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第8話 学生たちは高野を目指す

■奈々視点

『夕方から紅葉を見に行かないか』


 そんな誘いが兄さんから来たのは、大学の昼休みが終わったタイミングだった。その文字が目に入るなり、奈々は素早く指先を動かした。


『行く!』


 メッセージが表示されるなりの即答。兄さんもすぐ既読をつけるのを見て、私は満足げに一つ頷いていると、ふと正面に座る友達が笑みをこぼした。


「愛しのおにーさんからメッセージ?」

「そうそう。夕方からデートのお誘い」

「お、いいなー」


 友達、理沙の羨望の眼差しに少しだけ笑顔を向け、私はスマホを見る。丁度、兄さんからメッセージが飛んできたところだった。


『少し待ってな、どこで待ち合わせか考えている』

『どこでもいいよ。私、これから暇だし』


 私が取っている講義は午前中だけ。だからこそ、三限が空いている理沙とのんびり学食でお喋りしているのだ。ピークが過ぎた学食は穏やかそのものだ。

 こうした時間はよく理沙とお喋りしていた。理沙もあまり騒がしいのは好まず、みんなの輪から一歩引いてにこにこしている子だ。学科も同じであり、なんだか話も合う。親戚のお兄さんに私がずっと恋していることも、彼女はよく知っていた。


「なんだか奈々のお兄さんって聞いていると、素敵な人だよね、すごく大人っぽいというか、距離感がしっかりしているというか」

「真面目過ぎるところがあるんだけどね」

「でも、そこが奈々は好きなんでしょ?」

「……まぁ、そうなんだけどね」


 こうしてこんな時間に連絡を投げてくるのも、兄さんが私の時間割を全て把握しているからだろう。兄さんは決して、私の講義中にメッセージを寄こさない。

 だが一線を弁えれば、とても懐が深い。いくら甘えても許してくれるのだ。


(そろそろ激しいスキンシップとかありかな、もっと誘惑してみよ)


 鞍馬山のときに腕に抱きつき、少し兄さんが狼狽えていたことを思い出す。平然を装っていたが視線が泳いでおり――でも、肚を括れば男らしい。

 そんないろんなところが私は好きだ。思い出し笑いをしていると、うわぁ、と理沙が表情を引きつらせる。


「そんな甘ったるい笑顔、よくできるわね。身体くねくねしているわよ」

「あ、ごめん、つい」

「……お兄さんの前で、それしていない?」

「……ちょっとしている」


 大体そういうときは仕方なさそうに笑って頭を撫でてくれる。みっともない仕草だから止めたいのだが、兄さんには頭を撫でて欲しい。

 なかなか悩ましい葛藤である。


「……奈々が百面相している」

「……兄さんにより好かれたいからね」

「一途だねぇ」


 理沙は苦笑しつつ紅茶のペットボトルに口をつける。その視線がふと動き――うげ、と軽く目が見開いた。私はさりげなくスマホを持ち上げ、反射で後ろを見る。

 そこからまっしぐらに近づいてくる男の気配に、私も表情を強張らせる。

 同じ学科の先輩で、チャラいことに定評がある。顔を合わせるたびに何かと馴れ馴れしく話しかけてくるのだ。世話焼きで面倒見が良く、悪い先輩ではないのだが。


(私たちからすると、苦手なタイプ……)


 判断は一瞬だった。私と理沙は視線を合わせると、話を変える。


「じゃあそろそろ行こうか、奈々」

「うん、そうだね。行こ行こ」


 机の上を片付けていくと、ふと後ろから調子の軽い声が響き渡った。


「お、奈々ちゃんと理沙ちゃんや、ご無沙汰ー」


 その声に内心で深くため息。それから振り返って後ろを見ると、そこにはスカジャン姿の男が立っていた。奇抜な色に髪を染め、へらへら笑っている。


「先輩、言うて一週間ぶりですよ」


 理沙が愛想笑いと共に言葉を返すと、せやっけ、と調子よく先輩は笑う。


「大分久々な気がするで、二人とも。元気しとる?」

「ええ、元気です。最近はカレといろいろお出かけしているので」


 奈々は言葉を返しながらさりげなく自分のアクセサリーに触れる。指輪を形どった兄さんのアクセサリーが光り、先輩は微かに目を見開いた。


(残念ながら私は兄さんのものですよー)


