第40話 デートのお誘い!?
「まさか本当に、この腕輪が原因だったとは...」
にわかには信じられない、といった様子で広瀬は動かなくなった腕輪に振り返る。当然の反応だろう。かく言う私もプレシャに言われるがままに行動しただけで、腕輪を弄る事で巨大化を解除出来る等とは心から信じていなかった。
カタカタカタ...!
その時再び、腕輪に動きがある。カタカタと小刻みに震えながら、表面に細かいヒビが入り始めたのだ。固唾を飲んでそれを見守る私達とは対照的に、腕輪を覗き込むように見るプレシャの顔は至って平然だ。
カタカタカタカタカタ....!
震えがどんどんと大きくなる。それに合わせ、走る亀裂も大きくなっていく。
ピシッ!パキンッ!
そして全体が大小のヒビに覆われた時、まるでゆで卵の殻が一斉に割れたかのように、腕輪の表面が一瞬にして剥離した。それと同時に、腕輪は再び動かなくなる。
「聡さん、もう大丈夫です。もっと近くで見てみて下さい」
私は広瀬達と共に、腕輪に恐る恐る近づく。
「傷が無い...」
そう。腕輪はどうやら、傷付いた表面を自ら治癒させたようで、刃を突き刺したはずの箇所には傷一つ無かった上に、パッと見で分かる程、一回り大きくなっていた。
まるで、カニやエビの脱皮だ。腕輪そのものが、生きているかのようだ。
私達は急いでタブレットに目を向ける。腕輪が元に戻った、という事はモンスターも再び巨大化しているかもしれない。
しかしそれは杞憂に終わった。タブレットの航空映像はマイペースにのそのそと歩いている小さな亀を映していた。どうやら、一度あの泡を吹き出させればもう元には戻らないらしい。ほぅっと、私達は安堵の息を吐いた。
「それにしてもプレシャさん。どうしてこの腕輪が鍵だと分かったのですか?」
私は腕輪を見つめるのを止めこちらに歩み寄って来たプレシャに問う。彼女はやや困った顔をした後、こう答えた。
「何と言えば良いのでしょうか、あの声明を見た時、感じたのです。あそこには、私と同じものがある、と」
「私と同じもの?」
はい、とプレシャは頷く。
「私は聡さん達が住む世界だけでなく、ダンジョンという異界の中においても、それらの常識や理から外れたイレギュラーな存在です。それ故でしょうか。そんな私と同じ力を持つ存在を、きっと直感で感じられたのでしょう。曖昧な表現で大変申し訳ありません。しかし今はそうとしか、言いようが無いのです」
確かにその言葉は、普段のプレシャらしくない、抽象的で的を得ないものだった。しかしそれでも、言わんとしたいことはしっかりと伝わった。
ダンジョンのエネルギーを自在に具現化するプレシャの力。ダンジョン内のモンスターを巨大化させる力を持つ腕輪。互いに能力の形は全く異なるものの、両者ともこの世のありとあらゆる物理法則を嘲笑うかのような、とんでもない力である事に変わりは無い。
そんな存在ならば、自分と同じ位の強大な力に気付けるのも、何だか頷けるような気がした。
「聡さん、すみません。もしかしてそこに、プレシャさんがいらっしゃるのですか?」
プレシャと話していると、背後から広瀬が遠慮がちに背をつついてきた。
そうだった。プレシャの姿は私にしか見えないんだった。にもかかわらず、私は彼女の義体と普通に声で会話をしてしまっていた。
「はい。実はそうなんです。今、ちょうど私の目の先に、プレシャさんが立っています」
「そうですか」
広瀬は私の視線の先の虚空に目をやる。彼からは当然見えないが、プレシャはそんな彼をじっと見つめた。
「......」
すると広瀬は、静かに右手をこめかみ近くに移し、プレシャに対し敬礼の姿勢を取った。彼女の存在を知らない為、突然無に敬礼を始めた広瀬を見て、部屋にいた若い隊員は困惑した表情を見せつつも広瀬に倣う。
「プレシャ・スカースさん。ダンジョン機構へのご協力、改めて感謝申し上げます。貴方がいなければ、当該ダンジョンの封鎖は困難を極めていたことでしょう。本当に、ありがとうございました」
絵に描いたような美しい敬礼を見て、私は不思議と誇らしい気持ちになった。おんぶ抱っこになっているのは私の方だというのに、プレシャが他の誰かに認められたという事実が、何だか親以外の大人に褒められている自分の子供を見ているようで、胸高鳴ったのだ。こんな感情は、本当に久しぶりだ。
