第2話-4 ふわふわ甘いオアフのシュークリーム
■奈々視点
堀川通は京都の主要大通りの一つだ。南北に貫くように走り、北へ向かえば上賀茂神社、南に向かえば二条城、西本願寺の傍を走って京都駅の方まで着く。
昔はここに川が通っており、京都の主要な運河だったとか。
今はほとんどが暗渠になっているものの、通り沿いにはその名残が見え隠れする。
そんな堀川通と今出川通の交差点付近――その近くにあるカフェに私と兄さんは足を運び、腰を落ち着けていた。
「しかし、シュークリーム専門店か……こんな店があったんだな」
通りに面した窓際の席。兄さんは感慨深げにつぶやきながら、目の前の大きなシュークリームをしげしげと眺めている。うん、と私は頷いて言う。
「オアフってお店。お洒落だよね」
「確かに。ちょっと休憩するにはもってこいだな」
銀杏も綺麗だし、とそういう兄さんが堀川通に視線を向ける。その目つきは満足げであり、私もほっと安堵の一息をこぼす。
(兄さん、楽しんでくれているみたい)
この銀杏の木々は私からすると、もう見慣れたものだ。だが、京都の外から来た人はみんな物珍しくこれを見るのだ。意外に京都はすごいところがごろごろあり過ぎて、こういう当たり前な美しさを見落としがちらしい。
「……昔からあるのに、こんな綺麗な風景に気づかなかったな」
「離れてみると気づく、ってことみたいだね」
夢中になっている兄さんに相槌を打ちながら、よし、と私は内心で頷く。
(いつも通り、できている……無問題、大丈夫。何もなかった)
実際、何もなかったわけではない。先ほど兄さんの部屋で恥ずかしい想いをしたばかりだ。
つい、出来心だったのだ。兄さんの服を片付けるうちに、大きなジャケットを見つけて、着てみたくなった。兄さんの服は少なかったが、お洒落なジャケットを何枚か持っている。
兄さんが今日、外出に来たジャケットもいわゆるミリタリージャケットであり、ODカラーが彼の落ち着いた雰囲気にマッチしている。ちなみに、その下はタートルネックのインナーと、スキニーパンツですっきりとした印象で、お洒落である。
そんな兄さんのジャケットをつい気になって羽織ると、意外に大きくて楽しくなってしまった。そして兄さんの香りもしてどきどきして――。
少しだけのつもりが長く楽しんだせいで、兄さんに見られてしまったのだ。
(幸い、兄さんはあんまり気にしていないみたいだし、良かったけど)
気を引き締めないと。そう思いながら私はシュークリームに手を伸ばす。
「じゃ、兄さん、食べよっか」
「ん、そうだな」
兄さんもシュークリームに手を伸ばしたのを確かめてから、早速、シュークリームにかぶりつく。さく、という衣の感触の後に、口の中に広がるのは濃厚なクリーム。
甘さが口の中を満たしていき、心までも嬉しくなってくる。
「あま……っ」
「ん……んまぃ」
兄さんも大きな一口でシュークリームを楽しみ、唸り声をこぼしている。それから無言で彼はシュークリームを楽しむと、コーヒーに手を伸ばした。
それを持ち上げて口の前でぴたりと止まると、お、と彼は目を見開いた。
(……さすが兄さん、香りだけでわかるよね)
この店はシュークリームだけではなく、コーヒーも美味しい。直輸入の豆を使用した、挽きたてコーヒーなので香りもいい。甘さ抜群のシュークリームを味わった後に、挽きたてのコーヒー。彼はゆっくりとそれを口へ運びながら、私はにやりと笑う。
この組み合わせ、絶対に美味しいに決まっている。
「――――――ああ」
はたして、こぼれた兄さんの声は低く震えた、満足げな吐息。どこか色っぽさすら感じさせて、思わずどきっとしてしまう。
