第11話 兄妹を越えて
■春馬視点
奈々と付き合う直前、ふと思ったことがある。
付き合う前でも妹分であることを活かし、ぐいぐい甘えてくる奈々。それは僕へのアプローチも兼ねているのだろうが、その甘え方はかなり積極的だ。
誰がそう見ても、奈々が兄貴分以上の愛情を抱いていると分かり、こっちもなんだか赤面しそうなほど、距離をぐんぐん詰めてきた。
では、もしここで僕と奈々が付き合ったら?
どんな風に僕へ甘えてくるのだろうか。
今まではアプローチもあったから、かなり積極的だ。その目的が達成した以上、少し大人しくはなるのだろうか――いや。
(そんなわけないな。奈々のことだから、振り切れるかも)
まるでリードの外れた犬みたいに甘えてくるのではないだろうか。
そんなことを考えていたのだが。
まさに、想像通りだった。
「兄さんっ、一緒にゲームしよっ」
リビングのソファーで僕がくつろいでいると、不意に横から弾んだ声と共に奈々が近寄ってきた。そのまま隣に座ると、遠慮なく距離を詰めて腕に抱きついてくる。
むぎゅ、と胸が押しつけられる感触に目を見開き、僕は苦笑をこぼす。
「ゲームは構わないが、随分くっついてくるな」
「だってもう付き合ったんだよね?」
「まぁ、そうだが」
「なら構わないよね?」
「……構わないが、節度は守って欲しいけど」
ちら、と僕は視線を台所の方に向ける。そこでは母さんが昼食の後片づけをしているはずだ。父さんも散歩に出ていつ帰ってくるか分からない。
さすがに両親の目があるときで恋人と戯れるのは、気まずすぎる。
(とはいえ、奈々を無下にするのもよろしくないか)
まるで子犬のように澄んだ目で見てくる奈々に僕は仕方なしに笑い、腰を上げる。
「じゃあ部屋に戻るか」
その言葉に奈々はぶんぶんと嬉しそうに首を縦に振り、僕の手を取って立ち上がる。そのままリビングを出ると、その間際で嬉しそうに笑う母さんと目が合った。
肩を竦めると、母さんは「ごゆっくり」と口を動かした。
(……相変わらずの気の回し方だ)
父さんもあまり僕たちを邪魔しないように散歩に行ったのだろう。ありがたいものの、少し気まずくもある――とはいえ。
「部屋でのんびり奈々のお相手をしますか」
「えへへ、ドライブデートの次はおうちデートだね」
「といっても互いに慣れ親しんだ部屋だけどな」
「心境は一転しているけどね、えへへ、兄さんと恋人かぁ」
本当に嬉しそうな彼女に思わず目を細めていると、ふと奈々は僕を見上げて少しだけ唇を尖らせた。
「兄さんは嬉しそうじゃなさそう」
「ん、嬉しいというよりも愛おしい、の気持ちが勝っているからな」
「……どういうこと?」
こてん、と奈々の首を傾げる。その彼女の手を引きながら自分の部屋へと招き入れる。彼女は勝手知ったる様子で僕のベッドに腰を下ろした。
その隣に腰を下ろしながら、奈々の頭に手を載せる。彼女は甘えるように肩を寄りかかった。ふわ、と肩にかかる髪をくすぐったく思いながら口を開く。
「奈々のことは好きだし、こうして一緒にいるとドキドキする――けど、その気持ちはすごく穏やかなんだ。この気持ちを言葉にするのは難しいけど」
自分の気持ちに耳を澄ませるようにして少し考えてから告げる。
「恋している、より、愛している、かな」
その言葉に奈々は小さく身動きした。ぐりぐり、と肩口に額を押し付け、ぽすぽす、と僕の膝を拳で叩く。喜んでいるのか、怒っているのか分からない仕草だ。
やがて、彼女は長く吐息をこぼす。ため息に似た響きに、僕は少しだけ苦笑して奈々を見やる。
