ⅩⅣー4 エピローグ――ズレる思惑
■ネコ溜まり
岬の上病院裏のネコ溜まり。
「まったくもって、なんでリトなんじゃ?」
キキはどうしても納得いかない。クロも頷いた。〈ムーサ〉で風子を引っかけと言われた時からそうだが、ルルならぬオロはリトに気がある。
キキがまくしたてる。
「アイリは性格は悪いが、天才だし、稀に見る美人じゃ。シュウは生まれながらの貴公子じゃし、カイに至っては天月の至宝じゃぞ。風子だって多少落ちるが、十分にかわいい。性格は申し分ない。そうじゃろ? なのに、よりによってリトじゃと?」
「でも、リトもいいヤツだよ……」とクロがつぶやくと、キキに睨まれた。あわてて、クロはおおげさに頷きながら。相槌を打った。
「そうだ、そうだ! リトは、九狐族の落ちこぼれ、アカデミアの留年生、技も胆力も知恵もすべて中途半端、だよな?」
キキが鼻をフンッと鳴らした。
「リトは、姿かたちはまあいい方だが。いや、かなりいいかもしれんが。じゃが、オロのほうが数倍は美しい。な? そうじゃろ?」
「そうだ! おまけにリトはカイに夢中だ」
クロのことばに、キキがのけぞった。
「そ……そうなのか?」
「うん、そうだよ。リトはカイばっかり盗み見してる」
クロは予想以上に観察眼が鋭いようだ。
「いくらオロでもカイには勝てないだろ?」
思わず口を滑らせたクロをキキが睨んだ。クロがうろたえた。
「で……でも、ばあさん。ほら、いくら、ばあさんがお気に入りのオロと風子をくっつけようとしたって、風子はオロなんぞ見てないぞ」
またしても、クロは墓穴を掘った。
「オロなんぞとはなんじゃ! あの子は、ほれぼれするほどきれいで、じつに可愛らしい。勉強はできんが、抜群に頭が切れるぞ」
「そ、それはわかってるって」
キキのオロ愛はすさまじい。
「だけど……オロはちょっと性格に難があるんじゃないかなって。……大事な風子が苦労してもいいのかい?」
「……まあ、たしかに多少はひねくれとるかもしれんがの。じゃからこそ、素直でまっすぐな風子が必要なんじゃ。オロはこれと決めた相手にはとことん尽くす。情が濃い子じゃ。いったん風子と思い定めたら、ぜったいに裏切らん」
「そ、それもわかるが、オロではまともな職にはつけない気がするけど……」
「ええんじゃ。サラリーマンのオロなど想像もできんわい。オロには特別な才能がある。きっと将来は大物になるぞ」
キキは、大きなソファで、オロと風子の間でゆったりと寝そべる自分の姿を思い浮かべてにんまりとした。
「ええな! オロと風子をくっつけるぞ。クロ、おまえも手伝え!」
「う……うん」
キキの剣幕にクロは次の言葉を飲み込んだ。
――風子が好きなのは、リクかも……。
あの、いるかいないかわからないような、存在感のない少女。無表情で、ほとんど話さず、わずか十五歳で人生の楽しみを捨てているようなやせぎすの少女。何を考えているのかわからない暗い顔立ち。いつも半分寝ているような眼で、口元に笑みなど浮かんだことがない。
だが、と、クロはこうも思う。
――リクはとてもやさしい。
病院の片隅で震えていた子ネコの頃。そっと抱き上げてくれたのがリクだった。ひどい熱がすっと引いて、体がラクになったような気がする。
でも、数日後に会った時、あの子はもうオレを覚えていなかった……。
■カムイの憂鬱
カムイは気が気でなかった。
このところ、カイさまの様子が微妙にヘンだ。ときどきぼうっと庭の雑草のちっぽけな花に見とれている。なんてことない文具をわざわざ取り分けて、大切そうに文箱にしまっている。この前などは、食事中にとつぜん箸を止めて、耳の端をほんのわずか赤らめた。
――なぜだ? 何があった!
天月仙門の至宝〈銀麗月〉がうわの空になるなど、よほどの危難が迫っているのか。
カムイは、懸命に原因を探した。
――まさか、自分に落ち度があるのか? ……まったく思い当たらない。
――まさか、まさか、ルルか? ……いや、カイさまが女人に興味をもつことなどありえない。
――カイさまの体調がすぐれないのか? ……いや、カイさまほど修為が高い者ならば自分で病をコントロールできる。だとしたら、いったいなぜだあ?
