第3話 特級型、出現
グルッ、グルッ、という声が背後から響く。体の感覚が戻って来た私は、ゆっくりと振り向き、その光景に息を飲んだ。
あんな爆発を受けたというのに、竜は既に立ち上がり、その黄色い両目をらんらんと輝かせ、眼下の隊員たちを睨みつけていた。その一方でカメラを構えていた男は既に何処かに逃げたのか、その姿を捉えることは出来なかった。
それに対峙する隊員達の姿も、自分を担ぐ女性隊員と変わらない。彼らは全身に、現代の兵士や自衛隊員が身に着ける迷彩服の上に武器をアタッチメント出来るベルトやベストを装着し、更に彼らの両手足には、中世の騎士を思わせる鎧や籠手が装着されていた。
「ア型健在!近接戦にて撃滅する!」
少女が身に着ける無線から、しゃがれた低い声が漏れて来た。
「村田さん止して下さい!今戦えば収縮障害が!」
「こいつは既に手負いだ!一撃でやれる!若い連中は下がれ!!」
「二度と歩けなくなります!!ここは我々に!!」
「良いから下がれ!焼け死にたいか!!」
続いてそんなやりとりが、無線から飛んで来る。それを聞いていた女性隊員の顔が、疲労とは異なる意味で歪むのを、私は確かめた。
「明智隊長、変わります!貴方は村田さんの援護を!」
直後村田と呼ばれた隊員に従ったのか、こちらに引き返して来た一人の若い男の隊員が私に手を伸ばして来た。
「ま、待ってくれ!もう自分で歩ける!私の事はもう良いから君たちは...」
これ以上彼らの足を引っ張る訳にはいかない。私は体を捻じって明智、と呼ばれた女性隊員の手から離れようとする。
だがその時、竜の怒りの呻き声が私の背を駆けた。
驚きの余り、私は再び背後の戦場を振り返る。怒りに任せた竜の尾撃が、刀のような武器の鞘に手をかける一人の隊員目掛けて振り下ろされようとしていた。だがその瞬間、その隊員は何かに吹き飛ばされたかのような速度で真横に飛び退いて尾撃を躱すと、今度は自分の身長の倍以上はある竜の頭上に一瞬で跳び上がりつつ刀を抜き、竜の両目の間に刀を深々と突き刺した。
竜の動きが、そこでぴたりと止まる。直後、その巨体が瞬く間に真っ白になったかと思うと、まるでシャボン玉が弾けるように、白い体が全て塵と化し空気に溶ける。
死んだモンスターは一瞬の内に塵になる。その噂もまた、本当だったようだ。
竜を殺した隊員は膝から崩れ落ちるように着地し、そのまま苦しそうな呻き声を上げながら、うずくまる。良く見ると籠手と鎧を身に着ける両手足は、そこだけ別の生き物になったかのように、ガタガタと小刻みに震えていた。
「応急手当!!このままでは本当に歩けなくなる!!」
『了解!!』
明智に命じられた者達は素早く村田と思しき隊員に群がると、震える四肢を抑えて鎧と籠手を外し、体重をかけながら手足をもみほぐす。その鬼気迫る様に私が絶句していると
「今度こそ出口へとお連れします。私が護衛しますので...」
と、明智が手を差し伸べて来る。
「わ、分かりました...」
これ以上ここに留まる理由も、留まっても良い権利も無い。私は明智に連れられ、さっきの人達が逃げて行ったダンジョンの先へと歩き始めた。
それから数十分、私と明智は無言で出口に向かって走っていた。50を超えた体で、革靴を履いて足場の悪いダンジョン内を駆けるのは、酷にも程があった。ただ明智もそれを十分に分かっているのか、銃を構え周囲を警戒しながらこちらにペースを合わせてくれていた。
(そう言えば、銃を持っているのはあの中でこの子だけだったような...)
