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Ⅲー4 消された歴史――雲龍九孤族

■山の民――雲龍九孤族

 九孤(くこ)の里は雲龍連山の山奥にある。

 吉野から熊野につながる急峻な大峰(おおみね)山脈(さんみゃく)の中でも、雲龍連山は特に深く険しい。


 古来、都や里の人々は、雲流連山の奥谷(おくたに)()む「山の民」を怖れた。古代大和王権(やまとおうけん)は西からの渡来人(とらいじん)からなる政権であった。奥谷の民はもっと古くから定住した民であり、王権への服従を嫌う自由な民であった。これゆえ、土着者を意味する「(つち)蜘蛛(ぐも)」と蔑視されたり、魔道を行う「(おに)・鬼」あるいは「天狗」として怖れられたりした。

 しかし、「山の民」ももとは紀元前に大陸から来た者である。太古の時代に国境はなく、人々の自由な行き来を阻むものはなかった。

 

 歴史も同じだ。大和朝廷に恭順した集団は、自らの神話と歴史と特産物を朝廷に捧げ、その恭順過程を含めて、正史に記録された。しかし、恭順を拒んだ集団は名すら与えられず、「歴史を持たない民」とされた。

 正史は、朝廷に(ろく)()む官僚によって記録される。事実のかけらがつなぎ合わされてもっともらしい物語に仕立てあげられ、権力を正当化する賛辞が選ばれる。


 歴史に(うず)もれた雲龍の土蜘蛛は、山と川と谷を支配した、雲龍連山は鉱物資源の宝庫であり、田畑よりも価値があったからである。

 「山の民」は、山の恵みとして木や薬草を売り、動物や魚を糧に生計を立ててきた。特に、鉱物や薬草を原料とする(たん)(やく)の知識と医療技術に優れた。彼らは、丹薬売り、医療者としても活躍し、広範囲の行商・行脚(あんぎゃ)行脚(あんぎゃ)のネットワークを築いた。

 雲龍のカラスを飼い馴らして通信に使い、情報の速さや確実さでも群を抜いていた。しかし、山はその豊かさゆえに常に権力者に狙われた。このため、「山の民」は、山に結界を張り、山の自然と生き物を守り続けたのである。入ろうとする者を容赦なく排除したため、山は「鬼山(おにやま)」、谷は「地獄(じごく)(だに)」と呼ばれた。


 熊野には、役子(えんのお)(づね)が開祖した寺があり、多くの修験者(しゅげんじゃ)が修行に訪れる。 女人(にょにん)禁制(きんせい)の寺もいくつかある。

 雲龍一門は違う。宗主制度ができてからすでに一千五百年以上、九孤家が宗主を務める。(いにしえ)えより、宗主は女系で女性が継承してきた。

 女宗主は「山姥(やまうば)」として怖れられたが、強大な力を持ち、山の生き物を眷属(けんぞく)として従え、天地の声を聴くことができた。


 当代の女宗主が、リトとサキの祖母である。祖母は、歴代宗主の中でも抜きん出て学知が深く、呪力に長け、「九孤の賢女」と呼ばれている。


 雲龍一門は、自然信仰を基礎に道教や仏教の大陸伝来学知を積極的に取り入れ、修験道(しゅげんどう)とは異なる独自の心身鍛錬術を発展させた。外交ルートには乗らずに、海のルートを使って諸外国との交易・交流を絶ったこともない。

 そのため、幾棟もある蔵には古代文化の典籍・書籍・地図・絵画が数多く厳重に保管されている。国宝級レベルには事欠かない。しかし、雲龍はこれらの文化作品を過去の遺物として仕舞い込んだり、展示したりするのではなく、生活資料あるいは今なお生きる学知として活用している。


 祖母はよく言っていた。

――これほどの文物を収集し、いまも利用しているのは、この雲龍と天月だけじゃ。アカデメイアの収蔵資料は雲龍や天月よりも多いが、もはや学術の対象じゃ。ひとの生活から切り離されてしもたら、知も書き物も死ぬでの。


