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Ⅰー1 少女目覚める  

■病室 

 若い男がのぞき込んでいる。

 良質の象牙(ぞうげ)のような肌の色。太めの眉の下にある二重のまぶたがゆっくりと上下した。長いまつげの奥にある黒い瞳の中に映っている女の子は……ダレ?


「オレはリト――朱鷺理兎(ときりと)。覚えてる?」

 ぼんやりと記憶をたどる。なにも浮かんでこない。

「ごめん。オレがちゃんと迎えに行ってたらこんなことにならなかったのに。……ほんとにゴメン」

 リトと名乗った青年は、そう言ってあわただしく部屋を出て行った。ややあって、足早に看護師がやってきた。後ろからヒョイとリトが顔を出す。


 縮こまる少女を見て、小太りの男性看護師モトキは、にこやかにポケットから小さな袋を取り出した。封を切って白いイアホンをつまみあげ、それを少女の耳にはさんだ。耳たぶにふれた彼の手はやわらかく、温かかった。

 看護師モトキが口を開いた。それにあわせて、イアホンからやや堅苦しい機械的な声が響いてくる。

「モウ、大丈夫ダヨ。シバラクシタラ、痛ミモ、引クダロウカラ、ユックリ、休ンデ」

 とまどう少女にかまう(いとま)もないのだろう。看護師は、そのふっくらした手を器用に使い、手際(てぎわ)よく少女の足の包帯を取り替え、病室を出て行った。


 やせっぽちで小柄な少女は青年を見上げた。長身のリトを映す黒目がちの大きな瞳がおののき、おかっぱ頭の黒髪がさわっと揺れた。

 少女の問いを察してリトが言った。

「ここは病院。大きな事故だったけど、キミが大ケガじゃなくてよかった」

 一瞬の間があき、少女は首をかしげた。

――この子はショックで思い出せないのか?

 リトは昨日のニュースを思い起こした。


 スマホで確認すると、気流の乱れですべての飛行機の到着が数時間程度遅れているという。到着予定は夜八時に変更になっていた。毎年、この時期によく起こる現象だ。

 迎えに行くまでちょっとだけ間が空いた。ほんの三十分だけ。仮眠のつもりだった。


 気付くと深夜十二時。つけっぱなしのテレビが臨時ニュースを告げていた。

「夜十一時過ぎ、国際空港から市の中央駅へ向かうリムジンバスが、連絡橋の上で二台の乗用車と衝突しました。多数のけが人が出た模様です。車を運転していた女性は心肺停止(しんぱいていし)ということです」

 映像はガードレールを大きく(ゆが)めて海に落ちかけているバスの車体を映していた。二台の車はすでに撤去されているのか、姿はなかった。それ以上の衝撃的な映像は控えられている。

 

 あわててスマホを見た。夜八時から断続的に着信履歴が数件。最後のものにはSMSのメッセージがついていた。

――十一時発の最終バスに乗る。駅で待ってる。

 いっぺんに目が覚めた。それ以降、着信はない。

――どこだ? どこに運び込まれた?

 あの周辺にはいくつかの大きな病院がある。


 外に出ると、道路がびしょ()れだった。寝ている間に、大雨が降ったのか。


 リトは、オンボロの自転車に飛び乗った。速度を上げすぎて、自転車が悲鳴を上げている。次々と五つの病院をたずねた。急な坂を上り、最後にたどり着いたのがこの病院だ。岬の上にある古ぼけた病院。かつて、アパートの隣人がこう噂していた。

――岬の上病院にはぜったい行くな。あそこに行くと死ぬぞ。

 その病院のベッドにこの子が横たわっている。

 