 ひっそりと内心で笑いながら、視線を理沙に向ける。


「じゃあ行こうか、理沙。では私たちは買い物があるので」


 間髪入れず畳みかけた言葉に、ああ、と先輩は軽く笑ってひらりと手を振る。


「ほんならまたな、二人とも」

「ええ、失礼いたします」


 あくまで丁寧に笑みを浮かべて。それから理沙にアイコンタクトし、荷物を持って移動する。理沙も私の後に続いて動き、二人で学食を出た。

 ひんやりした外気に包まれ、一つ吐息をこぼすと、理沙は小さく苦笑して言う。


「……奈々って切り替えすごいね」

「切り替え?」

「うん、さっきの先輩のときもそうだけど、ああいうときの対応ってすごくしっかりしているから。でも兄さんの話になるとすごく……無防備?」

「……え、そんな無防備?」

「はっきり言うと、すごくでれでれしている」


 さすが私の親友。ずばっと言ってくれる。

 兄さんを思い出していると頬が緩んでしまう自覚はあったが――。


「そんな無防備だったのかな……」

「まぁ、お兄さんの話をしているときだけ、だけどね」

「……なら、気をつけないと」


 さすがにそんな無防備な表情を兄さん以外の男に見せるわけにはいかない。むっと唇を引き結び、気を引き締め――ふと、理沙がところで、と話を変えてくる。


「お兄さんに返信しなくていいの? メッセのやり取りしていたんでしょ?」

「あ、そうだった」


 スマホを見ると、兄さんは待ち合わせ場所を思いついたのか、返信を送ってきていた。百万遍の交差点、北西側のイチョウ前。


『そこなら奈々をすぐ見つけられるし』


 その一言が添えられていて思わず表情が緩む。


(……どこにいても、見つけてくれるくせに)


 私が東京に行ったとき、混雑した改札口付近でも兄さんは迷わず私の方まで来てくれた。どこにいても兄さんは私を見てくれている――。


「ほら、奈々、無防備」

「……はっ」


 理沙の指摘に顔を上げると、理沙はおかしそうに表情を緩め、指先で私の頬に触ってくる。


「いいな、そんな大切な人が傍にいて。私もそういう人に出会いたい」

「……兄さんはあげないからね?」

「まさか。お兄さんはきっと奈々が一番お似合いだよ」


 理沙は笑ってそう言うと、軽く肩を叩いた。


「待ち合わせは夕方でしょ。だったらもう少しお茶でも付き合ってよ、奈々。折角だから、高野の大垣書店にでも行かない?」

「それはアリだね」


 大垣書店高野店は大型書店ほどではないものの、豊富な品ぞろえがあり、カフェも併設されているのが魅力だ。学生たちの憩いの場としても知られている。


(……兄さんをいつか連れて行ってもいいかも)


 京都ならではの場所、ではない。だけど、とてもいい場所なのだ。

 行こうか、と頷き合い、二人で校門へ足を向ける。冬の訪れを感じさせる澄んだ空気を味わいながら、学校から下りる階段を歩いていると、ふと理沙が目を細める。


「そういえば……奈々、お兄さんから誘われるって珍しくない?」

「ん? いや、ぼちぼちある気はするけど」


 兄さんは結構こまめなところがあるから、私の様子を見て外出に誘ってくれるが。そう思い浮かべながら首を傾げると、そうじゃなくて、と理沙は首を振る。


「お兄さんが特定の場所に誘うこと。だって今までは奈々がいろいろ連れ回していたんでしょ? お兄さんが言い出しっぺだとしても」

「……む、確かに」


 兄さんはお出かけに誘うことがあっても、行先は私にいつも委ねていた。明確に兄さんがどこかに行くことを誘ったことは――確かにない。


「というか、下手したら一度もない……?」

「え、うそ」

「うん、映画にしても観光にしても……東京にしても、兄さんは誘うけど具体的な行先は私に任せているし……まぁ、今回もそのパターンかもしれないけど」


 紅葉を見に行こう、といっているが、具体的にどこに行くかは話していないし。そう思いながら私が苦笑いをこぼすと、ううん、と理沙は真面目な顔で首を振る。


「多分違うんじゃないかな、だって、今回はお兄さんが待ち合わせ場所を指定しているんでしょ?」


 その言葉にはっと気づく。待ち合わせ場所を指定しているということは、明らかにどこか行きたい場所に目星をつけているのだ。

 珍しい、と神妙に頷けば、理沙は爛、と微かにその目を輝かせた。


「もしかすると奈々、もしかするかもよ」

「え、ええ……でも、あの兄さんだよ? 石橋を叩いて壊し過ぎる性格の」

「うん、誤解かもしれない。だけど、会ったときに相手の雰囲気が違っていたら――覚悟するべきかもしれないよ」

「……雰囲気」


 思わず階段の半ばで立ち止まり、理沙の顔を見つめる。彼女はこくりと頷き、そうね、と顎に人差し指を当てて考える。


「これが小説とかなら、相手の身だしなみが伏線になるところね」

「身だしなみ」

「そう、いつもよりきっちりしていたら要注意。いつも通りなら、まだ分からない」

「なるほど……兄さんはいつもきっちりしているけど」

「なら、それ以上の可能性がある、ということね。見逃しは厳禁よ」


 理沙の言葉は迫力を伴い、なんだか説得力がある。


「あと口数にも気をつけなさい。相手が口数少なければ緊張しているかもしれない。そんなときは焦らずに、じっと相手の言葉を待つの。そわそわしちゃだめ」

「……なるほど。それも小説?」

「と、お兄さんの話を聞いた感じの推理よ」

「……なるほど」


 再三深く頷いてしまう。凄まじい説得力だ。

 理沙はもう少し考え込んでいたが、やがて吹いてきた冷たい風に我に返り、苦笑を浮かべた。


「まだいくつか思いつくけど、そこは高野で話さない?」

「そうね……いろいろ聞かせて、理沙」

「もちろんよ、奈々……しくじらないようにね」


 私の親友は頼もしく拳を握って励ましてくれる。良い友人に恵まれたことを実感しながら、空に浮かんだ太陽に目が眇める。


(……早く夕方にならないかな)


 兄さんに会うまでの時間が、待ち遠しかった。

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