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Ⅻー3 月夜のできごと――異なる双子

■四角い白い部屋――リョウ

 ボクの名はリョウ。良なのか、涼なのか、遼なのか。漢字があるのかどうかも知らない。ボクは自分の名を書いたこともなければ、見たこともない。

 生まれてからずっとこの四角い白い部屋がボクの世界。朝日が差し込んで夜が明ける。やがて遠くから電車の音が聞こえ、車や自転車が行き交う音が鳥の声に混じってかすかに流れ込む。イヌが吠え、ネコが鳴く。日がな一日、どこか遠くの音を聞き分けながら、ボクは部屋の外で何が起こっているかを想像する。夕日が落ち、きらめくような電気の灯りが消え、音がやみ、月が高くのぼる。真夜中の木には数羽の鳥が止まり、羽をたたんで安らいでいる。

 ボクの一日はそうして始まり、そうして終わる。


 窓の外、薄紅色の透けるような花びらが風に舞っていた遠い日、一人の小さい人がやってきた。いつもボクのそばにいるイミルさんがボクの上体をベッドのうえに半分起き上がらせる。慣れた手つきだ。そんなボクを見上げながら、その子はこういった。


「お兄ちゃん、はじめまして。ボクがシュウだよ」


 そう言って、彼は明るく笑った。「オトウト」だとイミルさんが教えてくれた。弟は「コドモ」という種類の人らしい。そして、「ワラウ」という行為は、弟がはじめてこの部屋にもたらした。


「窓から見える空や雲や木の変化を「キセツ」っていうんだ」


 弟にそう聞いてから、ボクはできるだけ窓の外を見るようにした。そして、一つのきまりがあることに気づいた。変化には順番がある。薄紅色の花びらが舞うのが春、ジージーという音が外の木立を覆うのが夏、木々が赤く色づくのが秋、そして、白いものが空から落ちてくるのが冬。花びらが「サクラ」で、ジージーと鳴く虫が「セミ」。白いものが「ユキ」と教えてくれたのも弟だ。


 一日にもきまりがあるらしい。

「お兄ちゃん、晩ごはんだよ」

 外が暗くなると、弟が食事をもってくる。弟のそばには、いつも大男がいる。話したことはない。だから、どんな声か知らない。名前も知らない。

 弟は、ていねいにスプーンで粥をすくい、ボクの口に運ぶ。温かい粥はボクののどをうるおしながら、胃にゆっくりと降りていく。

 食事が終わると、弟は二時間ほど「ホン」を読み聞かせてくれる。そのとき、ボクはいつも弟の顔をじっと見る。

 黒く細い前髪がゆるく額にかかる。大きな目は生き生きと輝いている。その目と釣り合うような適度な太さの眉は、意思の強さをあらわしている。鼻筋がスッと通り、口もとは愛らしい。とくに、ほほえむと左の口角が少し上がり、歯並びのよい白い歯が少し見え隠れする。ふっくらとした丸顔の顔立ちにすべてがバランス良くおさまっている。肌はつやつやしていて、色白だ。


 ボクには、「ウツクシサ」の基準がよくわからない。弟とイミルさん、そして白衣のひとたち。それらの人たち以外を見たことがないからだ。けれども、絵や写真で賞賛されている人たちと比べる限りでは、弟の顔だちはきわめて好ましい「ウツクシサ」にあたるような気がする。


 ある日、弟が手鏡でボクの顔を見せてくれた。ボクが求めたわけじゃない。ボクはしゃべれないのだから。そこには、弟とよく似た顔の子がいた。弟より少しやせて、顔色は冴えなかったが。


「ねえ、お兄ちゃんとボクはそっくりだろ? 一卵性双生児っていうんだって」


 弟とボクが「フタゴ」だという話は、イミルさんから聞いていた。でも、双子がこんなに似ているなんて。そのときからボクは、自分の顔が見たいときは、弟の顔を見ることにした。


