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Ⅸー4 エピローグ――ルナ石板の組成

■ルナ石板の謎

 アイリがめずらしく顔を紅潮させている。

 妙なものを見つけたらしい。ルナ石板の利用記録だ。

 

 〈王の森〉の幻の湖に消えた〈水晶の神殿〉には小さな方形窓があった。繊細な文様が彫り込まれた神殿で、そこだけが空洞で、異様な形姿だった。

 アイリはルナ神殿とルナ方形石板について調べ始めた。自分だけではデータの意味がわからないと、リトを呼び出した。もちろん風子も一緒だ。

 秘宝展に展示されていたルナ大神殿模型の詳細はほぼ記憶している。見学に行ったシャンラ王国のルナ第一神殿も、リトの父親が遺した画像資料で見たルナ第二神殿も、カトマールのルナ大神殿とは造りが違う。大神殿からは石板は出土せず、第一神殿から出土した。そして、このたび、大陸のミン国で見つかったルナ第三神殿からもルナ石板が出土した。そして、神殿に刻まれたレリーフ文様は、角度や月の光によって見え方が異なる。


 多くのことがアイリの知的好奇心を刺激した。

 第一神殿のルナ方形石板は、アカデメイア博物館で厳重に管理されている。閲覧調査は、保管庫附属の調査室に限られ、利用者は毎回入室・退室時間を記録する。どの石板を利用したかも記録される。保管庫への入室は、内部の人間は指紋認証で入るが、外部の人間は登録許可制で入室可能となる。入退室も調査時も録画されており、警備は万全だ。

 石板のデータはすべてデジタル化されており、ほとんどの研究者はそのデジタル版を利用する。現物を見てじっくりと調査する研究者もいるが、利用時間が一回二時間と決まっているため、何度も足を運ぶことになる。多くの場合、専門家は、デジタル内容をじかに確認するために何度か調査する。ファン・マイも、じかに石板を何度か調査している。


 奇妙なのは、この前発掘されたばかりの新しいルナ方形石板だ。本来であれば、アカデメイア博物館の保管庫に保管されるが、展覧会終了後しばらく副館長の部屋に置かれていたらしい。

「不思議じゃないよ。彼もルナ学の専門家だ。ファン・マイをアカデメイアから追い出したヤツだけどね」

 リトの声にめずらしく(とげ)がある。ばあちゃんの救出に向けて、カイと無人島の石棺について相談する予定だったのに、無理やり呼び出されて機嫌が悪い。


「あれ……?」

 パソコン上に写る記録に目をこらしていたアイリがふとつぶやいた。

「この前発掘された五つの石板は、まだデジタル化されてないよな」

「調査も終わってないよ。成分やらも調べるからしばらく時間がかかるはずだ」

 リトはまだむくれている。だが、アイリは相手の気分などまったく気にしない。

「なのに、コイツは、石板を副館長室に運んだのか? あんな貴重なものをわざわざ移動させたって?」

「その日は、カトマール文化大臣が博物館を訪問したらしい。副館長が現物を見せながら、説明したんだろう。カトマールの新聞に大臣が副館長から石板について説明される写真が掲載されていた」

「じゃ、ヘンじゃないんだ」と風子が言ったが、アイリが鋭く反駁(はんばく)した。

「そうとも言えんぞ。石板が戻されたのは三日後だ。副館長室にまるまる三日間置かれていたことになる」

「他にも訪問があったの?」と、風子はリトに尋ねた。

「マスコミが何社かやってきたらしいね。副館長室には保管室と同性能の保管庫が置かれているようだ。だから、しばらくの間は副館長室で保管しても問題はない……はずだけど……」


 リトにはアイリの意図がわからない。だが、なにか妙だと思い始めたようだ。

「おまえ、いったい何を気にしてるんだ?」とリトが尋ねると、アイリは画面から目を逸らさず、簡潔に答えた。

「石板の成分」

「は?」

 リトが面食らった。

「せ……成分て、石板はよくある花崗岩じゃないの?」

「そうだよ。だが、花崗岩は深成岩だから、出土場所で微妙に成分が違う。第一神殿のルナ石板は、カトマール本神殿の祭壇と同じ組成の花崗岩だ。だから、ルナ古王国の範囲がほぼ特定された」

「へえええ!」と、風子がアイリをまじまじと見た。

――アイリはすごい! ともかくすごい!

