第22話 腹の中の赤ん坊
その女の子は「武蔵小杉消失テロ」の渦中に、発生した巨大ダンジョンの中で発見された。
「死ね!頼むから死んでくれ!!」
暗い洞窟の中、東はたった今上官を踏み潰したモンスターに小銃の銃口を向ける。辺りにはついさっきまで生きていた、民間人と仲間の亡骸が積み重なるように転がっており、その壮絶な光景が、若き東から冷静を奪ってゆく。
識別136特二級「仮面の巨人」俗称「ファントム・ジャイアント」。全長5メートルはあろうかという、まるでゴリラを極限まで痩せさせたような、骨と毛むくじゃらの毛皮だけのガリガリな体に、首からは優に3メートルは越す長さの、人間の背骨のような長い骨が伸び、その先端に取り付けられた無表情な人間の顔を象った仮面という、異形極まるモンスターの襲撃により、東の小隊は壊滅状態であった。
オンオンオンオン!!
上官を踏み潰した仮面頭は勝ち誇ったかのように、その長い首を気が触れた尺取虫のように振り回しながら、不気味な音を奏でる。東はそんな仮面頭の胴体に向かって、小銃の弾を全て撃ち込んだ。5.56mm迷宮鋼製特殊弾。本来なら例え作戦中であっても許可が下りなければ使用が出来ない代物だが、今はそんな事を言っている場合ではない。
放たれた弾丸は仮面の巨人の細い胴体を易々と貫通。頭を振り回していた巨人はその一発目を受けた段階で大きく怯む。そして三十発の弾丸を全て受け切った巨人は、胴のあちこちに出来た弾痕から紫色の体液を流しながら、仰向けにゆっくりと倒れた。
ダンジョンに潜むモンスターに銃火器を始めとした現代の兵器が効かないという事が分かってから、ダンジョン内で救出任務を行っていたある自衛官がモンスターの襲撃に会い、偶々そこに落ちていた短剣を用いて相打ち覚悟の特攻を行ったところその短剣がモンスターを容易く貫いたという事例から「ダンジョン内の物質を用いればモンスターを撃破出来る」という事実に辿り着くまでの期間が短かったのは、この国にとって実に幸運なことであった。
設立したばかりのダンジョン機構は更に「ダンジョン内に存在する武具や宝飾品、鉱物の加工は現代の技術でも可能である」という事実を発見し、それらを用いた武装を次々に開発。製造コストの関係で弾丸を始めとした使い切りの武装は極めて貴重なものという多大な欠陥を抱えつつも、日本はダンジョンの脅威に抵抗出来る力を得ることが出来たのだ。
「ハァ...ハァ...まだ、死んでないのかよ...」
東は白煙が細く伸びる小銃を地面に投げ捨てると、腰に下げた「弐式迷宮鋼製携行打ち刀」を抜き、慎重に巨人へと歩み寄って行った。塵に転化していない以上、この巨人は意識を失っただけでまだ生きているのだ。
東は恐怖を堪え、巨人の腹によじ登り、刀の切っ先を思い切り突き立てる。
(これだけ体液を流しているんだ、あと少し傷を与えてやればこいつは...)
んぎゃあ...!んぎゃあ...!
その時、巨人の腹の中から聞こえて来た声に、研ぎ澄まされた東の全神経がほんの一瞬麻痺する。
「赤ん坊の声...?」
間違いない。それはこんな地獄のような場所で聞こえるはずの無い、人間の赤ん坊の産声であった。
東は慌てて刀を引き抜く。その刀身にはけばけばしい巨人の体液の他に、赤い鮮血が付着していた。
「......!!」
息を飲んだ東は巨人の腹を十字に裂き、その切り口から腹の中に両手を突っ込むと、全身を体液塗れにしながら声の主を探した。
んぎゃあ!!んぎゃあ!!
幸い声の主は直ぐに見つかった。東が腹の中から引き出したその赤ん坊は胸に大きな切り傷を作り、洞窟中に響く大声と共に温かい血をそこから流していた。
「嘘だろ...俺は、赤ん坊を刺してしまったのか...」
生真面目な東は、モンスターの腹の中から人間の子供が出て来たという事実よりも、自分の手で赤ん坊に傷をつけてしまったという事実に衝撃を受けていた。だがその時―
オン...オン...
