第32話 筆談
車は長い石橋を渡り切り、吹き抜けの中庭のような大きな広場に入った。周囲は所々が苔で覆われた石レンガから成る高い城壁で覆われ、その中に敷かれた芝生の上に戦車や装甲車、軍用ジープが並べられ、更に全身を武装で固めた隊員が忙しなく走り回っている。中世ヨーロッパの景観に置かれた現代兵器という組み合わせに私はちぐはぐさを感じずにはいられなかった。
「ここからは徒歩での移動になります。さあ参りましょう」
東に連れられ私は城の中に入った。
昔観たファンタジー映画のせいか、こういう西洋の城の内部というのはどこも薄暗くどこか陰鬱とした雰囲気を醸しているものだという先入観があったが、この城の内部は既にダンジョン機構の手により余す事無く改修されているようで、石レンガで囲まれた狭い通路は蛍光灯が等間隔で設置され、通路を煌々と照らしている。更に通路に顔を出す扉と言う扉は全て、金属製の至って普通の扉になっていた。これらもかつては趣を感じる木製の扉だったりしたのだろうか。
そんなことを考えながら東の背を追っていた私はやがて一つの部屋に通された。部屋の中心には会議室で良く使われるようなキャスター付きの長テーブルと椅子が複数。奥の壁にはホワイトボードが置かれている。更に部屋は以前射撃場に敷かれていた緑のシートで天井、壁、床が全て被覆されており、それのせいで狭い部屋がより一層窮屈で息苦しい空間にしていた。
「お待ちしておりました、本田さん。こんな所にわざわざご足労頂き、大変ありがとうございます。どうぞ、手前の椅子にお座りください」
そんな部屋の奥に一人の男が座っていた。がっしりとした体格に彫りの深い顔、ワックスで固められた白髪混じりの黒髪。一目見ただけで分かる屈強なイメージを、纏う濃紺の制服がそれらを際立たせている。
私が部屋に入ると、男は穏やかにほほ笑み、私に腰かけるよう促した。
「初めまして。私は広瀬浩司と申します。このダンジョン機構にて一佐を務めている者です。本田聡さん。今、機構の上層は貴方に関する事柄でもちきりですよ。先のダンジョンでもその秘められた力を存分に発揮されたそうですね」
「はぁ、恐縮の限りです...」
この時の私は、ダンジョン機構を含めた自衛隊組織の幹部というのは隊員全体の二割程しか占めないエリート中のエリートであり、またその中でも一佐という階級は少数の限られた人間しかなれないということを知らず、故に恥ずかしながら「何だか偉そうな人が出て来たな」という感想しか抱けなかった。
「さて本田さん。早速ですが本題に入りましょう」
私が椅子に座ったことを確かめた広瀬は変わらず穏やかな様子で話し始める。
「これまで東を始めとした者達の報告により、貴方に特異かつ、我々にとって極めて有用な力が宿っているということはもはや疑いようの無い事実。そして先日の霞ヶ関駅作戦を経て、貴方はその力を我々の為に貸すことの意志表明をしてくれた。これ程喜ばしいことはありません。改めて、本当にありがとうございます」
広瀬は彼の横に立つ東と共に、私に対して深く頭を下げる。それに対して私もおずおずとお辞儀をした。
「ただ、貴方が機構の人間として戦う上で一つ、不確定な要素が残っています。貴方をここにお呼びしたのはその不確定要素を取り除く為に他なりません」
「というのは...?」
広瀬はそこで思わせ振りに机の上で手を組んだ。
「貴方に力を与えている存在。それと直接コミュニケーションを取りたいのです。特に我々は『無限弾倉』と呼ばれている、迷宮鋼製の弾丸を絶えず供給するその力を解放するための条件を知りたい。本田さん、お願いです。貴方に話しかける存在に、我々とやり取りが可能かどうか尋ねてはもらえないでしょうか?」
「...!それは」
それは至極当然の願い出であろう。プレシャが以前教えてくれた各スキルの発動条件も含め、彼女についての情報は彼女自身が直接話したほうが説得力があるはずだ。ただ問題は、彼女の声と姿は私にしか聞こえないし見る事が出来ない、という点だ。
だが私がその事実を告げようと口を開きかけた瞬間
『お待ち下さい。彼らがそう望むのなら私が直接、私自身について説明致します』
と、プレシャが遮って来た。それに驚いた私は口を半開きのままにした間抜けな表情で脳内会話を展開する。
『でもプレシャさんの声は私にしか聞こえないのでは...?』
『確かにその通りです。ですが幸いにもここはダンジョン。エネルギーを供給出来る環境ならば貴方以外の人間と会話することも難しいことではありません。聡さん、お手数ですが彼らに、私がコミュニケーションに応じる旨を伝えては頂けませんか?』
返事の代わりに私は小さく頷き、そして口を半開きにしたままの私を不思議そうに見つめる広瀬と東に
「お待たせしました。対話に応じるそうです」
と告げる。
「おぉそれは良かった。しかし、一体どうやって...」
カタンッ!
