第34話 マッド・ダンジョンズ
広瀬は外したSASMAを丁寧にケースに戻し、東に返した。東はそれを受け取ると、代わりにもう片方のファイルを広瀬に渡す。
「さて、装備の話は一旦ここまでにして次の話題に移りましょう。気分を害されたら大変申し訳ないのですが、本多さんは確か、武蔵小杉テロでご家族を亡くされていましたよね?」
「......!!」
まるで心臓に紐を巻き付けられて絞られたかのように、私は左胸に強い圧迫感を覚えた。彩と陽葵を亡くして以降、誰かに家族の話をされる度にこうなってしまう。
「...心中お察しします。あれを防げなかったのは、我々の過失と怠慢に他なりません」
私の心情が顔にも表れていたのだろう、広瀬は静かに頭を下げた。
「これから貴方にご説明するのはその武蔵小杉テロを起こした元凶であるテロ組織、『マッドダンジョンズ』に関する事柄です。本多さんへの精神的な負担を減らす為、武蔵小杉テロに関わる資料は除いてありますが、それでも少々刺激的な内容を含みますので、もし説明の途中でお辛くなったら、無理せずに申し出て下さい」
広瀬はファイルをゆっくりと開く。中には束になった書類に加え、数枚の写真がクリップに留られた状態で入っていた。その一番上にある写真に私の視線は自然と引き寄せられる。
写っているのはワゴン車とかのボンネットだろうか。煤のようなものが全体にこびり付いた汚い鉄板の中央には赤い塗料で描かれた、サッカーのワールドカップのようなマークが描かれている。
このマークはニュースや新聞でも度々目にする。マッド・ダンジョンズのシンボルマークだ。
「マッド・ダンジョンズ。ダンジョンと共にその姿を現した彼らは、ご存知のように、この国の平穏を脅かす悪魔の集団です」
広瀬は淡々と語り出す。それはまるで、己の感情を押さえつけようとするかのようだった。
「彼らは突如として我が国に出現した異界を『ダンジョン』と呼称。国家転覆を掲げ、ダンジョンを用いたテロ行為を行うようになりました。我々が彼らと同じようにダンジョンやモンスター、という名称を用いているのも、我々がこの集団に対する抑止力であるということを国民に対して強く印象付ける為です。...と、ここまでは一般職として勤務されている本多さんもご存知の事かと思います。ですが...」
広瀬はホチキス留めされた三枚綴りの紙を束の中から取り出し、プレシャの警告文の上から私に手渡してきた。渡された書類には「ダンジョンを生み出す『異能』及び『配信者』に関する記述」という見出しがある。
更にその下には1枚のカラー写真が載せられており、その中では以前ダンジョン内でモンスターをけしかけてきた者と良く似た格好の人物が、掌の上で小さなダンジョンの出入口を浮かべていた。
「ここからの情報は原則として全て機密事項となります。本多さんであれば問題は無いかと思いますが、万が一貴方が意図する形でこれらが外部に漏れたと分かった時は相応の処罰があることを心得て下さい」
「分かっています。決して口外は致しません」
公務員として働く以上、守秘義務を遵守することは当然の事だ。既にあの実験映像を見せられていることもあるし、今の私にとって広瀬の言葉は臆するようなものではなかった。
「ありがとうございます。ではまず、この資料にある『異能』、という存在について説明したいと思います。実は我が国に出現するダンジョンは自然発生するものと、人が己の意思でその入り口を生み出すものが存在します」
「人間がダンジョンを...!?」
「そうなのです」と、広瀬は頷く。
「そして後者を生み出す能力、それこそが『異能』と呼称される力です。どのような方法を用いているのか未だに分かっていないのですが、マッド・ダンジョンズはこの異能を持つ人間を全国から探し当て構成員として勧誘、それらにダンジョンを出現させることでテロ行為を行っています。武蔵小杉でのダンジョンは勿論、この二日間で立て続けに出現したダンジョンも全て、異能持ちが生んだダンジョンになります」
