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ⅩⅩー1 古都の秘薬

■秘密結社

 〈朔月(さくげつ)〉は館を辞した。その優雅な後ろ姿に、会堂の門衛が見とれた。


――天明会。

 〈朔月〉にすら、知らされているのは、組織の表の名前のみ。秘密結社である以上、メンバーの秘密は固く守られる。世界の政財界や学術界、言論界に多大な影響をもつらしく、各界有力者の中に天明会のメンバーが多くいると囁かれている。天明会は、そうした噂をあえて流し、ネットワークを拡大してきた。

 天明会の入会基準は厳しく、希望すればだれでも入れるというものではない。天明会幹部の推薦が必要で、入会に当たっては厳しい審査があり、入会儀式で宣誓を求められる。宣誓違反をした場合、天明会からは除名され、いつのまにか存在さえ消えている。


 天明会には、長く育成してきた密偵集団〈闇〉がいる。〈闇〉の個人名も経歴もすべては不明だ。

 〈闇〉の長は、天明会主のみに従う。それ以外の天明会幹部もまた専属の密偵〈闇〉をもつ。〈闇〉集団内の掟にしたがって、幹部の情報は会主に筒抜けだ。


 〈闇〉の中でもとくにすぐれた者は、特別の呼称をもらう。〈闇の中の闇〉と呼ばれる〈朔月〉はその中でも最高ランクだ。〈朔月〉の主人とされたのが、弓月御前(ゆづきごぜん)であった。〈朔月〉が張り付けられるほどだ。〈朔月〉に与えられてきたミッションをみても、弓月御前が並の幹部ではないことは明らかだ。ただ、御前の正式な位階は、〈朔月〉ですらわからない。

 〈闇〉は、主人にのみ仕え、主人の命を受けて、各地でさまざまな密偵活動を行う。天明会士の候補者の履歴・信条・身辺を細かく調べることも任務の一つであった。天明会士に選ばれることは各界エリートであることの証であり、天明会は貴重な情報が得られる高度な教養と閉鎖的な社交クラブをもつ秘密結社であった。


 しかし、天明会にはさらに裏の顔がある。天明会主ですらふれ伏すような畏怖の存在を頂に据えるまぼろしの集団だ。その真の名も真の姿も、天明会最高の密偵〈朔月〉すら知らない。組織の全容はおろか、幹部の数もわからない。天明会の中核は、完璧に秘密で守られてきた。


――例の月蝕の夜。

 〈蓮華〉教頭として、ファン・マイとともに〈蓮華〉の図書館に入った。そこで、彼女に擬薬を盛り、彼女に「開かずの階段」を確認させようとした。だが、結局、失敗した。階段前まで行ったところで停電となり、階段へのドアを開けることはなかった。ふたりはそのまま図書館を出て、マイは寮に戻り、自分は自宅に戻った……はずだ。

 なのに、マイは、なぜあの大雨の中を、高速道路に向かったのだろう? なによりも、なぜ、突然の激しい雷雨だったのだろう? 香華族には雨を呼ぶ者がいるという。だが、マイの周囲にも、〈蓮華〉にも香華族はいないはずだ。


――わたしは、香華族の香りを読むことができる。

 本香華から棄てられた「はぐれ香華」の末裔だからだ。この力を最大限使って、いままで大きな仕事をなしとげ、主人に貢献してきた。だが、今回はわからぬことが多すぎる。


 少なくとも、あの秘薬には効果があったようだ。マイは「飲酒運転」とみなされたのだから。マイにはこう指示した。


――「開かずの階段」の向こうにあるルナの手がかりを探せ――


 だが、階段への扉は開かず、マイは高速道路の先を目指した。それが秘薬の効果だとすれば、おそらくどこかにルナの手がかりがあるはずだ。

 主人からもらった秘薬はあと数本手元にある。切り札としてどう使うか、慎重に考えねばなるまい。

そこまで考えたところで、〈朔月〉は、ぶるっと身を震わせた。


――いつ、どこで、見たのだろう……?

 夢だったのか、現実だったのか。どこかで美しい花園を見た。

 どんなに記憶をたどってもそれがわからない。もう一度、調べよう。密偵最高の〈朔月〉だ。わからぬことなどあってはならぬ。


■秘薬

 〈朔月〉が去った部屋には、棚一面に古い書物や巻物が置かれていた。御前は、その一角にある引き出しに手をかけ、引き出しから小さな箱を取り出した。黒塗りの箱の蓋を開けると、なかには、薬のアンプルのようなものが十個ほど並んでいた。


――よもや不首尾とはのう……。

 この薬を入手したのは数十年前。〈闇〉の一人が奇妙なトカゲをつかまえてきたという。このトカゲの口から吹きかけられた液体を浴びると、昆虫やカエルの動きが鈍くなり、やすやすとトカゲのエサとなる。液体を調べてみると、酒のような効果をもつ水であった。トカゲはそれを体内に蓄えていた。

 御前の知識が期待された。御前は薬にも毒にも造詣が深い。

 つかまえられたトカゲはわずか一匹だけ。どんなに探させてもほかには見つからなかった。


 御前は複製を命じた。複製は品質が落ち、副作用が残るようだ。特に肝臓に負担をきたすので、一日一回の投与と制限されている。これまでは一回の投与で目的を達することが多く、副作用が問題になったことはない。

 秘薬は、あまり性能が良いとは言えなかったが、自白や行為の誘導に一定の効果はあった。〈朔月〉はマイに対して自白効果をねらった。行為の誘導には成否が分かれるが、自白誘導効果はほぼ百パーセント。まさか失敗するとは思わなかった。

