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Ⅺー2 レオンの秘密

■レオンの異能――殺救音律掌拳術

 カイは、ミライに尋ねた。

「レオンさんは、未来の〈銀麗月〉とまで期待されていたと言いましたね」

「はい」

「〈銀麗月〉になるには、努力だけではダメです。ある特別な力に恵まれ、それをコントロールする力も持たねばなりません。レオンさんには、なにか異能の力があったのではないですか?」

 ミライは青くなった。おそらく固く口留めされてきたのだろう。ミライが絶対服従する命令を下すとすれば、天月の最高指導者である当時の宗主しかおるまい。その宗主はすでに亡くなっている。


「宗主が口止めしたのですね? それが知られたら、レオンさんの命が危ういとおっしゃったのではないですか?」

 ミライはしばらく震えていたが、やがて観念したようにつぶやいた。天月の者にとって〈銀麗月〉の言葉は非常に重い。宗主ですら、それを無視できないほどだ。

「……さようです」

「では、あなたが目撃した異能とは?」

 ミライはレオンの顔を見た。レオンは静かに頷いた。どんな運命であろうと背負わねばならぬのなら、知っておいた方が良い。


「レオンさまが八歳のときでした。すでにどの楽器も極めておられましたが、さきほど申し上げたように、お気に入りはピアノでございました。その日もピアノに向かっていたのですが、普段からレオンさまを気にいらない上級生たちが徒党を組んでやってきたのです。レオンさまは彼らを相手にせず、いつも避けていました。本気で戦えば、かれらなど造作もなくやっつけられるからです。

 ところが、その日の彼らは非常にしつこく、レオンさまが大事にしているピアノをわざと汚し、傷つけたのです。レオンさまは、右手でいきなりピアノの音を響かせました。そうすると、子どもたちはみな泡を吹いて倒れたのです。あわてたレオンさまは、今度は左手でやさしめの音を響かせました。子どもたちが起き上がり、そのまま何事もなかったように去っていったのです」


 カイがうなった。

「……殺救音律掌拳術」

 だれも知らない言葉に、一同がぽかんとする。


 カイはしばらく考えをめぐらせていたようであったが、決心したように口を開いた。

「禁術の一つです。初代〈銀麗月〉だけがこの異能を持っていたと伝わります。それほど稀で、それほど殺傷力の高い異能です。宗主は、まだ八歳の子がそのような異能を発揮したことに驚いたのでしょう。異能は十分に他の学識と技能を身に着けてから徐々に発現させるべきものとされています。弱い魂は、異能に支配されるからです」


 カイはミライに問いかけた。

「宗主は、直接レオンさんをご指導するようになったのではないですか?」

「その通りです。週に二度、わたしが秘密の鍛錬場にレオンさまをお連れしました。宗主さまからは、異能のことは天月内でも秘密にせよと命じられました。いつかレオンさまの異能を知った者がレオンさまを利用するやもしれぬとも言われました」


 当時を思い出したのか、ミライの表情が翳った。

「レオンさまにとって、宗主さまのご指導は楽しいものではなかったようです。口ではおっしゃいませんでしたが、鍛錬場に行くのを嫌がっていたことはわたしにはわかりました。その分よけいにピアノに逃げ場を見出していたように思います。ただ、その後は一度も異能が発揮されることはなく、レオンさまのピアノの腕前はますます上達して、天月の多くの者がその音色に聞きほれました。レオンさまのピアノは心の底から響くような音色で、天月の自然の音や、あふれる光、生き物の営みを調べに載せているようでした。他の天月のどなたに聞いても知らない曲だとおっしゃっていましたので、おそらくはレオンさまが自らおつくりになった曲だろうと思います。それが毎日違う曲なのです。ピアノを弾くレオンさまはほんとうに幸せそうでございました」

 