私の中にあった疑問の一つが解消された。これまでニュースになるようなダンジョンは全て、人口が密集した場所にピンポイントで出現していたからだ。だとすれば機構がこの事実を秘匿していることも納得が行く。こんな事実を公表すれば、中世の魔女狩りのような行為に走る輩が必ず出て来るだろう。そうなれば、社会に更なる混乱が訪れてしまう。
そしてこの予測は、広瀬に指示されてめくった次のページの内容を見て、確信に変わる。
「ここに記載されているリストはテロを目的としてダンジョンを生んだとして、その身柄を拘束されたり、射殺されたりした者達になります。注目して欲しいのは彼らの職業です。半数以上の者が無職やフリーター、派遣労働者、一部の者は職も家も持たないホームレスです」
広瀬は続ける。
「様々な理由で抑圧され、不自由な生活を送る中で社会に対し鬱憤を溜める者達。そんな彼らが突然、人間を容易く殺めることの出来る、身に余り過ぎる力を身に着けた、あるいはその力が自分に宿っていると気付いたらどのような行動を取るか。それはこの二十年間に起きた惨劇の数々が物語っています。加えてマッド・ダンジョンズはそんな彼らに、更なる欲求の解消を与えてしまっている。最後のページをご覧ください」
三枚目をめくるとそこには「ダンジョン内での配信の様子」という見出しで、ダンジョン内と思しき場所でスマホやハンディカムを構えた人物達の姿を納めた写真が数枚載せられていた。
「これらは記載の通り、マッド・ダンジョンズの名の下ダンジョン内に無断で侵入し、ダンジョン機構がモンスターと戦闘する様をライブ中継している『ダンジョン配信者』の様を捉えたものです。先日螺旋馬と対峙した際に本多さんも目の当たりにしたかと思いますが、異能持ちはダンジョンを出現させる以外にダンジョン内のモンスターをある程度使役する力も持ち合わせており、それを使って現場の者達に攻撃を加えてきます。そして彼らが撮影した映像は海外サーバーを複数経由する等してセキュリティを突破、全世界に向けて中継されます。もっとも...先程私はこれから話すことは機密事項と申しましたが、これに限って言えば本多さんも既知の事かと思います」
ダンジョン配信者。広瀬の言う通り、その存在自体は私も認知していた。公にはこれも秘匿されている存在であるのだが、マッド・ダンジョンズの巧妙な手口に加え、視聴者が国内外問わず配信のアーカイブを違法アップロードするせいで、この二十年でダンジョンの配信映像というのは巷でもかなり出回ってしまっている。
加えてこれらの映像を閲覧、保存、共有することは当然刑事罰に当たるのだが、母数が余りにも多いせいでその全てを取り締まることはほぼ困難なのが現状なのだ。このような状況を鑑みれば「人間の中にダンジョンを出現させる力を持つ者がいる」という事実をこれまで隠し通せているのは奇跡としか言いようがない。
マッド・ダンジョンズの説明を一通り終えた広瀬は軽く息を吐き、テーブルの端に置かれたペットボトルのお茶を軽く呷った。
「ここまでがマッド・ダンジョンズの概要になります。彼らの尻尾を掴み、根絶やしにすること。それは我々ダンジョン機構だけでなく警察機関を始めとした、この国の治安を維持する者達全員の悲願です。貴方とプレシャさんの力がこれからその達成に大きく貢献することを...」
「取り込み中失礼致します!!」
だが広瀬のその言葉は突如部屋に突撃してきた一人の若い隊員によって遮られた。
「広瀬一佐並びに東准尉に伝達します!先程日比谷公園内に出現したダンジョンへ突入した隊が三名の民間人を救出し公園内へと帰還しました。しかし使用していた機動車両は全て大破、隊員達も皆満身創痍です!以下、帰還した者からの報告になります!『巨大化したア型小鬼の襲撃により全車両を喪失、これ以上の作戦遂行は不可能と判断し直ちにダンジョン外へと撤退する』伝達事項は以上です!!」