明智に守られながら、私はふとそんなことを考えた。銃の知識には生憎と詳しくないが、所謂アサルトライフルやカービンライフルといった、戦争映画で良く出て来るような小銃を装備しているのは、見たところ彼女だけだった。
(なぁ知ってるか?ダンジョン機構の隊員って、基本的に銃じゃなくて、刀で戦うらしいぜ?)
(馬鹿...!お前まさか配信なんか見てるんじゃないだろうな...!?)
(んな訳ねえだろ!単なる噂だよ、噂!)
(何だよ驚かせんな!でも、それ本当だったら酷い話だな。だってダンジョンってとんでもないモンスターがうじゃうじゃいるんだろ?それなのに銃が使えないなんて...)
いつかの通勤途中、中学生らしい男子生徒達が小声でそんな会話をしていたのを、私はふと思い出す。まさか彼女らは本当に、あの刀ととんでもない身体能力を用いた近接戦でダンジョンの脅威と戦っているのだろうか?
その時、私の目の前に二人の隊員と、彼らに挟まれるようにして空中に浮かび上がる、黒い揺らぎに包まれた空間の歪み、としか言いようがないものが現れた。
「あれがダンジョンの出入り口です。貴方はこのままあの歪みに飛び込んで下さい。そうすれば駅の構内に戻れます。では、私はこれで...」
明智は短くそう告げるとくるりと踵を返し、置いて来た者達の元に帰ろうとする。
「待ってくれ!」
つい私は、彼女を呼び止めてしまう。
「何か?」
明智は皆の所に戻りたいのか、少しぶっきらぼうな感じでこちらに振り向いた。そこで私は初めて、彼女の顔をしっかりと見る。
きりっとした眉に、気の強そうな瞳。それは何だか、娘の陽葵を思い出させた。陽葵が生きていれば、こんな感じに成長していただろうか。
「あの、助けてくれてありがとうね。君もどうか気を付けて」
そんな彼女に、私は礼を告げた。こんなご時世になっても、やれ憲法違反だとか、やれ国賊だとか、ダンジョン機構に対する頭の堅い連中からの誹謗中傷は止まない。仕事をしていく中で、そういう中傷で心身を病んでしまった隊員の事例を取り上げた講習に参加したこともある。
だから、しっかりと彼女には礼を言っておきたかった。自分よりも若い連中が命を削っているのなら、尚更だ。
「こちらこそありがとうございます」
僅かだが、そこで初めて、彼女の表情が緩んだ気がした。
「では改めて失礼いたします」
明智は再びこちらに背を向ける。これでもう、彼女に会うことは無いだろう。私も急いで元の世界に戻らねば―
「ぎゃっ!」
「がッ...!」
その時、出入り口を見張っていた二人の隊員が、天井から突然降って来た巨大な杭のようなものに全身を貫かれた。彼らはそれで即死したのか、杭にだらりと寄りかかるようにして、両手を力なくぶらぶらさせている。
「...あ...」
私は、どうすることも出来なかった。目の前で、人が死んだ。その事実が受け止められず、私自身も両足を杭で打ち付けられたように動けなくなる。
「危ないッ!!」
背後で明智の声が聞こえたと思ったら、私は彼女にシャツの襟を引かれ、尻から地面に倒れ込んだ。小石が尻に擦れる感覚が、擦れて薄くなりかけているズボン越しに伝わって来る。
直後、何かが天井から降って来た。それは、巨大な蜘蛛であった。ジョロウグモを人間のサイズまで肥大化させたような巨躯と、それを彩るけばけばしい色彩。キュルキュルッ!という不快な威嚇音。そして鋏角と呼ばれる、口元にある一対の牙は、人間の子供の背丈程もあった。どうやら隊員を殺害した杭は、ここから放たれたものらしい。
「あれは、特三の...蜘蛛!?何故こんな低層に特級が...!?」
小銃を構えながら、明智は震える声でそう呟いた。
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