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Ⅵー5 ウル舎村城都

■見つかったらヤバいぞ!

 ウル舎村自治国は、バイオ研究で有名な研究所をもち、その特許利益で国家財政は非常に潤っている。研究成果をもとに、最先端の医療機関も整えており、世界中からセレブが集まる。都市国家として周辺農村部や多くの島嶼(とうしょ)を領有するが、古来有名な景勝地が多く、浜辺や群島は世界屈指のリゾート地としても知られる。

 都市国家全体がハイソで優雅な景観を呈しているが、中でも、舎村城都は別格だ。古代からの伝統を守り、いまでは手に入らぬような素材を使って都が設計されている。城壁や堀で守られた城都の中には勝手に入ることなどできない。

 だが、雲龍九孤忍術者であるリトにとってはこのくらいわけもない。リトはクロを担ぎ上げ、スッと忍び込んだ。


 クロといっしょに城壁そばの木に登り、舎村城都の中を見渡した。古代城都に似た整然たる条里制がとられ、非常に美しい街並みだった。舎村は特別歴史地区に指定されており、年に一回、一般市民にも公開される。

 写真で見たことはあったが、あまりの美しさにリトは感動した。夜も街灯が美しく、多くの家がライトアップされている。舎村城都には、世界中から多くの賓客が招かれ、ゲストはみな、夢のような古代世界に我を忘れるという。さもありなんだ。


 夜十時。すべてのライトアップが終わり、街灯のみとなった。その街灯も深夜十二時には消えた。


 庭の隅で気配を消したまま、リトはあたりを見まわした。城館に近い場所にころあいの大きな木が一本。クロと目で合図をかわし、リトはスルスルと気に上る。クロもがんばった。爪をあて、四本の足を器用に使い、リトの後を追う。だが、リトにはかなわない。ある程度まで上ったところでクロは体を支え切れなくなり、低い枝で一休み。リトが降りてきて一言。


「なんだ。おまえ、ネコのくせに木登りもできねえのか?」

――人間に負けられるものか!

 ムカッとしたクロは、ネコの意地を出した。リトを飛び越し、上を目指す。だが、ふんばりもそこまで。ふたたび止まってしまったクロをひょいと肩にかつぎ、リトは木のてっぺん近くまで達した。


 長方形の城壁で囲われた舎村では、どの家からも灯りが消え始めた。けれども、城壁を越えた向こうにはひときわ明るい建物。広大な敷地に何棟あるだろう。うわさに聞く舎村の不夜城――バイオ研究センターではないか。


 リトはおおよその地理を把握した。

 どうやら、ここは舎村城都の中央北部。三階建てのこの建物がいちばん高く大きな建物で、しつらえも豪華で立派だ。ほかは赤い屋根の二階建ての家が立ち並ぶ。相当に古い歴史を持つのだろう。月夜に浮かぶ家並みは、白漆喰に木枠が浮き彫りで、華やかだ。


 遠い闇に天月の山並みが浮かび、深く黒い森が広がる。川からめぐらせた堀で囲まれ、中国の王都さながら、まるで要塞のような城都だ。


 リトはクロをかついだまま、スッと木々を飛び渡った。二階の明かりがついた窓が見える所に居場所を定め、中を見た。リトは遠目が利く。室内はシックな調度で飾られ、舎村長はリボンを机の上に置いた。目をこらすと、部屋の中央でキキがクッションの上にすわって賓客然としている。

「あの様子じゃ、ひどい目にはあわされるまい。だが、いつ戻れるかわからんな」


「あいつ……心配してるだろうな」

 リトはルルを思い浮かべた。

 ルルはうるさくて、派手で、お調子者で、およそ嫌いなタイプのはずだが、どうも憎めない。無邪気に頼ってくるのが、何となくうれしくて可愛い。


■やるじゃないか!――リト、クロを見直す

 リトは気配を消したまま、しばらく木の上で様子をうかがった。やがて、屋敷の部屋の灯りが一つ一つ消えていく。どこから忍び込もうかと思案していると、ふと三階の小さな通気口が目に留まった。向こうの木を伝って屋根に飛び移り、通気口から入ることもできる。だが、なぜか、そのそばのベランダにも階下にもネコがいる。


 リトは反対側の木に移り、クロを屋根の上に放り投げた。案の定、金獅子が出てきた。金獅子はいきりたち、手下のネコたちにクロをつかまえるよう命じた。ベランダにいたネコも屋根伝いにクロを追いかける。

 クロは逃げ惑うかのように見せかけて、巧みに屋根伝いに逃げ、リトからネコたちを引き離していく。その隙に、リトはベランダに飛び移った。この家は、番犬ならぬ、番ネコで守られているらしい。


