Ⅹー2 新たな指令
■月神殿
ラウ伯爵はレオンを呼び出した。カトマールのルナ大神殿遺跡そばに建設中の劇場の件だった。
ラウは、レオンに図面を見せた。建設責任者も同席し、詳細を説明する。
この大劇場の建設には、カトマール政府の補助金が多少あるとはいえ、ほとんどがラウ財団の出資だ。建設後には、無償でカトマール共和国に寄贈される。ただし、劇場の運営にはラウ財団傘下の専門企業が関与する。立地上、大劇場は、この先、カトマール共和国の文化拠点になるとともに、外貨獲得のための一大観光拠点になると見込まれている。二十年にわたる軍事政権を打倒して、平和で豊かな文化国家作りを目指すカトマール政府の期待は大きかった。
大劇場の建設が順調に進んでいるため、ラウは新たに、大劇場のそばに古代ローマ風の野外劇場も建設することを提案した。すべてラウ財団が出資し、これもまた大祭典後にカトマール政府に無償提供するとの条件を提示した。カトマール政府は大乗り気だ。
担当者を下がらせた後、ラウはレオンの意見を求めた。
レオンはしばし沈黙して、図面を凝視した。
――大劇場の場所は問題ない。
五年前からルナ神殿遺跡調査を十分に行い、遺跡がないことを確認した上で、遺跡や街の中心部とのアクセス等を考慮して選定した。場所の選定はレオン自身が行った。そのためにレオンは丸三年をかけてカトマール共和国の全土を隈なく回り、国民の生業や人口動態、経済的ニーズや民族配置、教育水準、そして古くからの街道などを独自に調べ上げた。これは「レオン・マップ」と呼ばれ、カトマールの文化国家作りの基礎データとして重宝がられている。
大劇場にはルナ博物館も併設される予定だ。ルナ遺跡から発掘された多数の遺物とともに、かつてカトマール皇室が収集保存していた宝物も展示されることになっている。伝統ある旧カトマール帝国大学の大学博物館の所蔵物はクーデター弾圧の名目で多くが破壊されたが、残存するいくつかの重要資料も展示予定だ。かつて、この大学博物館は、カトマール帝国領内にあるウル帝国時代の文物の収集保存に優れ、アカデメイアにもない貴重な資料をいくつも保管していた。
レオンの素案をもとに、カトマール政府は道路と電車路線を開発し、幹線には高速鉄道と高速道路も建設中だ。「国内産業の促進」との方針にもとづき、生活に密着したインフラ開発には地元密着型の国内企業が優先的に配置された。人々の雇用も確保された。一方、鉄道沿線には観光目当てのホテルやレストラン等が大量に出店されつつある。ラウ財団傘下の超高級ホテルもすでに着工済みで、ルナ大祭典までにオープンする。ただし、環境破壊と地域経済の崩壊を避けるために、出店規制が厳しく、乱開発は禁止されている。この種の制度設計はすべて第二副大統領シャオ・レンが担当した。
カトマール政府にとってもラウ財団にとっても、大劇場の立地選定は大成功で、ラウがレオンの手腕を改めて認識した事業だった。レオンはこの事業で、シャオ・レン副大統領をはじめ、カトマール政府の多くの要人と知り合いになった。
しかし、野外劇場の建設にはレオンが口を閉ざしてしまった。レオンをミュージカル担当にあてざるを得なかったため、別の秘書を担当に据え、事実上、ラウが取り仕切った。レオンのことだ。そのことを十分承知しているに違いない。
「どうだ?」
ラウはレオンに発言を促した。レオンは慎重に言葉を選んだ。
「野外劇場の併設には十分な効果が見込めます。しかし、この場所には問題があるのではないでしょうか?」
ラウは目を光らせた。
「なぜだ?」
「以前の報告書にも記載いたしましたが、この場所はリスクが高すぎます」
「ほう……」
「ルナの月神殿の遺跡がある可能性があります」
「ふむ。続けて」
「ある研究者がこの付近に月神殿があったと推測しています。遺跡調査をして何らかの遺跡が出土した場合、工事は中断され、やり直しとなって、莫大な損失が出ます。これまでの交渉を見る限り、カトマール政府はすべてこちらに費用を押しつけてくるでしょう」