 少女は覚悟を決めたように口を開いた。

「わたし……ダレ?」


 かけ直そうとして持ち上げた毛布がリトの手から滑り落ち、少女の平たい胸の上で何本もの(しわ)を作った。

 リトは、言葉を詰まらせながら続けた。

「ま……まさか、自分のことがわからない……とか?」


 少女は小さな唇をへの字に曲げた。リトはウッと唸りながら、口の中にしみ出た(つば)を呑み込み、自分の胸をたたいて軽く呼吸を整え、こう伝えた。

「フウコ。キミの名前は都築風子(つづきふうこ)。風の子と書く。キミとオレは十年前に一度だけ会ったことがある」


――十年前……。

 突然、風子は頭を押さえた。後頭部が重い。ズキズキする。そのまま風子は意識を失った。


 その後はあわただしかった。風子は検査室に運ばれ、リトはなすすべもなく、人のいない廊下の長椅子に腰掛けた。窓を覆うような木々の向こうに月が見える。

 リトは、アルバイト先の友人カンクローの言葉を思い出していた。

――今度の月蝕はものすごく珍しいんだ。皆既月食と天王星食が重なるってのは、およそ五百年ぶりだ。望遠鏡があれば、見られるぞ。


 リトはものすごく眼がいい。望遠鏡が必要なレベルでも見通すことができる。だから楽しみにしていたのに、見損ねてしまった……。


 風子の容態が落ち着いたと看護師がリトに告げたのは、深夜の三時過ぎ。

 通用口を通って外に出た。大雨でたっぷりしずくを含んだ草花が青白い外灯に照らされて輝いている。ほのかに紅を帯びたサクラの花びら越しに、リトは夜空を仰ぎ見た。銀色の満月はもうすでに西に傾いている。

 朝一限のテストまで数時間しかない。四月から始まる必修の語学授業のクラス分けテストだ。厳しい教師にあたると、再度の留年へとまっしぐらだ。


 「鬼のザビーナ」の顔がうかんだ。美貌の若いドイツ語教師だが、彼女には情状酌量じょうじょうしゃくりょうなどありえない。やたらとテスト好きで、この前の秋学期ものっけからテスト責め――十五回中五回で欠点を取ったら即不合格だ。

 リトはため息をついた。去年は、前期も後期も早々と続けざまに欠点を取ってしまった。今期は他のクラスに代わりたいが、どこも人気で満杯らしい。留年組は冷遇される。このテストで上位に入らなければ、きっとまたザビーナのクラスに配属される。この前、廊下でたまたま会ったザビーナがリトを見てニヤリと笑った。あれは何を意味するのだろう……。

(まずい。これ以上バイトを増やしたら、留年確定だ……。だけど、このままじゃ、生活費が足りない)


 まだ肌寒い。どこかでかすかな鳴き声。

 ブルッ。

 イヌは苦手だ。


■首飾り

――夢の中だったのかもしれない。

 だれかのゴツゴツした分厚い手の平ですっぽりほっぺを覆われた夜。関節が太くなった指。固い指先。窓の外で、銀色の満月が漆黒の闇夜(やみよ)に張り付いたように浮かんでいた。


 病室のみんなは寝静まっていた。風子は、薄い布団に身体を巻き込むように(うず)めたまま、寝返りを打ち続けた。固いものが胸にあたる。ペンダントだ。色はえらくくすんでいた。

 風子はペンダントを手にとった。一瞬、鮮烈な思い出が胸を貫く。


――このペンダントはおまえの守り神。大事にして。


 あれは、だれの言葉だったのだろう。

 手のひらに収まる小さな丸いペンダントは、さほど重くない。中央に描かれている動物は、幼い頃、だれかの膝に抱かれながら図鑑で見た神獣(しんじゅう)に似ている。風子はペンダントを首にかけ戻し、目をつぶった。


 少しずつ思い出そうとするが、ところどころ記憶が欠けている。なにか大事な記憶が欠けている。


 ごくわずかに開いたカーテンから銀月の光がひとすじ差し込み、風子の寝顔をかすめながら、ペンダントの神獣を照らした。描かれた麒麟(きりん)の片目が一瞬、緋色に光った。


 風子がふたたび目覚めたとき、日は高く昇っていた。

 リトはもう傍らにいた。

 昼前に来て、ずっとそばで見守ってくれていたらしい。最初は顔色が冴えなかったが、風子の世話をしているうちに笑顔が戻った。かいがいしく働くリトの背中は伸びたり、縮んだり、絶え間なく動く。端正な横顔だ。


「お茶にしようか? このあたりでいちばんおいしいシュークリームを買ってきたよ」

 昨日の晩、リトは貯金箱のなかにため込んだコインを全部はき出した。ケーキには手が届かないが、シュークリームなら買える!


 リトは、紙コップにティーバックの紅茶を入れている。変わったのは、髪型だけじゃない。なんだか、以前とまるで雰囲気が違う。

――以前と違う?