巨人が突然目を覚ました。
「し、しまった...!」
しかし時すでに遅し。東は赤ん坊を抱きかかえたまま、起き上がった巨人の細い掌に捕まり、宙に持ち上げられてしまった。
「が...かあぁ...!」
その凄まじい握力に、東は肋骨がへし折れるのを感じた。だが彼にはもうどうすることも出来ない。巨人に唯一抵抗出来る刀は、赤ん坊を抱く為に手放していたのだから。
ぎゃああん!!ぎゃああん!!
赤ん坊の泣き声が強くなる。幸い赤ん坊は巨人の手の外にあったが、このままでは巨人に殺されるか、その前に力尽きた東の手から落ち、地面に叩きつけられて死んでしまうだろう。
泣き声で赤ん坊の存在に気付いたのか、巨人は首を伸ばし、東にその仮面を近づける。遠目で見ていた時には気付かなかったが、無表情だと思っていたその仮面は間近で見ると仏像のようなアルカイックスマイルを浮かべており、それが更に東の恐怖心を煽る。
オン...オン...
少しの間東と赤ん坊を眺めていた巨人だったが、何を思ったのか、突然首を大きく曲げ、宙ぶらりんになっている東の足の下へと仮面を移動させた。そして巨人が取った次の行動に、東は死を覚悟した。
(喰われるか...!)
何と仮面がぱっくりと四つに分かれ、中からブラックホールのような、真っ黒な口が現れたのだ!これまでの観察と研究で、モンスターという存在は生きる為の捕食活動が不要である、という説が有力であるが、モンスターの中には人間を殺す為に捕食のような行動をするものがいることが分かっている。仮面の巨人は、その内の一つだ。
巨人の手から解放された東は赤ん坊を抱えたまま重力に引かれ、真っすぐと暗黒の口へと吸いこまれる。
(すまない...守ってやれなくて...)
死を覚悟した東は、最期に腕の中の小さな命に詫びる。だが―
バキバキバキバキッ!!
凄まじい銃声が響いた刹那、東は巨人の口に飛び込むのではなく、先程まで立っていた冷たいダンジョンの地面にこれでもかと叩きつけられた。
「ぐっ...!」
数メートルの高さから地面に落下した東は、激痛と共に両足が折れる感触を味わう。
「東2曹!ご無事ですか!?」
朦朧とした意識の中顔を上げると、そこには若い隊員の姿と、その奥でこちらに機関銃を向ける装甲車があった。
ズズン...!
重い振動が腹まで伝わって来る。振り返ると、巨人が再び仰向けに倒れていた。装甲車に搭載された重機関銃M2の口径は小銃の倍以上である12.7mm。たった数発の射撃でも、手負いの巨人の動きを止めるには十分であった。
「救援...か...」
「はい!戦闘車両が到着しました!もう大丈夫です...」
バキバキバキバキッ!!
装甲車から、再び機関砲が放たれる。東達の頭上を飛ぶ大口径の弾丸は瀕死の巨人に更なる風穴を開けた。
オン...オオン...
巨人は最期に力無く、東を掴んでいた腕を伸ばし、そして塵となった。弾け飛んだ白塵が、雪のように生者と亡骸に降り注ぐ。
んぎゃあ!んぎゃあ!
赤ん坊が腕の中で再び泣き出した。東に守られていたとはいえ、あの高さから落下して変わらず大声で泣けるとは、信じがたい生命力だ。
「それは、赤ちゃんですか...!?」
「あ、あぁそうだ...。あの巨人の腹の中で見つけたんだ...」
赤ん坊の存在に気付き驚く隊員をよそ目に、東は赤ん坊に視線を移し、そしてその光景に、自分の目を疑った。
「刀傷が...無い!?」
そう。赤ん坊の胸には既に、東に付けられた傷が消え、滑らかな肌に戻っていたのだ。
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