 一方、自然とひとを一体化する〈気〉の養い方、(めぐ)らせ方、使い方は、門外不出の秘伝であり、一門直系の女子にのみ伝えられる。

 リトは直系であるが男子のため、最奥義(さいおうぎ)は伝授されていない。しかし、一門にふさわしい力は幼少期から鍛えられ続け、特にリトは軽功(けいこう)を中心とした身体能力に優れた。ただし、いくら身体能力が優れていても、それを他人の前で使うことは、人命等に関わるときを除いて禁じられている。


■父と母

 リトの父は、朱鷺(とき)(かなめ)。歴史民俗学の学者だった。両親が離婚したとき、リトは五歳だった。


 リトは母の許に行くのを拒否した。幼いながらに、父と自分を捨てた母を許せなかったのだ。しかし、離婚のショックで父が寝込んでしまい、父とリトは二人そろって母方祖母の九孤家に引き取られた。

 ばあちゃんの家には、父親が違う姉たちが三人いた。姉たちも、親の離婚後にばあちゃんの家に引き取られたという。


 父は、平日は仕事のため官舎に戻り、週末は雲龍の家に来てリトと過ごした。

 姉たちはそれぞれ強烈な個性の持ち主で、リトはこき使われた。でも、リトを守ってくれたのも姉たちだった。父は、そんな姉たちとリトの子どもっぽいケンカをニコニコと見守っていた。末姉のサキは、父のことを本当の父のように慕った。


 いま、母は高校時代の友人と一緒に暮らしているとか。母の幸せは父にとっては地獄のような苦しみだったに違いない。リトはずっとそう思っていた。だが、少し違ったのかもしれない。


 父は、五年前に亡くなった。生前ずっと母を忘れられなかったようだ。父の遺品を整理してよくわかった。父は母との思い出の品を大切に保管していた。母もまた父を愛していたと思いたい。


 母は四人の男と結婚し、どの男ともすぐに別れた。

 姉たちによると、母が父と暮らした時間は、姉たちの父と暮らした時間よりもはるかに長かったという。しかし、母はアカデメイアで運命の人と再会してしまった。母にとっても、そのひとにとっても、互いが初恋だと知り、二十年ぶりに初恋を成就したのだ。父に入り込む余地はなかったらしい。


 雲龍一門宗主であるばあちゃんは食えない人物だ。相当な博識なのに、いつもとぼけたふりをしている。よたよたと歩くくせに、忍術の腕は誰も寄せ付けない。九孤家は、修験道の系譜をひきつつ、医療忍術を発展させた家系だ。


 宗主のばあちゃんが一番目をかけていたのが、三番目の末姉サキだった。しかし、サキは宗主などまっぴらごめんと言い残し、十年前に地元の高校を卒業するとさっさと東京に出ていった。

 ばあちゃんの弟の(しょう)じいちゃんが(すえの)(あね)をなんとか引き留めようとしたが、ばあちゃんはこう言った。

「やりたいようにやればええ」


 東京の大学で学んでいた末姉サキは、リトの父の死後、唐突にアカデメイアに移った。リトを一番こき使ったのもサキだが、リトがアカデメイアに来ると聞いて、口では文句を言いながら、一番気にかけてくれたのもサキだ。

 長姉(うえのあね)のナミは典型的な優等生で、いまは東京で弁護士をしている。

 中姉(なかのあね)のミオは画家を目指していたが挫折し、生活費を稼ぐためにはじめたWEBマンガがなんとか売れ、このアカデメイアで暮らしている。シングルマザーで娘がいる。この姪はリトに懐いていて、リトには超可愛い。