 弟がいなければ、ボクはこの世に「ホン」があることも、「ガッコー」があることも知らなかったし、「トモダチ」がいることも知らなかっただろう。シュウは来るたび、ボクに「ホン」を読んで聞かせてくれた。最初は絵本、いまでは小説や新聞も混じる。おかげでボクは字が読める。けれども、書けない。

 「ホン」を見たり、聞いたりすると、ボクの目が輝くらしい。とくに「エホン」や「ガシュウ」を見たときの輝きは強いと弟は言う。だからなのだろう。弟は、ここにいる間、毎日どこかで「エホン」を買ってきてくれた。読み上げながら弟が笑うところは「オカシイ」とか。「オモシロイ」ところで、弟が泣くところは「カナシイ」ところなのだとも知った。ボク自身は、そうした感情を知らなかった。


 だけど、ある日、ずいぶんとまどったことがある。

 その日、弟は「ホン」を読み終わったあとも、ボクの部屋にとどまった。

「お兄ちゃん、ごめんね。ボク、明日、出かけなくちゃいけない。遠くの病院に検査に行くんだ。でも、終わったら戻ってくるよ。それまで待っててくれる?」

 弟が出て行ったあと、ボクの目から「ミズ」がポロポロおちた。指で拭うこともできない。腕も指も動かないのだから。ああ、これが「カナシイ」っていうことなんだ。


 ボクはたしかに悲しかった。弟と別れることが悲しかった。本を読んでくれる人がいなくなることが悲しかった。でも、なにより悲しかったのは、弟は別の世界に行けるのに、ボクは行けないということ。ボクにはこの四角い白い部屋しか世界がない。


 弟がいなくなってしばらくたったある日、白衣の「センセイ」がやってきた。「センセイ」が帰ったあと、イミルさんはいつになく暗い顔だった。彼女はボクのからだを拭きながら、こうつぶやいた。


「同じ日に同じ母親から生まれたというのに、どうしてお二人はこんなにも違うのかねえ。シュウ坊っちゃまはどんどん成長していく。未来はさぞ明るいだろうよ。なのに、リョウ坊っちゃまは成長するほどにやせ衰え、お命も縮まっていく。せめて、リョウ坊ちゃまの成長がこのまま止まってくれたらねえ……」


 イミルさんの目からは、次から次へと「ミズ」があふれでた。ボクにとって、大きくなるのは良くないことらしい。


 ボクと弟が同じ顔をもち、同じ姿でいるのは、今だけなのか。そうならば、このままでいよう。成長を止めよう。弟とはじめて会った姿のまま、ボクは時間を止めた。ボクには手が届かない「ミライ」とやらが弟にはあるらしい。それがどんなものなのか。ボクが生きてさえいれば、きっと弟は話してくれるはずだ。


 その日からどれほど季節がめぐっただろう。シュウは、楽しみにしていた「ガッコー」にも行っていないし、欲しかった「トモダチ」もいないという。たびたび遠くにでかけて家を留守にした。

 

 でも、今日は違った。

「兄さん、元気だった? これからしばらくここにいるよ。よろしくね」

 会うたびに背が高くなり、いまではドアの敷居に届くほど。

「ちょっと暑いね。窓を開けてもいい?」

 窓に手をかけたシュウは、思い切り外の空気を吸い込んだ。

「ああ! ここの空気はいつも甘い。風が森をわたってくるからかなあ」

 大きく伸びをしていたシュウが、一瞬、くびをかしげた。だが、すぐもとにもどって、肩をすくめながら、ボクに笑顔を向けた。

「ヘンな黒ネコと目が合っちゃったよ」


 十五歳の身体をもつシュウと五歳の身体しかないボク。季節がめぐるたび、二人の差は広がるばかり。


■古書の絵――シュウ

 ボクの名はシュウ。

「兄さん、今日も遅くなってごめんね」

 ボクは兄さんに挨拶した。ゆっくりとまぶたが閉じられ、ふたたび開いた瞳はかぎりなくやさしかった。兄さんに感情がないなんてウソだ。兄さんは、ただひとつ動く目ですべてを表現する。みんなは、それを読み取ろうとしないだけ。ボクは、兄さんの冷たい手をさすり、部屋を出た。