 そう思う自分に風子は驚いた。

――覚えていないのに、覚えている?


 香ばしい皮のシュークリームからなめらかなカスタードクリームがとろりと流れ出る。すこし生クリームがまぜてあるのだろう。甘さは控えめで、大きさもほどよい。かつて一年の決まった日に必ず口にしたシュークリーム。

 あれは、だれが買ってきてくれたのだろう? なんだか、鼻の奥がツンとする。


「わたし、どうしてここにいるの?」

 シュークリームを手にしたまま、リトが風子の目をのぞき込む。手にした皿を脇の棚のうえに置き、リトは風子に向き直った。

「アカデメイア大学附属中等部に編入するためだよ。特待生(とくたいせい)らしいね。すごいなあ」

 そう言いながらも、リトは疑念を消せない。

(いったい、この子のどこが特待生なんだろう……?)


 リトは自分を振り返った。

――いやいや、ヤバイのはオレの方だ! ひとのことを気にしている場合じゃない!

 アカデメイアの学費は、授業料二百万円、寮費や食費全額込みだと年間五百万円もかかる。成績優秀者は授業料や学費全般が全額免除や半額免除になる。

 リトの場合、授業料全額免除の特典に与かった。高い寮費を払えないので、格安のボロアパートを借りて一人暮らしだ。なんとか生活をやりくりしてきたが、一定程度の単位を好成績で修得しなければ、授業料全額免除の特典は消滅し、激変緩和措置で半額免除になる。もう一度留年すると、半額免除の措置も消える。


 アカデメイアの単位認定は厳しい。油断して必修単位をいくつか落とした。鬼門は語学――ドイツ語だ。それだけじゃない。次々と単位を落として、ただいま第一回目の留年中。

 卒業時までの奨学金はなんとか確保しているが、それだけじゃ足りない。このままだとさらに留年延長はほぼ確実。アルバイト三昧(ざんまい)で、この厳しい大学をはたして卒業できるのか……。


 ため息をつくリトのそばで、風子がボソリとつぶやいた。

「……学校なんか行きたくない」


■ルナ石板

 オンボロの病室だけれど、朝の明るい日差しに(かげ)りはない。今日もまもなくリトが来るはずだ。

(アカデメイアっていったい何?)


 風子は、()だるそうに、昨日リトが持ってきたパンフレットを開いた。もちろん日本語版――。二十頁ほどの冊子で、高品質のカラー図版が鮮やかだ。

 とたんに風子の目が輝いた。

 冒頭に大写しになっていたのは、アカデメイア附属博物館。古代ウル帝国の図書館に起源をもつという世界有数の博物館で、古代学研究の世界的拠点でもある。

 

 ページを()る風子の目が驚きに変わった。

(うそおお。こんなのがあるわけ?)

 博物館が所蔵するウル古文書の写真が載っていたからだ。世界で数点しか発見されていないルナ石板の写真もある。


 まだらな記憶の中で、曾祖母たる大ばあちゃんの言葉が蘇る。大ばあちゃんは、何度もルナやウルの神々の物語を聞かせてくれた。


 大昔、天からあるところに神々が降り立った。ルナの神々じゃ。

 ルナの神々は、大海(たいかい)混沌(こんとん)の中から山を(つく)り、谷を削り、川を流し、平野を産みだした。そのあと、すべての生き物を創ったんじゃ。もちろん、ひとも創った。ルナの主神、月の神の涙からひとは産まれたという。

 国生(くにう)みをした神々は、すらりとしたお姿で、銀色の長い髪をもち、それはそれはきれいなお顔じゃったという。

 男でもない。女でもない。不老不死の神々には、お子を生み出す必要はなかったからの。

 ルナの神々が住むのは、緋月(ひげつ)の村。飢えも病も死すらない楽園じゃ。じゃが、どこにあるかはわからぬ。天上か、地下か――いずれにせよ、ひとがたどり着ける村ではないという。


 ルナの神々は、ルナの民を生み出した。

 ルナの民は、ルナの神々に仕え、自然の(ことわり)(そむ)かずに限りある命を生きる者たちじゃ。彼らが作った小さな国が、ルナの国じゃ。

 ルナの神々に祈るために、人びとはあちこちに神殿を建てた。山が崩れぬよう、川があふれぬよう、雨が降るよう、作物が実るよう、病気が治るよう、そして、生きる世界も死後の世界も苦しまぬよう……。いろいろな願いを込めて祈ったという。