カムイは考え尽くしていたが、あるときふと気づいた。ルナ神殿遺跡ランチのあとだ。
――ま……まさか、リト?
じっと見ていると、カイさまは、リトが愛でた花を見つめ、リトが手にした文具を大切にしまい、リトを話題にしたときにポッと耳を染める。だが、カイさまは生まれてこの方、天月の戒律として、愛欲は克服すべき煩悩だと教え諭されてきたはず。〈銀麗月〉は禁欲節制の手本とならねばならない。恋煩いなど、あってはならない醜聞だ。
とはいえ、さすが〈銀麗月〉。リトがそばにいるとき、カイさまは完璧に礼節を保ち、己の愛欲の片鱗すら見せない。自分の気持ちを抑え込むこと以外を知らないカイさまだ。カイさま本人すら、自分の思いに気づいていまい。きっとそうだ。
――十年前、あの山で二人が出会ったことは、カイさまの記憶の中で完全に封印されているはず……。
戻ってきたカイさまの心の高ぶりに気づいた老師さまは、その高ぶりと原因を封じ込めた。ゆえに、カイさまはリトと出会ったことをいささかも覚えていないはずだ。なのに、ふたたびカイさまは自身で気づかぬままに心の高ぶりを感じ、それを自ら封印する前にその高ぶりの意味を見定めようとしている。
リトがカイさまを恋する気持ちはよくわかる。カイさまは、一点の陰りもないほど美しく、汚れなく、温和で、叡智に満ち、ひとが憧れるすべての要素を備え持つ。カイさまは至高で至尊なのだ。
そのようなカイさまに不届きな思いをもつ奴は絶対に許せない。これまでもカイさまにちょっかいをだそうとする者は何人もいた。すべてオレさまが完膚なきまでにたたきのめしてやった。しかし、さすが、カイさま。どんなに隠しても気づいていたようで、「手加減しなさい」と言われたことがある。
――ただ、リトはちょっとやっかいだ。
アイツはオレが持っていた天月の秘密文書を取り上げちまったし、妙な術でオレをがんじがらめにしやがった。おまけに、カイさまが重きをおくあの九孤族宗主の孫だしな……。
幸いなのは、リト自身が所詮は片思いとあきらめていることだ。はたから見ていると、滑稽なほど必死で取り繕って、「友人」面をしている。だから、ほとんどの者は気づいておるまい。
もし、リトとカイさまの関係に気づいている者がいたとしたら、おそらく二人だけ。オレとルルだ。だから、チャンスは今しかない。これ以上、深刻になるとまずい。非常にまずい。
ならば、カイさまの無垢と名誉を守るためにも、カイさまの忠実な僕であるこのカムイさまがなさねばならぬことがある。カイさまが思いを自覚したり、リトが無謀にもカイさまの胸に飛び込む前に、リトをカイさまから引き離す。二度と二人が思いあうことがないように、リトをだれか別の者とくっつければよい!
ルルはやっきになってカイさまからリトを引き離そうとしている。これはこれで腹が立つ。
――くそお、リトめ。カイさまの側近はオレ一人。だれにも邪魔などさせるものか。おまけに、愛しのルルまでがリトを追っかけまわしているとは。許せん!
ならば、リトと似合いはだれだ? だれが良い?
――アイリ? ダメだ。性格が悪すぎる。さすがにリトがかわいそうだ。
――シュウ? これもダメだ。敵かもしれない舎村の若君とくっついたら、こちらの秘密がバレバレになる。
――リク? うーん、悪くはないかもしれんが、わからなさすぎる。パス。
――風子? 論外。あまりに子どもだ。……いや、ひょっとしたら、案外いい組み合わせかもしれん。リトもかなり幼稚だ。精神年齢はどっこいどっこいだろう。
カムイの中で、リトと風子が寄り添い、カムイとルルが手をつなぎ、カイが孤高の美しさで超然とたたずむ図が出来上がった。
こうして、ルルからリトを、リトからカイを、カイからリトを引き離す作戦がひそかに始まった。そして同時に、オロと風子をくっつける作戦に加えて、リトと風子をくっつける作戦までもがゴー。合意も協力もまったくなく、勝手な願いではじまった作戦だ。混戦をきわめ、このあとみなが翻弄されることは……まだだれも知らない。