 一ヶ月前、舎村に戻ってきた日に事故に遭い、数日間入院した。キュロスはまだ岬の上病院に入院している。今日も一日、キュロスのところに行って過ごした。キュロスはようやく起き上がり、歩けるようになった。キュロスは、ボクに「シュウさま、すみません。お守りできなくて」を連発する。アオミ先生によると、驚異的な回復力らしい。明日は退院して、しばらくリハビリに通えば良いとのことだった。うれしい!


 キュロスが退院できると聞いて、うれしさの余り、キュロスにこれまでのことをいろいろ話していると帰宅が遅くなってしまった。一階の広いダイニングでは、イミルさんが温かい夜食をつくって待っていてくれるはず。しかし、なんとおばあさまがいた。館の主であるおばあさまと孫のボクがこのダイニングで会ったことはほとんどない。二十年以上も舎村長をつとめるおばあさまはきわめて多忙だ。


「ただいま戻りました。おばあさま」


 ボクは、ていねいにお辞儀をした。指示があるまで、座席につくことはできない。おばあさまが食べ終わるまで待つのか、おばあさまといっしょに食事をしてよいのか、判断するのはおばあさまだ。


「座るがよい」

 ボクは、指示されたとおりの場所に座った。おばあさまの斜め前の席だった。

「体の調子はどうだ?」

「はい、ずいぶんよくなりました。ご心配をおかけして申し訳ございませんでした」

 ボクの前にも食事が運ばれた。おばあさまと同じメニューだ。

「いつもの頭痛がなかったと聞いたが」

「はい、そうです」


 ボクの情報は逐一祖母に伝えられている。

「今度の医師はどうであった?」

「はい、分け隔てをせず、患者を診るとの評判どおりでした」

 ボクはキュロスを診るアオミ先生を思い浮かべたが、おばあさまはそれには何も反応しなかった。

「あの者は世界的な脳外科医だ。これからも定期的にそなたを診てもらうことにした」


 ボクは驚いた。これまでも世界中から何人もの高名な医師を呼び、診察してもらった。あるいは、治療のためにキュロスを連れて世界をめぐった。けれど、おばあさまが、定期的な診断を決めたのは彼が初めてだ。

「しばらくここに滞在するとよい。何かしたいことはあるか?」

「ルナのことを少し知りたいと思います」


 おばあさまがはじめて目を上げた。

「いえ……来年、ルナ大祭典があるようなので……」と、ボクはあわてて言葉を足した。ウル教徒であるウル舎村長兼ウル自治国国主の直系でありながら、ルナに興味を持つなど、許されない失態だ。

ボクの狼狽をとがめることもなく、おばあさまは執事のクメをよび、何かを指示した。その後は、淡々と食事を口に運ぶ。ボクもしゃべらない。おばあさまはおしゃべりを嫌う。感情の高ぶりも避ける。つねに冷静で、つねに慎重だ。やがて、クメが戻ってきて、おばあさまになにかを伝えた。

 静かな食事が終わった。おばあさまは立ち上がり、ボクに言った。

「何かあれば、クメに相談せよ」


 部屋に戻ると、デスクの上に数点の古書と一つの桐箱が置かれていた。ドアをノックする音がした。執事クメが入ってくる。

「国主さまの指示で、ルナに関わる古書をお運びしました。こちらの本もあったほうがよろしいかと存じまして、お持ちいたしました」

 ボクの怪訝そうな目に、執事クメは愛想も浮かべず答えた。頭は禿げ上がり、数本の毛が頭頂を横切っている。やせぎすの背が高いこの男は、ボクが生まれる前からこの城を差配している。

「舎村の幹部養成に使われているテキストです。舎村幹部は大学段階ですべてこれを学びます。若君にもその時点でお渡しする予定でしたが、若君であれば、いまでも十分内容をご理解いただけると存じます」


