第2話 ダンジョン 全てを変えた悪魔
私の家族は、ダンジョンの中で死んだ。遺体は今でも見つかっていない。いや、もう二度と見つかることはない。
「マッド・ダンジョンズ」というふざけた名の犯罪組織。それが犯行声明を出した最大規模のテロ。それが「武蔵小杉無差別消失テロ」だ。「マッド・ダンジョンズ」が抱える数人の「異能」持ちによって同時に生み出された巨大なダンジョンはその時武蔵小杉周辺にいた数万人を瞬く間にダンジョン内に閉じ込め、その中に跋扈するモンスターによって阿鼻叫喚の地獄絵図を作り上げた。
武蔵小杉と言えば、富裕層がこぞって住むタワーマンションが乱立する、日本有数の高層ビル街だ。そんないわゆる「勝ち組」の人間を狙ったこのテロは日本政府に対する政治的な宣戦布告という大義名分に加え、金銭的な意味での「上位層」に対する反逆的な意味合いも多分に含まれていたと、今では解釈されている。
だが私はそんな、社会の抑圧に晒された人間に特別な恨みを持たれるような、秀でた人間ではない。最寄りが武蔵小杉なだけで、私が買った家はタワーマンションなどではなく、小さな中古の一戸建てだ。
転職が当たり前となった現代に、国家公務員という仕事にこれから定年まで囚われる覚悟でローンを組んだ、我が家。だが小学生になった娘の陽葵は自分の部屋が出来るかもしれない事に跳び上がって喜んでいたし、そんな様子を見た現実主義の妻の彩も、結局はマイホームを買うという事に首を縦に振ってくれた。
なのに、それなのに。あの日のテロで、私は全てを失った。上に退職希望を叩きつけ、発足したばかりで間口を広くしていた対ダンジョン機構の事務職に社会人枠で転職したのも、家族を奪ったダンジョンという存在に対抗する組織に貢献したいという、皮だけ見れば新卒の若者のような理由があったからだ。
そんなこんなで何とか生きてきて、私は初めてダンジョンに閉じ込められた。
「やぁやぁようこそいらっしゃいました、僕のダンジョンへ!!」
薄暗いダンジョンの奥から、若い男の声が響く。その一声が、群衆の悲鳴を一発で止めた。姿を現した男は古臭いジーンズに、上半身は薄汚れた白いフード付きのパーカーを身に着け、その顔をフードで隠していた。
「僕はマッド・ダンジョンズの『ホスト』にして配信者!貴方達はこれから、ここで死んでいただきます!その素敵な姿、このカメラにばっちり納めてあげますよ!!」
男がハンディカメラを取り出した瞬間、男の背後の闇から赤い鱗を持つ、体長は優に三メートルはあろうかという、如何にもドラゴンといった風貌の化け物が突然に現れた。
「れ、レッドドラゴンだーッ!」
突然群衆の中から、若い男の悲鳴が飛んだ。
レッドドラゴン。何というか、何の捻りも無い名前だ。
恐ろしさの余りに不自然に冷静になっていた私は、心の中でそんな事を呟く。
「良くご存知で!どうやら我々の配信を見て頂いている方がいるようですね!嬉しい限りです!画面の向こうで暴れていたモンスターに今から殺される様は、さぞ美しいことでしょう!さぁレッドドラゴン、目の前のゴミ共を燃やしてしまいな!!」
丁寧な口調から一転、男は荒々しくレッドドラゴンとやらに命じる。すると真紅の竜はそれに呼応し、ゴフッ、ゴフッ、と鼻を鳴らし始める。それだけで、周囲の気温が高くなるのが分かった。
そして竜はゆっくりと、炎が滾る巨大な口を開く。それを見た瞬間、人々は再び悲鳴を上げ、一目散に反対の方向へと我先に逃げ始める。
「アッハッハ、愉快だ!さぁ焼き払え!殺してしまえ!!」
竜の口がオレンジ色に光る。鼻を軽く鳴らすだけで周囲の気温を変える程の熱気を秘めているのだ。そこから放たれる炎など、人間なんて一たまりも無いだろう。
(あぁ、私は死ぬのだな...)
差し迫る死を目の前にして、私は依然として平静を保っていた。そこで私はようやく、「自分は生きることに疲れていた」ことを悟った。
(ここであっさり死ねるのなら、それでいいな...)
そんな事を考えながら私は逃げる皆を尻目に、オレンジ色に輝く竜の口を眺めていた。だがその時―
シューンッ!という空を裂く轟音と共に、がっぽりと開かれた竜の口に、何かが高速で飛来した。その瞬間
ガボンッ!!
という轟音が続いて響くと共に、竜の口が大爆発を起こし、周囲を真昼のように明るく照らす。今まさに吐き出さんとする炎が口内で炸裂したことに怯み、竜は低いうめき声を上げながら地面に倒れる。
「あ...あ...」
その一瞬の出来事に、私は腰を抜かしてしまい、その場にへたりこむ。
「識別112!ア型火噴き竜!!」
「民間人の数が多い!工作班の人員をこちらに回せ!封印装置の準備は後だ!」
爆発の影響で耳鳴りが止まない両耳に、そんな声が聞こえてくる。どうやら、対ダンジョン機構の戦闘員が駆け付けたようだ。助かった...
「立って下さい!ここに居ては危険です!!」
突然、脇に肩を回され、私は半ば無理やりに立ち上がらされた。視線を横にやると、後ろ髪をポニーテールで一纏めにした、若い女の子が自分を担いでいた。
「君は...」
「我々は対ダンジョン機構です!我々が来たからにはもう大丈夫ですよ!!」
視線すら寄越さず、少女は歯を喰いしばりながら私を引きずる。その声、何より必死の形相を見せるその横顔は、誰がどう見ても高校生くらいにか見えない、若者だった。
(これが対ダンジョン機構の、戦闘員...)
対ダンジョン機構の有する軍事力がそれをダンジョン内で行使する様子は、表向きには徹底的に秘匿されている。だが現実は機構に救われた人達による口コミや撮影、そして「ダンジョン配信者」達の違法動画によりその戦闘員達の様は、今や日本人の多くが知っている。
私自身、その手の動画の視聴や情報の入手は国家公務員として一般の人間より強固に禁止されている為にしたことは無い。だが生で見る彼らの様相は、噂で聞いた事がある話と寸分違わぬものだった。
「こいつ、まだ生きているぞ!!」
「嘘だろ、今の爆発で死んでいないなんて...!」
その時、背後から驚愕の声が届いた。どうやら、あの竜がまだ、生きていたようだ。
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