第4話-1 もしかして……太った?
■奈々視点
兄さんの様子がおかしい。
それに気づいたのは、串カツを食べている最中だった。
なんだか、じっと私の顔を見ているかと思えば、ふと視線を逸らす。一緒にいるのだから、顔や目を見るのは当たり前なのだが、いつも自然な視線の動きがぎこちない。
何気ない雑談をしているときは問題ないのだが、ふとした沈黙にそういう風に目が動くのだ。何かきっと兄さんに思うところがあるのかもしれない。
ただ、兄さんは思うところがあればさりげなく伝えてくれる。
たとえば寝癖が立っているとき、からかい交じり、あるいは、頭をそっと撫でて教えてくれる。相手が傷つかないように配慮をしてくれるのだ。
だから、そう口にせず、迷うような視線を向けてくる――ということは。
(多分、言いにくいこと、なんだよね……)
そんなことを思う翌朝、私は家でもそもそと朝食を食べていた。お母さんが焼いてくれたトーストを食みながら、ニュースを眺める。
今日、私は一限と二限――つまりお昼まで授業がある。兄さんも昼過ぎは暇らしいから、どこか行こうか、という話をしていた。毎日のように一緒にいてくれる兄さんの反応は悪くなく、こうして連日一緒に入れて幸せな限りである。
だからこそ、兄さんの視線に交じった戸惑いのようなものには気になるところだ。
(より兄さんの好みに近づくためにも、頑張らないと)
そう思いながらトーストを最後まで食べきると、ふと母さんが居間から顔を出す。
「今日は大学の後、春馬くんとお出かけ?」
「あ、うん、その予定。どこ行こうか悩んでいるけど」
「あらあら、良かったわね、奈々。じゃあお夕飯は今日もなし?」
「んー、兄さん次第かなー」
兄さんは夜遅くまで出歩こうとはしない。昨日、さりげなく夜の散歩に誘ってみたが「夜に奈々を連れ回すのは危ないからな」と笑って首を振っていた。
だから夕食前に家に戻る公算は大きそうだ。
(それならまた兄さん家でご飯もらうけど)
そんな打算をしながら考えていると、母さんは腰に手を当てて小さくため息をつく。
「奈々、ダメよ。そんな態度だと」
「あ……やっぱり、兄さん任せはダメかな」
ちょっと無責任だったかもしれない。少し反省していると、母さんは首を振ってぐっと拳を握り、力強く言う。
「違うわ。もっと積極的に行くのよ。もっと一緒にいたいアピールしなさい。何なら色仕掛けで春馬くんを篭絡するのよ」
「……母さん、あのねぇ」
思わず半眼になる。さすが母親というべきか、昔から私の兄さんに対する気持ちは熟知している。だが、親としてそういう指導の仕方はどうなのだろうか。
呆れていると、母さんはだって、と唇を尖らせて言う。
「よくできた甥っ子なのよ? 息子になってくれれば嬉しいじゃない。お父さんも『春馬くんのような子が息子だったらな』とよく言っているし」
「お父さんのはお酒の場の冗談でしょ……」
その言葉は私も正月に聞いている。兄さんとお父さんが酒を飲んでいるときに時々聞くのだ。ちなみにお父さんがそう言った後、真顔で『ただ、ウチの奈々はやらんからな』と言うまでがセットだ。
(余計なお世話だよ、お父さん)
もしお父さんのせいで兄さんが遠慮しているとすれば、許せない。乙女の恋路を阻むものは馬に蹴られてしまえばいいのだ。
私が小さくため息をついていると、母さんはお皿を片付けながら微笑んだ。
「まぁ、冗談はさておき、ご飯は作る予定にしておくから、必要なさそうだったら早めに連絡しなさいね。もしよければ、春馬くんの分も作るわよ」
「はーい、分かりました」
「ん、よろしい――ねぇ、奈々、話は変わるんだけどね」
「ん、なに? 母さん」
私も大学に行く準備のために腰を上げると、ふと母さんのまじまじとした視線に気づく。私の顔の輪郭をじっくり眺めてから、もしかして、と口にする。
「――貴方、少し太っていない?」
「……え」
「春馬くんと一緒に外食するのはいいけど、なんだか顔が丸くなった気がするわよ。気のせいならいいのだけど……」
母さんはそう言いながら重ねた皿を持って台所に消える。私は慌ててスマホを取り出し、自分の顔つきを確かめる――確かに、丸みを帯びたかもしれない。
(……もしかして)
兄さんはそれに気づいたのかもしれない。
女性の体格については非常にデリケートだ。確かに口に出すのは憚れる。だから兄さんは迷うように視線を泳がせていたのかもしれない。
むむ、と唇を引き結び、スマホの画面を切り替える。検索エンジンで「小顔 マッサージ」を入力。早速、該当する記事に視線を通しながら考える。
(冬服だから油断していたかも。ちゃんと体重管理しないと)
考えてみると、兄さんに会ってからは美味しいランチやスイーツ、夕食といろんなものを食べてきた。まだ三日とはいえ、このまま兄さんに甘え続けていれば、体重は増え続ける一方だ。そうなれば、兄さんに無粋な指摘をさせてしまうかもしれない。
(食事制限……は難しいから、運動だよね、運動)
登下校の往復10kmの自転車通学だけでなく、何か取り入れるべきだが――。
『見て下さい、この見事な紅葉!』
ふと、テレビからの音声に振り返る。画面では紅葉特集をしていた。秘境の山奥まで行き、紅葉を楽しむ、というものらしい。確かに天気もよければ、山登りも心地いいだろう。
(――山登り?)
それだ、と思わず目を見開いた。今日は天気がいいし、丁度11月も中旬を迎える。この季節にあそこへ行けば、きっと見事に色づいているはずだ。
(確か、あれをやっている期間中だし……丁度いいかも)
よし、と心に決めると、チャットアプリを開き、一番の上の兄さんのアカウントを呼び出す。素早い指捌きでメッセージを送信した。
『兄さん、今日は鞍馬に行こうよ!』