 ボクはそれを手にした。かなり分厚いものが数冊。各分野がそろっている。

「まずはこのテキストを通読なさってから、そちらの古書をお読みになったほうがよろしいでしょう。どちらも舎村以外には持ち出し禁止ですので、アカデメイア図書館には入っておりません」

「へええ、そうなんだ」

 パラパラとめくってみる。薬草術や医術、占星術、錬金術など。

「すいぶんアナクロな気がするけど……」

 クメは目を細めた。

「お読みになれば、おわかりになります。なお、ご主人さまが指示なさった古書ですが、それらはすべてこの家にしか伝わらぬ一点限りの手書きの貴重書です。どうぞくれぐれもお取り扱いにはご留意くださいませ」 


 ボクは目を見開いて、桐箱を見た。

「すごいものがあるんだね」

「ええ、それはもう。なにせ、舎村は二千年近くの歴史をもつ村。このおうちは、ウル皇帝家第一柱の直系であり、代々舎村長をつとめられたお家柄でございます。古代学に関しましては、アカデメイアや天月の比ではございません」

「じゃあ、アカデメイアや天月と協力すればいいのに」

 執事クメが、片方の唇の端をわずかにあげた。

「どうぞ、そのテキストをお読みくださいまし。舎村とアカデメイアや天月との関係もよくおわかりになると存じます」

 ボクはテキストの一冊を手に取った。

「兄さんもこれを読んだの?」

「リョウ坊ちゃま? まさか、リョウ坊ちゃまはお体が不自由でいらっしゃいますので、とてもご本など……」

「でも、ぼくがこれらの本を読んでいいのなら、兄さんも同じだよね。だって、ぼくたち双子なんだもの」

 何を聞くのかと一瞬いぶかしげなまなざしを見せたが、すぐにいつもの表情に戻り、落ち着き払ってクメは答えた。

「はい。シュウ坊ちゃまとリョウ坊ちゃまは対等でございます」


 クメが出て行くや、ボクは桐箱を開けた。紫色の絹布に包まれたものがある。そっと包みをほどくと、古い書があらわれた。よほど上等な紙で、よほど上質な墨なのだろう。虫食いもなく、流麗な筆先が紙面を覆い尽くしている。そういえば、このアカデメイアは、もともと漢字文化圏に属していた。ボクは、はじめて目にする古文書の手触りを楽しみ、その香りにうっとりした。

 古文書に目をこらしたが、さっぱりわからない。まだ無理だ。読みこなすことはできない。ボクは書物を閉じ、元通りに戻そうとした。そのとき、木箱の底に一枚の紙を見つけた。


 奇妙な絵だった。墨だけで描かれた絵。三匹の小鬼がそれぞれ形の違うカエルの背に乗っている。川べりの草につかまっている者、木によじ登ろうとしている者、そして、その者と手をつないだまま木の枝から身をのりだし、草から落ちそうなカエルに必死で手をさしのべている者。向こうには、爛々とした目でカエルを狙う蛇が一匹。カエルの姿も小鬼の表情もじつにリアルで、躍動感にあふれていた。


■シュウとリョウ

「あの小鬼の絵はなになの?」

 翌日の遅い朝食のとき、シュウはクメに尋ねた。

「は? 小鬼の絵ですか?」

 クメが首をかしげた。果物を運んできたイミルさんと二人で顔を見合わせている。

「これが桐箱の底に入っていたんだけど」


 クメは絵を手に取り、しげしげと眺めてから、厳かに言った。

「これは、下絵でございますな」

「下絵?」

「はい、国主さまのお部屋に飾ってある額絵の下絵の一部にまちがいございません。もっとも、完成した額絵には、このようにみすぼらしい小鬼どもは描かれておりませんが」

「どうして、下絵が桐箱に?」

「たしかなことは申せませんが、……この桐箱をあつらえたご先祖さまは、四百年ほど前の方。そのお方は絵も字も非常に巧みで、手慰みにあの古書の一部を写して絵をほどこし、額絵や掛け軸になさったとのことでございます。この下絵は、そのときたまたま紛れ込んだのではないでしょうか。もちろん古書はみだりに人の目に触れてはならぬもの。ですから、額絵や掛け軸のほとんどは厳重に封印され、いま目にすることができるのは数点だけでございます」

