第2話-1 京都の実家で荷解きを
■春馬視点
僕が京都に戻ったその翌日――実家には明るい声が響き渡っていた。
「兄さん、本を入れ終わったよ、こんな感じ?」
「ん、ばっちりだ。助かる、奈々」
「いえいえー」
雑巾を手にした奈々が、僕の部屋の中で振り返ると、にへら、と笑った。空になった段ボールをカッターで解体しながら、僕はわずかに苦笑いをする。
「しかし、わざわざ引っ越しの荷解きに来てくれるとはな。助かるけど、申し訳ない」
「別に気にしなくていいのに、兄さん。今日は大学の講義を取っていないし」
彼女は身に着けたエプロンを揺らしながら、別の棚を拭いてくれる。一本に縛ったポニーテールを揺らしながら、ふんふん、と彼女は上機嫌そうだ。
この調子で彼女は昼前から僕の実家に来て、丁寧な掃除をしてくれている。
もちろん両親とも勝手知ったる仲。母さんは特に嬉しそうに出迎え、掃除用具を揃えてくれた。おかげで掃除が捗り、想像以上に早く片付けが終わっている。
「……夕方までかかると思っていたが、それまでに終わりそうか」
「兄さんのお荷物、意外と少なかったからね。家具とかないんだ」
「まぁな、社宅は家具付きの物件だったし」
大学生活では多少、家具は買ったものの、就職のときに後輩にあげた。だから引っ越し業者に頼むこともなく、宅配便で大口の段ボールを四個ほど発送しただけだ。
「兄さん、こっちの段ボールは?」
「調理器具だからそのままにしておいてくれ」
「はーい。じゃあ、次はどうしよっか」
「じゃあ、服を片付けてもらっていいか」
下着以外の服が入った段ボールを奈々の方に押し出す。はいはい、と奈々は頷き、ぺたんと床に足を崩して座って箱を覗き込んだ。
「……兄さんは服も少ない」
「もう少し多かったけど、引っ越しの際に断捨離したからな」
服にこだわりがないから、量販店の安い服を使い続けていた。それもよれたり、穴が空いてきたので、この機会にほとんどを捨てている。
残っているのは外向けのジャケットやスーツ、ジーパン、あとはアウトドア向けの服やカバンばかりだ。奈々はそれを丁寧に取り出しては、へえぇ、と眺めている。
そこから少し離れた場所で僕も腰を下ろし、下着を取り出しながら言う。
「適当にハンガーにかけてクローゼットに閉まってくれ。数が少ないから場所に迷うこともないだろうし」
「でも、兄さん、これ少なすぎない? 会社とか大丈夫だったの?」
「ん、まぁ私服出勤が大丈夫な職場だから」
とはいえ、と奈々が畳んでいる服を見やって言葉を続ける。
「いずれにせよ、服は買い足さないとな」
「あ、じゃあ一緒に行くよ、兄さん」
「……いいのか? ちょっと悪い気がするが」
奈々は女子大生。時間に余裕があるとはいえ、社会人になる前に自由を謳歌できる貴重な期間だ。その時間を使わせるのはさすがに申し訳ない。
「わざわざ付き合ってくれなくても大丈夫だぞ? 奈々も友達付き合いがあるだろうし」
「ううん、私が兄さんと買い物に行きたいから。講義や学食で友達付き合いはできるし。私は兄さん付き合いを大事にしたいな」
「それはどういう付き合いなんだ……」
家族付き合いのようなものだろうが、なんだか悪い気はしない。それに、と奈々は小さく悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
「服を買うなら多分、新京極だよね」
「あー、まぁ、そうなるか」
実は京都市内、特に中心区域である洛中だとファッションを揃えられる場所は限られてくる。いろんな店が集まっている場所といえば、京都駅付近か、河原町三条近くの商店街である新京極商店街が一番だ。百貨店やショッピングモール、遊ぶ場所もあり、何か買い物に行くならそこがまず挙がる。
もちろん、女性向けファッションもそこでは欠かせない。