 一般的な家族像とは違うが、リトは家族には恵まれたと思う。


 だが、母にだけは絶対会いたくなかった。嫌いと言うよりも、もはや意地だった。母がばあちゃんの家に来るときは、決まって逃げるように山に隠れた。

 十歳になってしばらくたったその日も突然、母が来訪した。

 リトはあわてて山に逃げ込んだ。


 そして、出会った。


 不思議な子だった。絵から抜け出たように端麗な姿で、黒くしなやかで長い髪が風に揺れていた。


■迷陣を破る美少年

 雲龍連山は深く、雲海に覆われている。古くからほとんど人が入ったことがない原生林が続く。連山には結界が張られ、不審な侵入者を排除してきたからだ。


 結界が破られたときには迷陣(めいじん)が発動する。霧が出て、侵入者は道に迷う。迷い込んだ者は、ほとんどの場合麓へと誘導され、山の中のことはすべて忘れてしまう。

 霧の力を侮り、迷陣を破ろうとした者は、森に吸い込まれて二度と戻らない。ただ、結界を破ることは至難で、迷陣を破った者などかつていないと聞いている。


 ところが、なぜかその子は結界を破ったらしい。


 すでに迷陣が作動していた。霧がどんどん深くなり、足元すら見えなくなる。あろうことか、その子はいとも軽々とその霧まで払いのけてしまった。

 引き裂かれた霧の向こうで、その子はリトの正面に立っていた。黒く長い髪を赤い紐で留め、白いTシャツと黒いズボンをはいていた。何の変哲もない普通の服だった。

 だが、その子のあまりの美しさに、リトは硬直した。異形(いぎょう)の者が変化(へんげ)したのではないか、そう思ったからだ。


 迷陣すら破られた場合、次の段階では地面が割れ、侵入者は飲み込まれると聞く。雲龍の秘密を守るために古代から伝わる秘術だ。


 リトは思わずその子の手を取り、走り出した。その手は温かく、ひとの手だった。

 リトたちの後を追うように、地割れが迫ってくる。


 ヒラリ。

 リトとその子は、同時に飛翔した。


 二人は手をつないだまま、木々の上を飛び交っていく。リトは軽功にはだれにも負けない自信があったが、その子の力はリトと変わらなかった。白皙(はくせき)の美貌に見とれながら、リトの心臓がドクンドクンと激しく揺れた。


 崖の頂に出た。ここには術は及ばない。リトとその子は互いの顔を見た。手をほどくのが名残惜しい。

 互いの手から血のめぐりまで伝わってくる。


 二人とも手を放すきっかけがなく、そのままでいると、一羽のカラスが舞い降りてきて、リトの手の甲をチョンチョンとつついた。睨まれている気がした。

 ハッとして手を引っ込めると、その子はそばの枝から数枚の葉を引きちぎり、峡谷(きょうこく)に放った。葉が翻ると、その子は、木の葉の上を飛ぶように伝いながら、向こうの崖に飛び移った。


――うそ! ……ここを飛び超えるか?

 リトもさすがにそこまではできない。


 向こうで一瞬、その子が振り返った。軽く会釈している。リトは思わず手を振ってしまった。

 二人の間を引き裂くようにカラスが旋回し、カアアと一声鳴いた。山に夕日が照り返している。いつもより緋の色が濃い。リトの頬も火照(ほて)っていた。


 雇い人を装う門下たちは総出で結界破りを探していたが、結局リトが名乗り出た。リトはばあちゃんにこっぴどく叱られた。破られた結界と迷陣の修復のため、ばあちゃんと長老たちが長い祈祷(きとう)に入った。それでも、リトはその子のことを誰にも言わなかった。


 二人だけの秘密――心地よい言葉だった。


■ウル帝国ゲーム

 中学のときに父が買ってくれたゲーム。古代ウル帝国の聖戦伝説をもとにつくられたゲームにリトは夢中になった。


 初のルナ大祭典にあわせて作成・公開された映画をもとにしたゲームだ。ゲーム制作者は古代ウル帝国のことをかなり調べていた。それでも突っ込みどころは多かった。歴史ファンタジーだから、それでよかったのかもしれない。

 でも、ゲームの進化と競うように、リトは古代ウル帝国の物語に夢中になった。父はそれを密かに喜んでいたと思う。時々一緒に遊んでくれたが、キャラ設定にはいろいろと注文をつけていた。ただ、ゲームの主人公となる帝国見習い神官の美少年キャラを父はかなり気に入っていたようだった。