 彪吾が驚愕した。毎日、新しい曲を作るなど、ありえない神業だ。しかし、あの〈十歳のレオン〉ならばあり得る。そこまでの才に恵まれたレオンが、音楽をやめたなんて。

 レオンは自分の両手を見た。

「わたしはここに戻ってきてから一度もピアノなど弾いていません……」

 彪吾がたまらずレオンの手をつかみ、カイたちに訴えた。

「レオンの右手はすべての指が折られている。おそらく、二度とピアノが弾けないように……」

 ミライもカイもカムイも、そしてレオン自身も驚いた。そして、レオンがつぶやいた。

「だとすれば、おそらくはそれもわたしが自分でしたことでしょう。……二度とその恐ろしい術を使えないように」

 十歳の子が、見知らぬ追っ手に追われながら、自分の生きがいであり、自分の武器ともなる右手の指をすべて砕くなど。……どれほど苛酷な運命だろう。だれもが言葉を失った。彪吾は、人目をはばからず、レオンに抱きついて、肩を震わせた。


 それを見て、涙を拭きながら、ミライが続けた。

「あるとき、レオンさまが、そっと教えてくださったことがあります。『いま、天月に伝わる神話を音楽にしているんだ』――そうおっしゃって、楽譜を見せてくださったのです。ルナ神話は西洋音階では表現できないとレオンさまはよくおっしゃっていました。その意味で、レオンさまはピアノの調律をご自身でなさっていたのですが、譜面にもその微妙な音階を反映なさっていたのかもしれません。音楽に多少の知識があるわたしにもその譜面は読めませんでした。五線紙ではなく、天月古譜のような縦書きの譜面だったからです。楽譜はもう百曲以上にものぼり、レオンさまがご自室にきちんと保管なさっていたのですが、事故のあと行方知れずになってしまいました。いったいだれが盗み出したのか。……レオンさまの生きた証が失われたようで、わたしは必死で行方を捜したのですが、見つかりませんでした」


 彪吾が口を出した。

「レオンの曲? もしかして、ボクがもらった曲のこと?」

「さようです。レオンさまの指示で秘かに録音を残していたのです。天月の関係者に渡せば、譜面と同じように、二度と行方がわからなくなるのではないかと思いました。それに、おそらくレオンさまなら、彪吾さまにお渡しすることを一番喜ばれると考えました」

 カイの表情が次第に青ざめていった。


――神話の曲譜……。

 神話は、本来は音曲や舞を加え、口承で伝えられたものだ。文字に書き起こされた時点で、音曲からも舞からも切り離される。〈十歳のレオン〉は、無意識にそれを再び統合しようとしたのだろう。しかも、音階まで自分で調整して。なんという才、なんという力だ。レオンの異能は、おそらく「殺救音律掌拳術」にとどまるどころではなかったのだろう。宗主はそれに気づいて、レオンの早熟さを必死で抑えようとしたに違いない。

 しかし、謎がまた増えた。彪吾は、レオンの曲を受け取り、それにふたたびいのちを吹き込むことができた。彪吾だったからできたことだ。だが、人によっては、レオンの曲譜を悪用することも不可能ではない。曲譜の存在を知り、盗んだ者が、レオンの曲譜を読み解けたとして、レオンや彪吾並みの弾き手がいたら、どうなる?


――神曲だ。

 聴衆を癒すことも、沈黙させることもできるが、扇動し、暴動に駆り立てることすらできる。神曲は、衆生を救う力にもなるが、同時に、非常に危険なものにもなる。

 カイがレオンの方に目をやると、彪吾がレオンの腕の中で強い目をしてカイを見ていた。彪吾もまた天才音楽家だ。自分が受け取ったレオンの曲の意味に気づいたに違いない。そして、カイが考えたのと同じことを考えたのだろう。彪吾の目は、レオンをもはや決して喪うまいという強い決意の目だった。


 いくつかのことがわかったが、肝心なことが不明だ。

 十歳から十八歳まで、レオンはどこにいたのか? レオンの輝くような美貌はどこにいても目立つ。本人が記憶を失っていても、かならずうわさになるはずだ。しかし、天月にもまったくうわさは届かなかった。それに十八歳のとき、レオンはなぜ突然あらわれたのか? さらにまた、レオンの姉はどこでどうしているのか?