ラウは興味深そうにレオンを見た。
レオンは理解した。ラウはレオンの報告書をふまえて、すべてを承知の上で、あえてこの場所を選定させたのだ。
「ご承知だったのですね?」
ラウは片眉を上げて、レオンに言った。
「こうでもしなければ、カトマール政府は遺跡発掘を許可しないからね。いくらやりたくとも、予算が乏しい国だ」
「では、伯爵もここに月神殿があるとお考えなのですか?」
「まあ……賭けだな。月神殿が出れば、損失は大きいが、かけた費用以上の価値は十分ある。なにしろ「世紀の大発見」だ。それ以上の宣伝効果はないだろう? 出なければ予定通りで、それも結果的にはさして損にはならない」
レオンは頷いた。そこまでラウ伯爵が覚悟しているのであれば、口を挟む余地はない。
「問題はここからだ。調査で月神殿の遺跡が必ず出るように立地を決める必要がある。それをキミに任せたい。ミュージカルの目処が早くついて良かったよ。これをキミ以外に任せるのはどうも不安だったからね」
レオンに拒否の選択肢はない。ラウの命令は絶対だ。
「わかりました。この日曜日にカトマールに参ります」
遺跡が必ず出る場所を選び、遺跡をいささかも傷つけずに発掘調査に移り、それを織り込み済みで遺跡との良好なアクセスを確保できる場所に野外劇場を建設できるように手配しなければならない。大劇場ほどの建設期間はいらないとしても、準備が遅れると完成が間に合わない。
(これは、なかなか厳しい……)
珍しく眉根を寄せて思案顔のレオンに、ラウはさらにこう告げた。
「ルナ大祭典が終わったら、キミのことを公表するつもりだ」
レオンが怪訝そうにラウを見た。
「わたしの何を公表なさるのでしょうか?」
ラウはゆったりとしたソファに腰をかけ、レオンにも座るよう促した。
「キミを正式にわたしの後継者にする」
レオンが眉を曇らせた。
「いえ……それはおやめください」
「なぜだ?」
「……わたしにはその資格はありません」
レオンは冷静なまなざしでラウを見た。ラウもまたレオンをじっと見つめた。
「どうしてだ? キミは、ただ一人わたしが信頼する親族だ」
「伯爵のご信頼には感謝しております」
「ならば、問題ないではないか?」
レオンの沈黙に畳みかけるようにラウは言い放った。
「ゆくゆくは、キミがわたしの弟であることも公表するつもりだ」
レオンは口を開かない。ラウはレオンの目をのぞき込むように告げた。
「じつは、キミはわたしの遠縁ではない。異母弟なのだ。父が愛した女性の息子だ」
■秘密
しばらく沈黙してから、レオンは心を決めたように、ラウに向き合った。
「わたしは、伯爵の弟君どころか、伯爵の遠縁ですらもありません。たまたま伯爵に拾われ、さまざまな機会をいただいただけの人間にすぎません。そのような人間を厚遇なさってはいけません」
ラウはレオンから視線を外し、苦笑いした。
「なぜ、そんなことを言う? 記憶が戻ったのか?」
「いいえ。……記憶はいまなお戻っておりません」
「……ならば、なぜ、わたしの願いを拒むのか? 理由は何だ?」
「ご自宅の書斎に飾られている絵です」
ミン王国にある本宅のラウの書斎には、ラウの乳母パドアとレオンだけが入ることが許された。
「あの絵の幼い子が本当のレオンさまではないですか?」
「……そう思う理由は?」
「レオンさまの母君がお住まいになっていた場所は、古くからの伯爵家のご領地。〈伯爵の森〉をはじめとして、豊かな自然が残され、映画の背景となる景色にはもってこいでした。毎年、お墓には詣でておりましたが、特にルナ映画作りの頃に、わたしは何度かその村に出向き、何枚も写真を撮りました。そのとき、偶然にあの絵の背景となっている場所を見つけたのです」
「……」
「お父君のお気に入りの場所だったと思われます。絵が描かれた年から考えれば、あの絵の幼子はレオンさまとしか考えられません。髪の色も目の色もわたしと同じですが、耳の形が違います」
「……」
「単なる遠縁の子どもとも思えませんでした。ですが、今のお話でわかったのです。あの子は伯爵の弟君だったのですね」
