Ⅸー2 神殿レリーフの謎
【これまでの話から】〈蓮華〉の古代文化同好会で訪れたシャンラのルナ神殿。その神殿レリーフ文様に興味を持ったカイとリト。一方、アイリとルルもレリーフ文様の秘密に迫りつつあった。
■張り合い
風子は目を丸くした。互いに「天敵」とも言うべきアイリとルルが一緒にパソコンの画面に見入っている。
ここは、〈蓮華〉寮のアイリのパソコン専用部屋だ。風子ですらめったに入れない部屋に、なんとルルが入り、二人が肩を並べている。
「これでいいか?」
「もっと上だ」
「これでどうだ?」
「違う! 今度はほんの少し下だ」
「ほら、どうだ?」
「下手くそ!」
「なにい!」
二人は掴みかからんばかりに睨み合ったが、すぐにまたパソコンの画面に戻った。風子はそっと部屋の隅に座った。毛が飛ぶので、モモとキキはドアの外だ。開けてくれとばかり、ドアをカリカリしている。
アイリとルルは似たもの同士だ。いずれ劣らぬ美少女だが、どちらもコミュ力は最低レベル。顔を合わすたび、何かと張り合っている。しょうもないことで勝負したがるのだ。
モモとキキのどっちがかわいいか、と鼻の先に二匹を突きつけられても答えようがない。モモとキキに代理戦争をさせようとするが、いつも二匹ともやる気ゼロ。モモはへそ天で寝転がり、その横でキキはドテッと腹ばいで伸びている。食事の時には、しょっちゅう二人で大食い競争と早食い競争をする。いつもアイリが負ける。すると、アイリが意地になって、ルルに数学競争をけしかける。これはいつもルルが負ける。すると、ルルが怒って、どれほど長く声を出し続けられるかを競争する。いつもルルの勝ちだ。
――今度も新手の競争か?
いや、どうやら少し違うようだ。この前のルナ神殿の画像をめぐって、二人であれこれ言いあっている。月の光で神殿レリーフの見え方がどう違ったかを分析しているらしい。
――ひえええ!
風子にはまったく手が出ない世界だ。
やっと一つのレリーフ文様の分析が終わったようだ。二人はふうっと息を吐いた。
「大丈夫?」
風子の声に、二人とも飛び上がった。
「なんだ、風子か。脅かすなよ」
「びっくりしたじゃないか」
二人がそろって声を上げる。こんなときは妙に気が合う。
「だって、もうお昼ご飯の時間だよ。下でシュウとキュロスさんが待ってる」
――ご飯!
二人は大慌てで階段を降りた。ダイニングからいい匂いが漂ってくる。ルルの大好きなハンバーグだ。
■天才たち
今日は土曜日。ガーデンランチの代わりに、寮ランチだ。
「へえ。あのルナ神殿のレリーフを分析してるの? おもしろそうだね」
シュウが目を輝かせた。仲間に入りたいようだ。
「ルルは見た文様をぜんぶそのまま再現できるんだよ!」
風子が言うと、アイリが付け加えた。
「文字は読めないがな」
ルルがムッとしてアイリを睨むと、アイリは平然と言ってのけた。
「だから、いいんじゃないか。あれを文字だと思うと、わけがわからなくなる。絵として見た方が、分析もしやすい。ルルの才能だ」
ルルがポッとほほを染めた。アイリが人を褒めるなんて激レアだ。
風子が尋ねた。
「何かわかったの?」
「うーん。微妙なんだな。光による見え方の違いはわかった。二つの文様もしっかり細部まで再現できた。だが、それが何を意味するかはわからん」
風子が無邪気に言った。
「リトに頼もうよ」
ルルが大賛成した。アイリも反対しない。風子は電話でリトを呼び出した。
ややあって、寮の玄関に四人の人影が並んだ。サキ、リト、カイ、カムイだ。もはや教頭はいない。ジェシン・ネットワークは気になるが、〈蓮華〉に密偵はいるまい。
四人は、アイリとルルの共同作業の産物をじっと見た。念のため、カイが結界を張ったのは言うまでもない。
カイは確信した。ルナ神殿のレリーフ文様は、初代銀麗月が記録した禁書の図と一致する。それだけでない。ルナ神聖石盤の図像とも一部が一致した。むろん、いずれも口に出すことはできない。
