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第7話 イノダコーヒー本店で内緒話

■春馬視点

 その気持ちは僕の心に昔からあった。


 奈々を大事に思う気持ち。愛おしく思う気持ち。

 妹分としてではあるが、彼女のことは誰よりも大事に思っていた。だけど同時に、彼女は僕の傍で成長していた。


 いつの間にか、奈々の子供っぽさは抜けて大人びた笑みを見せるようになり。

 寂しさや辛さを我慢して、だけど、堪え切れずに切なげな表情を見せるようになり。

 背はすくすくと伸びて、身体も女らしくなっていく。ふとした瞬間にそれに気づかされ、慌てて目を逸らしている自分がいた。そして、奈々を従妹だと言い聞かせ続けていたのだ。


 思えば、その頃はまだ自分の気持ちに向き合えるほど、落ち着きがなかったのだ。

 だけど、奈々と離れて東京で過ごすうちに、いろんな経験を経て成長した。まだ若造だと言われる男だけど、自分の気持ちを落ち着いて見据えられる。

 今なら分かる――僕は、奈々に女性として惹かれているのだと。


(とはいえ、理解できたとはいえ、納得できるかは別問題だよな)


 小さく吐息をこぼしながら、僕はぼんやりと椅子に背を預けた。

 ちら、と視線を窓の外に向ければ広がっているのは、落ち着いた雰囲気の庭園だった。その風景を持つ店内は木を基調とした、重厚感あるインテリアで彩られた内装であり、落ち着きながらも荘厳な雰囲気がどこかある。

 まるで昔の建物に迷い込んだかのように思えるのは、イノダコーヒーの本店。京都駅にもあった喫茶店の本店だ。そこに週明けの月曜日、僕は用事がてら、ここにコーヒーを楽しみに来ていた。平日なので奈々はもちろん授業だ。

 一人でコーヒーを楽しむ穏やかな時間。ただ、ふとした瞬間に奈々のことを思い浮かべてしまう。


(……ちゃんと、アクセ、つけてくれているかな)


 奈々のことだからきっちりつけているはずだ。だが、それでも言い寄ろうとする男はいないだろうか。少し考えただけで、そんな考えが頭に過ぎり。

 そんな自分に気づいて苦笑いを浮かべてしまう。


(奈々のこと、ずっと考えてしまうな)


 いざ自覚してしまうと、奈々がこれだけ自分の中で大きい存在だったのかと再認識させられる。考えてみれば、長い間一緒にいた相手だが当たり前だが。

 まさかこうして異性として意識して悩むとは思いもしなかった。

 奈々が慕っていたことは気づいていたが、自分は奈々に対してどう思っているか目を逸らし続けてきた――そのツケだろう。

 とはいえ、と思考を切り替えながらコーヒーを口に運んだ。


(……これからのことを考えないとな)


