのスーツにはしわ一つなく、あわいグレーのシルクブラウスが襟元にのぞく。首にはパールのネックレス。髪はセミロングで、耳元にもパールのイヤリング。足元にはエナメルがあしらわれた黒シューズ。


 ナミは、#KOO TOOのもとになるピンヒールなど履かない。手元の腕時計の黒エナメルがシューズとマッチしている。横の椅子には、有名ブランドの黒革エッジ模様のビジネスバッグ。いつもながら、完璧なコーディネートだ。自己主張をほとんど抑えた服装なのに、ナミ姉は強烈なオーラを放っていた。

「久しぶりですね。お越しいただきありがとうございます」とレオンがナミ姉に挨拶する。


 え? まさか、ナミ姉を呼んだのはレオンなの?

 ツネさんが奥まったコーナーにある賓客用のソファにナミ姉を案内した。ミオ姉とはえらく違う待遇だ。櫻館の主である彪吾と付き添いのレオンがそちらに向かった。

 ナミ姉は弁護士で、東京の有名大学の法科大学院教授を兼ねている。ジェンダー法学の専門家で、国際人権活動家としても知られ、世界各国に知り合いがいる。耳を澄ませていると、どうやら、ナミ姉はアカデメイアで開かれる予定の国際人権法学会にパネリストとして参加するためにアカデメイアに来たらしい。

 ナミ姉は学生時代にアカデメイアに留学経験があり、そのとき同じ学生のレオンと知り合ったとのこと。その後ほとんど音信不通であったが、弁護士会からの案内を見たレオンがナミ姉に連絡を取り、櫻館に招いた。レオンも彪吾も、ナミ姉がオレとサキ姉の姉だと知って驚いていた。それもそうだろう。オレたち四人きょうだいは、みな父親が違う。それぞれが父親の姓を名乗っていて姓が違うし、どちらかと言えば父親に似ているので、普通はだれもきょうだいだとは思わない。二人も何も知らずに彼女をここに招いたのだろう。


 ひとしきりの打ち合わせが終わったようだ。みんながロビーに集められた。レオンが説明を始めた。

「アカネ弁護士です。カトマールのルナ遺跡に関する法的問題を扱うためのご協力をお願いしました」

「宜しくお願いします」

 ナミ姉がこれまた優雅な笑顔を見せた。ナミ姉は休暇を兼ねて一カ月ほど滞在するらしい。旧友のところに泊まるとか。その間、折に触れてここにくるらしい。サキ姉はすぐにでもアパートに帰ろうと思ったようだ。オレだって、隣の小屋でばあちゃんと暮らす方がいいよ。


 さっそく目の前で、ナミ姉はレオンと打ち合わせを始めた。さっぱりわからない法律用語が飛び交っている。レオンはめちゃくちゃかっこいい。めったに見られない弁護士としてのレオンの姿を見て、彪吾の目がウルウルと感動にふるえている。ナミ姉も負けていない。あのレオンと対等に渡り合えるなんて。

 だが、オレは感動したんじゃない。

――やばい。……嵐が来るぞ! 

 オレは身を凍らせた。


 ナミ姉は、微笑んで穏やかに、しかし徹底的に相手を論破する。あまりの優等生ぶりに、周りは縮こまってしまうのだが、本人は気づいていない。他人にはまだ寛容(つまりある時点で見切りをつける)だが、身内には容赦ない。サキ姉やオレが家を出た大きな理由は、ナミ姉からの解放だった。子どもの頃はそうでもなかった。ひたすら優しい姉だったのに、大学に行ってから変わった。特に、アカデメイアへの留学から戻って以降、ナミ姉は激変した。何があったのか聞くのも恐ろしい。

 ついに「とんでもネエちゃんズ」が三人揃ってしまった。


 あのミオ姉がナミ姉とここで顔を合わせたら、いったいどうなる? ミオ姉は、ナミ姉に反発して、ああなったんだぞ。ここは、ばあちゃんに期待するしかない! ナミ姉もさすがにばあちゃんには一目置いているもんな。


■アカデメイアのナミ

 十二年前、二十歳のナミは、念願のアカデメイア留学を果たした。日本の大学とはくらべもののならない国際色。教員も学生も男女はほぼ半々だ。ナミは法学部を選んだ。アカデメイアが誇る国際人権研究を学び、弁護士として国際的に活躍することを夢見ていた。さすがに世界の最高峰。授業のレベルは高く、学生の意識も高く、ナミはすべてに満足した。