 再び見ると、彪吾はまだレオンに抱きついたままだった。レオンは穏やかなまなざしを彪吾に落とし、左手でやさしく彪吾を抱いている。ミライはじつにうれしそうに二人を見守り、カムイはゲッという顔で引き気味だ。ミライの話から察するに、レオンと彪吾には二十年余りにわたる強い絆があるようだ。彪吾を守るためならレオンは何でもするだろう。彪吾も同じだ。


 レオンの異能を利用しようとした者。――単なるテロリストのはずはない。その者が、あるいはその者たちが、八年間レオンを隠して、レオンを利用していたのだろうか? それともまったく別の者か? 楽曲を盗んだ者とそれは同じか、別か? レオンにとっての真の脅威は、天月なのか? とすれば、いったいだれだ?


■カトマールの姉と弟

「カトマールの天月士から、情報が届きました」

 カイは、分厚いリストをレオンに渡した。

「三十年前のクーデターのときに処刑された者の記録です。レオンさんご姉弟と似た年齢の子どもをもつ家族はありませんでした。ただ、この夫婦の顔写真をご覧ください」


 レオンは震える手で、カイが指し示した資料を受け取った。カトマール帝国大学総長タキールとその妻レアの写真であった。二人の間の子はすべて成人している。タキールはクーデター首謀者とされる。歴史学者であった。妻はルナ研究者であり、彼女もまたカトマール帝国大学の教授であった。二人とも温厚で知られ、人望が厚かった。レオンの顔立ちは、レアにやや似ている。

「わたしの親族かもしれない。……そういうことでしょうか?」

「その可能性があります。こちらの写真をご覧ください」


 渡された写真は古びた新聞記事に掲載されていた。

「革命によって廃位・処刑されたカトマール皇帝一家の写真です。偶像化を避けるために、皇帝家に関する資料はいっさい焼き払われ、肖像画も写真も残っていません。唯一、処刑を伝える外国新聞の記事に写真が掲載されていました」

 皇帝は美しい女性だった。隣の夫君は、穏やかな笑みで幼子を抱えている。一人は皇子だろう。まだおくるみに包まれている。そのそばに十歳くらいの皇女がたたずんでおり、皇帝はその子の肩を抱いていた。皇帝はレアに似ている。


「こちらもご覧ください」

 カイはもう一つ別の旧い写真を示した。

「五十年ほど前にカトマールのファウン皇帝が天月を非公式に訪問なさったときの写真です。写真は公表されておりません」

 皇帝は三十歳くらいか? 非常に美しい女性だった。レオンと面差しがよく似ている。

「ま……まさか?」

「可能性はゼロとは言えません。レアは、ファウン皇帝と母方の従姉妹にあたり、皇帝アリアの夫君の母です。皇帝一家は、幼い皇女と皇子を逃げのびさせ、侍従が身代わりの者を道連れに自害して、二人を守った可能性があります」

「……」

「そのうえ、あの水晶が入った袋のルナ模様は皇帝家だけが使うことができたようです」


「……わたしがカトマールの皇子だと?」

「ええ、そのように推論すると、多くのつじつまがあうのです。幼い姉上がなぜあなたを残して一人去ったのか? 二人が一緒にいては目立ち、あなたが危険になるからです。カムイによると、レアの一族は、代々ルナ神に仕える由緒ある香華族(こうげぞく)の名門で、カトマール帝国では非常に有名な一族だったそうです。いくつかの異能についての言い伝えも残されています。その一つに「死と再生の力」があります」

「殺救音律掌拳術は、その一つだと言うのですか?」

「可能性はあります」

「そうですか……」

「皇女の名はリリアンヌ十世、皇室での呼び名はリリア、皇子の名はレオンハルト十五世、呼び名はレオンだったそうです。いずれもルナ神話に由来する名であり、それ自体は稀な名ではありません。しかし、特にカトマール皇室では名は神話に由来する先祖の魂を継ぐものとして非常に重んじられていたそうです。幼い皇子に本名を捨てさせ、偽名を使うという選択肢はなかったのでしょう」