 だが、リトは、それがどーしたという顔だ。

「知ってるよ! だから、今度のルナ石板も同じ花崗岩だろうと言われている」

「ふうん、そうなんだあ!」

 風子が今度はリトをまじまじと見た。

――リトもなんだかすごい。

 いや、単に風子が何も知らないだけだ。


 リトがアイリに聞いた。

「で、何が問題なんだ?」

「今度のルナ石板は、マルゴの前にまずラウ伯爵に届けられた」

「ラウ伯爵の所領で出土したんだ。不思議じゃないよ」とリトが言うと、アイリが画面を指さした。

「ほら、こっちは、ラウ伯爵が調べさせた組成結果だ」

 リトと風子が画面をのぞき込んだ。グラフがあるが、さっぱりわからない。

「ごめん。……意味がわかんない……」と、風子が申し訳なさそうにつぶやいた。

「ほれ。この端のデータを見ろ」とアイリがグラフを指さした。

 リトが頷いた。

「「不明」とあるね」

 アイリが眉をピクリと上げた。

「五枚全部に「不明」という成分が多いんだ」

「どういうこと?」

 風子が聞くと、アイリがあっさりと言った。

「地球外成分だろうな」


――ひょっ!

 リトも風子も口に手を当てた。

「う、宇宙から来たってこと?」

 風子が目を丸くしてアイリに尋ねると、アイリはちょっと首をかしげた。

「そうだな。例えば、隕石(いんせき)だ。隕石を(しん)()に使う例はほかにもあるようだ。だから、それ自体は不思議じゃない。――だが……」

「だが?」

 リトと風子がゴクリと(つば)を飲み込んだ。アイリが説明した。

「花崗岩は地球ではありふれているが、宇宙で見れば、地球に特有の岩石なんだ。石ができるのに水が必要だからな。だから、花崗岩の隕石というのは普通ありえない。隕石は太陽と同じ成分で、石と鉄のような金属からできている。だから普通は黒っぽい」

「ふえええ……」

 風子が奇妙な声を出し、リトが()き込んで尋ねた。

「じゃ、ルナ石板は、隕石じゃなくて、水がある別の星からもたらされたものってわけか?」

「ありえるな。今度はこっちを見ろ」

 右端のデータがない。


「あれ? 別の石?」と風子が不思議そうに言うと、アイリが首を振った。

「同じだ。マルゴの部屋に置かれていた石板の組成だ」

 リトと風子が顔を見合わせた。風子が興奮している。

「どーいうこと? 鉱物が消えたか、副館長が石板をすり替えたか。……ええっ?」

 リトが腕組をしたまま、画面をにらんでいる。そして言った。

「おい、アイリ。このデータはどっちもまだ公表されていないぞ。どうやって見つけた?」

 また風子がオロオロした。アイリが平然と言ってのけた。

「簡単さ。ちょいとハッキングしたまで」


 リトは一瞬口を閉ざし、風子とアイリに言った。

「おい、わかってんのか? ハッキングは犯罪だぞ!」

「あたしにハッキングされるほうがチョロすぎるんだよ」

「と……ともかく、絶対に誰にも言うな。見つかったら、ものすごくヤバいことになる。いいな、風子!」

――なんで、わたし? 

 そう思いつつも、風子は頷いた。

――アイリが警察に捕まるなんて、絶対ヤだ!