レリーフは全部で七つ。これはその一つ目だ。この天才少女二人は、残り六つも分析・再現するに違いない。非常に危険だ。この子たちをどう守ればいいのだろうか。
サキも驚きながら、青い顔をしている。教師として、教え子を危険に晒すわけにはいかない。だが、やめろと言って聞く子たちではない。悩んだ末、こう言った。
「アイリとルルの発見はすばらしい。都築凛子とファン・マイの研究を見事に発展させたものだ。ルナ学にとって貴重な成果となろう。風子のお母さんとファン先生の無念を晴らすためにも、いずれは正式に発表すべきだ」
ルルもアイリも誇らしげだ。シュウと風子が二人を尊敬のまなざしで見た。だが、その高揚はすぐに砕かれた。
「だが、それは今ではない。みんな、いいか? わたしがいいと言うまでは固く秘密にするように。誰にも明かしてはならん。おまえたちが、二人と同じ目に遭わんとも限らんからだ」
サキの怖いほど真剣な目に、さすがのアイリもルルも一瞬ひるんだようだ。
「うん……」
「おまえたちは、わたしが守る。何としてでも守る! わたしを信じてくれ。いいな?」
すっくと立って、風子が言った。
「サキ先生を信じます!」
一瞬、サキの目が潤んだ。だが、風子の隣を見て、涙も引っ込んだ。アイリもルルもどこ吹く風だ。ルルなど、獲物を見つけた子狐のように目をキラキラさせている。「秘密」と聞いて、むしろやる気まんまんだ。
――コイツめ!
そう思いつつも、サキは念を押した。
「いいな! ヒ・ミ・ツだぞ!」
コイツらはやめろと言って聞くわけがない。あの手この手で禁止をかいくぐるだろう。だが、面白いと思えば思うほど、秘密を守るはずだ。サキの命令だからじゃない。いったん手にしたおもちゃを取られたくない子どもの心理だ。
キュロスが持参した菓子に目を輝かせた風子たちは、リビングの床に輪になって菓子をつまんでいる。モモがグッと背伸びをし、キキがゴロンと寝そべる。やがて、みなでトランプ遊びをはじめた。たかが「ババ抜き」なのに、アイリとルルが勝負にこだわり、必死に張り合う。ふたりの形相を見ながら、シュウと風子が笑いころげている。
ダイニングでは、リトとカイがアイリとルルが分析した画像を前に唸っていた。カムイは主人のカイと「推し」のルルとの間でどっちにも行きたくてウズウズフラフラして、心ここにあらずだ。
キュロスは、ソファに座って一人で茶を飲むサキに話しかけた。
「サキ先生。ちょっといいですか?」
「どうぞ」
「さきほど、子どもたちが危険だとおっしゃいましたね」
「うむ」
「わたしにはシュウさまをお守りする義務があります。けれども、今の状況では、何から守ればよいのか、見当がつきません。支障がない範囲で結構です。教えていただけませんか?」
キュロスの目は真剣だった。タン国傭兵は、主人に忠誠を尽くす。私利私欲では動かない。しかも、このキュロスは、シュウをわが子のように慈しんでいる。隠すよりは、協力した方が得策だろう。
「敵はまだわからない。姿が見えないんだ。だが、ルナ神話に登場するいくつかの異能が関係するかもしれん」
「異能……?」
「キュロスさんは、異能者に会ったり、不思議な経験を見聞きしたりしたことはないか?」
キュロスは、しばし考え込んだ。
「……不思議な話を聞いたことはあります」
「どんな?」
「シャンラに仕えていたときのことです。〈王の森〉では、しばしば王家の狩りが催されました。わたしも随行しましたが、ある時、親衛隊士の一人が行方知れずになったのです。満月の夜でした。数日後、戻ってきたのですが、意味不明のことをしゃべり続けました」
「意味不明?」
「はい。小さな湖に水晶の神殿が浮かんでいたというのです」
「なに……?」