「……」

「今度のルナ大祭典は、カトマールが文化国家としての再生をアピールする機会と位置付けられています。王政復古はありえませんが、長い帝国の歴史を否定せず、その文化遺産を再評価することが組み込まれています。ご承知だと思いますが、あのクーデターも再検証が進められており、実際には軍部独裁政権による反対勢力の一掃をねらった冤罪であったとの証拠が出そろったとのことです。皇帝も平和裡の帝政放棄を考えていたことがわかっています。しかし一方で、帝国の復興を旗頭に掲げる集団もいますし、軍部の復活を狙って傀儡(かいらい)皇帝をかつぎだそうとする集団もいるようです。あなたの真の身分がわかれば、あなたは非常に危うい立場に置かれるでしょう」


 自分が危険になれば、彪吾にも危険が及ぶ。いまさら彪吾を突き放しても、彼は納得せず、後先考えずに暴走して、むしろいっそう危ない。レオンは口を閉ざして考え込んだ。そして何かを決意したようにカイに頼んだ。

「カトマール皇帝家との関わりはいっさい秘密にしていただけませんか? あなたの胸だけに収めてください」

 レオンの目は強い光を帯びていた。カイは頷いた。

「承知しました」

「わたしのルーツをめぐって、これから多くのひとを危険に巻き込むかもしれません……」

「九鬼教授のことをご心配なのですね」

 レオンは頷いた。

「彼は世事に疎く、非常に純粋で、子どものように無垢です。わたしを思うあまり、無茶をしかねません」

「わかりました。すでに天月の密偵を貼り付けて、ひそかに身辺警護をさせています。ただ、個人的意見ですが、あなたがそばにいる方が彼は安全だと思います。見えない敵がだれであれ、九鬼教授があなたの最大の弱みであることはすぐに把握されてしまうでしょう。あなたを探して家の外にでた彼を拉致したり、脅したりするのは簡単です。カトマール皇帝家との関わりは、あなたがラウ伯爵の遠縁である限り、だれも疑いようがありません。お二人は、あくまでルナ大祭典の二大責任者として行動を共にしたほうがよいのではないでしょうか?」


 レオンはしばし考えた。

「……たしかにその通りです。表向きはラウ伯爵の遠縁のレオンであり続けた方がよさそうです」

「それと……あなたがたびたびここに来るのは不自然です。特に副館長は気を付けた方が良いでしょう。われわれの連絡係としてこのカムイを使いましょう。カムイは天月カラスであり、自在にカラスと人間の姿を使い分けます」

 カムイが小さくお辞儀をし、レオンがそれに応えた。

「ありがたい」


 カイは、カムイにいくつかの準備をするよう命じた。カムイが出ていくと、カイはレオンの手を取った。思念交換術が発動された。

(香華族の直系であられるあなたのお耳には入れていた方がよいかもしれません)

(何でしょう?)

(あなたのほかにも異能者がいるのです)

(天月の者ですか?)

(違います。日本の九尾の狐とミグルの黒豹です)

(それはまた……)

(二人はいま「時のはざま」にとらわれており、抜け出せなくなっています。このままでは現世の記憶を失ってしまいます)

 カイは、湖の神殿の話をした。


(では、わたしには何ができると?)

(あなたは、皇帝家というよりも、香華族の血を色濃く受け継いでおられるようです。その一族に伝わるルナ神話の中に「閉ざされた園」の話があります。こちらの書物です。その物語を解釈して、「時のはざま」から二人を救い出す方法がないか、考えていただきたいのです)

(わかりました。リトくんのおばあさんと、ルルさん、つまりオロくんの叔母にあたる方のことですね)

 カイは感嘆した。

(すでにお察しだったとは、……さすがです)

(秘書の務めです。確証がなかったので、ラウ伯爵にはまだ伝えておりませんが、伯爵はいくつか感づいているようです。とくにルルさんがオロくんであることははなからご承知でした)

(ラウ伯爵も相当の人物なのですね……)

(伯爵自身は異能者ではないのですが、異能者のサインに気づくなんらかのアンテナをもっているようです。……ただ、あのリクさんについてだけは、伯爵もわたしも理由がわかりません)

(あくまで推測ですが、あの子は何らかの力を強い呪力で封印されているようです。表情がないのもそのせいでしょう。ただ、風子さんだけが彼女の力を無意識に察知しているようです)

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