その時はまたレモン味のアイスを
煙草は20歳になってから。
6月中旬。まだ夏本番でもないはずなのに気温は28度を記録していて、昨今の異常気象を痛感する。雨が降ったわけでもないのに湿度も異様に高い。張り付くような汗を拭いながら、俺はベランダで煙草を吸っていた。
「鬱陶しい暑さだな」
暑いなぁと天を仰いでいると、我が家に遊びに来ていた先輩が後ろから声をかけてきた。その手には煙草の箱が握られている。
「6月だってのにやになるわ」
「全くっすね。ここで煙草吸うのしんどいっすわ」
「なんでヤニカスのくせに禁煙のアパートなんか借りたんだよ」
俺の隣に来て、慣れた手つきで煙草に火をつける。この人にだけはヤニカスと言われたくは無い。
「仕方ないじゃないっすか。ここより安いとこ他になかったんすもん」
「安アパートなら煙草くらい寛容であれ」
「無茶言わないでくださいよ」
俺は二本目の煙草に火をつけた。
「これ吸い終わったらアイス食おうぜ。ここに来る前に買ってきたんだよ」
そう言って先輩は台所方面を指差した。そういえばうちに来て早々、冷凍庫になんか突っ込んでいたのを思い出した。
「やったぜ。因みに何アイスっすか?」
「レモンのやつ」
ニカッと笑ってるところ申し訳ないんすけど、それじゃ何かわからねぇっす。でもレモン、レモンねぇ。
「先輩にしては中々良いチョイスじゃないすか」
「まだ何かわかってないのによく言うわ」
「レモン系はハズレないですから」
「お前レモン好きだったの?」
「え、普通」
「普通かよ」
本屋に置き去りにされた檸檬は好きっすかねなんて言ったら「文学はわからんよ」と訝しげな顔をされた。わからない人間はこれが文学だってわからないのでは?という疑問は吸った煙と共に肺へ詰め込んだ。
程なくして根元ギリギリになった煙草の火を揉み消して、そそくさと中に入る。部屋はクーラーが効いていて涼しくなっている。本来ならまだ付けなくてもいいような時期に使うのは馬鹿らしいが、こればかりは致し方ない。
二人で台所へ直行し冷凍庫をガラリと開けると、そこには某有名なレモンの輪切りの乗った氷菓系のカップアイスが鎮座していた。
「さっすが先輩。わかってるじゃないですか」
「さっきから微妙に上から目線なのなんなの?」
「いやあんた基本的に食い物のチョイス微妙だから……」
「うるせぇよ」
とにかく早く食おうぜと二つ取り出して、一つを俺の方に渡してくれた。
かぽりと蓋を開けると、レモンの輪切りが目に入る。少しだけ氷に埋まったそれをほじくり返して蓋の上に乗せてから、俺はメインのかき氷部分をガリガリ削り始めた。
「このレモン、どうすんのが正解なんだろうな」
「さぁ?俺は最後に食べてます」
「へー。俺はこいつ残すわ」
「うわもったいな」
「だって酸っぱいだけじゃん」
そう言った先輩のかき氷からもレモンが外されていた。
「その酸っぱいのがいいんじゃないんすか」
「そういうもんかね」
「そういうもんっす」
いらないならくださいよ、と冗談ぽく言ったら「2枚も食べるのか」とちょっと引かれた。なんでだ。
「ま、勿体ないのも事実だしな。欲しいならやるよ」
「マジすかやったー」
かくして、俺のカップの蓋には2枚のレモンの輪切りが鎮座することになった。なんだかお得感があって嬉しいなんて言ったら、子供っぽいと馬鹿にされるだろうか。
話してる間にもガリガリと削っていた氷を、漸く口に入れる。ほんのりした甘みとレモンの酸味の混ざり合う爽やかな味に舌鼓を打ちながら、夏だなぁと耽る。
もう少し月日が流れたら、蝉が喧しく鳴き始めて、もっと暑くなるのだろう。鬱陶しいこの季節は、目の前にあるアイスという食べ物をいっとう美味しく感じさせてくれるからそう簡単に憎めない。
「今年は中々雨降らないっすね」
窓の外を見ながら何気なく呟くと、「そうだな」と返ってきた。先輩の目線も、窓の方に向けられている。窓の外は雲一つない晴天だ。
「晴れてる方がいいけど、この季節に雨が降らないのも違和感あるよなぁ」
「そっすね」
梅雨が恋しいとか、雨が好きとか、異常気象を憂いているとか、そういうのは俺にはないのだけど。
「ま、そのうち阿呆みたいに降るだろ」
先輩は最後の一口を口に入れた。俺の分はまだ半分近く残っていた。
カップの中が空になるまで一頻り駄弁った後、「ちょっと煙草」と言いながら先輩は再びベランダへ行ってしまった。窓を開けた時に温風が入ってきたが、体にまとわりつく前にガラリと霧散した。部屋はクーラーの音に包み込まれた。
俺は残しておいたレモンの輪切りを齧った。当然ながら酸っぱくて一人で変顔をしていたら、先輩がベランダで笑っていた。何か言っていたような気がするが、窓一枚に声は阻まれてしまって聞こえない。聞き返すのも面倒なのでレモンを齧りながら無視をする。俺からの反応がないからか、先輩はこちらに背を向けて煙草を吸い始めた。その背中は汗ばんでいるのか、服の色が少しだけ変わっている。
手持ち無沙汰になってしまってボケっと先輩の背中を眺め続ける。それに気づいたのか「何?」と先輩が聞いてきた。聞こえないけどこれだけはわかった。
なんでもないと言えばよかったのに、「俺も煙草吸いたい」と答えてベランダへ出た。アイスとクーラーで冷えた体は直ぐさま熱を取り戻し始める。
煙草をくわえるとベトリと甘さが際立った。レモンを食べた後だったはずなのに、甘さとは存外後に残るものらしい。先輩も同じだったらしく、「なんか煙草が甘い」と眉間に皺を寄せている。俺はその感覚が好きなんだけど、この人はそうでもないようだ。
「夏っすね」
「夏だな」
「またアイス買ってきてくださいよ。俺今度は3と1のアイスが食べたいっす」
「気が向いたらな」
そしたらお前また俺と遊んでくれるだろ?と笑う先輩に、奢られる気満々の俺はにんまりと笑った。
「気が向いたらいいですよ」
昔二次創作で書いた話を少し変えてみました。
割とお気に入りだけどあれは二次創作だからだったのかなぁと書いてて思いました。