彼は丁寧に口元をナプキンで拭いてから、私を見て微笑んだ。
「これは、美味いな」
「どっちが?」
「どちらも。最高だろ」
「だよね」
私も頷きながらコーヒーを飲む。兄さんほどコーヒー通ではないが、この組み合わせは抜群だ。濃厚な甘さをコーヒーでさっぱりさせ、さらにシュークリームの甘さを引き立てる。定期的に食べたくなる中毒性すらある組み合わせだ。
大きなシュークリームを半分食べた兄さんは背もたれに背を預け、コーヒーを楽しむ。堀川通に視線を投げる彼はどこか優雅で、私はそれを眺めながらシュークリームを頬張った。贅沢な甘さに表情が緩んでくる。
(やっぱりいいな、兄さんとこういうお茶するの)
特に話すことはない。だが、互いにこうして時間を共有するのもたまらない。そんな時間を過ごしていると、ふと兄さんは視線を私に向けて口を開いた。
「そういえば――奈々、大学の予定はどんな感じなんだ?」
「どんな感じ、というと、講義?」
「ああ。講義をサボっていないよな?」
「大丈夫だよ。今日も講義がないからお手伝いに来たんだし」
「そうか。ならいい」
兄さんは優しく目元を綻ばせる。気を配ってくれるのが嬉しくて表情が緩みそうになりそうになり、シュークリームを食べてごまかす。
(……本当は講義をサボってでも、兄さんと一緒にいたいけど)
今は兄さんを独占できる貴重な時間だ。いろんなところに連れ回し、兄さんに京都を楽しんでもらって――できれば、私のことを意識してもらいたい。
だけど、それで講義をないがしろにしては、兄さんはきっと喜ばない。
だから、そこはきっちりけじめをつけておくのだ。
とはいえ、と明日を振り返ってちょっと唇を尖らせる。
「……明日は講義だから、兄さんと遊べない」
「それは仕方ないだろう?」
「そうだけどさ、折角、新京極まで出る約束したのに」
「それはまたの授業のない日に、だな……ちなみに、何時間目まで?」
「えっと、四限」
「じゃあ、大体五時くらいまでか……」
兄さんは少し考えてから頷くと、なら、と軽い口調で続ける。
「夕方に大学まで迎えに行くから、夕飯でも食べに行かないか?」
「え……いいのっ?」
思わず目を見開く。ああ、と兄さんは一つ頷いて苦笑いと共にいう。
「どうせ暇だからな。ずっと休んだり、一人で観光するよりも、奈々と一緒の方が楽しいだろうし……まぁ、奈々が良ければ、だけど」
「もちろん大丈夫、予定もないし」
やった、と今度は表情が緩むのを抑えられない。また兄さんと一緒に出掛けられる。しかも今度は外で一緒に夕食。夜のお出かけと思うとわずかに期待が増してくる。
まだ兄さんは私のことを妹分としか思っていないはずだけど。
それでもこのお出かけは素直に嬉しい。
「やった、どこに行く?」
「あまり高いものは期待するなよ。あと割と近場になると思うし。そこまで夜まで連れ回せないからな。
さすがにそれは叔母さんたちに申し訳ない」
兄さんは仕方なさそうな笑顔と共に告げ、コーヒーを口にする。
そういう律儀なところも兄さんのいいところだ。ちゃんとどんなときでも弁えるところをきっちり弁えているのだ。大人の男性、という感じでつくづく魅力的だ。
にやけそうになるのを堪え、私はコーヒーをまた一口。
今まで兄さんは束の間の帰省中しか遊べなかったのに、こうして毎日のように一緒に過ごせるのは夢のようだ。
ふと、彼は視線を外に向け、暮れなずむ京都の風景を眺めて表情を緩めた。
「……京都に帰って来れて、良かったよ」
「……うん、良かったね」
私も兄さんが帰ってきて嬉しい。だって、こんなに毎日が幸せだから。
そう思いながら食べるシュークリームは、いつもよりも甘く濃厚に感じられた。