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第9話-2 金戒光明寺の夜間拝観で紅葉を

■春馬視点

 くろ谷さんという愛称で親しまれる金戒光明寺。

 そこは百万遍の南東、吉田山の南にある紫雲山に位置するお寺だ。西の傾斜に向けて建物や墓までも整然と並び、それが夕焼けを浴びる様はまさに壮観である。庭園も四季によって色を変える、まさに京都らしい寺院。

 そんな金戒光明寺の見どころは夕方だけではない。それは秋の特別拝観に合わせて行われる夜間拝観――そこで紅葉が艶やかに彩られるのだ。


 ――こん。


 澄んだ竹の音が微かに響き渡る中、僕はゆっくりと抹茶を口に運んだ。

 静けさと共に抹茶の風味を楽しみつつ、視線を奈々に向ける。彼女はぼんやりとした眼差しで茶室から見える庭園を眺めている。その横顔に目を細めながら、お茶菓子を一口。

 やがて再び響き渡った微かな鹿威しの音でようやく彼女はまばたきした。僕の視線に気づき、えへへ、と少し照れくさそうに笑う。


「綺麗だね、紅葉」

「ああ、ここは茶室から楽しむことができるのも魅力だな」


 視線を追いかけるように、僕も茶室の外の紅葉を眺める。風もなく穏やかな夜の庭園は、紅に染まった葉で彩られ、それがライトアップで美しく輝いている。

 和の建造物と庭園の風景がそれを引き立て、まさに荘厳。

 この夜間拝観には様々な観光客が来ているが、あまりの美しさに声を押し殺している雰囲気さえ伝わってくる。そんな風景を束の間、独り占めできるのが庭園内にある茶室である。そこで振舞われる抹茶に奈々は手を伸ばし、一息つく。


「……なんだか、贅沢」


 奈々の囁き声にそっと表情を緩め、僕も頷き返した。


「ならちゃんと調べた甲斐があった」

「ありがと、兄さん……実はこのお寺、初めてなんだよね」

「そうだったのか」

「うん、他の夜間拝観はちょくちょく行っているけど」

「……分からんでもないな」


 京都の夜間拝観はそこまで珍しくない。金戒光明寺や貴船神社だけでなく、清水寺、北野天満宮など有名どころの寺社仏閣は夜間拝観は行われ、どれも大きく賑わう。

 それに比べると金戒光明寺は比較的マイナーで、自分も調べて初めて気づいたくらいだ。

 彼女は視線を庭園に再び向け、小さな声で囁く。


「お寺によっていろんな特徴があって、紅葉の活かし方も違うけど――ここは静か」

「静か、か」

「うん、音もそうだけど、湖面も紅葉も庭園も止まっているかのようで」


 ――こん。


「……この微かな鹿威しだけが、時を動かしている感じ」

「なるほどな、確かに」


 この庭園ではなんだかじっと耳を澄ませていたい気がする。そんな静けさを保っているのがこの庭園の魅力だろう。僕は庭園を眺めながら抹茶を飲む。

 しばらく僕と奈々は抹茶と共にその雰囲気を楽しむ。やがて最後の一滴まで飲み干すと、奈々は器を下ろして微笑んだ。


「行こうか、兄さん」

「そうだな。ゆっくり回るか」


 二人で茶室から出ると、ひんやりした空気が身を包む。一緒に石段を下りると、あ、と小さく声を上げて奈々が少しよろめく。


「……大丈夫か?」

「あ、うん。久々の正座だったからかな、少し足の感覚が」

「足を崩せばよかったのに」


 笑いながら僕は手を差し出す。奈々はぱちくりと瞬きしてから嬉しそうに表情を綻ばせて手を取り、しっかりと握ってくれる。

 そのまま手を取り合ったまま、ライトアップと紅葉に彩られた庭園を歩く。

 泉の周りを巡るような順路の紅葉は、本当に鮮紅に染まっている。鞍馬山の頃よりも大分冷え込みが深くなったおかげだろう。その中を歩いていくと、ふと奈々の手がくっと引かれた。僕が足を止めると彼女は微笑んで頷き、立ち止まって視線を紅葉に注ぐ。

 しばらくしてから奈々は手を握り直す。それを合図に二人で歩き始める。途中、池に架けられた石橋を渡る。水面はまるで鏡面のように透き通っており、池の中まで紅葉の絶景が広がっている。奈々はそれに見惚れるように視線を奪われる。


(……なんというか、危なっかしいな)


