Ⅵー6 舎村の秘密――極秘プロジェクト〈Ωオメガ〉
■蘇生薬?
「わかったか?」
ウル舎村長エファは、側近ザロモンに尋ねた。数日間、エファが舎村を留守にした結果が、薬師長の思わぬ死だった。
「はい。やはり薬師長は心臓発作で亡くなったとのことです」
「そうか……」
エファにはどうしても解せない。薬師長は人一倍健康には気遣っていた。心臓の持病もなかったはずだ。
「薬師長の家に残されたものを洗いざらい調べよ。ただし、秘かに調べるのだ。開発中の薬物のせいかもしれぬ」と、声を潜めるようにザロモンに命じた。
「例の蘇生薬のことでございますか?」
「口にするな。いまはまだ動物実験の段階のはず。そのデータもあるはずだ。実験に使っていた動物もおるかもしれん」
ザロモンは、すぐさま腹心の部下二名を伴って薬師長の家に向かった。
薬師長は研究所を引退して一人暮らし。城館北部の北村区に小さな実験施設を構えて、暮らしていた。心優しい人物で、動物実験のときにも動物が苦しまぬよう、最大限の配慮を行っていたという。
暮らし向きは質素で、舎村長への忠義は厚く、蘇生薬の開発もすべて舎村長のためであった。蘇生薬には、細胞を活性化する効果があり、若返りにも役立つ。
ドアを開けると、ごく普通の生活の光景が広がっていた。台所には、パンの残りといくつかの野菜。冷蔵庫には牛乳、ジャム、卵など。小ぎれいに整頓されていた。実験室もきちんと片付けられていた。実験用のデータは残されていたが、残されているようなデータにはほとんど意味はない。重要なデータは厳重に管理されているはずだ。舎村長には、すでに報告されているはず。
寝室を開けると窓の外で黒いものがサッと走り出た。一匹の小汚い痩せたクロネコが金獅子の手下ネコ二匹に追われて、猛スピードで走り去っていった。この舎村に忍び入ったノラネコか? 時々、そんなネコがいる。バカなネコだ。今頃は金獅子の手下に捕まって、なぶり殺しにされているだろう。
寝室にも変わりはなかった。動物実験の部屋にも動物はいない。「異状なし」とザロモンはエファに報告し、念のために持って帰ったデータを提出した。
■隠し部屋――極秘研究データ管理ルーム
自室から隠し部屋に移ったエファは、椅子に座り、ため息をついた。
この隠し部屋は、エファの極秘の執務室だ。舎村に関する多くのデータが集結し、エファのみが指令を出すことができるようになっている。
舎村は、最先端技術の粋を集めた研究組織でもある。蓬莱群島にある舎村は本村に本部機構がおかれており、附属の研究センターはバイオセンターとして世界に名を馳せる。エファは舎村の改革をなしとげ、舎村は超富裕層向けの病院やリゾートホテル、介護施設をもち、研究センターの力を活かして最先端医療を提供していることでも有名だ。
エファは二百ほどある蓬莱群島の四分の一にあたる五十島ほどを私有している。リゾート専用の島もあれば、利用者限定の長期療養型の施設をもつ島もある。研究上の秘密を守るためのセキュリティが非常に厳しい。
そうした島の一つが織物プロジェクトに当てられている。他にもさらに、バイオプロジェクトは別の島で、本部センターよりもいっそう高度な研究が行われているが、それがどの島なのか、舎村関係者すらわからない仕組みになっている。
これらの島と本島の研究所のすべての情報が、特別な独自回線を使って、この隠し部屋にリアルタイムで送られてくる。どこかで違法アクセスがあれば、すべての情報がいったん遮断される。各研究所に設置された隠しカメラを通じて、状況を把握することも可能だ。
薬師長は、もとは島のバイオプロジェクトの責任者であった。
二十年ほど前に保護した少女を娘同然にかわいがっていたが、数年後、娘は不慮の事故で亡くなった。それを機に、薬師長はセンターの責任者を辞し、舎村に戻った。
ただ、センターで手がけてきた蘇生薬の開発だけは個人的に続けていた。彼は、若い頃から一心にエファを思慕しており、エファのために最後まで尽くそうとしたのだ。
エファは、数日前に薬師長から提出されたデータを確認した。何種類かの動物に投与したが、すべて失敗だったという。動物たちはいずれも死んだ。解剖するといずれも心機能が停止していた。
ただ、一定期間生き延び、細胞レベルの動きが活発になって、若返りの効果があったケースが一件だけあったという。白いメスネコだった。老ネコのはずだったが、妊娠に成功したという。しかし、結局は心臓マヒで死んでしまった。
薬師長は、薬剤を自分の身で実験したのかもしれない。最近のエファは体調がすぐれない。一刻も早くエファに薬剤を届けたかったのだろう。
薬師長は膵臓ガンに冒されていて、一年前に余命半年と宣告を受けていた。しかし、遺体解剖ではガンは発見されなかった。薬剤投与で完治していたのだろうか。だが、副作用は心臓に及び、結局は死んだものと思われる。この薬剤は、細胞レベルに働きかけ、がん細胞を攻撃し、細胞を若返らせる効用はもつようだ。
薬師長は最新データを常に身につけていた。赤いリボンにつけられた銀色のコインにそれが仕込まれていた。データはエファにしか読み解けない。前回のデータはすでにエファの許に届けられている。たとえ最新データがなくても、大きな支障は出ない。このため、コインがだれか別の者の手に渡ってもおそらく問題ない。