 だがのう、人間というものは勝手な生き物じゃ。非力(ひりき)で、神々に頼らざるをえなかったときは、せっせと祈り、折に触れて奉納(ほうのう)し、毎年、神々を寿(ことほ)ぐ祭りを行った。じゃが、いつしか、人間は、自然を支配したかのように思い上がってしもうたか。


 ルナの神々は、(あら)ぶる自然の化身(けしん)。人びとがルナの神々を忘れていくとともに、ルナの神々も人びとを見捨てた。ルナの国の神殿は川に飲み込まれ、山津波(やまつなみ)に押しつぶされ、すべてが土の下に沈んだという。ルナの民も死に絶えた。

 豊かなルナの国を荒れ果てた野に変えてしもうたのは、ルナの民じゃ。

 ルナの国は遠い昔の小さな国。じゃから、ずっと実在しないと思われてきた。ところが、百年ほど前にルナの大神殿が見つかっての。十年ほど前にはルナの石板も見つかった。今では、ルナの国はルナ古王国と呼ばれておるそうじゃ。


 風子よ。おまえの母さんは、ルナ古王国の石板を発見した一人での。その後もずっとルナ古王国のことを調べておる。

 じゃからな、風子。寂しゅうても我慢するんじゃぞ。このわしがついておる。わしゃ、死んでもおまえを見守り続けるぞ。


 その顔を覚えてもいない母。大ばあちゃんの語りの中でのみ知ることができた母。

 アカデメイア博物館のルナ石板は、きっと母――「お母さん」と呼ぶのすら遠い人――が見つけたものの一つなのだろう。


■ルナ大祭典

 隣のベッドにいたおばさんが声をかけてきた。

「あんた、アカデメイアの生徒かい?」

「はい。……そうみたい」

「すごいねえ。アカデメイアと言えば、超エリート校じゃないか。学費もばか高いらしいしさ。あたしら庶民には手が届かない学校だよ」

「そうなんですか? わたし、よく知らなくて……」

「あれまあ、知らないでここに来たの?」

 風子はコクリと頷いた。そうなのだ。なぜここにいるのかも、これから行くべきところについても、さっぱりわからない。


「ほら、あそこに煉瓦色(れんがいろ)の立派な建物がいっぱい見えるだろ?」

「はい」

「あれがアカデメイアの大学だよ。特に博物館が有名でね。いまちょうどシャンラ王室秘宝展ってのをやっててさ。この前、あたしも見に行ったんだけどね。朝から大勢の人が並んでたよ」

「へええ、秘宝展? どんなお宝なんですか?」

「一番の目玉は、女王さまの楽器と神殿の模型だってさ。ルナの石板とやらも出てたわねえ」

「ルナの石板?」

 風子は思わず大きな声を出した。おばさんの向かいのベッドにいるおばあちゃんが、うるさそうに寝返りを打った。


 おばさんが声を小さくした。

「そうだよ。でも、ありゃ地味すぎて、あたしにゃ、よくわかんなかったよ。神殿模型はそりゃ立派だったし、神器とかいう琴も見事だったけどね。一番きれいだったのは、何といっても国王さまと女王さまの王冠さ。いろんな色の大きな宝石がいっぱいついてて、警備もものすごく厳重だったよ」

 おばさんはうっとりとした顔になった。その王冠を思い出したのだろう。


「秘宝展は、シャンラ両王の戴冠十周年を祝う企画らしいからね。来年のルナ大祭典の準備を兼ねた催しだそうだ」

「ルナ大祭典?」

「おやまあ、それも知らないのかい? しょっちゅう、新聞やテレビで話題になってるのに」

「……おととい、日本からきたばかりで」

「まあ、そうだったのかい。すまなかったねえ」


 おばさんは、ルナ大祭典のことをいろいろと教えてくれた。

「ルナ大祭典は、シャンラ王国、カトマール共和国、ウル舎村、アカデメイアの四つが協力して取り組んでいる催しなんだよ。来年はカトマールのルナ大神殿のそばに新しくできる大劇場でミュージカルが上演されるんだって。博物館もできるらしいよ」

 風子にはいまいちピンとこない。どの国の名前も知らないのだから。でも、ルナ大神殿とカトマールの博物館には興味がそそられる。よし、ぜひ行こう!