「じゃ、これはどうしたらいいの?」

「お好きになさいませ。失礼ながら、ご先祖さまは名をなした画家ではございません。その方が捨て置かれた下絵になんの価値がありましょうや」


 リョウは上を向いていた。いつもと同じように、天井を見ていた。シュウは、リョウの頭のうしろに手を差し込み、ほんの少しだけ顔を自分のほうに向ける。

「兄さん。これ、どう?」

 シュウは、小鬼の墨絵をリョウの目の前に広げた。

「なんだか滑稽な絵だろ? この小鬼たちの表情がユーモラスで楽しいから、兄さんの気に入るんじゃないかと思ったんだ」

 リョウの目はそれを否定していない。

「よかった。やっぱり兄さんの気に入ると思ったよ。じゃあ、ここに飾っておくね」

「あ、それから、こっちは町の古書店で見かけたんだ。きれいな絵本だよ。これも置いておくね。今度、読んであげるよ」

 リョウはじっと墨絵を見ている。

「じゃあ。ボクは出かけるよ。ボクがいなくて退屈なときは、この絵を眺めてて」


■三匹の小鬼

 満月の光が窓から差し込む。

 月の光をあびながら、リョウは言葉にできない願いを抱き、棚の上に立てかけられた墨絵を眺めていた。一陣の雲が月を翳らせたのち、一筋のあざやかな銀色の光が、墨絵の上に落ちた。絵のなかの小鬼たちをなぞるように、銀の光がゆっくりゆっくり幅を広げていく。声がした。


「やれやれ、やっと出られた」

「いったい、どれほど長くいたんだろう」

「ここはどこなの?」

 リョウは目を丸くした。首は動かせないが、声の主は視界に入っている。何かが、墨絵の前で、飛んだり、跳ねたり。からだは半分透けている。シュウが見せてくれた絵のなかの小鬼たちのようだ。


「おい、食いものがあるぞ」

「なに、どこだ、どこだ?」

 三匹の小鬼たちは、机の上におかれたさくらんぼの周りに集まった。リョウは固形物を食べられないが、色鮮やかな果物には目を輝かせる。それに気づいたシュウは、いつもきれいな果物を持ってきて、リョウの枕元に置いていた。

「きれいな赤い色」

「うまいぞ」

「おいしいな」

 一人二個ずつ食べると満腹になったのか、小鬼たちはふたたび跳び跳ね始めた。


「やあやあ、今宵は満月」

「月がまあるい」

「この実のような朱い色だ」

 いつの間にか、月が緋色に変わっていた。

 一匹の小鬼が、シュウが残していった絵本に躓いた。絵本が開く。その絵を見て、虎フンドシの身体がのけぞった。


「ありゃりゃ。なんということぞ。こりゃ、〈聖王の森〉じゃないか」

「なになに?」

「ほんに、ほんに。おれたちのふるさとだ」

「ああ、帰りたや、〈聖王の森〉に帰りたや」

「仲間は生きているだろか?」

「お宝を無事守っているだろか?」

 小鬼たちはさめざめと泣き始めた。


 満月がふたたび緋色から銀色に替わり、白い光が部屋に満ちた。

「あれ?」

「あり?」

「あらら?」

 三人の小鬼たちが、かわるがわるリョウを見る。リョウには何もできない。

「おまえはだれだ?」


 リョウは心のなかでつぶやく。

(リョウ)

「リョウだとさ」

「どうしてここにいる?」

(ボクのイエ……ボクのヘヤだ)

「おまえの家だって?」

「じゃあ、おまえはおれたちの話を聞いていたのか?」

(ウン)