 中でも学生たちが特に一目置いているのが、レオンだった。ラウ伯爵の遠縁とか。その美貌も、その才能も、すべてが抜きんでていた。ナミはレオンに対抗意識を燃やしたが、レオンにそれ以上の関心は持たなかった。レオンは人嫌いらしく、だれに対しても礼儀正しいが、冷淡で近寄りがたかった。


 たまたまゼミで一緒になった青年は、レオンとは真逆のタイプだった。明るくて、人懐っこく、お調子者だ。さぼり癖があるせいで成績は悪いが、時折ハッとする鋭さを見せる。女子たちには人気で、あちこちの女性と二股・三股をかけているとか。つまり、典型的なダメンズだった。ナミは、この青年が気になっていた。

 優等生の自分がやりたくてもできないことを恥ずかしげもなくやってしまうあけっぴろげさ。有名な資産家の祖母に無心することを恥ずかしいとも思わない幼さ。ナルシストで、自分は天下一の美男子だと信じ込み、天才だと言ってはばからない凡才。本当に天下一の美男子で天才のレオンと並んだら、その落差は明らかなのに、決してそれを認めようとしない楽天家。そして、彼はことあるごとにレオンを追い回していた。


 そんなどうしようもない男に、ナミは惚れてしまった。相手は、ナミのような堅物の優等生は相手にしていない。話す機会は多かったが、本心は明かせず、ナミは悶々と過ごした。結局、その男は、何度もつきあう女性を取り替え、ナミはまったく相手にされないまま、告白もできず、何度も失恋した。

 これで良かったと自分を慰めてみるものの、どうにも心が収まらない。留学期間が終わるころ、その男は別の女性とつきあっていた。過去に別れた女性への慰謝料はすべて祖母が負担しているという噂だった。


 ナミの親友はその男の幼馴染(おさななじみ)で、彼を「女の敵」と罵倒(ばとう)した。だが、その男の愚かさがわかるたび、「わたしであれば、ちゃんと彼を支えられる」という妙な自信がわいてきた。男とはまったく平行線のまま、むしろ距離は離れる一方だったのに、ナミの心はその男にとらわれ続けたのである。そして、そんなダメ男に惹かれる自分の本心を隠すために、自立した強い女を目指した。誰にも後ろ指をさされない完ぺきな女性。つまり、レオンの女性版を目指したのだ。


 レオンとナミの違いは、愛した相手だった。レオンが愛したのは純粋さを失わない天才音楽家で、レオンを二十年以上もひたすら思い続ける一途な人物であったのに対し、ナミが愛したのは浮気でいいかげんなダメ男。この差は大きかった。レオンは一人であっても孤独ではなかったが、ナミは一人が怖かった。レオンは相手の愛を求めずに尽くしたのに対し、ナミは相手の愛を求め続けたのに何もできなかった。レオンの愛は高みに登り、ナミの愛は奈落に落ちる。それがわかっていてもなお、ナミはその男を忘れられなかった。