 リトが来たのを見て、おばさんがニヤニヤしながら風子にささやいた。

「うらやましいねえ。あんなイケメン彼氏が毎日来てくれるなんてさ」

「は……?」

 いや、あれは「チューター」とかいう役目のアルバイトをつとめているだけらしいんだけど……。


 リトは、風子とおばさんが話しているのを見てにっこりし、おばさんに挨拶した。

「おはようございます」

「お……おはようさん」

 おばさんが大テレしている。リトは、おばさんキラーなのか?

「ルナ大祭典は楽しみですよね。アカデメイアでは、音楽学部を新設して、ルナ・ミュージカルに出演する学生を特別入試で選ぶようですよ」

「へええ、そうなのかい。いつもながら、アカデメイアはやることのケタが違うねえ」

「あのラウ伯爵が音頭(おんど)をとってるらしいですからね」

「ほう。あの有名な億万長者の?」

「ええ」


 リトはふたたびにっこり笑って、こう言った。

「さてと、この子をお医者さんに見せないといけませんので、失礼します。さあ、風子、行くよ」

 リトは三度にこっとおばさんにお辞儀し、風子の手を引いた。

 おばさんは、残念そうにリトを見送りながら、ふと思った。六人部屋の入り口から窓際の自分のベッドまでゆうに十メートルはある。

(なんでルナ大祭典のことを話してるのがわかったんだろね? 小声だったから、聞こえるはずなかろうに)


■特待生

 病室を出たリトが、ほうっと息を継いだ。足を止めたリトの顔を風子が見上げた。

「あれ? お医者さんのところに行くんじゃないの?」

「行かないよ。あのまましゃべり続けたら、周りに迷惑だろ? 向かいのおばあさんが睨んでたぞ」

 リトは風子をおばさんのおしゃべりから救い出してくれたようだ。


 そのまま二人でロビーに座った。リトが缶ジュースを買ってくれた。

――ズズッツ、おいしい!

 通りがかった看護師さんや患者さんが、なんだかこっちをチラチラ見ている気がする。

 しばらくして気づいた。

――そうか! こっちじゃない、リトを見てるんだ。ふうん、リトはモテ男なのか。


「ねえ、アカデメイアが超エリート校ってホント? 学費も高いって……」

 風子が心配そうに尋ねた。

「そうだよ。でも、キミは特待生だから、ここでの生活には困らないはずだ」

「ふうん」

――ズズズッ。

 風子はオレンジジュースを最後まで飲みつくした。


 リトは持ってきたパンフレットを開いた。

「ほら、ここ見て」

 パンフレットの最後には、アカデメイア学園全体の説明が書かれていた。

――アカデメイアは、小学校から大学院までそろう総合教育機関であり、多数の研究センターをもつ世界有数の研究機関でもある。

 最後にこうあった。

――アカデメイアは教育機関であって営利機関ではない。教育機会の均等という見地から、多様な奨学金制度を揃えている。特別に秀でた能力を持つ者は「特待生」とし、学費を全額免除として返済不要の奨学金を付与する。


「わたしは、この特待生っていうのにあたるわけ?」

「そうだよ。アカデメイア中等部にはキミのような奨学生が多くて、世界中からエリートを目指す生徒が集まっている。学費は高いけど、本人や親の収入・学歴なんかをもとに生徒の半分くらいは学費免除になるよ。ただし、特待生は、年間数人しか受けられない超難関枠らしいけど」

「……すごいんだね」

 記憶がない風子にとっては、すべてひとごとだ。


 リトは、いたずらっぽくこう付け加えた。

「中等部のカリキュラムはものすごく高度らしくて、授業についていけなくなった生徒は、別の学校に追い出されるんだってさ。だから、キミも注意したほうがいいよ。まあ、オレも人のことは言えないんだけどね」

 リトは苦笑(にがわら)いした。風子のチューターに応募したのも、生活費が欲しかったからだとか。

「もらったお金の分はちゃんと面倒を見るからね。安心して」

(それ以上の面倒は見ないってことか……。ま、いいけど)

 風子は、リトの背中を見ながらぼんやりとそう考えていた。

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