 御前は、アンプルの一本を手に取った。すでに本物は存在しない。このアンプルをもとにさらにふくせいをつくるとなれば、品質低下は明らかだろう。

――この改良はなかなかむずかしい。だが、急がねばならん。


 繊細な工程を含むため、大量生産はできない。今手許にある現物を使い切れば、新しい複製まで何年かかることか。その意味でむやみに利用するわけにはいかない。実験をひそかに続けさせているが、なかなか本物に及ぶものは作れない。

 雲龍九孤族の秘薬によく似た効果をもつものがあったという。だが、それも製剤方法は破棄されているとか。原料として考えられるのは、特別な儀式で用いられるという葡萄酒――おそらく雲龍の山にのみ生息するという山葡萄の実を使ったのだろう。この山葡萄の育成を図っているが、まともに育ったことがない。

 

 レオンやラウが知るはずもなかろう。いや、決して知られてはならぬ。

――わが天明会が探しているのは、〈月の城〉に隠された〈月の雫〉。

 その手掛かりは、神殿レリーフに隠されている。ルナ大神殿にも他のルナ神殿にもレリーフが施されている。それがルナ神殿の特徴をなす。だが、目的のレリーフがあるのは〈月神殿〉のみ。しかも、ルナ神聖石盤がそろわなければ、そのレリーフが意味することを読み解けない。

 〈月神殿〉の場所を知りたいが、〈月神殿〉の秘密は知られてはならない。


 ルナ神聖石盤は全部で五枚……いずれも入手はきわめて難しい。これゆえ、準備は周到に進めてきた。だが、雲龍九孤族宗主と銀麗月がからんできたとなれば、話が違う。

 御前は、額を押さえた。


 モエギ・サキもその弟も雲龍九孤族の直系だ。彼らは、秘薬のことをまったく知らないようだ。マイの死の原因をめぐって右往左往していた。しかし、この春に島にやってきた老女はどうか? 二人との親密な関係と年齢を考えれば、おそらく九孤族宗主。

――なぜ、九孤族宗主がアカデメイアにやってきた?

 孫たちがいる島に物見遊山に来た可能性もあろう。だが、多忙なはずの宗主がわざわざ出向いてきたのだ。もっと重要な目的があるはずだ。宗主の跡継ぎは決まっていない。孫のだれかを後継者に選ぶためにやってきたと考えるのが最も妥当だろう。となれば、滞在期間は長くなるはず。その間になにか気づくかもしれない。

――あの宗主は侮れん。

 密偵を張り付けても、あの老女なら簡単に見抜くに違いない。密偵からこちらの情報を探り出す恐れが高い。おまけに……。

――天月仙門までがなぜ出てきた? しかも、〈銀麗月〉だと?


 〈朔月〉を〈蓮華〉に送り込んだのは、二十五年前のこと。蓬莱群島には、天月仙門、ウル舎村、アカデメイアなど、古代ルナやウルに由来し、それらの研究拠点でもある有力な諸勢力が割拠する。これらの勢力を監視するための司令塔として、〈朔月〉以上の存在はいなかった。彼(彼女)は十分に期待に応えた。いまや天明会の関係者やその密偵が、あちこちに張り巡らされている。

 思わぬ副産物もあった。ファン・マイだ。ファン・マイの研究は優れていた。それだけではない。天明会が長く求め続けてきた〈月神殿〉の手がかりを示してくれた。

 マイは〈月神殿〉の場所をルナ大神殿の近くだと推測していた。しかし、例の論文盗作疑惑以降、マイは論文公表に慎重になっており、研究成果を公表しなくなっていた。だが、ルナ大神殿の公開と近隣の大劇場建設はマイに刺激を与えたようだ。〈朔月〉によると、最近、マイはルナ遺跡に頻繁に足を運んでいたようだ。何を調べようとしていたのか? 


 〈朔月〉は、さらに奇妙なことに気づいたらしい。〈蓮華〉図書館だ。マイは、着任以来、図書館司書を兼ねて、図書館に入りびたりだった。〈寮〉住まいだ。荷物はほとんどなかったらしいから、図書館を研究室代わりに使っていたのだろう。ゆえに、疑問にも思わなかった。

 しかし、今春のごく稀な月蝕に先立つ数年前の月蝕の夜、図書館の付近がごくわずか微妙に歪んだらしい。〈朔月〉でなければ気づかなかっただろう。それほど微妙なかげろうのような一瞬の揺らぎであった。彼が目を凝らして張り込んでいると、明け方になってマイが図書館から出てきた。一晩を図書館で過ごしたのだろう。だが、研究していたわけではなさそうだ。図書館に明かりは一度も灯らなかった。

それ以降、〈朔月〉は、〈蓮華〉図書館のことを独自に調べ始めた。


 〈蓮華〉は、もとシャンラ王立女学院。一千年前にこの土地を提供して、女学院を設立したのは、当時のシャンラ女王――ヨミ神官団の一員だ。ヨミ教はルナ教を否定するが、それは月の神ルナを「闇」の世界に追いやることに成功したからと説かれる。言い換えれば、ルナを「闇」に追いやった場所を封じ込めるためにこの場所を禁忌とし、禁忌を覆い隠すために図書館を建てたと考えることもできよう。


 もし〈蓮華〉図書館が、時空の歪みを封印するために作られた禁忌の場所を隠すために設営されたとすれば、〈月神殿〉への重要な手掛かりになる。〈朔月〉からこの推測を聞いた弓月御前は、貴重な秘薬を〈朔月〉に渡した。彼は、秘薬が最も効果を発揮しうる時と場所で、秘薬をマイに使ったのである。

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