 自分の気持ちを自覚し、しばらく一人で考えこんで自分なりの結論を出した。

 男としての覚悟も、決めた。

 だが、だからといって一筋縄ではいかない。

 何しろ、従兄妹で親戚同士なのだ。奈々の両親である、叔父叔母とも仲が深い。そんな二人に黙って事を進めるのはどうしても気が引ける。

 大人として、兄貴分として、ちゃんと筋を通すべきところなのだ。


 だから――。


「あ、春馬くん、お待たせしたわね」


 ふと響いてきた声に顔を上げる。視線を上げれば、そこには落ち着いた大人の女性が立っていた。奈々の似通った目つきをした、僕も良く知る人物。

 奈々の母親でもある、亜紀さんだ。


 ここに来た用事、というのは亜紀さんに会うことだった。

 本当は彼女の家で相談するつもりで、奈々を家に送るついでに話を切り出した。すると亜紀さんは首を振って悪戯っぽく片目を閉じて言ったのだ。

『ここだと余計な耳が多いわ。週明けの月曜日、どこかでお話しましょ。丁度その日、私も休みなのよ』

 その提案に乗り、僕と亜紀さんはイノダコーヒー本店で落ち合っていた。


「春馬くん、店に入っているのが随分早かったわね」

「折角でしたら、イノダのモーニングも味わおうかと思いまして」

「ふふ、いいわね。休日の優雅な時間って感じね」

「有給だからこそできる、贅沢な身分ですが」


 亜紀さんのコーヒーが来るまで、しばらく二人で何気ない雑談を楽しむ。亜紀さんは落ち着いた表情で微笑み、興味深そうに話に耳を傾けてくれる。

 その顔は奈々そっくり。彼女が落ち着きを持ったら、亜紀さんみたいになるのだろうか。

 そんなことを考えながらお冷を飲むと、店員さんがコーヒーを二つ持ってくる。

 給仕されるのを待ち、店員さんが立ち去ると、ふと亜紀さんが目を輝かせた。


「じゃあ、春馬くん、早速、その相談を聞かせてくれるかしら」

「ん……そう、ですね」


 いざそう切り出されると、口に出しづらい。一旦コーヒーを口に運び、気持ちを落ち着ける。その間にも亜紀さんは嬉しそうににこにこと僕を見守っている……コーヒーの味が、分からない。

 深呼吸を一つ。それから僕は真っ直ぐに亜紀さんを見た。


「……奈々のことなんですが」

「うん、いいわよ。なんでも言ってみて」


 そういう亜紀さんは笑みを少し引っ込め、優しい眼差しで見つめてくる。

 幼い頃から見知った親戚の叔母さん。昔からよくしてもらっていて面倒を見てもらったこともある。そんな人に恋の相談を、しかも娘さんのことについて話す。

 それが気まずくて恥ずかしい。だけど、ここで黙っているわけにもいかない。

 一旦、心を無にしてから、僕は言葉を続けた。


「最近、奈々とよく出かけさせてもらっています。そうしているうちに――その、彼女のことを意識するようになってきまして」


 心を無にしても、自分に出した言葉でどうしても胸がざわめいてきてしまう。思わず口ごもると、ふと亜紀さんはそっと小さな口調で告げた。


「……好きになったのね? 女の子として」

「……そう、です」


 そう肯定を返すだけでも、勇気が必要だった。できるなら今すぐこの場から離れたいと思うくらいだ。カップに手を伸ばし、コーヒーを口にする。やはり味はあまり分からない。

 カップを戻すと、ふと亜紀さんは小さな微笑みを浮かべて口を開いた。


「そう。ようやくあの子は、貴方を振り向かせられたのね」

「……やはり、奈々は」

「ええ、あの子はずっと前から貴方に恋している。ううん、さすがに子供の頃は憧れ程度だったかもしれないけど、今は確実に春馬くんのことが好きよ」


 亜紀さんは楽しそうに話していたが、あれ、と気になったように首を傾げる。


「春馬くんも奈々を好きになって、奈々が春馬くんを好きなのを察していた――ほとんど両想いってことは知っているのよね? だとすれば、今日の相談事は何かしら」

「……奈々にこの好意を告げてもいいのか、ということで悩んでいます。いろいろ、従兄妹同士だと憚りがあるのでは、と思っていて」

「あら……春馬くんは本当に真面目ね」


 亜紀さんは目を丸くしてから、少し悩むように眉を寄せた。だが、すぐにあっけらかんとした口調で告げた。


「別に私たちに遠慮せずに、告っちゃえばいいじゃない」

「……んなあっさり」

「ふふ、春馬くんは真面目だから、互いの家族の関係性がぎこちなくなったり、もし破局したときの懸念をしているのかもしれないけど、言ってしまえば無用の心配なのよ」


 亜紀さんはおかしそうに表情を緩めながら、柔らかい口調で続ける。


「奈々が春馬くんのことを真剣に想っている、って聞いていたから、私は貴方のお母さんとも話しているのよ――それでもし付き合ったら応援しよう、と決めているの」

「……いつの間に、そんな話を」


 ただ確実に僕が京都の戻る前の話だろう。ふと母さんの言葉が頭に過ぎる。


『貴方たち、昔から仲が良いし……とはいえ、春馬、少しは奈々ちゃんのことを考えてあげた方がいいわよ』

『ん……やっぱり時間を使わせるのは悪いかな』

『ううん、あの子と貴方がどう時間を使うかは自由よ。ただ、時間を使わせている以上のお礼は互いにするべき。あの子が貴方と一緒にいたいと願うのなら、それに応えられるようにしなさい、ということ』


