第39話 腕輪
結局救出作戦は滞りなく、一時間も経たずに、機構側に一切の損害を出さずに終了した。それに広瀬曰く、これ程の数の構成員を生きたまま確保出来たことも、非常に幸運なことらしい。例えトカゲの尻尾だったとしても、二十年以上足取り掴めていないテロ組織に繋がるきっかけになり得るからだろう。
今回、この作戦に関しては私は何の役も立てなかった。だが、まだ仕事は残っている。これに関しては、私とプレシャにしか出来ないことだから。
『では始めましょう、聡さん』
プレシャの言葉を合図に、私は白い手袋をはめ、目の前に置かれた件の腕輪に慎重に手を伸ばした。
ヘリコプターと戦闘機がダンジョンから帰還し作戦が完全に終了した後、私は広瀬と共にダンジョンを後にし、ヘリが戻った木更津駐屯地へと向かった。プレシャが「モンスター巨大化の元凶」と言った、あの腕輪の詳細を確かめる為だ。
木更津に着いた時、時刻は既に4時を回り、東の空がうっすらと白み始めていた。ここに来るまでの間車の中でずっと起きていた事もあり、今日はもう目を瞑ることは出来ないだろう。
不夜城の霞ヶ関で20年以上働いている人間として、多少の徹夜は慣れっこではある。だがダンジョンでの戦闘から機構の城に招かれ、救出作戦の始終を見届けるという激動を一気に駆け抜けたことで、私の心身は限界に近づいていた。
半分閉じかけている両の瞼を懸命にこじ開け、私は広瀬の案内で駐屯地の一室に入った。刑事ドラマとかでよく見る取調室に似た、非常に無機質な部屋の中心には机があり、その上に、白い布が敷かれた状態で腕輪が置かれていた。
「お疲れの所申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「はい。お任せ下さい」
私は広瀬に軽く一礼すると、既に部屋で待機していた隊員から手袋を受け取る。鑑定士とかが使うやつだ。
プレシャの願い出により、腕輪を調査するのは彼女の指示を直接聞ける私が行うことになっていた。腕輪を城塞に移動させなかったのも、これを持ち込むことで城塞に異常が起こる可能性があったからだ。
『では手始めに、腕輪を直接手にしてみて下さい』
手袋をはめた私は慎重に腕輪に触れる。黄金の腕輪は映像で見るよりもずっと重厚感があり、施された装飾も実に見事なものだった。これが現実世界で作られたものであったならとんでもない価値が付いたことだろう。
だが言ってしまえば腕輪はそれだけの存在であった。私が数分の間どれだけペタペタ触っても、腕輪は何か変化を起こす訳でも無く、私の手の中で動かされる度に部屋の蛍光灯を反射して鈍く輝くだけであった。
『何も変化ありませんね...』
これ以上は無駄な気がして、私はプレシャに語り掛ける。
『では、次に移りましょう。聡さん、腕輪に損傷を与えて下さい』
私はその指示に従い、横でこちらを見守る広瀬に頼んで、予め用意されていた打ち刀、それを半分位の長さに短縮したナイフを手にした。
迷宮鋼という、この世のものでは無い金属で出来た刀。刀身の見た目はアルミのように艶やかだが、その重さはアルミとは似ても似つかなかった。刃渡り30センチ程度しか無いのに掌に伝わって来る重量感は、まるで中身の詰まった2リットルのペットボトルを握っているかのようだ。
私はまず短刀を腕輪に沿わせ、包丁のように軽く滑らせた。すると何と、腕輪がカタカタと小刻みに震え出したのだ!まるで、刃を受けた痛みに悶えるかのように。私は驚きの余り軽く跳び上がり、その拍子で手から刀がすっぽ抜けそうになる。
「動いたな...!」
「え、ええ確かに...!」
バクバクと鳴動する心臓の音と、広瀬と隊員の驚きの声の中に、プレシャの声が響く。脳内に直接響くせいで、心音や二人の声よりもはっきりと聞き取れる。
『やはり”当たり”です。聡さん、今度は刃を、思いきり突き立ててみて下さい。勿論、呼吸を整えてからで構いませんので』
「わ、分かりました...」
私は何度か深呼吸をして呼吸を整えると、改めて腕輪を持つ。今の現象のお陰で眠気と疲労は彼方まで吹っ飛んでいったが、その代わり腕輪を傷つけるということに対し、私は強い恐怖心を抱いてしまっていた。
刃をなぞらせただけで動き出したのだ。幾らプレシャの加護があるとはいえ、これ以上の事をすれば何が起こるか分かったものではない。
(これは魚...。これは魚...。これは魚なんだ...。魚なら何度か捌いたことがあるだろう本田聡...。それと何も変わらないんだ...)
だがもうやるしかない。私は自分に暗示をかけ、刀の切っ先を装飾の溝に引っ掛け、一気に力を込めた。
キイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!
腕輪が突然、金属音のような悲鳴を上げ、真っ黒な泡を大量に吹き出し始めた!更に泡を吹き出しながら、腕輪はそれこそ鮮魚のような勢いで机の上を跳ね回り始める。私は残っていた気力を放出し、自分でも驚くような反射神経で真後ろに飛び退いた。私が立っていた場所に、どす黒い泡が汚らしく広がる。
「本田さん、これは一体!?」
「プレシャさん!!これは一体!?」
広瀬が私に、私はプレシャに問いかける。
『問題はありません。もう終わるはずです』
するとプレシャの言葉通り、腕輪が跳ね回るのを止め、ぴくぴくと痙攣したかと思うと、そのまま力尽きたかのように動かなくなった。瞬間、部屋の半分近くを覆っていた泡が全て、コア・モンスターが纏う真っ黒な煙になり、瞬く間に空気に溶けていた。
プルルルル
広瀬の携帯が着信音を鳴らす。それに応じる広瀬を尻目に、私は直ぐ真横に姿を現したプレシャが、猫のようなしゃなりしゃなりとした足取りで歩み寄っていくのをじっと見ていた。
「プレシャ、さん。大丈夫、なんですか...?」
プレシャは無表情で、動かなくなった腕輪をじっと見ていた。その最中、整った口元で、彼女が何かを呟いたが、それを聞き取ることは出来なかった。彼女が私以外の存在に声をかけているのを見たのは、これが初めてだ。
「本田さん、これを!!」
プレシャの様子をぼんやりと眺めていると、通話を終えた広瀬がやや興奮気味に、タブレット端末を私に見せて来た。そしてそこに映る光景に、私は目を丸くする。
『コアの縮小を確認。繰り返す、コアの縮小を確認』
タブレットから聞こえてくるその報告の通り、映像には、あれ程巨大だった苔亀がリクガメサイズにまで縮み、焼夷弾の影響で焼け野原と化した大地の上で、不思議そうな顔で天を仰ぐ様があった。




