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Ⅶー5 もう一人の転校生

■シュウの願い

 キュロスを見舞った帰り、シュウは岬の上病院で同世代の女子集団に出くわした。入院したときに集中治療室で見かけた少女もいた。看護師に聞くと、碧海医師の娘とその友だちだという。〈蓮華〉の生徒だとか。


――〈蓮華〉か。

 落ちこぼれ校として有名だ。だが、かつてはユニークな教育方針をとる先進的な学校として名を馳せたという。個性尊重の教育方針は変わっていないが、受験戦争が厳しくなり、生徒たちと親の希望が変わってきたのだ。


 舎村長エファの筆頭秘書で最側近のザロモンは目を白黒させた。事故から回復したシュウが、学校に行ってみたいと言いだしたのだ。しかも、落ちこぼれ校と言われる〈蓮華〉に行きたいと言う。

 産まれたときから、シュウの頭には原因不明の腫瘍(しゅよう)がある。普段の生活には支障はないが、時々発作(ほっさ)を起こし、そのときには猛烈な痛みで数日間は寝込んでしまう。

 なんとか治療方法がないものか。エファの指示で、シュウは世界中の「名医」を尋ねた。しかし、これまで診察した医師たちはみな口を揃えた。治療不可能で、シュウは二十歳までは生きられないだろうと。

 シュウ本人には伝えていない。だが、シュウ自身も薄々わかっているらしい。気づいた上で、精一杯明るくふるまっている。


 舎村にも学校がある。だが、シュウは一度も学校に通ったことがない。診療優先の生活であったためだ。その必要もなかった。各分野の専門家を個人教師として招き、シュウは最高峰の教育を受けてきたからだ。だから、わざわざ学校で学ぶ必要などないはず。


――なのに、いまさら学校? しかも、舎村を出て、あの落ちこぼれ校〈蓮華〉だと?

 ザロモンにはシュウの意図がまったくわからなかった。ただ、いつまで生きられるかわからない子のはじめての願いだ。ザロモンはそれを拒否するに忍びなかった。

 厳格さで知られる主人のエファも、孫の願いを無碍(むげ)にはしなかった。ザロモンはシュウの転校手続きを行い、高額の寄付金と護衛のキュロスをつけて、学校生活に送り出したのである。舎村の若君であることを知られたくないというシュウの意向を入れて、エファが持つ超高級マンションの最高級住居があてがわれた。シュウは、週末は双子の兄リョウに会いに戻ってくると言って、キュロスとともに去って行った。


■転校生シュウ

 校長室で、サキは、転校生シュウとその付き添いの大男を交互に眺めてため息をついた。

 シュウが大金持ちの御曹司であることはその雰囲気からわかる。彼の聡明そうな瞳は、オンボロ学校に不釣り合いなほど輝いていた。何が彼をそこまで喜ばせているのか、サキには皆目(かいもく)見当が付かない。ただ、こんな美少年が来たら、男女を問わず、学校中の生徒が大騒ぎするだろう。

 シュウ以上の問題は、隣の大男だ。屈強な身体を備えた強面(こわもて)の中年男は、この学校にはまったく似つかわしくない。しかも、その大男はシュウを守るために、送り迎えをするだけでなく、授業中は廊下に張り付きたいという。


――おいおい、そんなことをされたら、授業にならないだろうが……。ただでさえ、この前入ってきたルルに手を焼いているんだぞ。


 だが、校長は大喜びですべての条件を受け入れた。生徒には内緒だが、学校予算の数年分の寄付があったらしい。そんな寄付者は他にいない。


 シュウは、教員にもクラスメートにも涼やかな麗しい笑顔で挨拶した。

――コイツは自分の顔の使い方をよく心得ているな。

 サキはある意味で感心した。他人への接し方に嫌みがなく、シュウににっこり笑いかけられると思わずデレッとなってしまう。(あん)(じょう)、シュウのあまりの美少年ぶりに、女子たちも男子たちも等しくシュウに憧れのまなざしを向けている。だが、誰もシュウに近寄らない。いや、近寄れない。シュウのそばで仁王立(におうだ)ちする大男にビビり上がっているのだ。


 万事、予想通りだった。廊下で見張る屈強で大柄・強面のキュロスに、生徒たちはドン引きした。キュロスが怖くて、みんな転校生シュウを遠巻きに眺めるだけだ。シュウに声をかける度胸があるのは、ルルと風子だけだった。

 ルルは、のっけからシュウに喧嘩(けんか)(ごし)だった。ルルは、上品な金持ちが大嫌いなのだ。

 授業時間ですら、「えらそうにするな!」とか、「邪魔だ!」とか、「うるさい!」とか、ルルはさんざんシュウにからみ、文句を連ねる。ルルの大声が響くたび、窓からキュロスがヌッと顔を出してルルを睨むが、ルルはどこ吹く風だ。ついにはキュロスまでからかうようになった。サキの頭痛がまた増えた。