 そして事件が起こった。十二年ぶりに訪れたアカデメイア。櫻館を出て、親友の家に急ぐナミは、その男を見かけたのである。男は屈強そうな美女をそばに置いていた。

――イ・ジェシン。

 屈強な美女はスラだった。


 ナミは一瞬パニックになった。とうに忘れていたはずなのに、自分のなかで思いが消えていない。

「やあ!」と、ジェシンは屈託なく、ナミに声をかけた。

「学会に出ることは弁護士会ニュースで知っていたよ。相変わらずすごいな」

「あなたも元気そうでなにより。ここで弁護士事務所を開いているそうね」

「うん。そうなんだ。一度来てよ。あ、こちらは事務員兼護衛のスラさん」

「ご……護衛?」

「そうだよ。彼女は凶悪犯を素手で倒せるほどの腕前なんだ。おまけに事務能力も高い。事務所一同、大喜びさ」

「はじめまして」とナミが声をかけると、スラも応じた。

「はじめまして」


 スラはジェシンの後ろに立ち、決してしゃしゃりでない。突然、スラの顔がわずかに輝いた。

「スラ姉!」

 振り返ると、さきほど櫻館でみかけた美少年が歩いてきた。

「おやおや、オロくんのお出ましだ。ボクはまったく信用されていないからなあ」

 そばまでやってきたオロは、ジロリとジェシンを睨んだ。

「スラ姉に手を出したら、承知しないからな!」

「ははは、スラさんに手を出したらその時点で瞬殺されちゃうよ」とジェシンは陽気に笑った。

 オロは、ナミ姉には目もくれず、去っていった。

「ご挨拶もせずにすみません」とスラがナミに謝る。

「いえいえ、さきほど櫻館でお会いしましたよ」


「櫻館?」

 ジェシンが不思議そうに言った。

「櫻館と言えば、九鬼彪吾の邸宅じゃない?」

「そうよ」とナミが応じた。

 スラはやや困ったような顔をしている。どうやら、櫻館のことは隠していたようだ。ナミは察した。

「今度のルナ大祭典にからんで、九鬼さんから業務の依頼を受けたの。あの子はだれかのお使いでたまたま来ていたんじゃない?」

「ふうん」

「あなた、櫻館になんか行っちゃダメよ。邪魔になるだけよ、わかってるわよね?」

「うん、まあね。ルナ大祭典ってことは、レオンもそこにいるの?」

「さっきはいたわ」と言って、ナミはハッとした。

「あ、レオンのところに押しかけないでよ。迷惑でしょう! あなたは、昔からレオンばかり追いまわして、どれだけ嫌われたかわかってるでしょ?」

「うん」


 そうだった。ジェシンは、たくさんの女性とつきあいながらも、いつもレオンに絡みかけ、レオンを追い回していた。レオンは冷たいまなざしのまま、ジェシンの追いかけをサラリとかわしていたが、ナミはレオンが相当迷惑がっていることを知っていた。


 まだ、学生だったころ、いきなりレオンが歩く方向を変えたことがある。見ると、向こうからジェシンが駆けてきた。レオンはジェシンを避けるために、道を変え遠回りを選んだのだ。

 レオンを見失ったジェシンは悔しがった。ナミが尋ねた。

「あなた、どうしてそんなにレオンを追い回すの?」

「決まってるさ。レオンに惚れてるからだよ」

「惚れてるって。……あなた、付き合っている彼女がいるでしょう?」

「あれは、彼女。でも、レオンはボクの永遠の恋人なんだ」

 あっけらかんとそう言いのけるジェシンに、ナミは開いた口がふさがらなかった。

「あなた、まったく相手にされていないわよ。それどころか、はっきり嫌われているわよ」

「うん、わかってる。でも、それはレオンのほうだろ? ボクがレオンを愛してるんだ。こればかりはレオンだって止められないだろう?」

 ナミは軽い頭痛を覚えた。この男は、バカなのか、一途なのか、わからない。

 十年以上も前の記憶に引き戻されたが、ナミは考えるのをやめ、先を急ぐことにした。


 去っていくナミを見送りながら、ジェシンはうれしさに身を震わせていた。あのレオンに会えるチャンスがありそうだ!

 レオンがラウ財団に入ったあとは、「ラウの城」と呼ばれるラウ財団本部に詰めていたので、ジェシンがレオンに会う機会はなくなった。レオンがアカデメイアの副理事としてアカデメイアを拠点にするようになったあとも、ジェシンに出る幕はなかった。アカデメイア本部はセキュリティが厳しく、だれもがフラリと訪ねることができる場所ではない。

 だが、櫻館ならば、私邸だ。ジェシンは待ちに待った機会を得たとばかり、さっそく櫻館を訪ねる算段を考え始めた。


■旧友

 ナミは急いだ。五年ぶりに会う親友だ。アカデメイア留学中に知り合ったクラスメートで、留学中はずっとルームシェアをしていた。彼女が住むのは、下町のうらぶれたアパート。学生時代からずっと変わらない。なじみすぎて、いまさら引っ越す気はないという。

 一階の部屋からのっそりと白い大きなイヌが姿を現した。ガンちゃんだ。そう、ここはマリおばさんのアパートなのだ。ナミの立派な服装を見上げたガンちゃんはそのまま部屋に戻った。