その時、ホワイトボードに備え付けられていた黒いマーカーペンが突然浮かび上がり、私と広瀬の間に飛んで来た!
「こ、これは...!?」
更にマーカーは机の上でまるで独楽のように高速で回転を始めた後、今度はその回転を保ったままホワイトボードに突撃した。瞬間、マーカーのキャップが外れ、ボードに以下の文字を瞬く間に書き綴った。
【対ダンジョン封鎖・防衛機構の広瀬様及び東様。お初にお目にかかります。私の名はプレシャ・スカース、貴方達の前にいる本田聡様に宿り、彼を守る力を使役する存在です。音声を用いたコミュニケーションは聡様としか行えない都合上、これからの対話は筆談にて行わさせて頂きます。誠に勝手ではございますがどうかご了承下さい】
東が目を見開いて驚きを隠せていない一方、体勢を変えてホワイトボードを見ている広瀬の表情は全く変わっていない。
「こちらこそ初めまして。お名前があったとは驚きです。プレシャ・スカース...我々日本人には聞き馴染みが無い名ですね。以降は何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
するとクリーナーが浮かび上がって素早く文章を消すと共に、再びマーカーがボードを走る。
【私の事はプレシャと呼んで頂けると幸いです】
「分かりました。ではプレシャさん、早速色々とお聞かせ願いたい。まず貴方が使役する力について。我々の推測では、貴方が『無限弾倉』と呼称する力を使うには一定の条件があると考えているのですが、この推測が正しければその条件を教えては頂けないでしょうか」
【その推測は正しいです。私が無限弾倉を含めた各能力を用いることが出来るのは、ダンジョン内で聡様又は明智優芽一士、又はその両者に差し迫った危険があり、かつその危険を直ちに排除するのに有効な手段が無い場合に限ります】
プレシャは以前私にしたのと殆ど同じ説明を綴る。優芽の名がボードに書かれた途端、東の目が先程とは別の意味で大きく見開かれた。
「ふむ...。申し訳ないですがこの条件について、具体例を挙げて説明を頂けないでしょうか?」
顎に手をやりながら、広瀬はそう願い出た。
【広瀬様の言う通り、このままでは理解しにくいですね。改めて説明させて頂きます。例えば無限弾倉を初めて発動させた霞ヶ関駅ダンジョンにおいて、守護対象である明智優芽一士は杭蜘蛛の攻撃により瀕死の危機に陥り、加えてそれを救おうと銃を取った聡様も弾丸を撃ち切ってしまった。このままでは二人共杭蜘蛛に殺されてしまう上に救援も望めない。この状況は先述の、両名に差し迫る危険に対しそれを排除する為の手段が他に存在しない、という状況に他なりません】
「故に貴方は力を解放し、杭蜘蛛を撃破したと。では螺旋馬を撃破した際も同様ですか?」
【左様です。ダンジョンを司るコア・モンスターに怪弩は使えず、明智優芽の力だけで螺旋馬を撃破するのは極めて困難であり、救援が到着する前に二名とも殺されてしまう可能性が極めて高かった】
「ようやく理解しました。確かにこれなら全て説明が付く。しかし、それでもまだ疑問が残ります。これ程の力を行使できる貴方が何故、本田さんと明智一士を守ることに徹底するのでしょうか?彼らに何か、特別な意味があるのですか」
その問いに、今までよりもやけに早くマーカーが滑る。
【その理由は聡様を含め、何人であろうとお答えすることは出来ません。ただ、彼らが私にとって特別な存在であることは確かです】
「...分かりました。では最後の質問です」
広瀬は不意に笑みを消し、感情が全く籠っていない顔で私の顔を見つめて来た。その恐ろしいまでの無表情に晒された瞬間、私の全身に鳥肌が立つ。
この男は何かするつもりだ
本能と呼ぶべき存在がそう危険信号を出して来たのだ。
「プレシャさんは先程、私の目の前にいる男に危機が迫った時、その力を発揮出来ると告げた。では我々が彼の人権や尊厳、果てはその命を脅かしてまでも貴方の力を引き出そうとすれば、どうなりますか?」
『武装解除緊急発動』
広瀬が素早く懐に手を入れるのとほぼ同時にプレシャがそう告げる。瞬間、広瀬の背広の左胸辺りが引き裂かれ、そこに隠されていた拳銃が私の手に飛んで来た。
そして銃が私の手に収まったその時、机に置かれていたボールペンが突然真っ二つに割れ、中の黒いインクが広がった。マーカーと同様、まるでインクが意志を持つかのように動き、白い机の上に以下の言葉を形成しながら。
【今広瀬様がしようとしていた行為については悪い冗談として受け取ります。その上で質問にお答えしましょう。貴方達ダンジョン機構が私の力を利用する為に聡様、並びに明智優芽に対し能動的に危害を加えることは決して叶いませんし、それを阻止する為ならば私は手段を選びません。努々忘れることの無いよう、宜しくお願い致します】