「がっかりしたか? こういう気持ちだと知って」
「……ううん、兄さんらしいとは思ったけど……少し残念」
「ん、何が残念?」
「だって、私と同じくらい兄さんが私のこと好きなのかな、って期待していたから」
けどね、と彼女は顔を上げ、笑みをこぼした。弾けるように、だけどどこか挑戦的に僕を見上げ、ぐっと身体を寄せてくる。
「それならもっと積極的にして、兄さんをドキドキさせればいいよね?」
その言葉と共に彼女の顔が近づき、唇が触れ合った。数秒の触れ合いの後、そっと彼女は身を引いて悪戯っぽく目を細める。
「……どきっとした?」
「……ああ、した。見事だ」
正直に答える――今の不意打ちは、効いた。
奈々の間近に迫った顔、ふんわりした甘い吐息、柔らかくて熱い感触――それが一度に来るとさすがにどきどきする。僕は思わず視線を逸らすと、奈々は得意げに笑みをこぼした。
「ふふ、この調子で兄さんをドキドキさせて、いつしか恋させてやるんだ」
「それは楽しみだ――が、いいのか? 奈々」
「ん、何が?」
きょとんと首を傾げる奈々。その笑顔は純粋無垢で、無邪気そのもの。
その笑顔を見つめながら髪を梳いていた指先を動かし、彼女の頬を撫でながら目を細める。
「時と場合を弁えないと――男をどきどきさせると、危険だぞ」
ましてや、ここは僕のベッドの上――言い換えれば。
「僕からしてみれば、ベッドの上で恋人が誘ってきている、ってことになるんだぞ?」
そう言いながら滑った指先が彼女の細い首筋をなぞる。あ、と奈々が目を見開いた瞬間に、僕は素早く身を寄せてその唇を塞いだ。
「ん、ぁ、んんっ」
奈々の唇から小さく吐息がこぼれる。だが彼女は拒むことはなく、逆に僕の首に抱きつくように腕を絡めてきた。必然的に唇は押し付け合い、密着する。
彼女が苦しくないように身体を支えながらキスを続ける。ぎこちないキスも繰り返せば繰り返すほど、気持ちいい部分が分かってくる。
(奈々の唇、柔らかくて気持ちいいな……)
まるで果肉のような弾力。擦れるたびに淡い刺激が走る。唇の内側に触れれば触れるほど気持ちいいのだ。ふと奈々がまばたきをし、ん、と薄く唇を開いた。
何かを期待するかのような眼差し――考えが、分かってしまう。
それに応えるように僕はまばたきを返すと、舌を突き出して奈々の唇の間に差し込んだ。互いの舌先が触れ合った瞬間、びり、と甘美な感触が頭に走った。
奈々も一瞬びっくりしたように舌を引っ込め、だがすぐに舌を差し出してくる。奈々と濃厚なディープキスを始めるのは、時間の問題だった。
「ん……ぁ……む……にぃ、さん……っ」
奈々が小さく声を上げる。頬が赤く染まり、瞳が潤んでいる。抱きつく腕の力も徐々に抜け、身体が脱力している――やがて身体が離れると、彼女はそのままベッドに仰向けで寝そべっていた。胸を上下させ、息を整えながら彼女は頬を赤くして囁く。
「……兄さん、えっちなキスだ」
「そういう奈々も、色っぽい……」
もう彼女の表情からはいつもの無邪気さはなく、大人の色香しか感じられない。潤んだ瞳も、赤らんだ頬も、濡れた唇も、乱れた髪も、上下する胸も。
ここからきっと踏み込んだら、もう戻れない。
僕と奈々はまた一歩、大人になってしまう。
「……奈々」
その声で奈々も分かったのだろう、軽く喉を動かしてから視線を受け止め、ん、と微かに頷いた。淡い微笑みを浮かべて小さく囁いた。
「兄さん、来て」
それが合図だった。僕は踏み込むように奈々に覆いかぶさり。
僕と奈々は兄妹を越えて、恋人になっていく。