 アイリは軽く首をかしげながら、リトに告げた。

「脅かすなよ。風子がビビってるじゃないか。今見た情報はどれも公表されてはいないが、秘匿(ひとく)されてもいないぞ。どっちも隠す必要はない情報だからな。だが、結びつけると意味をもつ。ラウ伯爵は気づいているだろう。なにしろ、手元(てもと)の分析と違う結果だ。あの切れ者のレオンが、これを見逃すはずはない。伯爵に報告しているはずだ」

――うっ、そりゃそうだ……。

 リトは言葉に詰まった。


「レオンって、稽古場で会ったあのすごくきれいなおじさん?」と、風子が尋ねた。以前に、みんなでルナ・ミュージカルの稽古を見に行ったときに、総監督の彪吾を訪ねてレオンが来ていた。

――うげえ……風子にはあの美青年が「おじさん」に見えるのか?

 リトが(うな)りながら、アイリに通告した。

「と……ともかく、石板のことと副館長のことは重大情報だ。サキ姉とカイには伝えるぞ。いいか?」

「もちろん! そっちのほうがはるかに信頼できるからな」

 アイリの言葉に反論できないリトは、グッと言葉をこらえた。


 アイリが付け加えた。

「これしきのハッキングで驚いてどうする? ばあちゃんの方がすごいぞ。あたしが入院してたときの病院のデータをハッキングしたのは、ばあちゃんだ」

「え……? あれは、金ゴキじゃないの?」

「いくら金ゴキでも、そこまではできない。ばあちゃんが、金ゴキに指令を与えて、データをハッキングして分析したんだ」

「ば……ばあちゃんが……?」

 そ、そんな……。リトがへなりとなった。風子は笑うべきか、深刻な顔をすべきかわからず、くしゃりと奇妙な顔をした。

「レオンなら、すでに調べ始めているだろう。あたしのハッキングにも気づいたろうな」

――えっ? そんな、大丈夫……? 

 風子が心配そうにアイリを見た。

「大丈夫さ。レオンは賢い。あたしに調べさせるために、むしろ情報を提供してくるはずだ」


■レオンの調査

 レオンが、ラウ財団の情報が漏れていることに気づいたのは一年前――。

 ラウ伯爵に相談し、機密情報と一般情報を分け、フェイクを交えた機密情報を流した。ひっかかった。だが、犯人がわからない。


 漏洩(ろうえい)していたのは、いくつかのデータだった。いずれもラウ財団が出資している文化事業だ。小さな無人島のウル石墓の保護、〈蓮華〉への多様な補助金、そしてアカデメイア博物館でのルナ石板の保管に関するデータだ。極秘情報というほどのものではない。だが、詳細を公表しているデータでもない。外部からのアクセスは相当にむずかしいはずだ。

 内部を疑った。行きついたのは、秘書課のごく平凡な中年女性事務員。勤続二十五年――夫は〈蓮華〉の教頭だ。そして、行きついたとたん、彼女は姿を消した。


 ラウ財団は、情報管理を早くから重視したが、それでもレオンが採用・配属された十年ほど前には、杜撰(ずさん)さが目立った。レオンはこれを徹底した。ゆえに、この十年間の極秘情報は()れていないはずだ。だが、十年前までは、かなりの情報が漏洩していたと疑うべきだろう。彼女が着任した二十五年前は、ちょうどラウ伯爵が学生としてアカデメイアに在籍し、伯爵家当主になった時期で、ラウ財団を率いていたのはラウの祖母だった。


 気づいてから一年をかけ、レオンは過去に遡って慎重に調べた。何が、いつ、どこに、どういう形で漏れた可能性があるのかを極秘に追跡したのである。

 ターゲットは主に三つだった。

 一つは、〈青薔薇の館〉。若かりしラウ伯爵が、アカデメイア大学で知り合った二人の親友とともに入り浸っていた美女の私邸だ。伯爵の親友とは、現カトマール第二副大統領シャオ・レン、そして、今は亡きシャンラ王太子ロアン。シャオ・レンは、後にカトマール反政府運動のリーダーとなった。ラウ伯爵がこれをひそかに支援していたことは、今ではよく知られているが、当時は極秘事項だったはずだ。

 もう一つは、あるコンクールの情報だ。毎年、ラウ財団が最大スポンサーとなって開催されるルナ音楽祭では、ジュニア・ピアノコンクールも行われる。しかし、二十二年前、その決勝が突如中止になった。彪吾が「天月の少年」とともに出場したコンクールだ。