 風子は、シュウがあのときの事故の被害者で、ベッドに寝ていた少年と知り、一挙に親しみを持った。シュウにすれば、ほんの数ヶ月のつもりの気まぐれで「転校生」として行ったものの、やはり授業はあまりに低レベル。風子はそれにもついていけていない。しかし、シュウは、ドジな風子を見ているだけでなんとなく幸せな気分になった。


 初めての学校生活は戸惑うことばかりだが、いままで経験したことがないことが多く、わりと面白い。風子はドジだと思っていたが、古代文化論では誰も読めない古代文字を解読し、解説できる。風子もまたシュウがウル古代文字を知っていると知り、シュウにいっそう興味を持つようになった。シュウは風子にウル古代文字を教え、風子はシュウに別の古代文字を教えた。

 シュウの学校生活は簡単ではなかった。風子には親しまれたが、ルルには嫌われ、他の生徒たちからは熱い視線を受けるにもかかわらず、妙に距離を置かれた。キュロスは毎日ハラハラしながら、廊下からシュウを見守った。


 ある時、放課後に風子とリクの前で、ルルがキュロスにケンカをふっかけた。十五歳の子など、キュロスがまともに相手をしたら、すぐに骨折沙汰だ。遊び感覚でルルの攻撃をかわしていたキュロスの顔つきが突然変わった。ルルの動きがまったく読めないのだ。

 ルルはスルリ、スルリとキュロスの動きをかわす。ルルは、最後にキュロスの腰紐(こしひも)の一本を(はず)し、キュロスの首に突きつけた。そのとき、キュロスもまたルルの(かみ)(ひも)をほどき、同じくルルの喉元(のどもと)に紐を突きつけていた。


「うわああ! 引き分けだよ!」

 風子がうれしそうに手をたたく。

 廊下で見ていたサキの表情が固まった。キュロスはおそらくタン国出身の傭兵で、最高レベルの()()れだ。そのキュロスを相手にルルが互角に戦っている。

 キュロスは、ルルにていねいに頭を下げた。

「お見それしました」

 ルルは、怒ってキュロスに背を向けた。

「子どもだと思って、手を抜いただろう! 次は許さない!」

 キュロスは手を抜いていたわけではない。ルルが髪の毛をちらっと気にした瞬間を見逃さず、リボンを引き抜いたのだ。サキは、うーむと唸ってしまった。ルルの最後の動きは、雲龍の書庫で読んだ古書に記された「ミグルの舞」に近い。


■ストーカー(カムイ×ルル)

――チッ、どこの命知らずだ?

 〈ムーサ〉からの帰り道、ルルは身構えた。どうもこの前から、自分を尾行している者がいるようだ。

 いつもの小屋に駆け込み、衣装を着替えた。〈ムーサ〉のオーナーは、ルルにしょっちゅう女子服をくれる。亡くなった娘の服だという。長く捨てきれなかった服を、オーナーは丈を少々手直ししてルルに着せては喜ぶ。こうして娘を供養しながら、思い出に区切りをつけようとしているのだと思うと、ルルもそれを無碍にできない。

 オーナーはすこし離れたところにもつ小屋をルルに提供した。百年前の戦いの名残らしい。この離れはもう一つの小屋と地下道でつながっている。オロは、ルルとして働いていることをマロやスラには知られたくなかった。二人ともオロが音楽で目立つことを極端に嫌がっている。理由はわからない。それを汲んで、オーナーが隠れ家を貸してくれた。

 そっと窓の外を伺うと、黒い影がチラチラ。ルルはオロの姿に戻り、扉の影ににじり寄った。


 ドンッ!