 だれの目にもとまらぬ素早さで屋根に飛び移り、小じいちゃんに教わったとおり、巧妙に通気口をあけ、中に身を忍ばせる。屋根裏はかなり広い。夜更けなので、どこからも音はしない。ただ一つだけ、かすかな音がした。リトは驚異的な聴力の持ち主だ。リトは音のした場所の上に行き、身をひそめて、天井板の一枚をわずかにずらし、隙間から中をうかがう。部屋の中はガランとしていた。だれもいない。


 天井板をはずして、中に飛び降りようとした瞬間、リトの手が止まった。暗闇のなかの扉が開き、舎村長が一人で姿をあらわしたからだ。リトは目を凝らした。暗闇でも見通せる目だ。小じいちゃんは、リトのこの目の力を知った時、たいそう喜んだ。ただし、だれにも知られるなとはクギをさされたが。

 彼女の手には、キキのリボンと小さな箱があった。舎村長はかかっている絵の一部に手をかざし、壁を開けた。そして、振り返りもせず、壁の向こうに消えた。閉まる瞬間に見えた様子では、階下への階段のようだった。


 そのまま屋根裏でリトが息をひそめていると、後ろで気配がした。振り返るとクロがはあはあと息を荒げていた。

「お……おまえ、どうしてここが?」


 クロに言葉は通じない。まさかリトの臭いを嗅ぎ取ってきたというのか? 気配を消したリトの臭いを嗅ぎ取ったネコもイヌも、いまだかつていない。臭いを残さぬよう、小じいちゃんに徹底的に鍛えられたのだから。冴えないノラネコとばかり思っていたクロだが、嗅覚だけは異常に鋭いらしい。


 クロが近寄ってくる。やせた尻を床につけ、くわえていたものをリトのまえに落とした。

 小さなパン。

 腹がふくらんでいるところを見ると、どうやら台所に忍び込み、ここまでやってきたようだ。ほとんど正面突破に近い。あきれた。


 リトは、クロとパンを何度も見比べた。

 腹の虫がグーとなる。そういえば、夕食を抜いてしまった。だから、クロがリトに気を使ったのか。リトは思わずクロの頭をなでようとしたが、やめた。ノラネコにはノラのプライドがある。頭をさわられて喜ぶといった屈従ポーズに、クロがおめおめと従うはずがない。


 リトはクロに水を分けてやった。どんなときも水を持ち歩く習性もまた小じいちゃんから仕込まれたものだ。(ふところ)には非常食も忍ばせてある。だが、それを取り出すのはやめた。パンのほうがぜったいにうまい。たとえ、ネコが噛みついたものであっても。


 一時間ほどたっただろうか。壁が開き、舎村長がふたたび姿をあらわした。手にはなにもない。そのまま彼女は静かに部屋を出て行った。

 息をのんで様子を見守っていたリトとクロは、それぞれが見定めた部屋に忍び込むことにした。リトは舎村長があらわれた部屋に、クロはキキの臭いをたどって。


 三階の部屋は、小さいが舎村長の私室の一つなのだろう。ぜいたくを嫌うといううわさのとおり、部屋は簡素だった。しかし、小物一つをとってもセンスがよい。これみよがしに飾り立てていない分、まことに上品で、知性を感じさせるしつらえだ。

 棚には二枚の写真が飾られていた。

 一枚の写真のなかで、舎村長は一人の幼子を抱いている。若いころの舎村長だろう。絶世の美女とのうわさは事実だった。天がこれほどまでに完璧な美を生み出せるものかと思うほどだ。膝に抱かれたあどけない笑顔の幼児は、陳腐な形容が恥ずかしくなるほど美しい。長じたら、道行くだれもが振り返るに違いない。

 もう一枚の写真は、若い女性のものだ。こちらもじつに美しい女性だが、舎村長とは少しイメージが違う。舎村長が牡丹のようにあでやかで優雅であるとすれば、この女性は百合のように清楚だ。


 ふと我に返った。

 写真に見とれている場合ではない。額絵にはセンサーが仕組まれていた。指紋認証だろう。ならば、いま壁を開けるのは無理だ。だが、コンピューターで管理されているとすれば、逆に一縷(いちる)の望みがある。だが、だれに頼めばいいのやら? 周りにコンピューターに強い人物などいない。

 リトはぐるりとまわりを見回した。こういう秘密がある部屋の内部には、監視カメラはない。だが、入り口を出たとたん、監視カメラに映るだろう。壁をたたいてみた。ごくわずかだが、音が違う。見た目にはまったくわからないが、ここがどこか階下への通路になっているのだろう。かなり深い階段のように見えた。