 二階に上がり、呼び(りん)を押すと、親友が出迎えてくれた。

「久しぶり~」

 ヒューガ・ユウだった。室内はピンク一色だ。

「相変わらずねえ。ピンクだらけ」

「好きな色だからな。きれいだろ?」

「まあね」

「荷物はもう届いているよ。部屋に運んどいた」

「ありがと!」

 ユウの部屋は2LDK。その一部屋がナミに提供された。ナミは動きやすい服に着替えた。


「ああ~。ここは落ち着くわあ!」

 ナミが足を伸ばし、手をあげて、伸びをする。さきほどの完璧美人はここにはいない。

「あんたは、いつも構えすぎてんだよ。あんなにビシッと決めてたら、そりゃ、疲れるよ」

「まあね」

「ほれ。あんたの好きなじゃがいもを揚げといた」

「うわっ! おいしそう!」

 二人は缶ビールで乾杯し、ポテトをつまみはじめた。

「さっきさあ、アイツにばったり」

「アイツって?」

「イ・ジェシン」

「なんだ。まだアイツにこだわってんの?」

「なんとなく……ね」

「やめときな。アイツは女の敵だって、何度も言ったろ?」

「うん……」


「で、どうした? また、アイツが別の女を連れてたのか?」

「そう。事務所で新しく雇ったひと。護衛を兼ねるんだって」

「ほう、護衛か」

「すごい美人なんだけど、素手で凶悪犯を捕まえられるんだって」

「ちょっとまて。イ・ジェシンだよな。その美女は、まさかスラという名か?」

「スラ……そう呼ばれてたような気がする」

 スエは額を押さえた。ジェシンはユウの幼馴染だ。性格は知り尽くしている。

「アイツ、スラさんにまで手を出したか?」

「いや、そうじゃないみたい。そのひとの弟だかなんだか、きれいな男の子がジェシンに、手を出すなって怒鳴っていたから」


 また、ユウは額を押さえ、こんどはクックっくと笑い始めた。

「そりゃ、オロだな」

「オロ?」

「署じゃ有名な悪ガキだ」

「へええ、そうなの? でも、あの子、櫻館にいたわよ」

「櫻館? 櫻館って、九鬼彪吾の家か?」

「そう」

「なんでまた、オロが九鬼彪吾と知り合いなんだ?」

「お父さんが古楽器の修理をしてるんだって。ルナ大祭典の準備とか言っていた」

 ふと、ユウが気づいた。


「ルナ大祭典と言えば、ラウ財団とアカデメイア。まさか、櫻館にレオンもいたのか?」

「うん。実はレオンに呼ばれたの。仕事を依頼されたわ」

「さすが、ナミだな。あのレオンが一目置くとは」

「そんなことないわよ。……と言いたいけど、そんなことあるのよ。ちょっと自慢よね」

「そりゃ、そうだ。レオンはほとんど自分でこなすから、人に頼むなんてことはない。レオンが頼むとすれば、よほど相手の力を見込んでいるからだ」

「そうよね。彼はいつも慎重で、他人には決して弱みを見せないものね」

「そうだな……」と、ユウが遠い目をした。学生時代を思い出しているのだろう。そして、現実に引き戻されたように尋ねた。


「ひょっとして、アイツはまだレオンを追い回しているのか?」

「櫻館にレオンがいると気づいて、大喜びしてた……」

 スエは、しょげ返ったナミを見て、その背をさすった。

「もう、アイツのことはきっぱりあきらめろ。女癖が悪い上に、アイツの本命はレオンなんだぞ」

「わかってる。……ユウはどう?」と、ナミはユウを見た。

「どうって?」

「……まだ、レオンが好きなの?」

 スエはフッと口元をゆるめた。

「まあな。卒業以来、一度も会っていないけどね……」

 ナミはユウから目を外して、つぶやくように言った。

「彼は相変わらずの完璧ぶりだった。おまけに、学生時代より落ち着きが出て、迫力が増した。ちょっとだけ、やわらかさというか、人間らしさが出てきたように思う。あれじゃ、周りが放っておかない」

「そうか……」

「会いたくないの?」

「そりゃ、会いたいさ。だけど、向こうはわたしのことなんて覚えていないさ。わたしは落ちこぼれ、あっちは首席だ」

「でも、レオンはそんなことで人を区別したりしないよ。知っているくせに。だから好きになったんでしょ?」

「わかってるって。だけど、そうでも思わなきゃ、こっちが惨めになるだけだろ?」

「あーあ。あなたもわたしもいい女なのに、なんで片思いなんだろうね。しかも十年以上も脇目も振らずに同じ男に惚れ続けて。……もったいないったらありゃしない!」

「そうだな。これも人生さ。さ、もう一杯やるか?」

「うん!」

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