だが、エファは大事をとった。コインにはマイクロチップが仕込まれており、エファのみがそれを探知できる。探知の結果、白い年老いたデブネコが捕獲された。そして、コインとともにデータの回収に成功した。だれかがデータにアクセスした形跡はなかった。
■極秘プロジェクト〈Ω〉
問題はリボンだ。
エファはリボンを手に取り、絶句した。極秘プロジェクト〈Ω〉の産物だったからだ。
リボンの素材は特殊なもので、舎村特有の織り方を使い、きわめて特殊な模様が刻印されている。しかし、未完成の試作品だ。流出しないよう、番号が打たれている。完成すれば、火にも水にも強く、腐食せず、薄く軽くしなやかで、通気性は良く、保温効果も保冷効果も思うがままだ。
織り込まれた特殊な模様に超小型・薄型のセロフィンのようなコンピューターが仕込まれていて、自動で外気温や体温に反応するようになっている。特殊な織り方は、肌への密着を避けるとともに、自由な伸縮を可能にするための技術だ。銃弾や刃物を通すこともない。
災害や武器から人体を守りやすくなるだけでない。人間の新しい第二の皮膚のような働きで、厳しい環境でも人間が生きていけるようになる。つまり、宇宙での苛酷な生活にも適応可能となる。
これほど極秘のプロジェクトが、こうもやすやすと表に出るなど、あってはならない。
薬師長が関わるプロジェクトとは別のプロジェクトであるため、薬師長がこのリボンの力を知っていたとは考えにくい。だが、織り方や模様を見て、舎村に関係することは十分に予測しただろう。
薬師長は、ひそかにエファにこのリボンを届けようとしたと考えられる。エファが舎村を留守にしていた数日間に何か異変があったのだろう。彼は、エファ以外を信用していなかった。直接エファに届けようとしたが、エファが留守のため果たせず、ネコに仕込んだものと思われる。銀色コインのマイクロチップを辿って、白ネコは必ずエファに発見されると見込んでの判断だったに違いない。
このリボンには見覚えがある。織物プロジェクトの島で、二年ほど前に、試作品の一つとして示されたものだ。十点ほど、多様な色と機能のリボンが示された。エファは当時の記録を呼び出した。たしかに、この赤色リボンはそのときの試作品の一つだ。その後、これらのリボンはすべて島に戻され、厳重に保管されているはず。
今ではもっと優れた機能の新しい試作品もできている。最新作ではないとはいえ、このリボンは、多くの研究の手掛かりを与えるものだ。薬師長がネコに取り付けて知らせてくれなかったら、誰か別の者の手に渡って、研究成果を横取りされていたかもしれない。
エファは改めて薬師長の機転に感謝した。ネコがリボンを咥えて逃げてくれたことも助かった。おそらくだれも気づいているまい。たかだか一、二日間であのリボンの価値に気づく者がいるとは思えない。だが、念には念を入れる必要がある。大きな土手もほんの小さな穴から決壊する。
エファは、壁に向かって命じた。
「リボンのことだ」
「はい」
壁の向こうから、くぐもった声がする。
「薬師長がどうやってあれを手にいれたかを突き止めよ。あれは、島でしか作っておらぬ。秘中の技術の結晶だ。それが島の外に出て、薬師長の手に入り、ネコの首に巻き付けるとは、薬師長はいったい何をわたしに伝えたかったのか? なぜ、すぐにわたしに知らせなかったのか? わたしの近くに裏切り者がおるかもしれぬ。それにも注意せよ」
「かしこまりました」
舎村密偵の〈蛇〉は、そう答えて気配を消した。
■スマホには美青年の写真がズラリ
二匹のネズミは、リトから奪い取ったスマホを見ていた。自分たちの身体と同じくらいの大きさだ。
若い方のネズミが足を器用に使って、スマホを起動する。年老いたほうのネズミが画面を見た。
「ガガさま、なんかわかりましたか?」
「おう。この者はアカデメイアの学生のようじゃな。リトという名じゃ」
「なんでまた、アカデメイアの学生がこの舎村に忍びこんだんですかい? しかも、まるで気配を消すなんぞ、只者じゃありませんぜ」
「そうじゃの。何者かはわからんが、この学生は、やたらとルナ文書に関する連絡をしておるの」
「ルナ文書ですって?」
「おうよ。アカデメイア博物館で調査をしとるようじゃ」
「へええ。例のルナ石板ですかね?」
「そのようじゃの。ほれ、ロロ、おまえも見ろ」
ガガとよばれた老いたネズミからスマホを受け取った若ネズミのロロは、画面をスクロールしながら、妙な声をあげた。
「ありゃ?」
「どうした?」
「なんか、ものすごくきれいな青年の写真ばっかなんスけど……」
「青年?」
「はい、これっス」
カイの写真がズラリと並んでいた。正面を向いた写真はない。
「盗み撮りじゃな。何ちゅうヤツじゃ!」
「けど、すんごい美形ですねえ。こんな美青年がそばにいたら、オレなんか舞い上がっちまいますよ」
ガガが首をひねった。
「ひょっとしたら、噂に聞く銀麗月かの?」
「きっと、そーですぜ。アカデメイアのネズミによると博物館にとてつもなくきれいな天月修士がきてるそうだし、天月のネズミによると銀麗月がひそかに山を出たそうだし……」
「うーむ……。わしらも一度博物館に行くとするかの?」
「へ? なんでですか? ここで「あの子」を見張るんじゃないんスか?」
「むろん戻ってくるわな。じゃが、銀麗月が出向くほどじゃ。あの月蝕の夜に、アカデメイアでいくつかの〈気〉が立ち上った。銀麗月もそれを見たはずじゃ。よほど重大なことが起こったに違いあるまい。それを確かめたほうがよかろうて」