 リトはすべてを元通りにした。(ほこり)ひとつ痕跡を残してはいけない。そして、屋根裏に戻ってクロを待った。


■白い美ネコ

 クロは、キキの臭いを辿っていた。行き着いた部屋の大きなドアは開いたまま。中から、確かにキキの臭いがする。


「ニャオオオオオ、ニャオ、ニャ」

 歌うようなテノールのネコ声。そっとのぞくと、大きな金色のネコが興奮して毛をふくらませていた。美声美男の伊達ネコとして名をはせる金獅子だ。

 キキが危ない! 飛び込もうとしたクロの耳に、澄んだ声が響いた。

「ニャオ、ニャオン」

 金獅子の前にメス猫がいるらしい。


 今宵は満月。月明りのなかでおぼろにその姿が浮かんだ。

 クロの心臓がひっくりかえった。だが、足は磁石にとらわれた鉄のようにぴったり床にくっついて離れない。輝くばかりに白い毛並みのほっそりとしたネコがゆっくりと顔をあげた。白いネコがクロのほうを見る直前、ふくらんだ金色の毛がのっそりと動いた。ヤバイ、金獅子の鼻はなかなか鋭い。


 だが、当の金獅子はクロのほうなど見向きもしない。ひたすら、妙な声をあげながら白ネコの回りをのそのそと歩く。機嫌をとっているようだ。白いネコは、金獅子を相手にせず、凛とした姿をくずさない。金獅子の見事なたてがみと長い尻尾が小刻みに揺れている。

 金獅子は狙ったメスネコに容赦はないと聞いたが、今はまるでみじめな片恋オス。手出しできず、近寄れず、途方に暮れながらも、白ネコのそばを離れられないようだ。


 いくら金獅子が恋に狂ってしまったとはいえ、さすがにこのままここにいてはまずい。キキの居場所は確認した。クロは身をひるがえした。しばらくあとでもう一度来てみよう。白ネコに見とれている場合ではない。クロは屋根裏に戻った。


■ヘンなネズミたち

――明け方までに屋敷を出よう。

 立ち上がったリトとクロはギョッとした。二匹のネズミが立ちはだかっていた。クロが威嚇した。だが、ネズミはひるむ様子もない。逆にリトに突進してきた。


 そんな……と思った瞬間、リトは意識を失った。妙な香りが立ち上った気がする。隣で、クロはすでにひっくり返っている。薄れゆく意識のなかで、リトはネズミたちの会話を聞いたような気がした。


「こいつら、いったい何者なんスか?」

「わからん! ひとまずスマホを取りあげて、調べるんじゃ」


 リトがふたたび目覚めたとき、屋根裏であるのは変わりなかった。まだガンガンする頭をさすりながら、目を凝らすと、クロはまだひっくり返っていた。脈はある。体もあたたかい。むしろいびきをかいているほど。リトはクロを蹴り上げた。

「起きろ!」

「ふぎゃ」


 あわててクロの口を押え、リトは胡坐(あぐら)を組んだ。体をさわってみるとスマホがない。漏れてはいけないデータは入っていない。けど……ものすごく大切な写真が入っていたのに!

 時計を見ると九時。忍び込んだのは深夜三時。それから六時間もたったということか?


 天井の隙間から下を見た。

 幼子が白いベッドに横たわっている。医師と看護師がやってきた。これは日常の光景なのだろう。幼子の脈をとり、ひととおりの診断をして、二人は出て行った。残った家政婦らしき女性が幼子の体を拭き、下の世話をする。その間、幼子は一言も発しない。人に動かされる部分以外は、微塵(みじん)も動かない。どうやら重度の障害をもつようだ。

 リトは意を決した。この部屋に降りて、窓から脱出するしかない。折よく、窓の外には大きな木が茂り、身を隠すのに都合がよさそうだ。だが、夜まで待つことにした。クロがキキを確認に行った。キキの姿は見えず、臭いもない。すでに解放されたのだろう。


 月が昇った。リトは、天井板の一枚をはずし、部屋に降り立つ。幼子は顔もむけず、手も動かさず、声も上げない。

「ちょっとごめんよ。部屋を通るだけだから、許してくんな」

 リトはそういいながらクロを担いでベッドの脇を通り抜けた。クロはまだ薬がきいているのか、もうろうとしている。


 リトはふと足を止めた。彼が回せない首で、動かせない目で見ているような気がした。


 ふっと目をやると、その子は笑いもせず、怒りもせず、言葉も発しない。だが、何か強いエネルギーを感じる。彼の枕が少しずれているのに気付いたリトは、枕を直すため手を伸ばした。幼子は何も言わず、瞬きもせず、そのままであったが、目に光が宿った気がした。それはかぎりなくやさしい光で、リトは思わず彼の目を覗き込んだ。

「邪魔して悪かったな。じゃあな」


 リトはクロをかついだまま、窓から向かいの木に飛び移った。それはとても俊敏で、とても華麗な跳躍だった。

 開いたままの窓から、さわやかな風が木々の匂いを運ぶ。一瞬の清涼が部屋を駆け抜けた。

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