 山で出会った少年は、そのキャラにとてもよく似ていた。


 名も知らぬその子に出会って、リトは二つの点で変わった。 

 一つは、古代ウル学の文献を読みあさるようになったことだ。神話ではなく、歴史上のウル帝国とその祖先であるルナ古王国に興味を持ったのだ。あの子のような者が実在したかもしれない。父はウル学もルナ学も研究範囲に収めていたとはいえ、専門ではなかった。ただ、ルナ神殿の一つである月神殿について書かれたファン・マイという研究者のわずか二点しかない論文を高く評価していた。ゆくゆくはルナ神話も調査したい。これが父の口癖だった。

 ルナ学もウル学も日本ではまともに研究できない。それができるのはアカデメイア。古代ルナ学・ウル学の最高峰たるアカデメイア大学だ。中学生にとってアカデメイアは遠い。父と離れるのはイヤだった。だが、突然の父の死がリトを変えた。

 アカデメイア大学への入学は容易ではない。必死で勉強した。しかし、それ以上に効を奏したのは、父が遺してくれた各地の伝説の聞き取りデータだった。高校時代の三年間読み続けたデータから得た知識をもとに書いた論文のおかげだろう。去年、アカデメイアの難関を突破できた。

 もう一つは、母との関係だ。母が初恋の人を大事にする気持ちがちょっとわかった気がした。父の通夜で、リトは母とはじめてまともに向き合った。


 しばらくして、長姉が教えてくれた。母は子どもたちを捨てなかったという。離婚後も実家をたびたび訪れては子どもたちと過ごした。姉たちの父親も折に触れてやってきたという。


「わたしたち三人は、母さんとおばあちゃんと三人の父さんたち、そしてリトの父さんによって集団養育されたみたいなものよ。だから、ちっとも寂しくなかった。家族ってね、いろんな形があるのよ。わたしも妹たちも、母さんや自分の父さんに大事にされてるっていう思いは揺らがなかった」

「じゃ、どうして母さんはオレのところに来てくれなかったの?」

「リトは五歳だったものね。ものごころがついて、大好きな母さんと父さんが別れることになって、とってもつらかったんだと思う。自分のこころが壊れないように、母さんを拒んだのよ。それは当然だとわたしは思うの。わたしもリトと同じことをしたと思う」


「でも、姉さんたちは違ったんだろ?」

「わたしたちは一歳になるかならないかで親が離婚したんだもの。両親とずっと一緒に暮らした経験がないから、だれも恨みようがなかっただけよ」

(……)

「母さんはね、しょっちゅうやってきて、物陰からそっとリトのことを見てたわ。でも、あなたったら、母さんには絶対会うものかと言って、逃げ回っていたでしょ? 母さんは、リトの父さんともしょっちゅう話していたの」

(そうか……そうだったのか)

「だからね、リト。父さんのお通夜で、あなたが母さんに挨拶したとき、母さんは父さんが亡くなって悲しかっただろうけど、あなたと正面から向き合えてきっとうれしかったはず。いつか気持ちが整理できたら、あなたから母さんに会いにいっておいで。母さんは泣いて喜ぶと思うわ」

(いつか会いに行こう。……でも、まだ会いにいけていない)


 アカデメイアにやってきてすぐにファン・マイを探してアカデメイア付属博物館を訪ねた。

 だが、だれもが口を閉ざした。彼女の行方はわからなかった。父が遺した資料やデータはずっと読み続けた。博物館にもよく通った。入学したての学生がいきなり博物館をたずね、ほんもののルナ石板を見たいなどと申し出たのだ。そりゃ、ビックリするだろう。館長先生にも顔を覚えられてしまった。


 もっとも、父が遺したすべてのデータを読み終わったのはつい昨日のこと。だから、寝不足になってしまった。そして今、風子に再会して、はじめて気がついた。あの山奥の家で父が写真に撮ったはずの古文書は……なかった。

――父の遺品からあの時の記録だけが消えていた。

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