ラウはソファに座ったまま、足を組み替えた。そして、ゆっくりレオンを見つめた。
「たしかに、あれは弟のレオンだ。だが、だれもあれが弟を描いたものだとは知らない。弟の存在は徹底的に隠されていたからね」
ラウはほうっとため息をついた。
「わたしがあの絵を残した理由はわかるか?」
「優れた絵です」と、レオンは即答した。
「そうだ。あの絵は、父が描いた絵の中でもっとも優れている。……なぜだと思う?」
「描き手の慈愛があふれております」
「ふむ。だからキミは気づいたのか。……父は弟をこよなく愛した。わたしのことを愛さなかったにもかかわらず……」
レオンは首を振った。
「いいえ、そうではありません。わたしが気づいたのは、伯爵のお姿からです。伯爵があの絵をご覧になるときのまなざしはいつも愛しさに満ちておりました。なぜかはわからなかったのですが、弟君とうかがって、腑に落ちた次第です」
ラウはいったんレオンから目を離し、しばらく考えてからおもむろに口を開いた。
「あの絵がレオンを描いたものだと気づいたのは、映画作りの頃だと言ったな?」
「さようです。隠して申し訳ございませんでした」
その頃からすでに七年近くたっている。レオンは、ラウの遠縁ではないと気づいた上で、ラウのために尽くしてくれたのだ。
「いや、いい。隠したのはわたしのほうだ。わたしには、たしかにレオンという名の弟がいた。腹違いの弟は、キミを拾った日に息を引き取った。無念に散った弟の代わりに、キミをレオンとして傍に置こう。そう思ったのだ。キミは何かに追われていて、キミが生きていることがわかれば、再び命を狙われるかもしれないと考えたからだ。キミが失った二十年近い記憶の中にも、おそらくキミの命に関わる事実が含まれているはずだ」
レオンは静かに頷いた。
「わたしもそう思います。伯爵に保護していただかなければ、この命はありませんでした」
「キミと弟の人生を取り替えたことを示す証拠はぜったい出ないように手をまわしている。父の絵もすべて処分した。あの一枚を除いては。……父の形見をすべて処分することはどうしてもできなかったからね」
「よくわかります」
ラウは、指を組み、遠くを見るようなまなざしに変わった。
「わたしは弟を恨み、妬み、でも、愛した。だから、弟を失ったことに耐えられなかった。いまもしキミを失ったら、わたしは弟を二度失うことになる。それは断じてできない」
決然とした調子で、ラウはレオンに向き直った。
「キミはわたしの弟だ。それをルナ大祭典後に正式に公表するつもりだ。これは決定事項だ。弟もそれを望んでいるはずだ。母上も全てを承知の上で同意している」
レオンは困ったように眉を寄せた。
「お待ちいただくわけにはいきませんか? 世間を欺くといつかその報いを受けます。わたしだけならかまいません。しかし、伯爵に傷が付けば、わたしは申し開きができません」
ラウはめずらしく気色ばんだ。
「そうなれば、キミを正式に養子にすれば済むことだ。法的には何の問題もない。わたしの決定に異を唱える者などだれもいない」
「ですが……」
レオンの表情が困惑に満ちた。
「急ぐのだ! キミを天月などに奪われてたまるか!」
■天月の少年
「は……天月?」
聡明なレオンにも予想がつかないのだろう。ラウは口をすべらせたと思ったが、もはや遅い。隠してもレオンなら調べ上げるだろう。
「……そうだ、天月だ。キミが九鬼くんと親密になれば、キミを〈天月の少年〉と重ねあわせる者が出てこないとは限らない。そうなる前に、キミをわたしのもつあらゆる手立てで守ってみせる」
レオンが首をかしげながら尋ねた。
「おっしゃることの意味がわかりかねるのですが……。なぜ、九鬼教授と天月が関わるのでしょうか?」
ラウはしばし沈黙した。もはや、十年間守ってきた秘密を明かすしかない。
「九鬼くんが十歳のときに出たコンクールのことは聞いているか?」
「はい。伺ったことがあります」
――なぜ唐突に、ラウがそれを訊ねるのだろうか?
