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第3話 瓜生山から眺める夕焼け

■春馬視点

 京都は古都の一面がある一方で、学生都市でもある。

 京都大学をはじめ、同志社大学、大谷大学、京都産業大学など様々な大学が市内にあり、どれも総合大学なので学生数も多い。下宿で暮らす学生も少なくはない。

 そんな彼らの主な交通手段は、自転車だ。市内は意外に広いので、いい自転車があると非常に快適に走り回ることができる。奈々の大学への交通手段も、自転車だ。


 僕もまた、自転車で彼女の大学まで駆け、ようやく一息ついたところだった。

 大学の駐輪場に自転車を止め、少し上がった息を整える――途中からの斜面はなかなか厳しく、久々の自転車だとしんどい。


(さすが、上終町――北白川の果て、だけはある)


 カミハテ、と呼ぶその町は京都の一番東の大通り、北白川通沿いに位置する。北白川地区の北の果て、ということからその名が冠された。

 そこにあるのは一つの大学。長く続く階段の先にある神殿のような建物。

 そこは奈々が通う、京都芸術大学だ。

 さて、と息を整えてから、階段を見上げて時間を確かめる。授業は終わり、そろそろ学生たちが出てきてもおかしくない時間だ。現にちらほらと足早に階段を降りてくる学生が見られる。その流れに逆らうように、ゆっくりと僕は階段を登りながらスマホを見る。

 奈々からの着信はない。もしかしたら講義が長引いているのかもしれない。


(しかし、芸大か)


 階段を登り切ると、拓けた半分が野外にあるエントランスに到達する。左手には大学の校舎内に入れ、ここからでも中の喫茶店が賑わっているのが見える。

 そして、目の前には一つの石碑がそびえ立っていた。

 藝術立国――これがこの大学の掲げる理念のようだ。


「これは学園の創始者、徳山詳直先生のお言葉。芸術で国を作ろうとした人の想いを継いで、私たちはここで勉強しているの」


 その澄んだ声にちらりと横を見ると、いつの間にか奈々が横に立っていた。少しだけすまなそうに眉を寄せ、小さな声で詫びてくる。


「ごめんなさい、少し講義が長引いちゃった。その先生、授業中にスマホ弄っているの見つかると、面倒くさいから」

「いや、気にするな。真面目に授業を受けているなら、それでいい」

「うん、ちゃんと今日のレポートもまとめたし。ちなみに兄さん、芸大は初めて?」

「ああ、あるのは知っていたが、来たのは初めてだな」


 京都市内で芸大と呼ばれるのは大きく分けて二つ。京都市立芸術大学とここ、京都芸術大学だ。ここは元々京都造形芸術大学という名だったため、主に造形芸術に力を入れていると聞いている。そのためか、学び舎の形状も独特で面白い。

