Ⅰー4 エピローグ――満月が消えた夜:リト日記(1)
■消えた満月
――あの夜も満月が消えた。
空気が澄む山村だったからなのか。赤銅色にくすぶる月は、すこぶる幻想的だった。あのときほど美しい月蝕を見たことはない。
十歳を迎えたばかりの春の夕暮れ。
父さんと訪ねた四国の山奥にある古い大きな家には、何人もがあわただしく出入りしていた。父さんとオレは、老女によって離れの客間に通された。老女が父さんに何かを伝えていた。
オレは供された夕食にげんなりした。野菜ばかりだ。それでも口にするとおいしかった。特にタケノコ。こんなに甘く、柔らかいなんて。おなかがいっぱいになって、オレはいつの間にか寝てしまったらしい。
目が覚めた。外は暗い。父さんの姿はなかった。厠は外廊下の端にある。ばあちゃんの家と同じだ。いつものように、ちょっと足が震えた。ただ、満月が煌々と庭を照らし、怖い暗闇はほとんどない。
見とれていると、月が陰り始めた。
ばあちゃんの声を思い出す。
――忌むと言ひて 影に当らぬ 今宵しも 破れて月見る 名や立ちぬらん。
幼いオレの頭をなでて、ばあちゃんは続けた。
「西行という昔の歌人の歌じゃ。世間の人々は月蝕を不吉だとゆうて、光にも当たらんようにしとるが、そんな月だからなおさら見たいという意味じゃ。今では月蝕は天空ショーになっとるが、昔は月蝕を見届けようとすると奇人変人と噂されたらしい」
再び目覚めると、母屋のほうが騒がしい。
廊下を伝って母屋に行くと、座敷に布団が敷かれて、周囲を何人もの人が取り囲んでいた。父さんもいた。異様な光景に足がすくんだ。逃げ出すように、元の離れに戻る途中、小さな女の子を見かけた。
白いものを抱いている。目を赤く腫らした老女がその子の肩に手をかけて、母屋の方に誘っていた。
ふと、女の子がこちらを向いた。おかっぱ頭のかわいらしい幼女だった。
前日の夜、この屋敷の当主であり、父の聞き取り相手であった稲子が突然倒れて息を引き取ったという。通夜の準備に追われる夜半、幼女の姿が見えなくなり、村人総出で探していたと後で聞いた。
明け方ようやく見つかった五歳の幼女は、たった一人の跡継ぎとして由緒ある都築家の当主となった。
――それが風子だ。
■蔵
葬儀を終えたあと、イチさんという老女が主人の遺言だと言って、蔵を開けてくれた。曾祖母の死をまだ理解していない風子が真っ先に蔵に入り、父さんが続いた。
その子がオレにも手招きし、蔵に入るよう促した。
ばあちゃんの家にはたくさんの蔵があるが、この家の蔵は二つしかない。
その一つに入ったが、蔵自体はとても立派だった。かび臭くはなく、ほこり臭くもなかった。女の子は慣れたように蔵の中を歩き回り、一つの櫃を指さした。
中は、古文書の山だった。父は全てを写真に収めるのに夢中になった。
オレは奥に掲げられている少女の絵に釘付けになった。目の前に居る少女とうり二つだったからだ。
イチさんが言った。
「先代当主の双子の姉さまです。五歳の時、森に行ったきり、戻ってこんかったですけん。あの森には深い池があるそうで、その池の霊に引きずりこまれたんじゃろうと言われとります」
オレはブルッと寒気を覚えた。
絵の中の幼い女の子の黒目がちの瞳が、一瞬強くオレを睨んだ気がした。
一歩下がったオレの足にフワフワと何かが触れた。見ると、白い子犬がオレの足にじゃれついていた。
――うわあああ!
それから先のことは覚えていない。
気がつくと布団に寝かされていた。……イヌは苦手だ。