「うわわわ。まずいぞ、まずいぞ。〈聖王の森〉のことが知られちまった」

「お宝なんて、どこにもないぞ」

「〈聖王の森〉にはなにもないぞ」

(ウン、わかったよ。〈セイオーのモリ〉なんてところはないし、おタカラもない)

「よかった、よかった」


「だが、不思議だな」

「そうだ、不思議だ」

「なぜ、おまえにはおれたちが見える?」

「なぜ、おれたちの声が聞こえる?」

「どうして、ことばがわかる?」

(ボクにもわからない。どうしてなの? オシエテ)

「うーむ」

「うーむ」

「うーむ」

 三匹の小鬼たちは、角を突き合わせて考え込んでしまった。


「おまえは話せるか?」

(ううん)

「おまえは動けるか?」

(ううん)

「おまえはもうすぐ死ぬのか?」

(そうかもしれない)

 三匹は手をたたきあった。

「話せない者にしかおれたちの声は聞こえない」

「動けない者にしかおれたちの姿は見えない」

「死にいく者にしかおれたちのことばはわからない」

(そうだったんだね。ボクはもうすぐシヌんだ……)


■リョウの変身

 月が巡り、再び満月になった。月明かりがリョウの部屋にも差し込む。

 小鬼たちは満月の夜になると、とくにはしゃぐ。リョウにしか聞こえない歌に酔い、リョウにしか見えない踊りに興じ、リョウにしか触れられない体の汗を拭く。


 突然、リョウの身体に奇妙な痺れが走った。痛みはない。それは十分にも及んだのか、ほんの一瞬だったのか。……わからない。

 背が浮き、足が生え、手が伸びる感覚。ベッドにかかった羽毛布団が上下したのに驚いた小鬼たちが踊りをやめ、リョウの枕元に駆けつけた。

「どうした?」

「痛いのかい?」

「つらいのかい?」


――うううううう。


 声にならない声がリョウの腹からしぼり出る。青フンドシが布団をめくった。

「うわああ」

「ひええええ」

「きゃあああ」

 のけぞりながら、三方に散らばった小鬼たちの真ん中に薄茶色の小さな毛玉がうずくまっていた。短めの産毛が月の光にキラキラ輝く。一足、二足、青フンドシがそろりそろりと近寄った。

「おい!」と声をかけると、毛玉が目を開けた。


「うわっ」

「ぎょえっ」

「ほう」

 青・赤・トラの順に叫ぶ。

 小さな毛の塊りは、首を挙げた。小鬼たちが首をかしげた。

「これって……ネズミ?」

「イヌじゃねえわな」

「ネコ? トラネコ?」

 青と赤が兄トラを見て、トラネコを見た。

「トラネコだって? かわいいな」

「かわいいぞ」

 小鬼たちの声がしだいに高くなり、歓喜の声に変わっていく。


 リョウは面食らっていた。

――首が動く。手も動く。足も動く。目のなかにあるのは、亜麻茶色のトラネコの手、いや、足?


「ほら、立ち上がって」

「右足を出すんだ」

「次は、左足」

 そろり、そろり。小鬼の言葉にしたがって足を動かすと背が立った。

「さあ、飛び降りて」

「下に降りるんだ」

「勇気を出して」

 小鬼たちが手本を示す。同じように前足をそろえて、腰を引き、後ろ足で思い切りベッドを蹴った。

 体が宙を飛んだ。


――ストン、ドテッ、コロン。

 着地は失敗。弾みをつけすぎたのか、もんどりうってひっくり返ってしまった。だが、ケガはない。

笑った。

――フニャアア。

 声が出る。

――フガッ。

 声の大きさも高さも思いのまま。

――ニャオ、ニャオオオオ……。


 あわてて、虎フンドシがリョウの口をふさいだ。

「遠吠えしちゃダメだ。妙なものが寄ってくる」

 見ると、赤い目や黄色い目がたくさん見える。リョウはきまり悪そうに頷いた。

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