 足でドアを蹴上げると、向こうで黒いものが伸びていた。よく見ると自分と同じくらいの少年だ。顔面にドアが当たったのか、気を失っている。

「おい、起きろ!」

 靴で脇腹を蹴り上げる。

「グホッ、ゴボッ」

 黒い衣の少年がむせながら半身を起こした。

 すかさず、オロは少年の襟首を締め上げる。

「おまえは誰だ?」

 黒衣少年は、苦しそうに右手をオロの手にかぶせた。

「ぐ……ぐるじい。……で……でをのげで……」


 オロは手を緩めた。少年は再びむせた。

「オ……オレは怪しいもんじゃねえ」

「暗闇に黒服。十分怪しいだろう」

「ち、ちがう。オレは、あの可愛い歌姫と話したくて、ちょっと後をつけただけだ」

「それをストーカーと言うんだよ。知らないのか?」

「ち、ちがうってば。あの子にこれを渡したかったんだ」

 少年は、ポケットから何かキラキラしたものを取り出した。

「なんだ? これ?」

 オロが取ろうとすると、少年がさっと手を引いた。

「おまえこそだれだ? これはあの子にあげるものだ。おまえになどやれるもんか」


 雲が割れて、月の光が少年を照らし、オロを照らした。

「ずいぶんな言い草だな」

 少年が固まっている。

「お……おまえ?」

「おう、似てるか? オレはルルの従兄弟だ」

 少年があわてた。

「ご……ごめん。知らなかったんだ。じゃ、ルルは中に?」


 少年がドアを開けようとするのを、オロは右手で止めた。

「おまえなんかに大事な従姉妹を会わせられねえよ」

「じゃ、じゃあ、どうしたらあの子に会える?」

「そうだな……」


 オロは値踏みするように、少年を見た。

「まず、名を名乗れ」

「カムイ」

「どこに住んでいる?」

「森の近く。越してきたばかりだ」

「手にもっているのは何だ?」

「首飾り。町で買ったんだ」


 オロは、カムイの掌からペンダントをつまみ上げた。

「悪くはないな」

 オロはいじわるげにカムイを見た。

「悪くはないが……どうして話したこともない子にそんな高価なものをあげようとする? 下心が丸見えだぞ」

「ち……ちがうって。先週、ルルが首飾りの歌を歌っていたから、きっとほしがっているなとおもっただけだ」


 オロはカムイをじろじろと眺めた。頭のてっぺんからつま先まで、無遠慮にじろじろと。

「フン。ルルは面食いだ。おまえなんぞ好みじゃないぞ」

「それでもいい。ルルと会わせてくれないか」

「ダメだね。だが、この首飾りは渡しておいてやってもいい」

「ほ……ほんと?」

「ああ、来週のステージを見てみな。首につけているはずだ」

「やったああ!」


「ただし、条件がある。二度とルルの後をつけるな。この小屋の周囲二キロ以内に近づくな。それに、ルルとオレの関係を誰にもしゃべるな。オレたちの親は仲が悪い。オレたちが仲良くしているのを知ったら引き離そうとするからな。そしたら、ルルは〈ムーサ〉をやめて、遠い学校に送られてしまう。以上だ。守らなかったから、またオレがおまえを殴ってやる。ルルにも二度と会えないと思え」

「わ……わかった。でも、ルルが首飾りをしてるのをどう確認すればいいんだ?」

「簡単だろ? 来週、〈ムーサ〉に客として来りゃいいじゃないか」

「ム……〈ムーサ〉? オレはああいうところは苦手で……」

「じゃ、いったいどこで歌を聴いたんだ?」

「もちろん、屋根……い、いや、窓の外で」

「そんなの、盗み聞きだろ?」

 カムイは身を縮こめた。


 主人のカイを放ったらかしにして、一人で〈ムーサ〉に入るなどできない。さりとて、カイが〈ムーサ〉に行くことなどあり得ない。あくまで偵察の一環として、カムイはここにいるのだから。

「ルルは、そんな盗人(ぬすっと)が一番きらいだ。ほれ、早く去れ。おまえがいるとルルが出てこられない」

 追い立てられて、カムイは涙目で、後ろを何度も振り返りながら去って行く。その姿が見えなくなると、オロは小屋に戻った。もちろんカムイはカラスに戻って空を旋回していたが、夜中見張っても、オロもルルも出てこなかった。いとこどおしが、こんな夜中に、こんなに暗い森の近くのおそらく一間しかないだろう小屋でふたりきりで過ごすなんて!


 カムイはパニックになりそうだった。しかし、こうしてはいられない。カイが目覚めるまでに戻らねば。後ろ髪を引かれる思いで、カムイはカイの許へと羽を進めた。

 小屋から伸びる地下道を伝い、オロは森の近くに姿を現した。

「ふふん、そう簡単に見破られたりするもんか」

 掌の首飾りを見た。なかなかセンスは良い。本物の貴金属ではないが、舞台映えする首飾りだ。うまく使えば、あいつはいいカモになる。


■石に刻まれた文字

 結局、あらいざらい話すしかなかった。秘書に見つかって落ちたことまで……。このところ、失態続きで主人に顔向けできない。

 カイは、そんなカムイの羽をいたわるようになでた。

(いちばん気になるのはネズミたちの言葉だな。「天満月」――ご老師の言葉にあったものだ。それに、「緋月の気」? いったい何を意味するのだろう。わたしもおまえも知らないことがあるというのか?)


 カムイもそう思った。たいがいの言い伝えはカムイ一族に代々語り継がれており、カムイが知らぬことはない。カイもまた天月本院が蔵する古文書に通じている。カイが知らないことは、天月そのものが知らないに等しい。この島でもっとも古い仙門で、前身のウル学舎から数えれば三千年の伝統をもつ天月仙門。そこにすら伝わらないものとは?


(ルルという少女も、キキという老ネコも気になる。……アカデメイアの町でなにかが起こっているのはまちがいなかろう)

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