 昔の奈々なら好奇心のままに泉に手を突っ込んでいるだろうが――。


「さすがに落ちないよ」


 考えを察したのか振り返った奈々は微かに唇を尖らせていた。口に出してはいないが、考えが悟られていたらしい。悪かった、と僕は苦笑いして手を引く。

 他の人の邪魔にならないように橋を渡り切り、庭園を巡っていく。

 ゆったりとした足取りで歩き、庭園を眺めているとふと奈々が小さく口を開いた。


「……なんだかこうやって手を繋いで歩くの、懐かしいね」

「鞍馬のときもそうじゃなかったか?」

「あのときは支えてくれるだけだったでしょ」

「……それもそうか」


 今は何気なしに手を繋ぎ合っているのだ。その彼女の小さな手を握ると、彼女も手を握りながら嬉しそうに表情を緩める。


「なんか嬉しいな、こうして手を繋いでいると安心する」

「そんな安心感ある手ではないと思うけど」

「ううん、だって昔からこうやって手を繋いで守ってくれたよね。鴨川に落ちそうになったときとか、丘から滑落しかけたときとか」

「そらな。本当に昔は危なっかしかったから」


 何せ僕の手を引いてどんどん先に行くのだ。まだ小さい身体なのに鴨川の飛び石や斜面へはしゃいで遊びに行く――彼女が子供の頃は手が離せなかった。


「でも行くな、とは兄さんは一度も言わないよね?」

「それはもちろん。奈々が楽しそうにしているし」

「兄さんが止めてくるのは本当に危ないときだけ。だから安心感あるよ」


 だから今もね、とばかりに奈々は笑いながら手を握ってくる。その手を握り返す――昔と変わらず小さい手。だが、今はその笑顔が隣にある。

 引っ張るだけでなく、寄り添うような奈々の手に僕は目を細めた。


「……今は、それだけじゃないな」

「え?」

「今の奈々は、危なっかしくない――少しお転婆だが」

「一言余計だよ」


 奈々は頬を膨らませるが、意味は伝わったらしい、嬉しそうに目が笑っている。行こ、と彼女は手を引き、僕は頷いてその傍を歩いていく。

 足並みを揃えて二人で同じ景色を見る。時折視線を交わし、微笑みを見せる。


 思い出を共に振り返りながら、今という時間を歩んでいく。

 この二人で歩いてきた京都の景色と共に。


「兄さんがこの景色を選んでくれた、と思うと感無量だなー」

「楽しんでくれているか?」

「もちろんっ。この辺の選び方は兄さんならではだね」

「そうか? むしろ奈々なら来てそうだと思ったが」

「そうかな? ――あ、兄さん」

「ん、了解」


 奈々が立ち止まったのに合わせて僕も足を止め、手を解く。彼女の考えはすぐ分かった。


(ここからの紅葉はなかなかいいな)


 奥の建物と水面と紅葉――その奥からは月が見えている。是非とも写真を撮りたい景色だろう。ん、ん、と構図に悩むように彼女は立ち位置を変え、何か悩むように眉を寄せる。


「上手く撮れないか?」

「うん、月の位置が絶妙過ぎて。もう少しこっち方向に行けばいいんだけど」


 途中の柵から手を伸ばすようにする。だがその位置からだと安定せず、ぷるぷる手ブレしてしまうようだ。


「夜景は手ぶれの影響がかなり受けるからね。安定して撮りたいけど――あ」


 ふと何かに気づいたように僕を振り返り、彼女はにやりと笑みを浮かべた……とても嫌な予感がする。彼女は手招きして悪戯っぽく言う。


「ね、兄さん、身体支えてよ」

「支えて、って」

「柵に身体を預けてもいいけど、不安が残るし、万が一体勢を崩したら庭園を乱しちゃうじゃん。だから兄さん、安全帯代わりに」

「……人を安全帯代わりにするなよな」


 仕方なしにため息を一つ。彼女に近寄ると腰に手を回す。あ、と彼女は少し身体を強張らせたのも一瞬、ありがと、と小さく口を動かすと彼女は身を乗り出す。

 体重が向こう側に寄せられるのを彼女の腰を強く抱いて支える。


(……というか、細いな、こいつの腰……)


 一時期体重で悩んでいたのが嘘のようなスリムさだ。そのくせ、事ある事に押しつけられてくる胸は結構あるのに――。


「兄さん、若干腕震えていない?」

「……んなことはないが」

「そう? もっと支えてくれないと私もしんどい」

「……了解」


 少し腕を上の方にずらし、お腹の上の辺りでしっかり抱く。身体が安定したのを感じたのか、ふっ、と奈々が小さく息を止める気配。

 そしてスマホのシャッター音が何枚か小さく響き渡った。

 彼女がスマホを下ろしたのを合図に、僕は腰を抱き寄せるようにして奈々をこちら側へ引き戻した。えへへ、と奈々は照れくさそうに笑みをこぼした。


「ありがと、兄さん。いい写真撮れたよ」

「どれどれ……ふむ」


 写真を見てみると確かに紅葉と建物、水面と月のバランスがよくできている。この絶景をいい塩梅で切り抜いた形だ。よしよし、と奈々はスマホの画面を消しながら頷く。


「月が入ったのは偶然だけど、こういうのも大事だよね」

「ああ、頑張って手伝った甲斐があった」

「ありがと、兄さん……えへへ、頼り甲斐のある安全帯でした」


 少しおどけて言う彼女は微かに赤くなっている気がして。僕もなんだか照れくさくなって視線を逸らして言う。


「他の人にはやるなよ……っていうのは、言うまでもないか」

「当たり前。兄さんにしか頼まないよ」

「……ならよし。じゃあ、行くか、奈々」

「ん、そうだね」


 奈々はそう言いながら自然に手を差し出してくれる。それを手に取ると、彼女はやはり嬉しそうに笑った。その笑顔に目を細めながら僕は視線を順路の先に向ける。

 もうすぐ行けば名残惜しいが、庭園は終わりを告げる。


(……そこが潮時か)


 心に決めながら、そっと彼女の手を握り直した。


「奈々、出たら少し缶コーヒーでも飲むか」


 さりげない誘い。奈々は目を合わせると、何かに気づいたように微かに瞳を細めた。ん、と軽く頷いて応えてくれる。


「いいね、温かいコーヒーで身体を温めてお話ししようか」

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