「聡さん。彼にこうお伝えください。『礼には及びません。それと、先程背広を破ってしまったことをお詫びします』、と」
敬礼を終えた広瀬に対し、私はプレシャの言葉をそのまま伝えた。彼女の返答を受け、広瀬はいつも通りの、穏やかな笑みを見せる。
「さて本田さん。これにて一件落着です。当該ダンジョンは間もなく封鎖されることでしょう。一応の探査が行われるかと思いますが、日比谷公園という憩いの場を何時までも閉鎖する訳にはいかない為、それも極短いものになるかと思います」
広瀬のその言葉で、私は両肩が一気に軽くなった。ここまでやったなら多分、私が出る幕はもう無いだろう。
「それとこの腕輪は、ダンジョン機構が厳重に管理させて頂きます。これは怪弩に匹敵する力を秘める存在...。より詳しい調査が必要になります」
すると若い隊員が、予め準備していた銀のジュラルミンケースに腕輪を慎重に収め、その蓋を閉じた。やはり腕輪はもう、ピクリともしない。
「お疲れ様でした。私はまで仕事が残っているのでここで失礼させて頂きます。車は既に手配していますので、それでご自宅にお帰り下さい。そして、本田さん。次に貴方とお会いする時は、貴方は既に我々の一員になっていることでしょう」
その言葉で、疲れ切った私の身体に再び緊張が走る。東の言う通り、職を変える時はもう目の前に迫っているようだ。
私は広瀬に対し、「もう覚悟は出来ています」と告げる。
「心強い言葉です。本田さんとプレシャさんの入隊、楽しみにしていますよ」
木更津から武蔵小杉に帰った時、時刻は7時を過ぎていた。セダン車を降りた私は、目の前にある我が家を見て、疲労と安心からその場に倒れ込みそうになった。
この半日間、余りにもイレギュラーなことが起き過ぎた。とっくに衰えが始まっている肉体と、皺の少なくなり始めた脳みそでは、それらを全て受け止める事など到底出来なかった。
(こんな調子で、私は本当にやっていけるのだろうか...)
私は途端に心細くなる。だが今はそんな心配よりも、一刻も早くシャワーを浴びてベッドに飛び込まなければならない。時間的にはそろそろ仕事にいかなければならないが、こんな身体ではとても業務に手が付かないだろう。
職場に休みの連絡を入れた後(もしかして既に機構が連絡をしているかも、と思ったが今回はそんな事は無かった)、財布に取りつけた鍵でドアを開け、私は暑い空気が溜まった玄関に座り込む。リビングから漏れ出ている朝日の反射で、この間ワックスをかけた廊下のフローリングがてらてらと綺麗に光っている。鉛のように重たい私の身体と心とは対照的に、とても美しい光景だった。ここに、彩と陽葵がいればきっと、もっともっと、美しかったのだろう。
プルルルル
ポケットからバイブレーションと着信音が鳴る。この音は、私の携帯電話では無い。東から受け取ったあの携帯だ。まさか、もう入隊の手筈が整ったというのか。私は慌てて携帯を取り出し、応答のキーを押す。
『もしもし。突然のご連絡申し訳ありません。本田聡さんで、間違いないでしょうか?』
声の主は東でも広瀬でも無く、若い女の声だった。この声には聞き覚えがある。
私は「はいそうです」と応える。
『ありがとうございます。私は明智優芽です。先刻の霞ヶ関ダンジョンでは大変お世話になりました』
あぁ、そうだ。この声は明智さんだ。何かと思ったら、わざわざお礼を伝える為に連絡をしてきたというのか。律儀だが、この携帯を通して大丈夫なのだろうか。
「いえいえ。私こそ明智さんの足を引っ張ることしか出来ず、大変申し訳ありませんでした。明智さんはあの後、大事は無かったのですか?」
『はい。一応入院している身ではあるのですが、命に別状はありませんし、五体満足です!お気遣い感謝します!』
良かった。まさか本当に歩けなくなっているかもしれないと思っていたが、無事なようだ。
「それは本当に良かった。それで、要件は他に何かありますか?」
私は少々ぶっきらぼうな態度でそう告げる。彼女が無事なのは嬉しい報せだが、それはそれとして、直ぐにシャワーを浴びたい。
『はい。霞ヶ関ダンジョンで命を救って頂いたお礼をしたいと思い、お電話させて頂きました。本田さん、今週の土曜日は空いていますでしょうか?良ければ二人で、食事に行けたらと考えています。所謂、デートというものです』
私の頭はそれを理解するのに、実に十数秒の時間を要した。