「〈王の森〉にはそもそも湖はありません。ですが、その者はウソをつくような人物ではない。何かの幻想を見たのだろう。……そう思っていました。ですが、ルナ神殿に関する朱鷺博士の画像を見、リトくんの解説を聞くうちに、その隊士は、やはり何かを見たのではないかと思うようになりました」
サキの目の光が俄然強くなった。
「ちょっとこちらで詳しく聞かせてもらえないか? 謎を解く手がかりになるかもしれない」
サキはキュロスとともにダイニングの方に移った。
「サキ姉、どうしたの?」
リトが顔を上げた。サキが言った。
「手がかりがありそうだ。〈王の森〉だ!」
■湖に浮かぶ水晶の神殿
サキとリトは、ばあちゃんに顛末を報告した。
「間違いなかろう。〈王の森〉にも〈禁忌の森〉のようなところへの入り口があるのじゃろう。じゃが、「湖に浮かぶ水晶の神殿」というのは、初めて聞いたの……」
「ばあちゃん。父さんのノートにあったことを言っていい?」
「おう、なんじゃ?」
「父さんのノートによれば、「湖に浮かぶ水晶の神殿」というのは、ルナ神話の〈水の一族〉に関わる物語みたいだよ」
「〈水の一族〉じゃと?」
「うん。ルナ神話を正式にまとめた『ルナの書』じゃなくて、雑多な断片を集めた『ルナ神話異本』ってのがあるらしいんだけど、そこに書かれてたみたい」
ばあちゃんはじっと考え込んだ。
「『ルナ神話異本』か……。なるほどの。『ルナの書』は古代ウル大帝国の皇帝がまとめさせた書じゃ。自分たちに都合の悪い神話や不要な神話は排除しとるじゃろの。そもそもルナの神々は性別をもたんが、ウル教では神々を人間に近い男女に見立てた。ウル族が奉じるのは〈大地の女神〉。〈大地の女神ウル〉は、〈月の男神ルナ〉と配偶神の〈日の女神ヨミ〉の娘じゃが、双子の兄弟である〈水の男神ミク〉と争って、〈大地の女神ウル〉が勝ったとされる」
「治水神話か……。だから、〈水〉に関わる神話は取捨選択されたってことなのか」
だが、ばあちゃんはますます首をひねっている。
「何かヘンなの?」と、サキが尋ねた。
「うーむ。どうも解せんのじゃ。〈水の一族〉の筆頭は青龍族。大海に棲み、海と嵐を支配する。それに関わるものが、なぜ内陸の〈王の森〉に現れるのか?」
「父さんはこんなことも書いていた。〈禁忌の森〉に寄り添うように〈閉ざされた園〉があって、そこでは時空が歪む。これも『異本』の断片のようだけど」
「ほう……〈閉ざされた園〉とは、〈禁忌の森〉という異世界とこちらの世界の緩衝帯のような場所なのかの。〈閉ざされた園〉で時空が歪むなら、入る場所を問わんはずじゃ」
ばあちゃんはまた考え込んだ。こんなに考え込むばあちゃんは珍しい。
やっとばあちゃんが口を開いた。
「一度、〈王の森〉とやらを見んといかんのう」
次の日曜日がちょうど満月だ。土曜日から〈王の森〉の近くに行くことが決まった。
ばあちゃんとサキたち四人は当然参加としても、〈王の森〉のことに関してはキュロスの協力が要る。キュロスが行くとなれば、シュウもセットだ。シュウが行くのに、アイリとルルが黙っているはずはない。案の定、二人とも行くと言い張った。アイリはモモを連れて行くから風子もついてこいと言い、ルルはキキを連れて一緒に行くといって聞かない。おまけにどこから聞きつけたのか、さもうれしそうにイ・ジェシンまでが一緒に行くとゴネた。
事務所で、ジェシンはルンルンだ。
「どう? スラさんも一緒に行かない? 事務所全員で行こうよ。必要経費だから、費用は事務所持ちだよ」
「どこに行くんですか?」
「シャンラの〈王の森〉! 知ってる?」
「いえ、知りません」
「だったら、ぜひ、どう?」
「でも……」
また、事務所の仕事が止まる。と言っても、仕事がほとんどないけれど……。
「なんでもね。〈王の森〉には怪奇現象があるんだって」
「は?」
「満月の夜に、湖が現れて、その上に水晶の神殿が浮かんでるんだってさ。神隠しにあって戻ってきた人が見たんだって」
スラの顔が蒼白になった。
「水晶の神殿? 湖の上……?」