「わたしもあのコンクールの決勝にゲストとして招かれていた。だが、突然中止になった。決勝に出る予定の二人が出場を辞退したからと説明された。辞退の理由はいっさい明かされなかった。それはわかる。子どもを守る必要があるからね。マスコミも規制された。だが、その後、相手の子の消息はプッツリと途絶えた。九鬼くんも演奏活動をやめた」
レオンはラウを見た。
まだわからない。
――ラウは何を言おうとしているのだろう……?
「その子は〈天月の少年〉という噂が当時流れていた。だが、奇妙なことに、その子の写真も映像もすべて廃棄されている。たとえ中止になっても、普通なら記録を残すだろう? それがまったくない。名まえすらわからない。その子を知っているのは、コンクール当日にその子と親しく接した者だけだろう。だが、それもどうやら一人もいない。もしその子が〈天月の少年〉だったとして、天月に戻ったなら、なぜそこまで隠す必要がある? もしその子の消息が不明なら、いっそう不思議だ。行方不明の子を探そうとするのに、なぜ、その子の顔や姿を隠すのだろう?」
レオンの頭のなかでいくつかの断片的な情報がつながり始めたらしい。レオンの表情が硬くなっていく。
ラウ伯爵は、いったんレオンを正面から見据え、ささいな動きも見逃さぬようしばらくじっと見つめたあと、ゆっくりと視線をはずした。
「キミも知っての通り、天月は特殊な世界だ。自治権をもつ独立国家だから、他国の警察も司法も入ることはできない。まして一般人には内部の事情などうかがい知ることはできない。伝統と学術の宗門でありながら、世界中に強い政治的影響を及ぼす力すらもつ。ひと一人抹殺するくらいわけもないだろう」
レオンがわずかに眉を潜めたまま、ラウに尋ねた。
「天月の関係者がその子を亡き者にした可能性があるということでしょうか?」
「それも否定できない。むろん、たかだか十歳の子どもに天月という巨大組織が動くなど普通ならありえない。しかし、その子の生き死にを天月が隠さねばならないほどの問題がそのコンクールの時に起こったとみて間違いあるまい。その原因が、その子自身にあったのか、それとも、その子をとりまく何らかの事情にあったのか……」
「……」
「いずれにせよ、二十年以上も前に存在を消された子が、もし、天月の外で姿を現したならどうなる? 天月が放っておくはずがなかろう。ふたたびその者の存在はかき消されるに違いない。その者が生きて戻ると困るだれかがいる。しかも、それは〈天月の少年〉に関する情報をすべて消し去るほどの力をもつ者だ。相当高位の者と見てまちがいあるまい」
ラウの意図が読めない。レオンがとまどったように尋ねた。
「〈天月の少年〉のことはわかりました。ですが、なぜいま、そのようなことをわたしにお話になるのでしょうか?」
ラウは、レオンの反応を観察するように、こう告げた。
「キミをこれ以上九鬼彪吾に関わらせないようにするためだよ」
レオンの目にかすかに狼狽が走る。ラウの胸がチクリと痛んだ。
「その子の名は、レオンというのだろう?」
レオンは思わず手を握った。
――なぜ、ラウが知っている?
彪吾から聞いた〈天月の子〉の名は、だれにも明かしたことなどない。レオンの驚きを予測していたようにラウは続けた。
「九鬼くんがキミにその子の面影を見るのは、名まえのせいだけではあるまい」
レオンの目が大きく見開かれた。
「わたしはその子の映像を見たことがある。たまたま残されていたごく短い映像だ」
初耳だ。ラウは、ひとり語りのように話を続けた。
「キミは……その子に面差しが似ている」
レオンは衝撃のあまり、思わずよろめいた。
沈黙が続いた。
ようやくレオンが重い口を開いた。
「まさか……わたしがその〈天月の少年〉かもしれないと?」
「確信はない。証拠もない。だが、現実に九鬼くんはキミを離そうとしない」
立ちすくんだままのレオンをラウはひしと見据えた。怖いほど真剣な目だ。
「言いたいことはわかるね?」
――レオンといると彪吾にも害が及びかねない……。
ラウの指摘は十分合理的だった。