 荷解きのときの母さんの言葉を思い出し、僕は黙ってコーヒーを口に運ぶ。亜紀さんは目を細めて軽く笑った。


「思い当たる節がある、って顔ね」

「まぁ、一応は」

「貴方たちが考えている以上に、親って子供のことをよく見ているものよ?」


 くすっと笑った亜紀さんは、思いやりの込めた優しい眼差しで僕を見て微笑む。


「大事な子たちですもの。ちゃんと向き合い、貴方たちの助けになりたいと思っている。余計なお世話、と思われるかもしれないけど、そう思われるくらいが丁度いいと思っているわ」

「……こうして今聞くと、ありがたい話ですね」

「ふふ、今だから話せるのよ。大人になった春馬くんだからね」


 ただ、と亜紀さんは指を持ち上げ、軽く振ってから悪戯っぽく言う。


「私たちからすれば、まだ子供よ。だからそんな私たちに遠慮する必要もないわ。奈々と付き合うも別れるも貴方たち次第。たとえどうなったとしても、互いの家族の関係性は一切壊れない。貴方たちの付き合いを軽んじているわけではないけど、それ以上の信頼と信用が私たちの間にあるのだから」


 亜紀さんの言葉は柔らかく優しかったが、限りなく頼もしかった。

 それに全てを見通すかのような、その真っ直ぐな眼差しは僕の父さんによく似ている。少しだけ苦笑いをこぼしながら一つ頷いた。


「敵いませんね。親には」

「さすがに何年も貴方たちのこと見ているからね。それにこれは年の功よ」

「そんなものでしょうか」


 常々実感していたことだが、両親も叔父さん、叔母さんも立派な大人だ。どっしりと構えながらも、細かい部分までさりげなく見ており、困ったときは助け船を出してくれる。

 自分のことしか考えられない大人が多い世の中で、こんな立派な人たちが親であることはささやかながら自分の誇りだ。こんな人に年の功だけでなれるとは思えない。

 だが、亜紀さんはふんわりと笑って頷いた。


「そんなものよ。貴方もそのときがくればきっと、分かるから。それよりも、コーヒーのお代わり、いる? さっきまでそわそわしていて味を楽しめていないんじゃないの?」

「……いただきます」


 そして、その気配りにも敵わない。亜紀さんは手を挙げて注文を頼む。ちゃっかりケーキまで頼んでいるのは、奈々の親らしいところだ。


(でも、そうか……ありがたいな)


 見守ってくれて応援してくれる。結果としては、最初から気兼ねをすることはなかったのだろう。だが、こうして亜紀さんに話したことで少し楽になった。

 ほっと一息ついたところで、店員さんがコーヒーを運んでくる。

 目の前に置かれたカップを手に取り、そっと香りを楽しみながら口に運ぶ――口の中に広がるのは芳醇なイノダの味。じっくりと味わってから一息つくと、亜紀さんもケーキを食べて美味しそうに笑みをこぼした。少し無邪気な雰囲気は、奈々とそっくりだ。

 思わず目尻を緩めると、彼女はくすりと笑みをこぼして言う。


「喫茶店は楽しまないとね、春馬くん」

「ええ、そうですね」

「……ところで春馬くん、聞きたいんだけど」


 亜紀さんはフォークを置きながら改まった口調で聞いてくる。はい、と視線を上げると、ふと緩んだ目尻に気づく。この目つきは悪戯を仕掛けてくる奈々にそっくりだ。

 嫌な予感にさっと視線を逸らす。だが、彼女は笑みを浮かべて訊ねてくる。


「奈々のどこに惹かれたのかしら。参考までに聞いてもいい?」

「……勘弁してくださいよ」

「えー、いいじゃない。あの子のファッション、私も協力したのよ?」

「それとこれとは話が別ですよ……」


 親戚の叔母さんに、その娘の(異性として)好きなところを暴露するなんて、どんな罰ゲームなのだろうか。僕が表情を引きつらせる中、あらそう、と亜紀さんは唇を尖らせる。


「じゃあ、春馬くんの黒歴史を奈々に教えちゃうから」

「そ、れは……っ」

「春馬くんが昔、お風呂の中でお漏らししたこととか話していいのかしら」

「それはなしですよ、亜紀さん……っ」


 亜紀さんに恥をさらすか、奈々に恥をさらすか、究極の選択が生まれていた。凄まじい葛藤の末、どちらを選択したかは――ここでは控えさせていただく。

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