(だから、ついでに奈々も買い物を済ませられる、というわけだな)
それを期待しているのか、きらきらした眼差しで見てくる奈々。それに応えてもいいが、少し悪戯心も湧き上がってくる。僕は首を傾げて訊ねる。
「でも、僕の服なら北大路ビブレでもいいぞ」
「えー、ビブレぇ……? 別にいいけどさぁ……」
その言葉にあからさまにがっかりする奈々は唇を尖らせる。
(その反応はビブレに失礼だろ)
北大路ビブレは、京都市内の北の方にある烏丸北大路のショッピングモールで、割と小ぢんまりしている。とはいえ、本、ファッション、家電、家具とちょっとした百貨店に伍するラインアップであり、意外と侮れない。
新京極が若者に愛される街ならば、北大路ビブレは地域住民に愛される店だ。
ちなみにビブレの地下には各地に迎えるバス停や、地下鉄烏丸線のホームもあり、交通の便も悪くはないのだ。のんびりと買い物したいときにはオススメなのだ。
「エディオンもあるから、コーヒーメーカーを買うのも悪くないかな」
「で、でも兄さん、新京極にはないけど、隣に寺町通にもエディオンもあるし、ロフトもあるからお洒落な家電もあるよ?」
「いや、でも新京極には無印良品ないよな?」
「じ、GUもユニクロもあるよ? それでいいじゃん」
余程、新京極に行きたいのか割と必死にアピールする奈々。必死なせいか、少し身を乗り出し気味で微笑ましい。
(ま、からかい過ぎるのもよくないか)
苦笑いをかみ殺し、手を伸ばしてぽん、と奈々の頭に手を載せて軽く撫でる。
「ま、可愛い従妹もいるんだ、新京極で買い物しよう。で、奈々の買い物も済ませると」
「あ……やったっ!」
ぱっと顔を輝かせる奈々。勢いよく顔を上げたのでポニテが子犬の尻尾のように勢いよく揺れる。僕は笑って頷きながら言う。
「で、ビブレはビブレで別の日に行こう。あそこに悪くないからな」
「確かに、悪くはないよね、新京極の方が品ぞろえが良いけど」
「新京極推しだな、分かるけど。お洒落だし」
「選択肢も多いからね。あ、あと兄さん、あそこはもうビブレって名前じゃないよ?」
「え、マジで」
驚いて奈々の顔を見ると、うん、と彼女はセーターを畳み直しながら頷いた。
「冗談じゃなくて。今はイオンモール北大路」
「……そっか……ま、中身は変わっていないよな」
「多分。私も最近行っていないから分からないけど」
「尚更、確かめないとな……」
とはいえ、と僕は時計を見上げて時間を確かめながら言う。
「今日のところは服を片付けてケーキでも食べに行こうか。手伝ってくれたお礼に、お兄さんがご馳走して進ぜよう」
「やったっ……といっても、兄さん、昨日も奢ってくれたじゃん。嬉しいけど……」
「ま、これでも社会人だからな。これくらいはかゆくもない」
社会人になるとまとまった給料が入るようになるものの、趣味がないと使い道もない。折角だから自炊を始めようとお高めの調理器具を買ったが、その結果、外食が減って支出が減るようになってしまった。
「奈々と遊ぶのは楽しいからな。いくら出しても惜しくはないさ」
「ぁう」
「……ん?」
妙な声に視線を返すと、奈々はさっと視線を逸らして手にしたジャケットを広げた。顔が見えなくなり、はて、と首を傾げていると、ふと扉の外から声が響いた。
「春馬、春馬、ちょっといいかしらー?」
「ん、はいはい?」
母さんの声に腰を上げ、奈々をちらりと見ながら声をかける。
「奈々、悪いけど片づけを進めてもらえるか?」
「ん、了解――行ってらっしゃい」
奈々はジャケットの袖をハンガーに通しながら上目遣いで言う。ん、と頷いて僕は廊下に出ると、ひんやりとした空気が包み込む。
奈々も顔が赤かったし、もしかしたら暖房が強かったかもしれない。そんなことを思いながら、階段を降りて母さんのいる居間に顔を出した。