 三つめは、この十年間にわたるカトマール開発計画の件。カトマールが民主化した後、開発計画にラウ財団が協力した。そのとき、いくつかかなり無理な計画もあった。


 レオンは推理した。

 夫婦は、カトマールに何らかの関わりをもつ組織から送り込まれた密偵(みってい)に違いない。しかも、かなり優れた密偵だ。当初からカトマール抵抗運動に関する情報が漏れていた恐れがある。だが、最終的に抵抗運動は成功した。とすれば、カトマール軍事政権を利用するが、それを必須とする組織ではなさそうだ。カトマール新政府と協力してラウ財団が進めている開発計画についても、これまで邪魔が入ったことはない。つまり、現政権に対しても是々非々の態度のようだ。その意味では、政治性は持つが、政治集団とは言えないだろう。

 しかし、ピアノコンクールの件はまったく理由がわからない。なぜ、十歳の子どもたちの決勝に関心を寄せたのか?


 最近の情報収集のターゲットは、ラウ財団の文化事業に集中している。だが、共通点がない。ルナ大祭典は対象外であったようだ。極秘事情は直接レオンが管理していたからかもしれない。


 何よりもわからないのは、夫が〈蓮華〉教員であったことだ。ラウ財団と〈蓮華〉とでは、情報の量も質もまったく違う。なぜ、つぶれかけの〈蓮華〉にあえてひと一人を張り付けたのか? ラウ財団は〈蓮華〉の土地と建物に関心をもっているが、それはアカデメイアへの吸収合併を推進する立場だからだ。その方針は公表されているものの、いまだ具体的動きはない。つまり、情報としての価値は乏しい。


 レオンは、はたと気付いた。〈蓮華〉で最近起こった事件――教員ファン・マイの飲酒運転事故。

 ラウ伯爵は、表には出していなかったが、ファン・マイを高く評価していた。副館長マルゴのことはあまり評価していない。

 二人の研究者は、ルナ遺跡やルナ石板の評価をめぐって鋭く対立していた。ファン・マイを学界から追放したのは、実際にはマルゴだ。調べてみると、マイの盗作疑惑の扱いをめぐって、情報への不正アクセスがあったようだ。ラウ財団としてではなく、アカデメイア幹部としてのラウ伯爵個人の情報が狙われた恐れがある。

 ラウ財団には、さらに密偵が潜んでいる恐れがあろう。当然ながら、アカデメイアにも密偵が入り込んでいるはずだ。

――とすれば、目的は何だ?


 姿をくらました女性事務員に関する情報は完全に消されていた。実家等の情報もすべて偽情報だ。

 いま注意すべきは何だ? 

――まさか、〈蓮華〉そのもの?

 あの学校には、何か大きな秘密があるのかもしれない。慎重に調べる必要がありそうだ。


 女性事務員の行動を調べているうちに、別のハッキングに気づいた。新たに発掘されたルナ石版の分析結果にだれかがアクセスしたようだ。非常にむずかしいセキュリティの壁をこうもやすやすと突破するのは、今までの経験から言えば、アイリしかいない。

 アイリは気づいたはずだ。あのルナ石版の組成の特殊性に……。

 レオンはしばし考えた。


――こちらで調べるよりも、アイリに調べさせた方が確実で早い。関連情報を提供しておいたほうがよかろう。

 アイリは他人の言うことは聞かないが、自分で興味を持ったことはとことん調べる。問題は、アイリが調べた結果をどう手に入れるかだ。天才ハッカーのアイリは、ハッキングの方法を熟知している。こちらからのハッキングなどすぐに見破り、むしろフェイク情報を与えて振り回してくるだろう。これまでもラウ財団は何度か痛い目に遭っている。

 ルナ石板の件は、しばらく様子見だ。その間に、カトマールに本拠地があるらしい謎の集団について調べねばなるまい。

【お知らせ】次から、第十章「月神殿」に入ります。

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