第10話 「おかえり」の聞こえない家
東急線の改札を出て、武蔵小杉駅を後にした私は夕暮れの中、とぼとぼとした足取りで自宅に向かっていた。東からは「自宅までお送りします」と申し出を受けていたが、少しでも早く1人になりたかった私はそれを断り、その代わりに支給された電車賃440円で久しぶりに切符を買い、最寄り駅である武蔵小杉に帰ってきた。
かつての高層ビル街であった武蔵小杉は今やその半数近くが解体され、かつてのモダンな雰囲気から一転、駅の周りの人通りは少なく、物悲しい雰囲気を漂わせていた。
ダンジョンが出現した際それに閉じ込められる存在は人間のみであり、故に件のテロが収束した時も周辺の建築物に一切の被害は無かった。しかし、テロが起きた上に、その影響で真新しい建物だけが残るゴーストタウンになったその街に好き好んで移住しようとする人間などおらず、この街は衰退の一途を辿っている。
「...ただいま」
自宅のドアを開けた私はいつもの癖で、暗い廊下に向かって帰宅を告げる。だが当然、それに対して「おかえり」を返して来る存在はもうこの世にいない。
「彩、陽葵、ただいま」
リビングの電気を灯した私は奇跡的に手元に戻った、ダンジョンの土で汚れた鞄と帰り道にあるコンビニで買った唐揚げ弁当の袋をテーブルに置く。そして仏壇の中でこちらに微笑む妻と娘の写真に改めて帰宅を告げると、彼女達に線香を上げた。遺影の横にはそれぞれ、生前妻の彩が好きだったバラの花。そして娘の陽葵が、寝る時にいつも枕元に置いていたホワイトライオンのぬいぐるみが置かれている。
大学時代からスキューバダイビングを趣味にしている私と高校の教員として生物を教えていた彩という、生き物好きな両親から生まれてきた影響なのか分からないが、陽葵は幼稚園年少くらいの時から動物に強い興味を示し始め、幼稚園を卒園する頃には、日曜日の夜に放送されるNHKの動物番組に齧りついていた。
陽葵は特にライオンやチーターといったネコ科の動物が大のお気に入りだった。この仏壇に置かれているぬいぐるみも、以前家族で週末に動物園に行った時、閉園直前になってもライオンの檻の前から離れない陽葵を引き剥がす為に園内のお土産屋で仕方なく購入したものだ。
もし陽葵があのテロの犠牲にならず、当たり前のように小学生として過ごすことが出来ていたら、ドリトル先生やシートン動物記を読ませてやりたかった。動物好きの陽葵ならきっと気に入ってくれただろう。自然や生物に対する興味が高校生まで続いていたら、生物系の大学や専門学校を志望していただろうか。
そんな妄想が頭の中に過る度に、やりきれない気持ちが私の心を満たす。
これから私はどうなるのだろう。あの東という男の口ぶりからして、あの力が再び顕現するまで私はダンジョン機構に付き合わなければならないだろう。そして今後、国が保有する「国有ダンジョン」にて行われる「検証」により、もう一度あの力を発揮するようなことがあれば、私はダンジョン機構からの圧力で機構の戦闘員となるか、或いは国という集団をダンジョンの脅威から守る為に、ひたすらに弾丸を生産し続ける、女王蜂の様な存在になるのだろうか。
ごく平凡なサラリーマンである私に取って、そのどちらの道も、明るいものとは言えない。何より、最初こそダンジョン機構に貢献出来るかもしれないと期待を寄せていた私だったが、こうして死んだ家族の前に立った今だからこそ、思うことがある。
天国にいる家族は残された私に、戦いに身を投じる事やその道具を産み出す事を望みはしないだろう、ということを。
「彩、陽葵。私は一体、どうしたら...」
2つの、途方も無く分厚い壁を前にし、私は涙声で遺影に語り掛ける。だが何をどれだけ口にしても、写真の中で笑みを浮かべる彼女達がそれに答えることは、決して無い。
仕事から帰って玄関を開けても、「おかえりなさい」が聞こえてこないのと、同じように。
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