 きょろきょろと見渡していると、彼女は小さく笑みをこぼし、袖を掴んで引いてくる。


「じゃあ兄さん、折角だから上まで行こうよ」

「上……って、この上か?」


 藝術立国の石碑の脇にある、長く続く階段を見上げてげんなりする。山の斜面に校舎が築かれているせいか、その階段は長くその先には森さえも見えてくる。

 さすがに今日は山登りする気力はないのだが――。


「大丈夫、校舎の中ならエレベーターがあるし。こっち」


 奈々は笑って首を振ると、石碑の右側へ。そこには校舎の中に入る通路がある。彼女に導かれるまま、その通路を歩いていく。

 しかし、とふと思いながら、隣を歩く奈々に声をかけた。


「本当に芸大で勉強しているんだな。少し意外だ」

「そうかな?」

「そうだろ。割と高校生の成績も良かったし」


 奈々は高校生のとき、かなり成績は良かった。どの科目もそつなく優秀だったはずで、文系でも理系でもどの進路も選べそうだったが。

 だが、奈々はふるふると首を振り、唇を尖らせながら言う。


「だって、それは兄さんがビデオ通話で勉強を教えてくれたからでしょ」

「それはそうだが……」

「他の科目は兄さんのノートから勉強したし」

「そういや持って行っていたな……」


 東京の受験が終わり、ノートと参考書を処分しようと思ったら、まだ小六だった奈々がやってきて欲しがったのだ。てっきりそのときは文房具代をケチるためだと思ったが。


「兄さんのノート、分かりやすいから参考になって高校くらいの勉強なら、余裕だったよ。ただ兄さんが履修していない科目は全然わからなかったし。数ⅢCとか、化学とか」


 通路の奥まで辿り着くと、大きなエレベーターに辿り着く。奈々がボタンを押してそれを開けると、広々としたエレベーターが開いた。

 どうやら、資材搬入にも使われるようだ。奈々は迷わず最上階のボタンを押す。

 扉が閉まり、エレベーターが動き出してから奈々は言葉を続ける。


「で、大学でいざ何か学ぶ、と思ったときに何も思いつかなくて――で、いろいろ市内の大学を探していたら、ここに行きついたの」

「ん、何か学びたいものがあったのか」

「ん……写真、かな」


 ちょっと意外な単語が出てきて、少し目を見張る。彼女は少し照れくさそうにしながら、自分のスマホを取り出してそっと液晶をなぞる。


「スマホのカメラもすごく進歩していて、雑誌に載せられるレベルの写真も撮れるの。それを聞いたら――私もここで勉強すれば、京都が綺麗に撮れるかな、って」

「……へぇ」

 聞いてみると、奈々らしくて納得する。だが、彼女は気恥ずかしさで首を振って苦笑いをこぼした。

「なんか不純な目的だよね、兄さん」

「いや、悪くないと思うぞ。むしろ、何も目的を持たずに大学で勉強するよりはずっと。真剣に考えたのなら、僕は奈々の道を応援する」


 僕は真剣に言葉を返すと、奈々は驚いたように目をしばたかせた。それと同時にゆっくり登っていたエレベーターが停止。扉が開いた。


「お、ついたな」

「あ、そうだね……兄さん、こっち」


 気を取り直したように奈々は早足に歩いていく。その後ろをついて建物から出ると――視界に茜色の光が差し込んできた。


「あ……」


 思わず息を呑む――そこに広がっていたのは、真っ赤な夕焼けだ。西の果ての山に沈んでいく太陽が鮮やかな赤色に街を染め上げている。

 あまりにも澄んだ夕焼けに思わず目を奪われていると、奈々の声が小さく響く。


「ここは京都市内の東の果てにある山々の一角、瓜生山。ここからなら、京都の街を見下ろすことができる。標高はそこまでじゃないけど、夕焼けを見るなら十分だね」

「ああ……確かに、これは見事だ」


 校舎の屋上もまたちょっとした庭園になっており、夕焼けの中の庭園は雰囲気満点だ。そこで見る夕焼けはあまりにも贅沢で、思わず見入ってしまう。

 眺めているうちに、夕日は山の稜線へとかかり、じわじわと京都の山に呑まれていくように日が沈んでいるのが分かる。思わず吐息をこぼしながら、視線を奈々に向ける。彼女もまた眩しそうに目を細めながら、西の果ての夕日を眺めていた。

 ふわりと山の下から吹く冷たい秋風が小さな庭園に吹き、彼女の髪を撫でていく。彼女はそっと髪を押さえながら儚げな表情で夕日を見ていて――。

 今まで見たことがないくらいに、その顔つきは大人びていた。


(……大人、か……)


 考えてみれば今まで見てきた奈々は無邪気に遊んでいるときの彼女だ。大人になったところを見たものの、いつも見るのは可愛らしい無防備な笑顔。それをいつも微笑ましく見守っていた。

 だけど、彼女も将来を考えていて夢を見ていて学んでいる。そんな彼女の姿を見ると、何故かぐっと胸の芯が疼くようで――目が離せない。

 ふと、彼女はまばたきをすると、僕の視線に気づいて振り返った。


「あ、ごめん、兄さん、ちょっと考え事していた」

「あ……いや、構わないけど……何を考えていたんだ?」

「この夕日を撮るなら、どういう構図が綺麗かな、って」

「お、真面目だ」

「学生だもの」


 にへら、といつもの彼女のように笑ったのもつかの間、すぐに真剣な眼差しになり、京都の街を見やりながら軽く首を傾げた。


「できれば京都の街を活かしつつ撮りたいけど、ライティングが難しいんだよね、建造物を入れると逆光で建造物が潰れちゃうから……兄さん、もう少し時間いい?」

「ああ。別に店を予約しているわけではないから」

「ありがと。んっと……」


 彼女はスマホを取り出してカメラを起動する。それ越しに夕日を眺める真剣な奈々は、今でと違った雰囲気がして新鮮に感じる。それに――何故か胸もざわつく。


(……こんな顔、真剣なときはするんだな……)


 長く一緒にいた奈々の知らない顔に視線が逸らせないでいると、彼女はよし、と頷いてスマホを持ち上げた。まばたきをして視線を強引に外し、彼女のスマホを見る。


「いい夕日が撮れたか?」

「ううん、撮ってはいないよ。イメージを確かめていただけだよ」

「そうか――ちゃんと、勉強しているんだな」

「ん、それはもちろん。お父さんとお母さんに高い学費出してもらっているし――プロのカメラマンなんて無理かもしれないけど、できるだけ頑張りたいもの」


 奈々はそう言いながら小さく微笑んで大事そうにスマホをしまう。それから彼女は僕を振り返って目を細めて訊ねる。


「ね、兄さん。京都の街は、好き?」

「ああ、もちろん。京都は本当に好きだ」


 自信をもって即答できる。いろんな顔を見せてくれる京都が、僕は好きだ。その言葉に彼女はうん、と頷いて照れくさそうに笑った。


「兄さんが好きな京都だから、私はもっと綺麗に撮ってあげたいんだ」

「……そっか」


 その真っ直ぐに向けられる気持ちはいつもみたいに嬉しくて。

 だけど何故か胸の芯を衝かれたようで、一瞬だけ息を止めてしまった。息苦しささえ覚えるような感覚で、何となく僕は手を伸ばし、奈々の頭に手を載せる。すると、彼女は笑みをこぼして傍に寄ってくる。


「えへへ、今度、いろいろ写真を見せてあげる」

「ん、それは楽しみだ」


 傍に寄ってきた彼女はいつもと同じ、無邪気な笑顔をしていて。

 胸を締め付ける感覚がほどけ、訳も分からずほっとする。それをごまかすようにくしゃりと彼女の頭を撫でると、そのまま踵を返してエレベーターに足を向けた。


「じゃ、飯行くか――この辺りだと、一条寺か百万遍か?」

「ん、一条寺だと少し遠いから、万遍がいいかも」


 打てば響くように奈々が答えながら、僕の隣で微笑む。了解、と僕は笑い返した。


「なら、美味いものを食いに行くか」


 その後、僕と奈々は自転車で百万遍まで向かい、串カツを一緒に食べた。

 自転車だから酒は飲まず、適当に食べてから二人で夜の京都を自転車で走る。そうしている間も彼女はいつもと同じ、無邪気な笑顔で話し続けていた。

 だけど、僕の頭からは彼女の真剣な顔が頭から離れず――。

 何故か、胸がざわめき続けていた。

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